22.託児所が開設されました。
「ふぇ……ふぇ……うぅ……うぇぇぇ」
私の態度に安心したのか本格的に泣き出したセイ君をソッと抱き締め頭を撫で続ける事、数分。
セイ君自身もこのままじゃいけないと思っているのか、私の服をギュッと握り締めながらも、頑張って泣き止もうとしているが、一度溢れ出した涙はなかなか止まらないようだ。
「ご、ごめ……なさ……。僕……僕……」
「大丈夫。大丈夫よ」
自分ではどうにもならない状態に焦る事で余計に涙が出てしまっているセイ君をあやしながら、私はどうすれば彼が普通に泣き止む事が出来るのかを考えた。
ここはやっぱりあれかな?
私お得意の餌付け。
うん、駄目で元々だ。
少しでも気が紛れればそれで良いし、試してみよう。
「ねぇ、セイ君、お腹空いてない?」
「ふぇ……お腹?」
怯える対象だったはずの私に抱き締められ、いつの間にか私の胸に顔を埋め、しがみ付くような体勢になっていた彼が涙でぐしょぐしょになっている顔を上げた。
おぉ、美少年は顔が涙でぐしょぐしょでも可愛いね。
いや、小さい子なら基本皆可愛いか。
ってそうじゃない。今重要なのは如何に彼を泣き止ませるかだ。
「そうよ~。お姉さんがとびきり美味しいお菓子をあげちゃうわ!!」
そう言って、私は創造の力を使ってお皿に乗ったショートケーキを取り出して見せた。
ちなみにこのショートケーキは私が日本にいた頃に食べた中で一番高くて美味しかったケーキを基に創造している。
「……お菓子?」
私の突然の発言と、目の前に急に現れたケーキに驚いてキョトンとした顔になるセイ君。
驚きのせいか、少し涙が止まっているようだ。
後はこのまま気が逸らせれば何とかなるはず。
……失敗すると元通りにあっという間に戻るけど。
「そうよ!私が創り出したショートケーキっていうお菓子なんだけど、とっても甘くて美味しいのよ?」
ニッコリ笑顔のまま、ショートケーキが乗っているお皿を差し出すと、彼は戸惑ったようにケーキと私の顔を何度も見比べた。
「あの……でも……僕、こんなご褒美貰えるような事は……。むしろ、悪い事しちゃってて……」
彼の視線はケーキを欲しがっているけれど、自分のしてしまった失敗を考えると喜んで飛びつけないらしい。
どうやら彼はとても真面目な子らしい。
「大丈夫。貴方は悪い事なんてしてないわ!神様の私が言うのだから間違いないわよ。それに、これは私からのプレゼント。私がセイ君食べて欲しくて勝手に出した物だから遠慮はいらないわ!!」
ショートケーキの登場に輝き掛けた瞳が曇っていくのを止めるべく言葉を重ねると、彼は「でも……」と更に戸惑いつつも、ショートケーキに向ける視線の回数を格段に多くした。
「私はセイ君の笑顔が見たいの。だから、美味しい物を食べて笑顔になってくれたら嬉しいな~」
そう言ってフォークを作り出し、一口分のケーキを掬い取り、彼の口元へと運ぶ。
「でも……でも……」
それでもまだ躊躇っている彼だったけれど、体の方は正直だった。
クゥゥゥゥ……。
小さく愛らしいお腹の音が室内に響く。
顔を真っ赤にした彼が俯く。
そういえば、もう結構遅い時間だ。
ここにずっと閉じ込められていたという事は、きっと彼は夕食を食べ損ねてしまっているのだろう。
こんな小さな子がこんな遅くまで、何も食べられずに暗い中に閉じ込められ蹲っていたなんて……。
そう思うと胸が痛くなる。
「ほら、食べて?ね?」
俯いてしまった彼の顔を覗き込みながら、そっとケーキを差し出す。
彼は赤い頬のままおずおずと顔を上げると、最後にもう一度私の顔を見た後、覚悟を決めたように私の差し出したフォークを口に含んだ。
「っ!!……お、美味しい!!」
彼の瞳がパァァァッ明るくなる。
まだ目尻には涙が残っているけれど、笑顔になって私の顔を見る。
