【第30話】偽りのパーティ
ライオネルの実家を後にする準備を整え、一行は離れの前に集まっていた。
初春の風はまだ冷たく、ライオネルの家の庭に咲く名もなき白い花を揺らしている。かつてなら、ここで「さあ、行くか!」と豪快に笑い、誰よりも先に重い荷物を背負い、仲間の士気を高める男がいたはずだった。
だが、今そこに立っているのは、剣の柄を握りしめ、どこか所在なげに自分の左隣の空間を見つめるライオネル。泣きはらした目を隠すように俯くエレナ。黙々と魔導具の点検をするミラとフィリス。そして、無表情にインターフェースを操作するレイの5人だけだった。
「……出発しよう。王都を出て、北の街道を進む。目的地は、魔導都市ヴィンセントだ」
レイの声が、静かな庭に響く。その声には、かつての少年らしい響きが消え、冷徹な管理者のような響きが混じり始めていた。
「ねえ、レイ。やっぱり変よ。……馬車の手配、6人分になっているわ。予備の食料も、装備の数も、計算が合わないの」
エレナが、手元のメモを見つめながら震える声で訴えた。それは彼女自身が書いたはずの備忘録だった。そこには確かに「6人分の食料と寝袋」と記されている。しかし、今の彼女の記憶には、その「6人目」の名前も顔も、声すらも存在しない。
「書き間違いだろ、エレナ。俺たちは5人だ。……ルクスを入れても、6人にはならない」
レイは、エレナの視線を避けるようにして歩き出した。彼の視界には、エレナの思考ログが激しく乱れ、システムが「記憶の矛盾」を修正しようと、彼女の脳細胞に微細な電気負荷をかけ続けているのが見えていた。その数値が上昇するたび、レイの胸は締め付けられるような痛みに襲われる。
「……そうね。私の勘違いかしら。ライオネル、あなたもそう思う?」
エレナに振られたライオネルは、愛剣の柄を強く握りしめたまま、沈黙を守っていた。彼は、ガルドという名前こそ思い出せないものの、自分の剣術の型が「誰かの巨大な盾」を守るために最適化されているという違和感に、ずっと苛まれていた。
「……ああ。レイの言う通りだ。だが、なんだか体が重い。……誰か、頼りになる奴に背中を預けていたような、そんな妙な感覚が抜けないんだ。俺の左側が、ひどく寒気がする」
ライオネルの言葉は、レイの胸を鋭く刺した。世界の修正能力を以てしても、魂に刻まれた戦友の絆までは完全には消し去れない。それはシステムにとって、極めて危険な「バグ」の温床だった。
ミラとフィリスも、どこか心ここにあらずといった様子で荷物を積み込んでいた。魔法の計算が合わない、調合した薬の数が一人分多い――彼女たちの専門領域でも、ガルドという存在が消えたことによる「計算違い」が、静かな毒のように浸透していた。
「直人様、警告。ライオネル氏およびエレナ氏の認知的不協和が閾値を超えつつあります。このままでは、管理者が『再フォーマット』のために現れる可能性が82パーセントに達します。早急に、彼らの認識を現実に適応させてください」
(黙れ、ARIA。……適応なんてさせるか。忘れてたまるかよ)
レイは、自分の胸の奥に封じ込めたガルドのバックアップデータ――あの木彫りの像から抽出した熱い光の残滓――を、必死に抑え込んだ。そのデータは、レイの演算領域を激しく圧迫し、時折、視界にガルドの幻影を映し出す。
街道を進む馬車の中、沈黙が支配していた。
エレナは、懐に忍ばせたあの木彫りの守護像を、指先でずっと撫でている。彼女にとって、それは正体不明の「喪失感」を埋める唯一の形代だった。
「レイ。……あなたは、何かを知っているのね?」
不意に、エレナが顔を上げた。その瞳には、神官としての慈愛ではなく、真実を求める鋭い光が宿っていた。
「あなたが隠している『何か』が、私のこの胸の痛みに関係しているんでしょう? 答えなさい。私たちは、誰を忘れてしまったの? 誰を見捨てて、この道を歩いているのよ!」
彼女の叫びに応じるように、馬車の周囲の空間が微かに歪んだ。管理者が、世界の不整合を検知し、再び「削除」の手を伸ばそうとしている。エレナの頭上に、システムによる処刑宣告のような光が収束し始める。
「……エレナ、やめるんだ。それ以上考えると、君の頭が壊れる!」
「壊れてもいいわ! 大切な人を忘れたまま、平気な顔をして生きていくなんて、そんなの生きていないのと同じよ! 思い出させて、レイ! そこに、誰がいたのかを!」
その時、レイの視界に真っ赤な警告文字が躍った。
【警告:重要ユニット『エレナ』の論理回路に致命的なエラーを確認。強制初期化シークエンスを開始します】
「……させないッ!」
レイは叫び、エレナの肩を強く掴んだ。彼は自分の「記録」スキルを逆流させ、彼女の脳に直接介入する。管理者が彼女の記憶を消そうとする圧力に対し、レイは自分の精神リソースを盾にして立ちふさがった。
「ぐ……あああああッ!」
レイの瞳から、一筋の血が流れる。
彼の脳内で、ガルドの記憶が激しく明滅した。エレナを、ライオネルを、ミラを、フィリスを……そして世界を守るために盾を掲げ続けた男の意志が、レイの演算能力を限界まで引き上げる。
(思い出させるんじゃない。……俺が、彼女の『盾』になるんだ。ガルド、力を貸せ! お前の分まで、俺がこいつらを守り抜く!)
レイは、自分の記憶領域を一部切り離し、それをエレナの「心の穴」を埋める仮初めのダミーデータとして流し込んだ。それは真実の記憶ではない。だが、彼女を死の淵から引き戻すための、必死の防壁だった。
やがて、空間の歪みが収まり、エレナの瞳から険しさが消えていった。彼女は深い眠りに落ちるように、レイの胸に顔を埋めた。
「……レイ? 私、何を……」
しばらくして目を覚ました彼女の瞳には、先ほどまでの鋭い追及の色は残っていなかった。システムが、彼女の「疑念」を一時的に封じ込めたのだ。だが、その代償として、彼女の心の一部はさらに摩耗し、感情の色彩を失っていた。
「疲れているんだよ、エレナ。少し眠るといい。俺が、ずっとそばにいるから」
レイは、自分でも驚くほど穏やかな、しかし感情の死滅した声で言った。
彼のインターフェース上、ガルドのデータはさらに深く、暗い階層へと隠蔽された。それはもはや記憶というより、レイの魂を蝕む呪いに近かった。
馬車は北へと進む。消された仲間の残響を、それぞれが異なる形で抱えたまま。
5人と1匹のパーティは、完璧な「偽りの形」を保ちながら、終わりなき修正の旅へと足を踏み入れた。
レイの瞳に映る世界は、もはや美しいファンタジーではなく、ただの無機質な文字列の羅列でしかなかった。それでも彼は、その文字列の中に隠された、一人の盾使いの笑い声を、決して消させはしないと誓うのだった。




