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ダンジョン最底辺の芋虫に転生した俺は、寄生能力で美少女を支配する  作者: 葉月


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第37話 商業都市オールセルテスの事件簿 その3

 キリト=キリーガーの一日は、判で押したようにいつも同じだ。


 朝、安宿の薄い布団から起き上がる。顔を洗う。ギルドに寄って依頼ボードを確認する。仕事をこなす。飯を食う。寝る。それだけだ。


 贅沢はしない。できない。


 助けなければならない人間が二人いる。一人は恋人のアズナ。意地の悪い令嬢に騙されて借金を作らされ、奴隷商に売り飛ばされた。


 今頃どこにいるのかも分からない。


 もう一人は姉のスクバ。闇賭博で膨らんだ借金を返すために、自ら娼館に身を売った。


 二人を買い戻すためには、今の稼ぎでは到底足りない莫大な金が要る。だからキリトは毎日働いて、毎日節約して、毎日を積み重ねていた。


 今日も依頼を一件こなし、日が落ちてから東区の南端にある馴染みの酒場へ向かった。この辺りで一番安い定食を出す店だ。


 暖簾をくぐると、店内はいつもより閑散としていた。昼間に通りかかった時から気になっていたが、夜になっても客が少ない。この辺りで流行っているという風邪のせいだろうと思いながら、カウンターに腰を下ろした。


「親父、注文だ」

「あいよ。いつものでいいかい?」

「ああ」


 この店で一番安い定食。それ以外を頼む選択肢はない。


「酒は飲まねえのかい?」


 店主が手元の作業を止めずに聞いた。


「奢ってくれるんなら飲むよ」


 店主は呆れたように鼻を鳴らす。キリトは無愛想に視線を逸らした。


 運ばれてきた定食は、質素だが腹を満たすには十分だった。フォークに手を伸ばそうとした、その時だ。


「ひひっ、わしに一杯奢ってくれんかの」


 不意に隣に人の気配がした。

 いつの間に座ったのか、そこには一人の老婆がいた。この酒場に居着いている情報屋だ。金を積めば街の裏情報を吐くが、払わなければただの厄介な老婆でしかない。


「奢らねえよ。失せろ」


 顔も向けずに吐き捨てたが、老婆はどこ吹く風で、薄汚れた笑みを深めるだけだった。


「つれないねぇ。久方ぶりじゃないかい」


 キリトは無言を貫き、目の前の皿に集中した。だがその瞬間、視界の端からひび割れた丸太のような指が伸びる。付け合わせの芋の煮転がしを一つ、ひょいと掠め取っていかれた。


「……返せ」

「もう腹に収まってしまったわい。ひひっ」


 キリトが横を向くと、老婆が美味そうに口を動かしていた。奥歯が軋むほどの殺意を飲み込み、前を向く。残りの定食をかき込もうとしたが、またしても手が伸びた。今度はメインの肉だ。


「おい!」

「ひひっ」

「次やったら、本気で叩き出すぞ」

「おお、怖い怖い。若者は血の気が多くていかん」


 これっぽっちも怖がっていない。キリトは拳を握りしめた。本来ならとっくに首根っこを掴んで放り出しているところだが、この老婆が寄ってくるときは、決まって「何か」がある。これまでも、幾度となくその情報に助けられてきた。


