第五十一話 灰色の荒野
第五十一話 灰色の荒野
(ん?)
ミーネがふと気づくと、黒い犬の背に揺られて灰色の世界を進んでいた。
犬は羊位の大きさで、苦も無くミーネを運んでいる。周囲は天も地も一面灰色で、遮るものもなくどこまでも見通せる。この世界には山も木も、人っ子一人見当たらない。朧げな天空の光がこの地を照らす、灰色の荒野だった。
(何故にこんな所に?)
ミーネは頭の中がぼんやりとして記憶がはっきりとしないので、軽く首をふる。晒し首の谷で妖精の杖を使ったら、『ぶぁ~』と光って、あちらこちらで花火のような火柱が上がって、箒が木の葉のように振り回されたのは、なんとはなしに覚えている。
(ファンファ達大丈夫かしら?)
とミーネは思う。
しかし彼らはなんとなく大丈夫な気がする。根拠はないがミーネは自分の勘を信じることにした。
「あの~もしもし?」
黙々と足を進める黒い犬に声を掛けてみる…………が、反応はない。
「わんわん?」
「…………」
ミーネは黒犬の頭に右手を置いた。
「三位の精霊の御名に於いて命ずる。禿げあがれ黒犬!」
黒犬は足を止めると振り返り、信じられないものを見る目でミーネを見た。
「私はいまお前を背に乗せて運んでいるんだがね」
「なんだ、喋れるんじゃない」
黒犬はしばらく胡乱気にミーネを見ると、諦めたように前を向いて再び歩き始めた。
「あなた名前は?」
黒犬は面倒くさそうに答えた。
「…………名前など無いよ」
「じゃあ黒犬さんって呼ぶわよ」
「好きにしてくれ」
「黒犬さん、ここはどこ?」
「ここはお前のいた世界と死の世界の間だ」
「私何でここにいるの?」
「お前は死にかけているんだよ。ありていに言えば、現世のお前は虫の吐息だ」
ミーネは最後に見たロザリーを思い出す。
「やっぱり。妖精の奴やりやがったわね」
「お前はまんまと嵌められたのさ」
「あの杖と指輪ね」
「そうだ。二か月前に妖精樹が切られたのも、その木から強力な杖が作られたのも妖精女王の奸計だ。コレットとかいう娘の夢も、その祖母の夢も妖精の仕込みだよ」
「酷いわね。妖精はどうしたかったの?」
「あの谷の精霊を開放したかったんだ。妖精たちの積年の悲願さ」
「まぁ仕方ないわね。あんな状態で仲間放っとかれたら私でも怒るわ」
「妖精を許すのか?」
「許すも何も、起きてしまったことは仕方ないでしょ」
黒犬は歩きながらチラリと振り返る。
「おまえは相変わらずよくわからんな」
「未来志向なのよ。ただファンファたちの状況次第では………………私何する分からないかも」
「全員無事だ」
「良かった~」
ここで初めてミーネは胸を撫でおろす。
「おまえは自分より仲間の方が大切か? なぜそいつらを置いて逃げなかった」
「大切よ。彼らだって同じ立場ならそうしたわ」
「あの男はお前の制止も聞かずに谷に入った。自業自得と言うものだろう」
「仕方ないわ、そういう人だもの。どうせコレットを放っとけなかったんでしょ。ご主人様はなんでああなのかしらね?」
「…………」
「何か知っているの?」
「あの男は他人の運命を捻じ曲げて、自分が不幸を背負いこんでいる。どのみち長生きは出来ないさ」
そう言って黒犬は笑った。
「何でかしらね。放っとけないのかな?」
「人間は魂の奥底に貯め込んだ、黒い塊に引きずられる。あいつもなぜコレットを助けたかなんて、突き詰めたところでわかっちゃおるまいな。それはお前も同じだ」
「私は単純よ。前世でご主人様に助けられたから恩返ししたいだけ」
「あいつの傍に居れば必ず不幸にまとわりつかれる。それはお前を助けたあいつが望むことなのか? 一度あいつに聞いてみればいい」
「私は不幸にならないわ」
「なるさ。今だって胸の痣は増えているだろうが。おまえの強力な魔力ですら完全には中和できていない」
ミーネは慌てて胸元を隠す。
「二人不幸になるなら、あいつ一人だけ不幸になった方が合理的と思わんかね?」
「よくしゃべる犬ころね」
黒犬はくっくと笑った。
