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捨て犬ヨルは人間の夢を見る  作者: 火之香
ヨルのただならぬ日常
14/84

見つめるその先

 残酷な運命とは必ずしもヨタカのような眼差しをしているわけではない。それはかわいい子犬のつぶらな眼差しとしてくることがあるものだ。と、いうのも、今私は勝の上で寛いでいるからだ(ということは先ほどの言葉は勝側の視点ということ)。


 私は勝の上で寝るのが好きになっていたのだけど、勝にとっては苦しいことこの上ないみたいで、すぐさまベッドの下に追いやられた。私は大きくなっていたので、ベッドの上によじ登るのは苦でもなくなっていた。が、一つ問題点があった。勝の部屋は二階にある。大きくなった私の体は、階段を登るのに四苦八苦するようになっていたので、二階につくころには、なぜか腰辺りが痛くなっていた。そのせいでベッドの上に登ろうとすると、少しばかり体が疼くのだった。私は勝の上で寝るのを我慢したくなかったが、体が痛いのをどうにもすることができないため、仕方なくベッドのそばで寝ることになった。


「仕方ないじゃない。階段を上がりにくそうにしているのは事実なんだから。これからはヨルは二階に上がらせないようにしましょ」


 勝が私の体の異変に気がついたのか、翌朝勝母にそのことを伝えたら、この言葉が帰ってきた。勝はこれが心外だったらしく、心なしか不機嫌になった。


「で、でも、ヨルは俺のそばで寝たがる……」


「ダメよ。勝はヨルのこと、心配じゃないの? もしまた二階に上がらせるような真似でもしたら、ヨルはヘルニアっていう病気になっちゃうわよ」


「へ、へるにあ?」


「そう、常に腰が痛くなっちゃうんだから」


 勝母のこの言葉のせいなのか、勝は少し黙った。しかし、その後こんなことを言い始めた。


「だ、だったら俺がヨルを背負って二階に……」


「だ~め。ヨルはこれからもっと大きくなるのよ。勝は大きくなったヨルを担ぐことはできないでしょ」


 こう言われてしまってはぐうの音も出なかったらしく、勝は渋々私と寝るのをあきらめたようだった。私はというと、これから勝の上で寝れないのかと思うと、寂しい気分になった。そう、私は気持ちはまだ子犬なのに、体だけ大人になってしまったのだ。


 しかしこの決定は勝にとっては応えたようだった。確かに私が勝の上で寝ると、勝は苦しがるが、まんざらでもなさそうだったからだ。私が勝の上で寝ることは、勝にとっては学校で起きた嫌なことを忘れさせてくれるのに違いなかった。だからか、私を彼自身の部屋に連れて行けないというのは、安心するために必要なものを奪われたに等しいのだろう。


 今では散歩しているときでさえ、勝の同級生に出くわしてしまうと、いびられてしまうのだ。そこに翔太が来てくれると、相手は大抵逃げだすが、そうでないときのほうも多いため、実のところ、学校にいるより、下校した後のほうが勝にとっては危険だった。勝にとって必要なはずの安心できる場所は着実に奪われているといってよかったのだ。


「ごめんな。また裏山まで来ちゃったな。でも、ここしかあいつらが来ないところないんだ。わかってくれよ、な?」


 そう、勝の言いたいことはわかっていた。けれど、裏山は私にとってはちょっと嫌な場所だったし、勝ママからもあまり近づいては行けない、と言われた場所のはずなのだ。けれど、勝がここに来なければならないほど、勝の行ける場所は少なくなってきているのだ。


 私たちは、裏山を散歩してしていると、良平に出会った。しかし、なんだか元気がなさそうだ。けれど勝はそんなことには気がつきもしていないのか、大声で呼びかけた。たぶん、いじめられて弱っているところなんてみせたくないのだろう。


「あ、飯野! こんちはー! ここで何してるの?!」





「ある人を慰めに? でもどうしてこんなところで会わなくちゃいけないんだ?」


 裏山にいたのは、翔太の友達の飯野良平だった。この人にはケガを治してもらった借りがあるのだけど、私はあいにく、稔のことが一番好きなの。だから、良平のこと好きになってあげられないからね。勝は良平から聞いた答えを聞いて疑問に思ったのか質問した。勝は藪から棒に質問を投げかけるところがあるので、とても冷や冷やすることがある。しかし、良平はそれに怒るようなことはせず、ただ単にこう言った。