そんなセイ君に私は内心ホッとしながら、次の一口をフォークで掬い取り口元に運んだ。
彼は今度は躊躇う事なく私の差し出したフォークを口に含む。
モグモグと口を動かし飲み込んでは、次を強請るように口を開ける。
その様子に私は思わずクスッと笑いながらも、次々とケーキをフォークで掬い取り、彼の口へと運んで行った。
……何だか雛鳥に餌を上げているみたい。
最初の警戒と不安が何処かに飛んでいき、今は嬉しそうにモグモグとケーキを食べている彼を見ていると、凄く癒される。
それと同時に、不意に彼の姿が私が運んだご飯を食べている時のジャビと重なって胸が少し痛んだ。
……ジャビはセイ君のように素直に喜びを表す事はなかったけれど、可愛かったな。
セイ君を見ているととても癒されるけれど、それでも私のジャビにまた会いたいという気持ちは変わらない。
むしろ、ジャビがうちにいた頃の事を思い出して余計に会いたくなってしまう。
「……キズナ様?」
セイ君とジャビを重ね合わせて、ちょっと切ない気持ちになっていたせいで、ケーキをセイ君の口元に運ぶ手が止まってしまっていた。
そんな私を不思議そうに、そして少し切なそうな顔で見つめるセイ君。
ごめんよ。ちゃんとケーキは最後まであげるから、そんな「もうくれないの?」って悲しそうな顔で見つめないで。
「ごめんね。ちょっと、ボーっとしてた。はい、あ~ん」
残りのケーキも全て彼の口に運び込み終えると、彼は満足そうな表情で「はぁぁぁ」と体の力を抜いた。
「……キズナ様、有難うございます。すっごく甘くて美味しかったです!」
「どういたしまして。ねぇ、まだお腹空いている?私もお腹空いちゃったからこれからちょっと夜食食べようかなって思っているんだけど、セイ君も食べる?」
本当は職場で賄いを食べさせてもらっているから、そこまでお腹は空いていない。
でも、こうでも言わないと、ケーキ一つであれだけ遠慮していた彼が、「晩御飯も食べる?」と普通に聞いても素直に受け入れられるとは思えない。
もちろん、お腹がいっぱいなら別に無理して食べなくても良いけれど……全て食べ終えてケーキがなくなったお皿を切なげに見つめている事を考えるとその可能性は低そうだ。
それならば、私が食べるののついでという形にした方が、きっとお腹が空いていた時に素直に「食べたい」と言いやすくなるだろう。
「えっと……あの……その……」
案の定、ケーキを勧めた時の頑なさはなくなり、私の方をチラチラ見つつ期待するような目をしている。
「もう、時間も遅いから軽めのものにするけれど、どうする?」
大人にとってはまだそこまで遅い時間ではないけれど、セイ君はまだ4、5歳くらいの子供だ。
口調は比較的しっかりているのに対して、体は痩せ気味で小柄で幼く見える為、年齢が読みにくくはあるけど、多分大きくは外れていないはずだ。
「……ぼ、僕なんかがキズナ様と一緒に食べてもいいんですか?」
「もちろんよ!!」
消極的な言い方ではあるけれど、これは食べたいという事で間違いないだろう。
私は満面の笑みを浮かべて頷いた。
***
「ハフッ……ハフッ……美味しい!」
私が出した野菜たっぷりのうどんを頬張りつつ、セイ君が満面の笑顔を浮かべる。
それを見て、「口に合って良かった」と胸を撫で下ろしてから、私も自分用に用意したうどんを食べ始める。
「ハフハフッ……う~ん、美味しいね!!」
うどんを食べながらお互いの顔を見合わせて笑い合う。
こういう温かい雰囲気はいつ感じても良いものだ。
……フォビナとだと、いつも大体私がフォビナに文句を言っている食卓になるから余計にそう感じる。
「セイ君、おうどん食べにくくない?」
大きめのフォークで持ち上げながらうどんを食べているセイ君。