「前世でお前はあいつに助けられたと言ったな。あいつはどのようにお前を助けたのだ?」
「冬の寒い夜よ。誰にも関心を持たれずに、一人で死ぬ寸前の私を拾い上げてくれたの。そして暖かい生活をくれたわ」
「そこだな。お前の魂の底には、恐ろしい敵に囲まれて、救いもなく、無力で怯え切ったお前がいる。恐怖と寒さと苦痛と飢えがお前の本質だ」
黒犬は口元を歪ませてミーネを振り返る。
「違うか?」
底意地の悪い黒犬の視線に、ミーネの瞳が揺らぐ。
「誰にも愛されない、感心すらもって貰えない、無力で惨めな自分を、お前の魂は自覚している」
「違うわ」
ミーネは絶え入るような声で否定する。
「お前があいつに尽くすのは、あいつの為じゃない。ただあいつに助けて欲しくて、傍にいないと不安だから、必死に縋りついているだけなのさ」
「違う」
「おまえはあいつを愛してすらいないんだよ」
ミーネの頬を一筋の涙が流れた。
「…………なんでそんな酷いこと言うの?」
「あいつは自身の業と向き合っている。何の価値もない行為だが、ある意味人間的とも言えるだろうな」
「…………」
「おまえも自分の業に向き合え。弱い自分を認めて、一人で生きる道を探せ。あいつの巻き添えになって悲運をなぞるなど、馬鹿らしい話だと思わんか?」
「…………うるさい」
ミーネは小さな声で呟いた。
「なんだと?」
「わたしがご主人様をどう思っていようが、惨めな弱虫だろうが、不幸な死に方しようが、あんたに関係ないでしょ。なんかむかついてきたわ」
ミーネは後ろから黒犬の首を絞める。
「ぐだぐだとやかましいのよ、この犬ころが!」
「止めろ!」
黒犬は慌ててミーネを振り落とした。
地面に座り込んだミーネは、涙に濡れた顔で黒犬を睨みつける。
「私は絶対誰にも負けないし、この生き方は曲げない。お前の口車なんかに乗るもんですか!!」
黒犬は呆れ顔でミーネを見ている。
「『犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ』というのに、なんでお前みたいな犬ころ如きに私の忠義を説教されないといけないのよ!」
ミーネは立ち上がると歩きだした。
「もういい、一人で行く。おまえの力は借りない。だいたい乗りにくいのよ、お尻も痛くなるし。あんた乗り物としては0点よ。せいせいするわ!」
黒犬はしばらく唖然としていたが、溜息を一つつくとミーネの後ろに黙って付いて行った。
黒犬を従えたミーネが荒野を進むと、セイルと先生、ファンファ、リーフ、コレット、妖精女王が立ちすくんで、何やら黒い物体を見下ろしていた。
「お~い」
ミーネが声を掛けるが、全員ピクリとも動かない。
「どうしたのかしら?」
「あ奴らとは世界が異なっている。何を言っても聞こえんよ」
「ふ~ん。みんなが見てる黒いのはなに? バーベキューでもしてるの?」
「お前だ」
「…………まじで?」
「まじだ」
黒犬は一同の傍まで来ると足を止めて、ミーネを振り返る。
「お前は決めなくてはならない。このまま生の苦汁を舐め続けるのか、いっそのこと終わりにするのか」
「生きるか死ぬかってことね?」
「そうだ」
「生きるわ」
「即決だな。後悔しないのか?」
ミーネは黒犬の目を見てニヤリと笑う。
「私はね、自慢じゃないけど後悔なんてしたことないの。私は死ぬまで生き続けるわ」
その瞬間ミーネの全身を耐え難い痛みが走る。地面に寝かされた黒焦げの体は跳ね上がり、口が大きく開かれた。その口から吐息のような悲鳴が漏れ、手足が狂った様に痙攣した。
「リーフ!」
妖精女王の指示で、リーフが手に持った小瓶から光るしずくをミーネの口に垂らす。すると手足をバタつかせていたミーネの体は動かなくなり、口の端から泡が零れた。
リーフは白く輝く布帛でミーネの体を包み込む。
「わかっているでしょうね。傷一つ残したら許さないわ。お前ら羽虫ども、一匹残らず根絶やしにしてくれる!!」
魔女の激しい言葉に妖精女王は静かにうなずく。そして妖精女王とリーフは、気を失ったミーネと共に姿を消した。




