【第11話】削除された痕跡
王都にあるライオネルの家の離れ。そこがレイたちの臨時の拠点だった。
数ヶ月前、まだ王都の雰囲気に慣れきっていない頃の、ある雨の日のことをレイはよく覚えている。
びしょ濡れになって現れたのは、生家に残してきたはずの愛犬ルクスだった。
前世の編集ソフトのロゴに似た模様を持つ、賢い雑種犬。スキル初発動の原点ともなった、家族同然の存在だ。
「仕方ないわね」とエレナが笑い、ガルドが巨大な犬小屋を作り、ライオネルが肉を分け与え、フィリスが毛並みを整え、ミラが魔力の込もったおもちゃを与えた。
ルクスはあっという間にパーティーのアイドルになり、いつしか彼らは「六人と一匹」と呼ばれていた。
朝はルクスがレイの顔を舐めて起こし、ライオネルの訓練に付き合い、エレナが祈る傍らで静かに座っていた。
彼と過ごした騒がしくも温かい時間は、紛れもなく彼らの「日常の記録」だった。
◇
――朝。
いつも通りのはずだった。
「おはよう、レイ。夕べはよく眠れた?」
エレナの声。窓から差し込む陽光。仲間たちの気配。
何も変わらない。……はずだった。
「……あれ。ルクスは? まだ寝てるのか?」
レイは寝ぼけ眼で辺りを見渡す。いつもなら顔を舐め回してくる感触がない。
「ライオネル、あいつ、お前の訓練の邪魔しに行ってるのか?」
朝食のテーブルに座るライオネルは、不思議そうに眉を寄せた。
「……誰のことだ? レイ、変な夢でも見たのか?」
「何言ってんだよ。ルクスだよ。ガルド、外の小屋か?」
巨大なパンを口に運んでいたガルドが手を止める。
「小屋? レイ、庭にあるのは薪置き場だけだぞ。犬など飼っていないだろう」
その一言で――世界が止まった。
「……は?」
レイの思考が固まる。
「冗談だろ……? フィリス、お前昨日あいつに新しいリボンをつけてやったじゃないか」
「リボン……?」
フィリスがパンを咥えたまま、困惑したように首をかしげる。
「レイ、怖いよ。そんな名前、聞いたことないし……私、リボンなんて持ってないよ?」
(……嘘だろ)
心臓が嫌な音を立てる。レイはゆっくりと視線を落とした。
自分の足元。いつもならそこにいて、尻尾で床を叩く音が聞こえるはずの――“あいつ”がいない。
「……おい」
声が震える。
「ミラ、お前なら覚えてるだろ? あいつに魔力のおもちゃを作ってやった……」
ミラは静かに首を振った。
「残念だけど、レイ。あなたの妄想か、あるいは何かの魔術的な混乱じゃないかしら。私たちのパーティーは、最初からこの六人よ」
誰も、覚えていない。
「……レイ?」
エレナだけが不安そうに覗き込む。だが――。
「ごめん……私も、その名前……分からないわ。私たちの……大切な人なの?」
ドクン、と鼓動が跳ねる。
(……消えてる)
頭の中に、昨夜のあの男の声が蘇る。
――『僕は、“削除する側”』。
「……っ!!」
レイは朝食を放り出し、宿舎を飛び出した。
◇
走る。息が上がる。構わず走る。王都の喧騒が、今はひどく不気味に感じる。
生家の前にたどり着き、乱暴に扉を開ける。
「母さん!! ルクスは!? ルクスはどこ!」
振り向いた母は、いつも通りだった。
「あらレイ、急にどうしたの。……ルクス? 誰、それ?」
世界が、軋む音を立てた。
(……やられた。本当に……やられたんだ)
部屋に飛び込み、必死に探す。
ルクスが使っていた餌皿。お気に入りの毛布。首輪。ライオネルが作ったはずの犬小屋。
――何一つない。
最初から“存在しなかった”かのように。ルクスの匂いさえ、そこにはなかった。
「……そんな……」
膝から崩れ落ちる。
ログが消えたんじゃない。存在そのものが――世界のタイムラインから「削除」されたのだ。
「レイ……」
後ろからエレナの声。息を切らして追ってきたらしい。
「落ち着いて……何があったの? ここ、あなたの生家よね? どうしてそんなに慌てて……」
「……ルクスが。俺の……俺たちの……大事な家族が……」
震える手でウィンドウを開く。
【 ログ一覧 】
・死の瞬間(転送)
・エレナの致命傷回避
・記録外存在との戦闘
・???(黒い記録)
(……っ!?)
――『ルクスの救済(スキル初発動)』
その項目が、消えていた。
『対象に関連する主要ログの消失を確認。外部干渉による【強制削除】。直人様の記憶内にのみ、残存データが確認されます』
ARIAの報告が追い打ちをかける。
これは戦闘じゃない。編集合戦ですらない。もっと一方的で、残虐な――「削除」。
「レイ」
エレナが、泣きそうな顔でレイを真っ直ぐに見る。
「何か……おかしいよね。あなたが泣いている理由も、私が謝った理由も、私には分からない。でも……」
彼女は自分の胸に、ぎゅっと手を当てた。
「“何か……すごく、すごく大事なものが、無くなった気がするの”」
(……完全には、消えてない?)
記録は消された。存在も消された。
でも――彼と共に生きた、その“感覚”だけが、残っている。
レイは、ゆっくりと立ち上がった。
涙を拭い、拳を強く握る。その目は――これまでで一番鋭い光を宿していた。
「……エレナ。俺、やること決まった」
「消されたもの……取り戻す。あいつを……昨日の夜の男を倒さないと、無理だ」
あいつは、存在ごと“削除”できる。
対して、今の俺は、記録し、再生するだけ。守るだけの編集じゃ、あいつには勝てない。
「だからこそ、勝つ価値がある」
空を見上げる。不完全な、ルクスのいない世界。
「絶対に……取り戻す」
物語はここから――“記録 vs 削除”の本格戦争へ突入する。