「……用件は何だ」


 地這うような低い声で問う。


「喉が渇いてのう、言葉がうまく出てこんのじゃ」

「ちっ」


 キリトは店主に、短く視線を送った。


「……エールだ。一杯」


 絞り出すように頼んだ。運ばれてきたエールを、老婆は一気に半分以上飲み干した。喉を鳴らして飲むその様を、キリトは横目で追う。


 自然と、自分の喉も鳴った。今日の仕事中、口にしたのは温い水だけだ。鼻腔をくすぐるホップの香りが、空腹の胃を無慈悲に刺激する。


 老婆がぷはぁとジョッキを置いた。


「ふぅ。五臓六腑に染み渡るわい」

「で、情報は」

「……もう一杯、ええかの?」


 キリトの中で、何かがぷつりと音を立てそうになった。だが、かろうじて踏みとどまる。頭の中で今月の残金を弾いた。……ギリギリだが、なんとかなる。


「……おかわりだ」


 店主に投げると、すぐさま二杯目が届いた。老婆がまたそれを豪快に煽る。キリトはたまらず、もう一度、深く喉を鳴らした。


「で、情報は」

「その前に、色をつけてもらわんとな」

「……人の飯を食い、酒を二杯も煽っておいて、その上まだ毟り取んのかよ!」

「こっちも霞を食って生きてるわけじゃないんでね」


 キリトは奥歯を噛み締め、薄い財布から皺の寄った紙幣を一枚引き抜いた。老婆の枯れ枝のような指が、それを瞬時に懐へとさらう。


「あんた、【フィールド商会】を知ってるかい?」

「そりゃ知ってるさ。ここらで一番の商会だ」

「なら話が早い。最近、フィールド商会のボンボンがヴェルテ商会の周辺を嗅ぎ回っているって話だよ」


 キリトのフォークが止まった。


「フィールド商会の若旦那が、なんで奴隷商なんかを」

「そこまではわしも知らんわさ。だが、近頃この裏通りで増えている不審死の件くらいは耳に入っているんだろ?」

「顔を無惨に潰されていたとかいう、例の死体か」

「あれが発見されるたび、奴さんは真っ先に現場へすっ飛んでくるという噂だわな」

「それとヴェルテ商会に、何の関係があるんだ」

「知らん」

「……は?」

「そこまでは、わからんと言っておるんじゃ」


 老婆はケロリと言ってのけた。キリトは深いため息をつき、煤けた天井を見上げた。この老婆の言葉は、いつも真実と煙が混じり合っている。肝心なところで梯子を外されるのは、いつものことだった。


 しかし、フィールド商会のボンボンか。ヴェルテ商会のことを調べているなら、アズナに繋がる情報を何か持っているかもしれない。


 キリトは思考を巡らせながら、残った定食を黙々と胃に流し込んだ。おかずが二品分、余計に腹に入らなかったことが悔やまれてならない。


「ごちそうさん」

「またおいで。……次は、もっと景気のいい時にな。ひひっ」


 背中にへばりつくような老婆の笑い声を振り切り、キリトは酒場を出た。



 ◆



 表に出ると、刺すような夜風が吹き抜けた。仕事を終えて火照った体に、湿り気を帯びた路地の冷気が染み入る。腹はいくらか満たされたが、喉の渇きまでは癒えていない。


 近くにある共有井戸へ足を向け、使い込まれた桶を引き上げようとした、その時だ。


「……そいつは、飲まない方が身のためだぜ」


 暗がりに、不意に声が落ちた。振り返ると、十代前半とおぼしき少年が立っていた。身なりからして、この辺りの貧困街の子どもだろう。


「飲むなだと? これ、無料(ただ)じゃないのか。まさか金払えって言うんじゃないだろうな」

「そんなこと言わねぇよ。ただ、そこの井戸水飲んだやつ、この間死んだぜ」

「へ?」

「詳しいことは俺も知らねぇけどさ、なんかヤバいらしいんだよな、ここの井戸。嘘じゃないぜ。信用できる筋からの情報だからな」


 キリトは少年の顔を見た。悪ふざけをしている様子はない。真剣な目だった。


「……そうか、礼をいう」


 踵を返そうとした瞬間、服の裾をくいと引かれた。見れば、少年が当然のような顔で手のひらを差し出していた。


「な、なんだよ」

「時に、情報は命より重いって知ってるか?」


 キリトは少年の顔をまじまじと見つめ、重い溜息とともに財布を取り出した。頭の中で今月の食費を再計算する。……いよいよ、一日一食すら怪しくなってきた。


 硬貨が一枚、少年の手に移る。手放す瞬間、キリトは「くそっ」と吐き捨てるように毒突いた。


 少年はパッと顔を輝かせ、獲物を仕留めた野良犬のような足取りで闇へと消えていく。その背中を見送りながら、キリトは濁った夜空を仰いだ。


「どいつもこいつも……逞しすぎるんだよ、この街の連中は」


 誰に届くともない独り言をこぼし、彼は重い足取りで安宿への道を辿り始めた。



 ◆



 翌朝、キリトは喧騒に包まれた市場へと足を運んだ。


 ターゲットはフィールド商会の若旦那、ハミルトン=カーキフィールド。


 老婆の話によれば、入念な市場調査を日課にしているという。この時間、この場所に来れば、まず間違いなく会えるはずだ。


 色鮮やかな果実が並ぶ通りに差し掛かると、目当ての男はすぐに見つかった。長身で、仕立ての良い衣服を隙なく着こなしている。商人らしい凛とした立ち姿で、果物屋の店主と熱心に言葉を交わしていた。


 キリトは迷いのない足取りで近づき、ハミルトンの隣に並んだ。品定めをする振りをしながら、その耳元へ届く程度の小声で切り出す。


「あんた、ヴェルテ商会を調べているらしいな」


 ハミルトンは果実から目を離すことなく、微動だにせず応えた。


「……場所を変えようか」


 彼は店主に短く断りを入れると、淀みない足取りで歩き始めた。キリトはその背を追う。


 人気のない路地裏に入ると、ハミルトンが静かに振り返った。周囲を警戒する素振りがない。人気のない路地裏だというのに、ここまで無防備なのは、世間知らずの鈍物か、あるいは――底知れない自信の表れだ。


