オオマガトキ
放課後の昼下がり、勝は体育館裏で惚けていた。勝は重たいまぶたで辺りを見まわす。
(あれ、ここって体育館の横だよな……。どうしてこんなところに……。確か俺、ふわふわの後をついて職員室に入ったら、ありえないことに神社に来てしまったんだよな。……俺、夢でも見てたのか? でも、あの神社での冷たい空気は本当にそこにいるみたいだった。それに、ふわふわと話もしたし。それで、俺、たしか質問をしたんだな。……ヨルについて、何か知ってることがあるの? だったけ。それで、ふわふわはなんて言ったっけ? う~ん……)
勝が頭をひねっていると、足音が聞こえてきて、思わずドキッとした。まさか、あのいじめっ子じゃなかろうか、と息を殺そうとした……。
「おい、日野! こんなところにいたのか! どこにも姿が見当たらなかったんだぞ」
「ま、真野……。驚かせるなよ。ヒヤッとしたじゃないか……」
「よかったじゃないか。いじめっ子じゃなくって俺で。ここに来たのが奴だったら、今頃お前、ぶっ飛ばされてたぜ」
「?」
翔太は、教室に戻ろうとした時、いじめっ子が血眼になって何かを探してのを見かけたらしい。それで、勝が追いかけられていると考え、探しに来たというわけだった。
「大丈夫だって。安心しろ。奴は今、走っている最中に下級生を突き飛ばしてしまったせいで、せんせーに叱られてたから。なんなら奴がお前をいじめそうになったときに俺が、あのことを言ってやってもいいし」
人の弱みにつけこんで脅すやり方にはあまり感心しないが、勝は翔太に感謝の気持ちで満たされた。
「……なんか、ありがとうな」
「いいってことよっ」
火の玉と小柄な奴が来たことによって、私はあの小鳥に何を言われていたのか思いだしていた。
《今のお前さんにこういうことを言うのは、引けるのだが言っておかなくてはならん。お前さんは将来、勝とあることを巡って仲たがいをしてしまう。それによって、お前さんは勝の下から離れようと決意することになる。詳しくは言えぬ、だが、これだけは言っておく。あまり、人間に期待しすぎてはならぬ。期待すればするほど、失望は大きくなるものだから》
言われたことの意味はよくわからなかった。仲たがいって何のことだろう? どうして私は勝のところから離れたいと思うようになるのだろう? 考えてもわからなかった。できることといえば、勝とより一層仲良くしようと頑張ることだけだ。
いつの間にか、あいつらは私の目の前からいなくなっていた。目の前が物で散らかっているあたり、相当何かをやらかしながら帰って行ったに違いなかった。私はあいつらに対する憤りを感じながら、ふとあることに思い至った。『親分』が私に似ていると、あいつらは言った。ということは、あの大きい犬があの小柄な奴の親分ということだ。思いだしただけで、身震いがしてきたけど、あの犬が親分というのなら、あの犬に頼みこまないと、あいつらがまたいろいろ迷惑行動をすることになる。私は、『親分』の、大きい黒犬に会いに行くことにした。
「ヨル! 何をしてるの! 勝手に外に出ようとしちゃだめじゃないか!」
勝が学校から帰ってくる時間だということをすっかり忘れていた私は、午後に家を受けだそうとしていたところを学校から帰って来た勝にあえ無く見つかってしまった。私は、塀をよじ登ったまま、フリーズ状態になってしまった。
「散歩なら俺が連れてくからさ。勝手にどこかへ行こうとするんじゃないよ。……前みたいなことがあったらダメだしさ」
勝はそう言いながら、私を塀から降ろそうとした。私の足が塀から離れた瞬間、勝の足元がグラついてしまった。
「ぅっわ!」
ドシン!
「いったー!」
勝が大の字になって倒れてその上に私も倒れかかってしまった。とりあえず、大丈夫かな?
「……よ、ヨル、退いてくれないと起き上がれないんだけど……。す、すごく、重い」
え? 勝、今なんて言った? 重いって聞こえたんだけど? ま、勝ったらすごく失礼なことを言うのね! それじゃ、まるで私、肥ってるみたいな言い方じゃないの!
「ヨル! 退いてったら! 重くてかなわないよ!」
!!! 今、言ったよね? 「重い」って。はっきりと聞いたからね! 勝の、い、いじわる~!