「……覚えてる? 前にヨルが助けた人がいるだろう?」


「ああ、うん覚えてるけど? その人と関係してるの?」


「実は……、僕が会っているのは、その人の生霊なんだ」


 そう言われても、なんだか訳がわからないわ。勝も同じようにわからない顔をした。


「それって、幽霊みたいなもの?」


「いや、正確には思いって言ったほうがいいかな。人は何か忘れたくても忘れられない強い思いを持った時に、知らず知らずのうちに生霊を生み出しているんだ。その人が目覚める時に、悪い思いを持ったまま目覚めてほしく無いからね」


「う~ん。ということは、飯野がやっていることは、その生霊のお悩み相談なのか?」


 それを聞いた良平はプッと吹きだした。なにか可笑しなことでもあるのかしら?


「お悩み相談か~。……確かにそうかもしれないな」


 それにしても、良平がその人にこだわるのって、何か理由があるの? 何かお世話になった人なのかしら? 良平に聞いてみたくなったけど、どうやって伝えればいいのだろう……。疑問をぶつけられないって、じれったいのよね。




「……ところでさ、ここは物の怪のたまり場だって前に言っただろう?」


 だしぬけに良平がこう言ったのを聞いた勝は、なに? という顔をした。


「それがどうしたんだ? 別にいいじゃないか。悪い妖怪だけじゃないんだろう? それに、俺、どうしても妖怪を見てみたいんだ!」


 なぜかウキウキしだした勝を見て、溜息をついた良平。そうよ。良平は勝にもっと言っておくべきだわ。


「妖怪の中にはあまり人間に来てほしくない奴もいるんだよ」


「え? なんで? 飯野はここにずっと来ているんじゃないか。だったら……」


 バキッ!


 いきなり枝が折れる音がした。それにビクッとなった私と勝は、思わず身をすくめる。……いったい、誰なの?





 私たちを眺めるそれは、なんともかわいらしい小鳥だった。南国風の緑色した小鳥(どうしてこの言葉が出たのかしら?)は、私たちを見るなり、首をかしげた。それにしても、枝を折ったのはこの小鳥、じゃないわよね?


(まったく、ここは人間の子供が来るようなところではないというに……。良平はよいとしても、となりにおる犬を連れた子は……。)


 あの三本足のカラスと同じようにしゃべった! いや、正確には心の声が聞こえたというべきかもしれない。勝も同じくこの小鳥の声が聞こえたようだった。


「と、鳥がしゃべった……」


 インコだってしゃべるじゃないのよ。しかし、勝は鳥がしゃべるのが珍しいようだった。


「すみません。ビンガさん。これからは来させないようにしますから。見逃がしてやってください」


「い、飯野……。この鳥と知り合いなのか? っていうか、普通に会話できるの?」


 勝は本当に鳥がしゃべるのが珍しいみたいで、普通に会話している良平をすごいと思ったようだ。


「この鳥は普通の鳥じゃないよ……。この鳥はかりょう……」


(……いや。それ以上は言わんでくれ。あまり面倒ごとには巻き込まれたくないのでな)


 小鳥はそう言うと、なぜか私のほうを見た。……私、何か変なことをしたかしら?


(……この犬……)


 小鳥は私のほうを見たとたん、急にうつむいてしまった。急にどうしたっていうのよ?


(……やはり、か)


 小鳥はぽつりとそう言うと、どこかへと飛び去っていってしまった。


「今日はビンガさんの気分はよくないみたいだ。今日はもう帰ろう」


「……あの小鳥、一体……」


 本当、あの鳥は一体何者なのかしらね。きっと、あの三本足のカラスの知り合いなのよ。……たぶん。






 ふわふわは、少女から言われたことを間に受けなかった。相手が悪すぎるのだ。しかし、あの時の少女の顔は真剣で、冗談めいて言っているようには聞こえなかった。ふわふわは、どうしようかと思い、ある場所に立ち寄ることにした。