この世界では、別に箸がないわけではないけれど、日本よりも使用頻度は低めで小さい子供は使えない事が多い。
使い方がスプーンやフォークより複雑でただでさえ、小さい子には難しい上に、使用頻度が低い事で大人達もわざわざ小さい内に使い方を教えようとしないから仕方のない事だ。
だから、セイ君用に食べやすくうどんが短くカットされた物を出してみたんだけど、それでもやっぱり麺がフォークから滑り落ちる回数が多い。
「だ、大丈夫です!僕、食べれます!!コツも大分わかってきたんで!!」
私の言葉に、食べかけのうどんが取られるんじゃないかと思ったのらしい彼は、慌ててギュッとお椀を握り締めて首を振る。
初めは、夜食ならお茶漬けとかでも良いかな?と思っていたんだけど、明らかに栄養不足な彼の体を見て、野菜やお肉も食べられる具だくさんのうどんに変更した。
食べにくそうな様子を見て、やっぱりお茶漬けにした方が良かったかなと思ったんだけど……セイ君もうどんを気に入っているようだし、時間が掛かっても良いからこのまま食べさせる事にしよう。
……もし、食べるという作業が大変で疲れて最後まで食べられないようなら、後半は私が食べさせてあげても良いしね。
「そう?それなら良かった。でも、うどんは慣れてないと食べにくい物だから、無理せずゆっくり食べてくれればいいからね?」
「はい!」
私にうどんを取られないとわかると、ホッとした表情を浮かべ、ニコニコと再度うどんを食べ始める。
本当に可愛いわ、この子。
その後、ゆっくりめに夜食を食べながら、セイ君の事や私達が今いる教会や併設されている孤児院の事について教えてもらった。
この教会はセスカの中でもっとも大きい教会で、唯一孤児院が併設されている所らしい。
ここを運営している聖職者達やお手伝いに来ている大人達は、比較的良い人が多いようだけれど、残念な事に人手が全く足りていないらしい。
聖職者達は孤児院にのみ携わっているいるわけではなく、教会での自分の仕事に合わせて孤児院の方の仕事もしている状態で、疲弊しきっており、どうしても管理の目が薄くなってしまう所があるようだ。
特に孤児院は別棟になっており、セスカ唯一の孤児院という事で子供の人数もかなり多い為、普段教会の方の仕事をメインに行っている者達からするとどうしても目が届きにくくなってしまう。
それでも心配して、時間を作っては孤児院を見に来たり手伝ったりしてくれる人もいるようだけれど、それだけでは全ての時間をカバーする事は出来なくて……。
結果、孤児院の中では今回セイ君がされたような子供同士の虐めや、少数の性質の悪い大人による依怙贔屓や意地悪、管理の杜撰さによる事故等が裏で度々起こっているようだ。
もちろん、孤児院中心に関わっている人もいるようだけれど、その一番上に立っている神官が『少数の性質の悪い大人』側の人間な為、明確な虐待までは行っていないけれど、裏で起こっている事は対処が面倒だと見て見ぬふりをしているらしい。
……全く持って由々しき事態だ。
「キズナ様?」
自分の話している事がどういう意味を持つかなんて事はわかっていない様子で、私に尋ねられるままに日常の事を話していただけのセイ君が、私の眉間に皺が寄った事で不安そうな顔をする。
私はそれを見て慌てて笑顔を作った。
「ごめんね。セイ君がいつも辛い思いをしてるんだと思うと、私も切なくなって」
「ぼ、僕は大丈夫です!!教会の方の神官様や修道女様がいらっしゃる時は嫌な事も怒らないし、何かあっても止めてもらえるんで」
慌てて首を振り、大丈夫だとアピールする健気なセイ君。
何だか余計に切なくなってくる。
「そういえば、引き留めてしまった私が言える事ではないけれど、こんな遅くまでここにいて大丈夫なの?大人の人とか今頃慌てて探しているんじゃない?」
