第23話 旧ダンジョンの激闘 その1
ギルドを出た俺たち討伐隊一行は、街の外門を抜け、旧ダンジョンへと続く獣道を進んでいた。
先頭を行くのは、赤髪をなびかせた勇者候補アルエル率いる【紅蓮】。その後ろに俺たち【高貴なる誓い】、そしてさらに後方に数組のモブ冒険者たちが続いている。
俺たちのパーティ【高貴なる誓い】は、エルメスとシャネル、二人のみで構成されたチームだ。
本来なら、朝焼けの翼を全滅させた【魔のダンジョン】への挑戦だ。胃を焼くような緊張感に支配されるのが普通なのに、後方のモブ冒険者たちの顔は、まるで休日前の接待ゴルフに行く係長みたいに緩みきっていた。
……気持ち悪ぃな。アルエルの『話術』のせいか、奴らは完全に思考を丸投げしているようだ。
だが、おかげで俺の『裏作業』はやりやすそうだ。
俺は接続先を変更し、エルメスから旧ダンジョン最深部で待機中のアラクネクイーンへと同調を切り替えた。
ザッ……ザザッ……。
……ん?
瞬間、奇妙な感覚が襲ってきた。
Wi-Fiが途切れるようなノイズでも、シャネルの時のような違和感でもない。もっと嫌な感じだ。
何より、アラクネクイーンと同調した途端、サウナの中にいるかのように全身が熱くなった。
だが、今はそれどころじゃない。
俺はアラクネやその配下の蜘蛛たちに、最終確認の指示を送った。
……いいか。紅蓮の連中が来たら、まずは威圧感たっぷりに登場しろ。最悪、エルメスとシャネル以外は殺しても構わない。
ただし、証人として一人だけは生かしておけ。あとで「嘘だ」と言われないためにも、生き証人は必要だ。
「……ショ、ショウ知、いタしマシたワ、主サマ……あチシ、最ジョウの最ゴを、ハナ々しく演じテミせるワ……」
アラクネからは、まるで壊れかけたレコードのような、ひび割れた返事が返ってきた。
……こいつ、こんな感じだったか?
昨日作戦を伝えたときは普通だったのに。まあ、ゾンビだからしゃーないか。
「……あ、あの。……エ、エルメス、嬢!」
そんな裏工作に勤しんでいると、隣をのっそりと歩く大男――ガストンが、もじもじと落ち着かない様子で声をかけてきた。
「あら、ガストンさん。何かお困りですの?」
俺は完璧な令嬢スマイルを浮かべて返した。
ガストンは相変わらず俺の瞳を直視できず、首筋のあたりを凝視しながら、腰の『銃』を宝物でも見せるかのように差し出してきた。
……胸を見たいのを必死に堪えているのが丸わかりだ。
「……さ、さっきの、話。……その、えーと、だから……その、シ、シリンダーの『遊び』。……ど、どうすれば、いい?」
ああ、あれか。
コミュ障のガストンくんは、自分の専門分野の話になると急に積極的になるタイプか……。昔の同僚の坂本にそっくりだ。
「ふふ、そんなに急がなくてもよろしくてよ。……ちょうどいい岩場がありますわ。休憩の際に、私が直々に“指導”してさしあげますわ」
「……っ! じ、直々に……!? 貴女に……イジられる……っ!!」
ガストンがカッと目を見開き、一拍遅れて鼻から鮮血を噴き出した。
……だから! どこを押さえながら言ってんだよ! 銃のメンテナンスの話だろーが!
「……あ、危ないッ!」
突如、前を歩いていたヴァイオレットが短く叫んだ。
「きゃっ!?」
次の瞬間、道に落ちていた小石に躓き、彼女の体が勢いよくよろけた。
よりにもよって、斜め前を歩いていた俺に向かって、真っ直ぐ倒れ込んでくる。
おわっ!? 避けられねぇ!