「ちょっと、ヨル、どうしたんだ! どこへ行くんだよ!?」
勝の「重い」発言に傷ついた私は、自分でもどうしていいかわからずに、塀を乗り越えてしまった。
「ヨル! 戻るんだ! ヨルってば!」
走った。走りに走った。足が痛くなるまで走った。そして……。
「ヨル! 勝はどうしたんだ!」
え、この声、もしかして……。聞き覚えのある声に私は思わず、立ち止まる。そして声のしたほうを振り返った。
「勝のところから逃げだしたりするなんて、何があったんだ?」
そこには、私の大好きな稔が立っていた。背中にカバンを背負ってあるあたり、稔も学校から帰る途中なのだろう。私は、稔に会えたうれしさで舞上がってしまった。稔、会いたかったわ~!
「ぅわ! ちょっと! 離れ……。あっ」
私は稔に会えたうれしさのあまり、稔の顔を散々なめた挙句に、押し倒してしまった。勝、私、将来稔の奥さんになるから、その時はちゃんと祝ってほしいな~。
しかし、有頂天になりすぎたせいで、肝心なことを忘れていた。
「……ヨル、勝のところへ戻っていったら? 今頃、探してるんじゃないかな……」
稔にそう言われ、ハッとした。そう言えば、私、どうしてここまで走ってきたんだけ? ふいに冷静になり、辺りを見まわす。目の前には、勝といつも一緒に行っていた公園が目の前にあった。……よかった。そんなに遠くまで走っちゃったんじゃなかったのね。安心した~。
「ぉーぃ」
誰かが呼んでる声がした。もしかして、勝がここまで来たのかしら? 顔を超えのしたほうに振り向けると、確かにそこには勝が走ってきているのが見えた。
「おーい! 海野~! ごめんな! ヨルが迷惑かけてしまったみたいでっ」
勝は私のそばまでは知ってくると、息切れしながらリードを私の首輪につけた。
「だ、大丈夫。平気だって。……ところで、日野、ちょっと耳を貸してくれ」
「え? 何?」
「いいからっ。ちょっと……」
そう言うと、稔は小さな声で何やら耳打ちをした。一体何なの? 私に聞かれたくないことでもあるのかしら? あっ、そうだ! 忘れてた! 私、あの黒犬に会いに行くんだったわ! こうなったら、夜に抜け出すしかないわね……。
煌々と明るい細い月が光る中、私はとうとう家を抜け出した。夜の空気は冷たいけれど、あの犬に会いに行くことを考えれば、寒さなど、気にもならなかった。けれど、一つ気になることがあった。それは、勝が家の鍵を閉め忘れたらしいことだ。勝はいつも、ちゃんと鍵を閉めておくほうなので、この日だけ忘れてしまうなんてことは考えられなかった。けど、抜け出せたことには変わりないのだから、あまり気にしても仕方がないだろう。あの犬に会って、あいつらを何とかしてもらうように頼まないといけないのだから。
そう言うわけで、私はあの裏山へ向かったわけなのだけど、やっぱり、怖い。あの犬の人語はなぜかゾクゾクとさせるものがある。私自身が決めたこととは言え、やっぱり面と向かって頼むのは勇気が出なかった。そんなわけで、私は木の後ろに隠れながら、あの犬と、火の玉の会話を聞いてる羽目になった、のだけど……。
「……あ、そうそう誰か僕たちの話を聞いてる不届きものがいるみたいだけど? ……もう、そんなに怯えなくていいよ。ね? 隠れてないで、出てきなよ。……魂の隠れ蓑さん」
! ばれてる! ど、どうしよう……。私は心臓が縮みあがるのを感じた。言葉だけで恐怖させることができるなんて、なんてやつだろう。私は、このまま木の後ろで隠れていようかと考えていたのだけど……。どうして、こいつらに会いに行こうなんて、考えてしまったの!
「(なんだ、こいつか。まったく、どうしようもないやつだ)」
あのバカでかい犬のひどく冷たい声がしたかと思うと、私はあろうことか、あの犬に咥えあげられてしまった。いやっ、離して! 私は恐怖のあまり、身を縮ませたが、それだけで身の危険が去るわけではないことは百も承知だった。あいかわらず、首元にあいつの口の感触がある。いつ咬み殺されてもおかしくないのだけど、意外なことに、あっさりと、離された。しかし、私は腰砕け状態のままなので、逃げれる態勢には持っていけなかった。
「あれ、いいのぉ~? 殺さなくても? こいつは、僕らの話を聞いたんだよ?」
「(……こいつを殺したところで、何の益にもならん。それにこいつは……)」
バカでかい犬はそれだけ言うと、口を噤んでしまった。よくよく見ると、この犬、片目しかないうえに、後ろ脚に力が入っていない。この犬、過去に何かあったのかしら?