すぐ傍にあるはずの教会からも孤児院からも、彼を探す声は聞こえないけれど、それでも心配になって声を掛ける。
すると、彼は困ったように眉尻を下げた。
「寝る時はいつも子供だけなんです。いくつかある大きい部屋の好きな所で寝て良いから、僕がいない事にも気付いてないかも。……閉じ込めた子達は知ってると思うけど、絶対その事を言ったりはしないと思うし」
「そんな……」
思わず唖然としてしまった。
人数が多く、管理が行き届かないにしても、それはあんまりだ。
その状況が常に日常化されているなら、この孤児院にいる子の誰かが攫われたとしても、気付いてもらえるまでにはかなり時間が掛かるという事だ。
「あ!でも、朝になったら教会の方の神官様が来てくれるから、そうしたら気付いてくれると思うし大丈夫だよ!それに、いつも僕がいないと気付いてくれる友達が1人いるから、その子は気にしてくれているかも……」
私の顔が更に険しくなった事に気付いたセイ君が慌てて大丈夫アピールをし始めるけれど、それは大丈夫とは言わないと思う。
でも……気に掛けてくれる友達が一人でもいる事は確かに救いにはなるだろう。
「……そっか。それは良かったね」
心の中では全然納得できていないけれど、小さな子供にこれ以上気を遣わせるわけにはいかない。
気になっている事については、彼に直接ぶつけるのではなく、大人側で話し合うべきだ。
……少し私の方でも調べて手を打ってみようかな?
彼の話だと、この教会にも良い人はたくさんいるらしい。
それが本当ならば、問題なのは人手不足の方だろう。
社会の中に一定数の手を抜いたり怠けたり……悪を見て見ぬふりをする人がいるのは当たり前だ。
それをしっかり管理し、正せるかどうがは良識のある上司や周りの人達の目だろう。
そういった人材が揃っているのに機能しないという事は、その人達が十分に機能できるだけの環境が揃っていないという事のように思う。
どんなに有能で良識のある上司だって、自分の仕事に手いっぱいで周りを見回している余裕や困っている人に手を差し出せる余裕がない状態では、何も出来ないのだから……。
そんな事を考えながら、セイ君がうどんの汁の最後の一滴まで綺麗に飲み干していくのを眺めていると、外から小さな声が聞こえて来た。
耳を澄ますと……
「……セ……!セイ……!何処……の!?」
セイ君を呼ぶ小さな男の子の声が聞こえて来た。
どうやら、本当に彼を探しにお友達が来てくれたようだ。
「セイ君、お友達が迎えに来てくれたみたいよ?」
「え?」
うどんの入っていたお椀を机に置き、セイ君がキョトンとした顔で首を傾げる。
どうやら、彼の耳には友達の声は届いていないようだ。
……こう見えて、私は神だから人よりは多少性能が良い耳をしているのだ。多分。
「ちょっと待っててね」
状況が理解出来ていない彼をそのままに、私は神の宿の扉を開いた。
灯りを付けていた為、扉を開くとその隙間から漏れた灯りが細長い線を描く。
「っ!!?」
そこからヒョイッと顔を出して、声がした方を見ると、闇に紛れるように小さな黒髪の男の子が驚いた様子でこちらを凝視していた。
ちょっときつめの大きな目。
漆黒の髪に色白の肌。
「…………ジャビ」
その黒髪を見て思わず呟いてしまい、慌てて首を振った。
顔はそんなに似ていないのに、何となく雰囲気は似ているように思う。
もしかしたらって思いもあるけれど、確信に繋がるようなものは何もない。
慌てて小さく首を振って、笑顔を作ってセイ君の友達であろう黒髪の男の子を手招く。
男の子は戸惑った様子で近付くのを躊躇っていたけれど、中を指差してセイ君がいる事をジェスチャーでアピールすると、警戒心を露わにしながらもゆっくりとこちらに近付いて来た。