「――――」
ヴァイオレットの手がバタついた拍子に、エルメスのスカートの裾をガッチリ掴んだ。
――ドサッ!
「……あ、あふぇっ。……まにゃ、やっでぇしぇまいましぇたわ」
気がついた時には、柔らかくて意外に重い感触が俺の顔面に激突した。
ヴァイオレットが無表情のまま、俺を押し倒す形で覆い被さっていた。
彼女のスカートは派手に捲れ上がり、純白のパンツが木漏れ日に晒されている。
……リアルドジっ子かよ。嫌いじゃないけど、なんで俺まで巻き込まれなきゃならんのだ。
「……ぐ、ふぅ……ッ!!」
背後ではガストンが、致死量レベルの鼻血を盛大に噴き出して仰向けに卒倒した。
「……最低。そして、不潔。人間って、やっぱり愚か。ネネはやっぱり、この結界からは出ない」
ネネは木陰にうずくまったかと思うと、すぐに結界の中に引きこもってしまった。
そこから、ゴミでも見るような冷たい視線をこちらに向けてくる。
……いや、俺は被害者なんですけど。
「随分と賑やかだね。仲良くなってくれたのなら、僕も嬉しいよ」
アルエルが爽やかに笑う。
だが、その目は全く笑っていなかった。
倒れた俺たちを助ける素振りすら見せず、ただじっと観察している。爬虫類のように冷たく、こちらを試すような視線だった。
……ちっ。このホクロ野郎、やっぱり気に食わねぇ。
前の会社のワンマン社長を思い出す。あいつは「期待してるよ(=お前しか頼れない)」とか言いながら、裏で責任を全部なすりつけるタイプだった。
つーか、早く退けよ! いつまで俺の上に乗っかってんだよ!
俺は慌ててヴァイオレットを引き剥がし、服についた土を払って立ち上がった。
「……ヴァイオレットさんでしたわね、貴女のように頻繁に転ばれては、私まで巻き添えを食らって、せっかくの服が台無しですわ」
「あー、ホントだ。私もスカート汚れちゃったわ」
「……」
ヴァイオレットちゃんは天然なのか?
今のは中々の厭味っぷりだったと思うんだが……。
それから森を抜けると、鏡のように静まり返った湖が姿を現した。
その畔に、ぽっかりと口を開けた大穴があった。かつてシャネルたち【朝焼けの翼】が壊滅した、あの禍々しい穴だ。
だが、俺にとっては自分の体の一部のように勝手知ったる場所だった。
「ここから中に入れる。どうする? 先に私たちが入る?」
「いや、僕たちが先に入ろう」
アルエルたちがダンジョンへ入っていくのを確認した俺は、潜ませていたモンスターたちに合図を送った。
みんな、準備はいいか? 勇者候補サマのご来場だ。手はず通り、しっかりやってくれよ。
◆
旧ダンジョンへと足を踏み入れると、そこには人工物と自然の造形が歪に混ざり合った、暗く長い回廊が続いていた。
外の喧騒は一瞬にして遮断され、代わりに壁面にへばりついた発光苔が放つ、毒々しい紫色の光が俺たちを迎え入れる。湿り気を帯びた空気は重く、吸い込むたびに肺の奥がわずかに痺れるような魔力の濃密さを感じさせた。
アルエルが慎重な足取りで先行し、そのすぐ後ろをエルメスとシャネルが追う。最後尾を固めるのは、ギルドマスターが選抜したベテラン冒険者たちの精鋭部隊だ。奴らの足音は驚くほど静かで、常に死角を補い合う動きには一切の隙がない。
……一階層目は予定通りだな。まずはこの不気味な沈黙で、全員の警戒心を最大限に引き上げてやる。
俺は脳内モニターを通して、潜ませていたモンスターの状況を確認する。ダンジョンコアを取り込んだことにより、モンスターは俺に逆らえなくなっていた。
角の影、天井の窪み、瓦礫の隙間。そこには、俺が事前に配置し、待機させておいた蜘蛛やスライムたちが息を潜めている。かつて俺をバカにした彼らも、今では俺の命令に従う忠実な兵隊だ。
「……多いな」
アルエルが壁に垂れ下がる粘着質な糸を剣先で払った。
彼の横顔は変わることはなく、いつもの余裕が見て取れる。
さすがAランク冒険者、この程度じゃ眉ひとつ動かさないか。