「でもどうするの? こいつをそのままにして……」
「(構わん。……今のこいつはまだ力がないに等しいからな。それに、こいつが何かを人間に訴えようとしても、伝わることはない)」
「やっぱり、ちす……」
「ワン!(黙れ!)」
その吠え声に、私だけでなく、火の玉も怖気づいてしまっていた。もう、いいからここから帰してよ!
「おいっ、ワンコ! もう帰るぞ!」
怖くて怖くて思考が定まらない時に、誰かの声がした。勝の声ではなかった。けど、どこかで聞いたことがあるような?
「ちょっと、孝輔っ! ヨルを抱きかかえないと!」
そこにいたのは、孝輔と良平だった。良平の腰には、あの妙な匂いのする袋が下げられている。どうして、ここにいるのがわかったの? でも、とりあえず、助かった、のよね? 黒犬は突然やってきた二人に怪訝そうな顔を向けたので、一刻も早くここから離れないといけない状況には違いなかった。
「あぁ、そうだった、そうだった!」
孝輔はそう言うと、私を抱きかかえた。勝に抱かれるのはまだいいけど、好きじゃないやつに抱かれるのはちょっと……。孝輔が私を抱きかかえようとした時、火の玉が私たちの前に来た。何をしようというの?
「ねぇ、いいの? 人間があの犬を連れて帰ろうとしてるよ……。……よみ? どうしたの?」
「(……人間、だとっ。ええい! 子どもだろうと、人間は許さん!)」
黒犬はそう言い放つと、にわかに空気が変わった。周りから聞こえていた、風の音が聞こえなくなり、生き物の声がしなくなり、どういうわけか月明かりでさえ見えなくなった。何かがおかしくなっていた。それを感じ取った良平が叫んだ。
「こ、孝輔! 速いとこ逃げないとやばいよ!」
「え? ど、どういう……」
「いいから! こいつは普通の犬じゃない! 送り犬って言う妖怪だ!」
「な、なんだって! ただのバカでかい犬かと思ったのに……」
どうやら、あの犬は妖怪らしい。ということはつまり、見えないはずの妖怪が、孝輔にも見えていたということになる。ただのバカでかい犬として。慌てた孝輔は私を抱きかかえると、良平の手を握った。何をしてるの! 早く逃げないと! 私は焦っていたけど、孝輔が次に発した声は恐怖に満ちていた。
「や、やべぇっ……。逃げられなくなった! ワープできねぇ!」
「……どうして、言わないことにしたの」
夕方のとある場所。高校生ぐらいの少女が尋ねたのは、幸也だった。幸也はいつもより青い顔をして、小刻みに震えている。
「ね、姉ちゃん……」
「私も、予知夢を見る能力があることぐらい、幸也も知ってるでしょ。私も見たんだから。その夢。……もう一度聞くよ。どうして、言わないことにしたの?」
幸也はまっすぐな瞳に耐えられなくなり、思わずうなだれた。かといって黙っておくこともできず、ようやく声を振り絞った時には、かすかな声しか出なかった。
「……怖いんだよ。あの犬が。……これからも、あの犬が、で、出てきそうな気が、してならないんだ……」
「……そう。私もそんな気がする」
「えっ」
「確かに、夢は変えられない。けどね、ただ怖がってるだけじゃ、友達のためにはならないでしょ。気をしっかり持たなくちゃ」
「で、でも……」
姉に諭された幸也だったが、まだ顔は晴れなかった。それを見た姉は、仕方がないな、という顔をした。
「友達があの犬に何かされるわけじゃないし、いいじゃない。夢の後は、何をしようと勝手よ」
「……勝手?」
「そうっ。逃げるもよし、立ち向かうもよし、なんなら友達になるもよし」
「えぇ~」
「ほらっ、くよくよしないの! ほら、良く言うでしょ! 笑う門には福来る!」
「……聞いたことないよ」
「あ~、もうっ、わかったら、このこと、友達に伝えなさいよ!」
「……うん」
幸也は観念したかのように重苦しくうなずいただけだった。
(そうじゃないんだ。……夢の内容が、自分に起こることだったら、耐えられるんだ。自分の見た夢が友達に振りかかるのが、……どうしようもなく嫌なんだ)
夕日が幸也の顔をまるで血潮のように赤く染めた。