「ヴェルテ商会の件を、どこで」

「小耳に挟んだだけだ。この街には何でも知ってる奴がゴロゴロいるからな」

「なるほど」


 ハミルトンは淡々と頷いた。


「……それだけか?」

「他に何か?」

「いや、俺からいきなり話しかけておいて言うのも変だけどさ、もっと警戒するとかないのか? 俺、どう考えても怪しいだろ。――って、自分で何言ってんだよ。……ああ、もうっ!」


 キリトは、この男と腹の探り合いを続けるのが馬鹿らしくなった。


「俺がヴェルテ商会を調べている理由を聞きたいか」

「ええ。差支えなければ」

「条件がある。そっちの理由も知りたい」

「……問題ないか」


 ハミルトンの声はどこまでも静謐だった。


 促されるまま、彼は自分から語り始めた。


今、街で猛威を振るっている「風邪」の正体が、実は人為的な薬物汚染であること。東区南端の井戸には【ステージ】と呼ばれる禁制薬物が混入されていること。そして、近頃発見されている不審死の遺体は、どれも一様に腹を割かれ、内臓をすべて持ち去られていること……。


 そのすべてにヴェルテ商会が絡んでいる可能性があることを。


 キリトは言葉を失い、ただ黙ってその悍ましい報告を聞き入っていた。話し終えたハミルトンの横顔には、冷徹なまでの決意が宿っている。


 湿った路地裏に、重苦しい沈黙が長く居座った。


「……そんな重大な機密を、どこの馬の骨とも知れない俺に話して大丈夫なのか」

「君になら、問題ないでしょ」

「なんで?」

「うーん」

「その根拠は?」

「なんとなく、ではダメかな?」

「軽っ!」


 キリトは呆れて溜息をついたが、それ以上追及するのは止めた。


「……約束通り、俺がヴェルテ商会を追っている理由も話しておく」


 キリトは感情を殺し、事実だけを淡々と並べた。


 数ヶ月前、恋人のアズナが意地の悪い令嬢に嵌められて多額の負債を負わされたこと。返済能力を失った彼女がヴェルテ商会に売り飛ばされたこと。

 そのアズナの所在が分からなくなっていること。彼女の居場所を突き止めるため、ずっとヴェルテ商会を調べていたこと。


 ハミルトンは一切口を挟まず、静かにその告白を聞いていた。


「では、手を組むというのはどうかな」


 物語の断片を繋ぎ合わせるように、ハミルトンが言った。


「僕が掴んでいる情報は、すべて君に開示する。その代わり、君が得た情報も共有してもらいたい」

「……それは構わないけど、勘違いしないでくれ。俺はあんたを信用したわけじゃない。目的の方向が一致しているだけだ」

「それで十分。ビジネスとはそういうものだからね」

「……連絡はどうすればいい」

「ギルドの受付にセリーヌという職員がいる。僕のハニーだ。彼女に僕への伝言だと告げれば取り次いでもらえる手はずになっている」

「は……いや、なんでもない。分かった。覚えておく」


 ハミルトンが、細くしなやかな手を差し出してきた。キリトは一瞬の躊躇いの後、その手を握る。商人らしい、迷いのない力強い握りだった。


 ハミルトンが軽やかな足取りで路地を去っていく。その背中を見送りながら、キリトは小さく毒突いた。


「……食えない奴だな」


 悪い印象ではない。だが、それがかえって得体の知れない居心地の悪さを残していた。



 ◆



 午後、キリトは北区の端にひっそりと佇む礼拝堂へ足を運んだ。


 静まり返った堂内では、リリアが奥のベンチで幼い子供の腕に包帯を巻いていた。キリトの足音に気づくと、彼女はふと顔を上げる。処置を終えた子供が小走りに去っていくのを見届けてから、キリトはその隣へと腰を下ろした。


「……エルメスの件、何か進展はあるか」


 リリアは首を横に振った。


「そうか」


 特に期待はしていなかった。キリトは短く応じ、早々に立ち上がろうとした。


「キリトさん」


 リリアの透き通った声が引き留める。


「なんだ」

「この街は、すでに……」


 リリアの言葉が、震えるように途切れた。高く煤けた天井から、重苦しい沈黙が降りてくる。彼女の瞳には、言い知れぬ不安と諦念が混じり合っていた。


「……いえ。何でもありません」


 胸をざわつかせる言い淀みだったが、キリトはあえて問い詰めなかった。彼女が口を閉ざすと決めたなら、そこには踏み込んではならない理由があるのだろう。


「じゃあな」


 背を向けたまま歩き出し、重い扉に手をかけたところで、無造作に片手を上げた。


「また来る」


 返事を待たずに礼拝堂を後にした。


 外はすでに日が落ち、肌を刺すような夜気が立ち込めている。キリトは澱んだ空を見上げ、脳裏に焼き付いたアズナとスクバの面影を強く抱きしめた。


 ――立ち止まっている暇など、一秒たりともない。


 彼は一度だけ深く息を吐き出すと、闇に溶けるように歩を速めた。

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