「……誰かと思ったら、ケセランじゃないの」


 それは、この前勝たちがお世話になった、翠川里奈の家だった。里奈はふわふわの存在を知っているらしく、さも当たり前のように話しかけた。


「省略して言わないでよ。私にはちゃんとした……」


「わかってるわよ。それぐらい。それにしても久々に来たなんて、何か相談ごと? めずらしいわね。……あと、あいにくお兄ちゃんはいないからね」


 里奈の一言にふわふわはピンク色になった。感情が色に出るなんてわかりやすい。しかし、ふわふわを見ることができる人は限られているのでその色の変化を楽しむなんて普通はできない。


「そ、そのことじゃないってっ。ちょっと、あの子のことで相談があるのよ。ほら、あの事件の被害者……」


 ふわふわがそう言うなり、里奈の表情が変わった。


「……いったい、何を相談されたの?」





 里奈は頭を俯かせていた。ふわふわから聞かされたことを考えているのだ。ふわふわはじれったそうに辺りを飛び回ったが、それでは里奈の考えの妨げになるのでやめにした。しばらくすると、里奈が顔をあげた。


「その子がやっつけたいって言う人がどういう人なのかわからない。けれど、あの人が持っている想いはとても良くないものだわ。……それに、何かヘンなのよ。確かにあの人は悪しき思いを持っているけど……」


「けど、何?」


 ふわふわが間髪いれず質問する。どうやら何もかもはっきりさせないときが済まないらしい。


「……その人自身の想いでないような気がするのよ」


「それ、どういう意味なの?」


 里奈が一瞬黙ったせいなのか辺りの空気が静まった。秋の空気がいよいよ強まり、玄関の空気はことさら冷えた。


「……なんて言ったらいいのか……、なにか、まるでほかの誰かの意思みたいなのよ」


 そう言った里奈の顔は、少しうろたえているように見える。


「それって、無理やりそういう風に……」


「……違う」


「え?」


「そんなんじゃない……。もっと質の悪いものよ」


 ふわふわに体というものがあったら、きっと身震いしていたに違いない。けれど、ふわふわにそのための体がないので、代わりにふわふわな毛を震わせた。


「……それって、もしかして……」


 ふわふわが恐ろしいことを聞くかのようにおずおずと尋ねた。それに答えようとする里奈の口も震える。


「……ええ、そうよ。まったく、あなたも無理なことを頼まれたわね。悪いけど、あまり力になれない。どう対処していい相手かわからないもの。……裏で糸を引いている奴を見つけない限りは、ね」






 私はあの後、病院を抜け出して、裏山に来ていた。私の体にすがり泣いている、母親の姿を見たくなかったから。そして、目に入ったことが受け入れがたかったから。私はむしゃくしゃしていた。余りにも強い感情を持って地面を踏みしめたものだから、そばに落ちている枝が折れた。


「……お、折れた……」


 私は枝が折れたという、ただそれだけのことが妙にうれしく感じ、それを拾おうとしたが、やはり、というべきなのか、枝はびくともせず地面から離れようとしなかった。


 その時、そばに少年二人と、黒い子犬がそばを通るのが目に見えた。そのうち一人は、私のところに来た少年だった。チラッと、私のほうを見たが、何事もなかったかのように別の方向を見た。……そりゃ、そうよね。見えない私に向って話しかけでもしたら、きっと隣にいる犬を連れた子に変に思われるにきまってるのだから。犬も私のほうを見たが、私の存在に気が付いてないようだった。


 ……それにしても、この子犬、どこかで見たことあるような? ……いいえ、気のせいよ。きっと、気のせい。

 しばらくすると、どこからともなく緑の小鳥が、少年たちの目の前に降り立った。普通、鳥って人間からは逃げようとするものよ。飼い鳥でもない限り、人のそばに寄ってくる鳥なんていないわ。けれど、その後驚くことに、その鳥は九官鳥でもないのにしゃべりだした。いや、頭の中に響く声といったほうがいいのかも。


(まったく、ここは人間の子供が来るようなところではないというに……。良平はよいとしても、となりにおる犬を連れた子は……。)


 この鳥は、普通の鳥ではない。私はなぜかその鳥のそばから離れようと思った。別に身の危険を感じたわけではない。けれど、このままこの鳥のそばにいるのはまずい、と思ったのだ。私と前にあった子が私のほうに、何か言いたげな視線を送ったが、何も言わなかった。……ここにいても、何かが変わるわけではない。家に戻ろう。病院に戻って、私の体の中に入れるのではないか、と気が付いた時には、もうすでに日が暮れてしまっていた。

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