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【第26話】共有された空白


 漆黒の粛清者デリーターがノイズとなって霧散し、王都の路地裏に静寂が戻った。

 消失していた壁が、古びた映像の巻き戻しのように再構成され、飯屋『鉄鍋亭』の看板が夜風に揺れる。


 だが、そこに流れる空気は、勝利の余韻とはほど遠いものだった。


「ハァッ……、ハァッ……」


 レイは石畳に膝をついたまま、激しく肩で息をしていた。

 展開していたインターフェースは霧散したが、網膜にはいまだに青白い光の残像が焼き付いている。


 操作していた指先は、もう透けてはいない。実体は戻っている。

 だが、内側の「欠落感」だけは、埋めようのない穴となって広がっていた。


「レイ! おい、しっかりしろ!」


 ライオネルが駆け寄り、レイの肩を強く揺さぶる。


(……この男は、誰だ?)


 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、目の前の熱血漢の名前が、脳内のインデックスから消失した。

 コンマ数秒の遅延を経て、「ライオネル」という文字列がログから抽出される。


「……ああ、大丈夫だ。少し、リソースを使いすぎただけだよ」


 レイは顔を上げ、努めて穏やかに笑ってみせた。

 だが、それを見つめる仲間たちの表情は、一様に凍りついている。


 彼らは見てしまったのだ。

 レイが「領域パーティション」を同期させたあの数分間。

 レイの瞳を通じて、この世界の裏側にある冷徹な「記述コード」を。

 そして、その膨大な情報を処理するために、レイという人間がどれほど無惨に摩耗しているかを。


「……レイ。あなた、今、何を捨てたの?」


 震える声で問いかけたのは、エレナだった。

 彼女は魔導杖を握りしめたまま、一歩も動けずにいた。


「捨てた? 何を言ってるんだ、エレナ。俺は何も――」


「嘘をつかないで!」


 エレナの叫びが、夜の路地に響き渡った。

 彼女の瞳には、涙とは異なる、根源的な恐怖が浮かんでいる。


「見えるようになったのよ……。あなたがさっき見せてくれた、あの青いインターフェースの中に、あなたの『中身』が削れていくグラフが出てたわ。あれ、記憶でしょう? あなたが今まで積み重ねてきた、大切な……」


 その言葉に、他の仲間たちも息を呑んだ。


 冷静な守護者であるガルドが、重い戦槌を地面に置き、レイの顔を覗き込む。


「……ガルド……?」


「ああ。俺にも見えた。レイ、お前、さっき三人に分身させた俺たちを維持するために……自分の『子供の頃の記憶領域』を犠牲にするっていう警告、出てたぞ。あれは、間違いじゃねえんだな?」


 レイは答えられなかった。

 否定したくても、記憶のアーカイブには、すでに実家の風景も、両親の顔も、何も残っていない。

 そこにあるのは、ただの「空のフォルダ」だけだ。


「……必要なコストだったんだ」

 レイは乾いた声で言った。

「あのままじゃ、みんな消されてた。デリーターは『死』を与えるんじゃない。『削除』するんだ。存在そのものがなかったことにされる。……それを防ぐには、俺が持っている既存のログをリソースとして燃やすしかなかった」


「そんなの、納得できるわけないでしょう!」

 フィリスが、泣き出しそうな顔で詰め寄る。

「あたしたちを守るために、レイがレイじゃなくなっていくなんて……。そんなの、あたし、耐えられないよ!」


「フィリスの言う通りだ」

 知略に長けるミラが、沈痛な面持ちで口を開いた。

「レイ、あなたの能力は変質している。本来の『記録係』としての範疇を超え、世界のことわりに直接干渉し始めているわ。……それは、観測者が『管理者』に近い領域へ足を踏み入れているということ。代償は、記憶だけでは済まなくなる可能性がある」


 仲間たちの非難にも似た心配が、レイの心に重くのしかかる。

 だが、その時、レイの視界に再び「ノイズ」が走った。


 キィィィィィィィン……。


 耳鳴りとともに、視界が二重に重なる。

 

 一つは、今、自分を囲んで心配してくれる仲間たちがいる「現実の夜」。

 もう一つは――


(……なんだ、これは?)


 インターフェースが勝手に起動する。操作もしていないのに、タイムラインが高速で逆回しに走る。

 そこには、今しがた撃破したはずの粛清者デリーターに、ガルドが胸を貫かれ、ミラが消去の光に呑み込まれる「別の結末」が記録されていた。


『警告。可能性ログの重複保持を確認。……直人様、あなたの「観測」は、すでに確定した事実(過去)だけでなく、存在し得た分岐(未来)までをも保存し始めています』


(ARIA、これはどういうことだ……。ガルドたちは生きてる。俺が助けたんだ)


『肯定。ですが、世界の構造上、彼らが「削除」されるはずだった事象もまた、一つの正解として記録されています。現在のあなたは、その「死ぬはずだった仲間」のデータを、自身の内部に予備バックアップとして保持してしまっています』


 レイの全身に、鳥肌が立った。

 自分の内側にある「空のフォルダ」に、消えた記憶の代わりに、仲間の「死の記録」が流れ込み始めている。


「レイ……? 本当に大丈夫?」

 エレナが恐る恐る手を伸ばし、レイの頬に触れた。

 その温もり。鼓動。

 だが、レイのインターフェース上には、彼女が粛清者デリーターに消され、粒子となって消えていく映像が、もう一つの現実として「再生待ち」の状態で居座っている。


(俺は……何を、抱え込んでしまったんだ)


 レイは、エレナの手を優しく、だが拒絶するように受け流して立ち上がった。

 足元では、愛犬ルクスが低く唸っている。

 主人が手に入れた新しい力が、どれほど不吉なものであるかを、この賢い獣だけは理解しているようだった。


「……帰ろう。とりあえず、ここを離れるんだ。粛清者デリーターの増援がいつ来るかわからない」


 レイは、仲間たちの問いかけに背を向けた。

 

 記録係。

 かつては、ただの後方支援だと思っていたその役職は、今や世界の「存在そのもの」を左右する、残酷な秤へと変貌を遂げていた。


 誰かを救えば、自分の中の何かが消える。

 誰かを守れば、その誰かが「死ぬはずだった事実」さえも、自分の中に保存し続けなければならない。


(……全部、記録してやるさ)


 レイは暗闇の先を見つめ、心の中で呟いた。

 たとえ、自分が自分という個体を保てなくなるその日まで……


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