第十五話【大久野島】:白き長老「シロ」× 教室の空気を読みすぎる女子高校生
広島県竹原市の沖合に浮かぶ大久野島を舞台にした、心温まる癒やし系ファンタジーをお届けします。
今回の主人公は、周りの目を気にするあまり本当の自分を出せなくなり、心が完全に引きこもってしまった10代の女子高校生・ひまりです。
「みんな、どうしてそんなに楽しそうに笑えるんだろう……」
穏やかな瀬戸内海に浮かぶ小さな島、大久野島。かつては歴史の荒波に揉まれた場所ですが、現代では数百羽の野生のうさぎが暮らす「うさぎの島」として世界中から愛されています。
土曜日の午後。高校一年のひまりは、観光客やうさぎたちで賑わう広場から少し離れた、静かな木陰のベンチに座っていました。
昔から引っ込み思案で、SNSの言葉や教室の空気を読みすぎてしまうひまり。友達の輪の中で浮かないようにと「偽りの笑顔」を作り続けた結果、心がひどく摩耗し、本物の笑顔がどんなものか分からなくなってしまっていました。癒やしを求めて一人でこの島へやってきたものの、無邪気に駆け回るうさぎたちを前にしても、彼女の心は硬く閉ざされたままでした。
「私、ここにいても誰の役にも立てないや……」
ひまりが膝を抱え、地面を見つめてため息をついた、その時です。
「カサッ……カササッ」
背後の茂みから、他のうさぎたちとは明らかに違う、ゆっくりとした重みのある足音が近づいてきました。
ひまりがハッとして顔を上げると、そこには信じられないほど大きなうさぎが佇んでいました。
普通のうさぎの3倍はある、大きな柴犬ほどのサイズ。全身の毛並みは、まるで降り積もったばかりの新雪のように真っ白で、神秘的な輝きを放っています。その長い耳の先には、どこかおじいさんの眉毛のような長い飾り毛があり、ルビーのように深く澄んだ赤い瞳が、ひまりをじっと見つめていました。
「おやおや、ずいぶんと小さくて、冷たい殻に閉じこもった迷子がおるなぁ」
頭の中に直接響いてきたのは、おじいさんのように優しく穏やかな声でした。
「う、うわぁ……大きい……! あなた、喋っているの?」
「フォフォフォ、驚かせてすまんね。わしはこの大久野島で何十年もの間、一族を見守り続けてきた長老精霊の『シロ』じゃよ。この島が悲しい歴史を持っていた頃から、現代の楽園になるまで、ずっと旅人たちの心を見てきたんじゃ」
シロは短い手足を器用に動かし、ひまりの足元へちょこんと座りました。その瞬間、ひまりの靴の周りには、島のうさぎたちが大好きなクローバーの緑の香りがふわりと漂いました。
「お嬢ちゃん、お前さんの心は、まるで嵐の前の巣穴のように、不安でパンパンに膨れ上がっておるな」
シロは長い耳をピクピクと動かしました。
「私、学校でみんなに嫌われないように、ずっと我慢して、愛想笑いばかりしているんです。他人の言うことや、顔色ばかりを気にして……。気づいたら、自分が本当はどうしたいのか、何も分からなくなっちゃって」
ひまりがうつむいて涙をこらえると、シロは自分の大きな白い耳を、ひまりの手にそっと触れさせました。その毛並みは、驚くほどふわふわで、陽だまりのように温かいものでした。
「わしらウサギの耳が、どうしてこんなに大きいか知っておるかね?」
シロは優しく問いかけました。
「それはね、外の危険な音を早く察知するため。そして、仲間たちの小さな足音を聞き逃さないためじゃ。決して、他人の悪口や、自分を縛り付ける冷たい言葉を、耳の中に溜め込んで苦しむために大きくなったわけじゃないんよ」
シロはひまりの顔を覗き込みました。
「お嬢ちゃんは、心の耳が良すぎるんじゃな。他人の声を全部自分の頭の中に溜め込んで、自分の本当の声をかき消してしまっておる。ウサギはな、嫌な音がしたら、ピョンと跳ねてその場を離れる。お前さんも、他人の言葉から、少しだけ逃げ出したって誰も責めやしないよ」
「逃げ出しても……いいの?」
「そうじゃよ。ほら、わしらを見てごらん」
シロが小さく「足ダン」をすると、どこからともなく、たくさんの小さな子うさぎたちがピョンピョンと集まってきました。うさぎたちはひまりの周りを囲み、鼻をヒクヒクさせながら、優しく寄り添ってきます。
「この子たちはね、完璧な生き方なんて知らん。ただ、今この瞬間を一生懸命に生きて、美味しい葉っぱを食べて、仲間と寄り添っとる。お前さんも、誰かのための『完璧な人形』にならなくてええ。この子たちみたいに、少しくらい不器用で、わがままで、自分のやりたいように生きてみんさい」
シロはそう言うと、自分の白い毛並みから、一房の真っ白で柔らかな毛をふわりと抜いて、ひまりの手のひらに置きました。
「これを、お前さんの心の巣穴にお守りとして置いておきんさい。他人の言葉で心が潰されそうになったら、わしらのこの『ふわふわな優しさ』を思い出すんじゃよ」
シロが大きく身震いをすると、一陣の心地よい瀬戸内の海風が吹き抜け、ひまりの周りに白いタンポポの綿毛のような光が舞い上がりました。
「ひまりちゃん、ひまりちゃん、大丈夫?」
フェリーの汽笛の音と、売店のお姉さんの声で、ひまりは目を覚ましました。
気づくと彼女は、大久野島の桟橋近くのベンチに座っていました。夕暮れ時の穏やかな瀬戸内海が、オレンジ色に美しく輝いています。
「私、眠っちゃっていたんだ……」
ひまりは自分の手のひらを見ました。そこには、綿菓子のように柔らかい、真っ白なうさぎの毛の小さな塊が、大切そうに握られていました。それは触ると、今でもあのシロの温もりが残っている気がしました。
「……夢じゃなかった。シロさん、私、もう無理に笑うのはやめるね」
ひまりの胸の中にあった、あの息苦しいプレッシャーは、綺麗に消え去っていました。他人の言葉をすべて受け止める必要はない。嫌なことがあれば、うさぎのようにピョンと跳ねて、別の楽しい場所へ進めばいい。
フェリーに乗り込み、遠ざかる大久野島を見つめるひまり。
その顔には、誰かのための作り笑いではない、心からの「本当の優しい笑顔」が、夕日に照らされて美しく輝いていました。




