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原力の殉教者  作者: とりまな
手がかりの糸
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70/70

糸の先

――――――――――――


 夜明け。


 カエルは机の上にノートを開いていた。


 小さなノート。旅の間に使っていた革表紙の手帳。そこに——全ての調査の要約を書き終えた。暗号メモの解読結果。各地の証言の要点。証拠の一覧。鍵の部屋への考察。母の遺志。


 最後の一行を書き、ペンを置いた。


 窓から朝の光が差し込んでいた。テセラ海が淡い金色に染まっている。海鳥が一羽、水平線の上を横切った。


――――――――――――


 カエルは椅子から立ち上がり、部屋の隅の鏡の前に立った。


 二十三歳の男がそこにいた。


 日に焼けた肌。旅で引き締まった体。母と同じ色の目。十三歳の時よりも顎が鋭くなり、目の奥に——あの頃にはなかった光がある。


 十年前。


 この街に来た時、鏡の中には怯えた少年がいた。母を失い、世界が灰色に見え、言葉を話す気力もなかった少年。マグヌスに手を引かれ、この部屋に入った日のことを——覚えている。


「ここがお前の部屋だ。好きに使いなさい」


 師匠の声。温かかった。


 あの日から十年。カエルは学び、鍛え、考え、旅をし、証拠を集め——ここに立っている。


「母さんのために」


 声に出して言った。鏡の中の自分が、同じ言葉を口にした。


「ルーナのために」


「……そして、真実のために」


――――――――――――


 部屋を出て、廊下を歩いた。


 早朝の廊下は静かだった。窓から差す光が、石の床に長い四角を描いている。空気は冷たく、海の匂いがする。


 研究室の方向から——物音が聞こえた。


 マグヌスの朝の日課。早起きの師匠は、いつも夜明けとともに研究室に入り、書類の整理をする。湯を沸かし、茶を淹れ、その日の予定を確認する。十年間変わらない朝のリズム。


 カエルは廊下の角で足を止めた。


 研究室の扉が薄く開いている。中から、紙をめくる音。マグヌスが書類を見ているのだろう。穏やかな、師匠の朝。


 ——この部屋の奥に。


 母を殺した『フクロウ』の正体が隠されているのか。


 まだ確定ではない。全ての間接証拠はフクロウという正体不明の存在を指しているが、直接的な——誰なのかという——証拠は、まだ手にしていない。


 ——しかし。


 間接証拠の総量は、もう「疑惑」の域を超えている。碑文、暗号メモ、各地の証言、過去の筆跡の一致、不自然な後見人申請の日付、同僚の消失、研究記録の空白。九つの証拠の全てが、母の死の裏に『フクロウ』という一人の怪人物がいることを確信させている。


 偶然では——ない。


 カエルは研究室の扉を見つめた。その奥に——鍵のかかった部屋がある。


――――――――――――


 「鍵の部屋。あの部屋を開ける」


 カエルは心の中で呟いた。


 母が隠した研究ノートの完全版。マグヌスがそれを発見し、封じた場所。教会魔法と精霊魔法の二重の気配が脈打つ部屋。


 あの部屋に入れば——全てがわかる。


 マグヌスが何をしたのか。母が何を発見したのか。統一力場理論の全貌。そして——母の死の真実。


 同時に——マグヌスとの十年間が、完全に終わる。


 師弟の関係。家族のような日々。「お前には才能がある」という言葉。訓練で見せた真剣な目。夕食の席での笑い声。全てが——終わる。


 覚悟は、とうに決まっている。


――――――――――――


 カエルは自室に戻った。


 ノートを閉じ、懐にしまった。


 窓の外で——テセラ海が朝日を受けて輝いていた。水平線の彼方。カエルが旅した全ての場所——海人族の街、廃都の文書館、鉄背山脈の碑文——その全てが、この窓の向こうにある。


 全ての糸が——一つの部屋に繋がっている。


「全ては、そこから始まる」


 カエルは立ち上がった。

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