「各員、警戒を怠るな。魔力が、奥へ行くほど濃くなっている。……シャネル、以前の探索と比べて違和感はあるかい?」
「……特に変化はない。前回もこんな感じだった」
「そうか」
その直後、通路の前方から、床を叩く不快な乾いた音が無数に響き始めた。蜘蛛たちの脚音だ。
「……来るぞッ! 敵影、多数! 天井と壁、両方に注意しろ!」
ベテラン冒険者の一人が、鋭い咆哮と共に大盾を構えた。
天井の闇から、俺が事前に配置しておいた巨大な蜘蛛たちが、黒い雨のように降り注ぐ。だが、これはあくまで前座だ。精鋭たちの実力を測りつつ、彼らの注意を逸らすための布石に過ぎない。
「焦るこたぁねぇッ! ただでけぇだけの蜘蛛だ!」
「互いにフォローし合えば問題ない!」
ギルド選り抜きの精鋭たちは、見事な動きを見せた。パニックに陥ることなく、即座に円陣を組み、背後を預け合う。前衛が盾で蜘蛛の突進を止め、後衛の魔法使いが、高火力をもって確実に弱点を突いていく。焦げた肉の臭いと断末魔の軋みが回廊に満ちるが、彼らの歩みは止まらない。
……へぇ、さすがだな。この程度の数じゃ、足止めにもならないのか。なら、予定通り次の仕掛けだな。
俺は戦闘の混乱と煙に紛れ、同調先を大型の蜘蛛へと移行する。蜘蛛の魔力を介して、ダンジョンの構造に干渉した。
事前に細工しておいた、偽の最深部へと続く隠し通路。
――ゴゴゴッ、という腹に響く重低音と共に、通路の右壁が音もなく反転するように開き、奥から濃厚な魔力の奔流が吹き抜けた。
「……!? 隠し部屋か。どうやら、地図にない分岐のようだ」
「待て、この魔力の反応……。アルエル、こっちが『心臓部』なんじゃねぇか!」
冒険者たちは、右のルートにある莫大な魔力溜まりを脅威だと誤認した。
「……二手に分かれよう。君たちは隠しルートと思われるエリアを叩いてくれ。僕たち【紅蓮】と【高貴なる誓い】は、このまま直進して最深部を目指す。……君たちの実力を信じているが、異常があればすぐに合図を出すんだ。いいね」
アルエルの判断は、俺が描いた通りのものだった。
「そりゃ構わねぇけど、そっちは六人で大丈夫なのか?」
「なんなら、何人かそっちに回すぜ?」
「心配は無用だ。僕たちは【紅蓮】だからね」
精鋭たちはアルエルの言葉に頷き、統制の取れた動きで右の通路へと消えていった。
これで仮に【紅蓮】が全滅したとしても、彼らベテラン冒険者たちが証人になってくれる。
「一気に静かになったわね」
「……こ、怖いのか? な、なんならて、手を、に、握ってやろうかっ!」
「ガストン、本当に気持ち悪いからやめて」
「……ゔぅっ」
「クリティカルヒット。ガストンが瀕死の重傷を負ったわ。やっぱり結界の中が一番」
「三人とも、【高貴なる誓い】の二人がいるんだよ? 少しは緊張感を持ってくれよ」
「はーい」
「すまん」
「ネネ、悪くない」
周囲に残ったのは【紅蓮】の四人と、シャネル、そして俺が操作するエルメスだけだ。
舞台は整った。あとは最深部でアラクネが予定通りに立ち回り、最後にエルメスがトドメを刺せば、俺の計画は完成だ。
俺はエルメスの背筋を正し、さらに奥へと進む。
通路の壁には、俺が配置したモンスターたちが、主人の通過を祝うように静かに跪いているのがモニターを通してわかる。
やがて、一行は最深部の巨大な空洞へと辿り着いた。
そこは、天井が霞むほど広大なドーム状の空間。中央には、赤黒く光る『偽のダンジョンコア』が鎮座している。
そしてその前で、待ち構えていた『番人』がゆっくりと姿を現した。
「…………っ……」
ヴァイオレットが息を呑み、一歩後退する。
闇の中からせり出してきたのは、巨大な蜘蛛の下半身に、死人のように青白い女性の半身が乗った異形。アラクネクイーンだ。
「ねぇ、アルエル……あれ、なに?」
「アルエル、ギルドの報告書と全然違うぞ!」
「ネネ、もう帰りたい」
「みんな、落ち着くんだ!」
だが、その威圧感は、俺の想定を遥かに上回っていた。
……な、なんだよ、あれ!?
