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【第32話】ログの追跡者


 魔導都市ヴィンセントの夜は、眠ることを知らない。

 

 路地裏に位置する宿「歯車と蒸気亭」の二階。レイは、重い鉄の扉をそっと閉め、一人で夜の街へと踏み出した。背後でルクスが心配そうに鼻を鳴らしたが、手のひらを向けて制する。エレナたちは、旅の疲れと、書き換えられた記憶の矛盾による精神的摩耗から、深い眠りに落ちていた。

 

「直人様、繰り返します。単独行動は推奨されません。先ほどの通信リクエストは、管理者が仕掛けたトラップである可能性が46.2パーセント、未知のバグによる誘引である可能性が38.1パーセントです」

 

(……残りのパーセンテージは?)

 

「……15.7パーセント。この世界の『真実』を知る第三者の介在です」

 

 レイは無言でフードを深く被り、時計塔を目指した。街のあちこちに設置された監視用の魔導水晶が、不気味な青い光を放ちながら首を振っている。レイはその死角を縫うように進む。彼の歩法は、かつてライオネルとガルドに教わった「戦士の隠密」と、システム上の「ステルス・コード」が融合した異質なものとなっていた。

 

 時計塔の麓に辿り着くと、そこには「立ち入り禁止」の魔法障壁が張り巡らされていた。だが、レイが手をかざすと、障壁はガラスが割れるような音を立てて霧散した。

 

「……ログイン承認。パスワードは、俺の元の名前か」

 

 レイは螺旋階段を駆け上がった。歯車が噛み合う巨大な音が、心臓の鼓動を急かすように響く。頂上の展望台へ辿り着くと、そこには先ほどまでの黒いローブの人物が、夜風に吹かれながら街を見下ろしていた。

 

「……来たか。記録の重みに耐えかねた、哀れな観測者よ」

 

 その声は、かすれていた。男とも女ともつかぬ、幾重にも重なったノイズのような声。人物がゆっくりと振り返り、フードを脱いだ。

 

 レイは息を呑んだ。

 

 そこにいたのは、人間ではなかった。顔の半分が透き通った水晶のようになり、そこには絶え間なく緑色の文字列コードが流れ落ちている。肉体という檻から解き放たれ、システムそのものに半分呑み込まれた「成れの果て」の姿だ。

 

「お前は……誰だ? 管理者の仲間か?」

 

「管理者、か。あのごみ掃除係と一緒にされるのは心外だな。……私はかつて、この世界の『枠組み』を構築する側にいた。だが、ある時気づいたのだ。この世界から消えていく者たちの叫びに。……お前が先日失った、あの盾使いのようにな」

 

 レイの瞳が鋭くなる。胸の奥に封じ込めたガルドのバックアップデータが、共鳴するように熱を帯びた。

 

「ガルドを知っているのか。……あいつを、元に戻す方法があるのか!」

 

「焦るな。この世界は、巨大なメモリ領域に過ぎない。消されたデータは、完全には消滅しない。ただ『上書き可能』な空白領域フリースペースに移動させられただけだ。……だが、それを書き戻すには、世界そのもののルールを逸脱いつだつした『ペン』が必要になる」

 

 謎の人物は、虚空から一本の細い光の棒を取り出した。それは、レイが見慣れた、テレビ局の編集室にある「デジタイザのペン」に酷似していた。

 

「これは『オーバーライト・ペン』。世界のソースコードを直接改竄かいざんするためのデバイスだ。……お前には、これを使う資格がある。お前の精神構造は、この世界の住人とは決定的に違うからな」

 

 人物がレイに近づき、その半透明の手をレイの胸に置いた。

 

「お前は、この世界を『ドラマ』だと思っている。だからこそ、理不尽なカット割りに耐えられない。……だが、気をつけろ。書き換えるということは、代わりに自分のリソースを削るということだ。最後に残るのは、空っぽの殻か、あるいは……」

 

 その時、時計塔の周囲の空間が激しく歪んだ。

 

「警告! 管理者の介入を確認! 座標固定……来ます、直人様!」

 

 純白のローブを纏った管理者が、無数に現れた。彼らは感情のない仮面の下で、一斉に「削除パージ」の呪文を唱え始める。

 

「……行け、記録者レコーダー。これを受け取れ」

 

 人物はレイに光のペンを託すと、自ら盾となって管理者の群れに突っ込んだ。ノイズが弾け、時計塔の一部がデジタルな崩壊ほうかいを起こす。

 

「待て! お前の名前は!」

 

「……名前など、とうに削除された。……ただ、次に目覚めた時は、今度こそ『間違えないで』くれ」

 

 その言葉と共に、人物は眩い光の中に消えた。

 

 レイは光のペンを握りしめ、塔から飛び降りた。空中でステルスを最大展開し、迫りくる削除の波動を間一髪で回避して路地の闇に紛れ込んだ。

 

 背後で時計塔が青白い火花を散らし、ヴィンセントの街に非常事態を告げる鐘が鳴り響く。レイの網膜には、街全体のログが激しく点滅し、書き換えられていく様子が映し出されていた。管理者は、今夜の出来事さえも「落雷による事故」として処理しようとしている。

 

 宿に戻ると、廊下でライオネルが剣を抜いたまま立っていた。

 

「……レイか。どこへ行っていた」

 

「……少し、風に当たりにな」

 

 レイは平静を装ったが、ライオネルの鋭い眼光は誤魔化せなかった。ライオネルはレイが握りしめている「光のペン」を一瞬だけ見つめ、何かを言いかけて口を閉ざした。

 

「……妙な気配がしたんだ。誰かが、俺たちの『存在』を外側から削り取ろうとしているような、そんな寒気がな。……お前、何か隠してるだろ」

 

「……今はまだ、言えない。でも、必ず、すべてを元通りにする」

 

 レイの言葉に、ライオネルは小さく鼻を鳴らして剣を鞘に収めた。

 

「勝手にしろ。だが、忘れるな。俺たちの背中は、まだ空いたままだ。……誰がそこにいたのか、俺が思い出すまで、勝手に死ぬんじゃねえぞ」

 

 ライオネルが去った後、レイは自分の部屋に入り、ベッドに腰を下ろした。手の中のペンは、微かに熱を帯びている。

 

「直人様、ペンの使用には莫大な演算負荷が伴います。……現在、ガルド氏のログを保持しているだけでも、直人様の『コア』は摩耗し続けています。これ以上の拡張は……」

 

(わかっている、ARIA。……でも、やるしかないんだ)

 

 レイはペンを見つめた。その光は、かつて編集室で握っていたペンと同じ感覚を呼び起こす。

 

 隣の部屋からは、エレナがうなされる声が聞こえてくる。

 

「……どこなの……どうして、一人で行っちゃうの……」

 

 記憶を封じられてもなお、彼女の魂は欠落を拒んでいる。その悲痛な叫びが、レイの決意をさらに固めさせた。

 

 窓の外では、不気味に針を逆回転させる時計塔が、夜の闇に沈んでいた。

 

(今度は俺が、このペンで結末を書き換えてやる。……たとえ、俺という存在のすべてを使い切ったとしても)

 

 レイの瞳の奥で、かつてテレビ局のモニター越しに見ていた、無機質な編集画面が重なった。


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