第一話 転生
第一話 転生
ご主人様が病気で亡くなった後、親族の手から逃れて車道に飛び出した子猫は、あっさりと車に轢かれて死んでしまった。そして今、どことも知れぬ真っ白い部屋で一人座って何かを待っていた。
どれくらいの時間が流れただろう。突然その部屋に白いスーツをまとった青年が入ってきた。そして部屋の中央のデスクにつくと、頬杖をついて子猫を見下ろす。
「初めまして。まずは名前を聞いておこうか」
「ミーネ」
子猫は自らの口から人の言葉が発せられたので軽く驚く。しかしまぁこんなものだろうとは思わないでもない。だって自分は死んでいるのだもの。
「まずはよく来たね、と言っておこうか。しかしここは君が歓迎されるような場所じゃないんだよ。」
「ここはどこでしょう?」
「人の魂が死後辿り着く場所だよ。本来君のような単純な…………いや純粋な魂にはそれに見合った場所が用意されてるんだがね」
「手違いですか。まぁよくある話です」
「いや、私が間違いをしでかした方向で納得されるのは、心外なんだがね」
そういいながらも青年はくすくすと笑っている。
「さっきまで君と縁深い人間がここにいたのだよ。はっきりと言うと君の飼い主だね」
ミーネと名乗った子猫の目が細められる。
「ご主人様はいまどちらに?」
「彼なら別の世界に転生したよ。別の人間として新たな人生を歩む手はずだ」
「わたしの許可もなくですか?」
「なぜ君の許可が必要なのか今一つ理解に苦しむのだが」
青年の冗長な話にミーネは苛立ってきたので細い目を更に細くする。ミーネが本気になれば、この部屋を今すぐにでも地獄に変えてしまえることを、この白づくめは理解しているのだろうか?
「なんでそんな目で私を見るんだい?爪を出したり引っ込めたりするのはやめたまえ」
青年は咳ばらいをする。
「お茶でもどうだい?ミルクの方がいいかな?とにかく落ち着いて話をしよう」
青年の前にティーカップが現れ、一口口にする。そしてミーネの前にはミルクの満たされた皿が現れるが、子猫は口にしない。
(おまえは胡散臭い)と猫の目は語っていた。
「困ったね、私は味方だよ。まずはお互いに信頼し合うところから始めよう」
「…………」
「とにかくだ、まずは状況を整理しようか。君は先に死んだ飼い主の後を追ってここ、人の魂の部屋に来てしまったんだよ。君は、君の魂にふさわしい部屋から、新しい旅立ちをしなければならない」
「…………」
「理解しているのかな?聞こえてるかい?聞いてるかにゃん?」
「ふー!!」
「止めたまえ。本当に怖いんだから」
青年は子猫の爪から目を離せない。
「私はご主人様の所へ行く」
「そうは行かないよ。彼の魂はちょっと特殊でね。ちょっと冷ます、いや落ち着かせると言うべきかな。そんな時間が必要になってね、彼が本来所属する世界とは別の場所に生まれ落ちることになったんだ」
「待ーちたまえ、待ちたまえ、待ちたまえと言うに!」
襲い掛かる猫を避けて、青年はデスクの上に登った。ミーネは『ふーふー』と威嚇の声を上げながら、デスクの周りをくるくると回っている。
「とにかく落ち着こう。もちろん君の希望も十分に考慮するから、とにかく一度下がってくれないか?」
「わたしはご主人様の所に行くの!!」
「わかった。降参だ。だからとにかく落ち着いて話をさせてくれ。色々手続きや規則もあるから、君のカウンセリングが必要なんだ。私は君の見方だよ」
ミーネはデスクをもう一回りして、元の場所に戻った。
青年は元の椅子に腰かけて額の汗を拭う。
「ありがとう。君の協力に感謝するよ。私は元来柔軟な対処を得意としていてね。私を信頼して欲しい」
「それで?」
「しかし何で君はそんなに飼い主の元に行きたいんだい?彼は新たな人間として生まれ変わるから、君のことなど覚えていないよ」
「ご主人様は痩せて窶れて亡くなったの。今度はそんなことさせない。私が彼を幸せにするの」
青年は今までと違った静かな目でミーネを見つめた。
「君に出来るかな?」
「出来るわ!私は彼を幸せにするの」
「多くの困難が君の前に立ちふさがるかもよ?」
「出来る」
「しかも後戻りはできないんだ」
「…………ふー!」
「だから私を威嚇するのはやめてくれないか」
青年は紅茶を口にする。
「わかった。君を彼の世界に送ろう。君の記憶も必要だろうから、それもなんとかする」
「…………」
「本当に後悔しないね?」
「しつこい!」
「わかったよ。ではこの扉から彼の世界に行きなさい。だから…………」
突然子猫の後ろに大きな白い扉が現れた。そしてその扉が音もせずに開く。子猫は開け放たれた扉に、一瞬の躊躇もなく飛び込んでいった。
静まり返った部屋で、青年はひらひらと右手を振った。
「幸運を祈るよ。君にはバケツ一杯の幸運が必要になるのだろうからね」
そう言って青年は静かに目を閉ざした。
2026年9月26日修正