ゾンビ化したことでリミッターが外れたのか、あるいは新ダンジョンの魔素を取り込みすぎたのか。アラクネが発する殺気は、実体を持った暴力となって空間を支配していた。
……待て。俺がコアを飲んでから、こいつとの同調率が異常に上がっていた。コアを取り込んだことで、繋がっている配下にまで何らかの影響が流れ込んでいたのか? だとしたら、完全に想定外だ。
「…………アルエル、下がって。これ、ヤバいわ」
ヴァイオレットが、初めてその無表情を強張らせ、指先に銀色の『魔糸』を絡め取った。
「嘘!? 私の鑑定限界を突破してる! この魔力出力、推定評価はAAA――都市一つなら単独で壊滅させられるクラスよ!」
「AAAだと!?」
「間違いない! こいつは正真正銘の『魔王個体』よ……ッ!!」
「魔王個体だと……!?」
アルエルは絶句したが、その目は死んでいなかった。
ちょっ、ちょっと待て! 魔王個体ってなんだよ! 魔王候補の俺を差し置いて、なんで寄生体のお前が魔王個体なんぞになってんだよ!
アルエルはギリと奥歯を噛み締め、剣を構え直す。その手は震えるどころか、むしろ尋常ではない力で柄を握り込み、白くなっている。
冒険者としての本能が、生存の確率を引き上げるために、全身の神経を極限まで研ぎ澄ませているのがわかる。額を流れる汗を拭う余裕すらなく、アルエルは眼前の化物の一挙一動を、射抜くような鋭い視線で捉えていた。
「……報告書はあてにならないとは聞いていたが、これほどとはね。だが、ここで引くわけにもいかない……。全員、生存を最優先に動いてくれ。エルメス嬢、シャネル、君たちは生き残ることだけを考えるんだ!」
まただ。
アルエルが言葉を発した瞬間、会議室の時と同じ嫌な感覚に肌が栗立つ。
「シャネル!?」
アルエルの話術に当てられたのか、シャネルが逃げの姿勢を取る。
おいおいおい! 嘘だろ!? あいつの話術は寄生虫にも効くのか!? 冗談じゃねぇぞッ!
「ヴァイオレット、ガストン、三人で行くぞ! ネネは結界によるサポートを頼む!」
アルエルは低く、重厚な声で仲間に指示を飛ばした。その声に恐怖の震えはない。あるのは、この絶望的な戦力差をどう埋めるかという、戦士としての凄絶な覚悟だけだった。
魔王個体認定されたアラクネもやべぇけど、一番ヤバいのは、どう考えてもアルエルだろ! あれを放置していたら絶対詰む!
くそっ、作戦変更だ。
アラクネクイーン、全力でアルエルを殺せ!
予定外の超進化を遂げたアラクネと、その脅威を前に研ぎ澄まされるアルエル。
俺の計画は、かつてないほど危うい均衡の上に立たされていた。




