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原力の殉教者  作者: とりまな
手がかりの糸
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山の長老

――――――――――――


 鉄背山脈への旅は、海沿いの街道を北上し、山地に入るまでに五日を要した。


 街道の人通りは疎らだった。三教対立の余波で、地域間の交易は縮小し、旅人は減っている。代わりに、巡礼者の列や、武装した教会の使者の一団とすれ違うことが増えた。世界は少しずつ——しかし確実に——緊張を高めている。


 山道に入ると景色が一変した。テセラ海の温暖な空気が消え、岩肌からの冷気が肌を刺す。道は急勾配になり、両側を暗い針葉樹の森が覆った。岩と氷と、鍛冶の煙の匂い。地底族の領域に近づいている証拠だ。


 三日目の午後、地底族の商人と道連れになった。


 低い背丈に広い肩幅。褐色の肌は岩石のように硬く見える。背中に担いだ荷物は体躯に不釣り合いなほど大きく、中から金属が触れ合う音がしていた。鍛冶場で作った製品を、麓の市場に運ぶところだという。


「学者か?」


 商人がカエルの荷——注釈書と筆記用具を見て言った。


「碑文の調査を」


「碑文ね。お前さん、両方使えるだろう」


 カエルは足を止めた。


「わかるのか」


「わかるさ。歩き方でな。精霊使いは地面の感触を足の裏で拾う。教会の連中は歩き方に祈りの型が混じる。お前さんは両方だ」


 商人は歯を見せて笑った。


「昔、両方が使える森人混血の女学者がいた。シルヴィアって名前だったか——うちの長老を訪ねてきたことがある」


 カエルの心臓が跳ねた。


「——その人は俺の母だ」


 商人の目が丸くなった。


「あの人の息子か! 年を取るわけだ。あの頃はお前さん、小さかっただろうに」


――――――――――――


 商人に案内されて、鍛冶場の入口に着いた。


 鉄背山脈の岩壁に穿たれた巨大な洞窟。入口から熱気が噴き出し、奥で赤い光がちらついている。壁には地底族の文様が彫り込まれ、微精霊の灯りが通路を照らしていた。


 鍛冶場を進むたびに——気温が上がり、振動が強くなった。地底の溶岩脈が近い。地底族はこの熱と圧力を利用して、金属を精錬する。


 最奥に近い広間で、長老が待っていた。


 長老は老齢の地底族の男だった。背は低いが、腕は丸太のように太い。白く濁った目で——しかし正確にカエルの位置を捉えて——こちらを見ていた。


「シルヴィアの息子か」


 長老の声は、鍛冶場の反響に似た低い轟きだった。


「目が似ている。母親と同じ目だ」


「長老。母がここで何を研究していたか、教えていただけませんか」


 長老は鍛冶場の奥を顎で指した。


「見せた方が早い」


――――――――――――


 鍛冶場の最奥——「精霊鍛造の間」と呼ばれる場所だった。


 溶岩の光が天井を赤く照らし、中央の炉には精錬中の金属が橙色に輝いている。地底族の鍛冶師が三人、炉を囲んで作業をしていた。


 精霊鍛造術。地底族の伝統技術。微精霊に語りかけて金属の結晶構造を操り、同時に微念を込めて強度と耐久性を高める——両系の力を併用する鍛造法だ。


「見ろ。あの瞬間を」


 長老が指さした。


 鍛冶師が金属を打つ。槌が赤熱した鉄に触れた瞬間——微精霊と微念が同時に鉄に流れ込む。カエルの両系知覚が、その現象を捉えた。


 一瞬だけ——ほんの刹那——微精霊と微念が「混ざった」。


 区別がつかなくなった。蒼と金が一つになり、根源的な白い光を放った。


 原力。


 カエルは息を呑んだ。


「これだ……母さんが見つけた現象だ」


 精霊鍛造の中で、微念と微精霊が統合される瞬間。分化以前の状態が、一瞬だけ再現される。地底族は何千年もの間、この現象を「鍛造の秘儀」として伝承してきたが、それが「原力」であることを理論的に理解してはいなかった。


 母が見出したのは——この現象の意味だった。


「お前の母は、ここで初めてそれを目撃した」


 長老が静かに語った。


「微念と微精霊が混ざる瞬間。うちの若いのは誰も気づかん。だがシルヴィアは——初めて見た瞬間に理解した。あの女は天才だった」


「母は何と言っていましたか」


「『原初の力が、まだ生きている』と。目を輝かせていた。初めて見た時は——本当に嬉しそうだった」


 カエルの胸に、暖かいものと痛いものが同時に広がった。母の表情が目に浮かぶ。学者の目が輝く瞬間——あの純粋な知的興奮。


「最後に来た時は」


 長老の表情が曇った。


「男を連れていた。大学の男だ。不愉快な奴だった」


「……何があったんですか」


「男は——データを全部持ち帰ろうとした。精霊鍛造の記録。微精霊の挙動の観測値。長年うちの鍛冶場が蓄積してきた知見を、自分のものにしようとした」


 長老の拳が、膝の上で握り締められた。


「シルヴィアが止めた。『これは彼らの知恵だ。持ち出すものではない』と。男と激しく言い争いになった。結局、男は手ぶらで帰ったが——」


「その後は」


「二度と来なかった。シルヴィアも——来なくなった」


 来なくなったのではない。来られなくなったのだ。母は殺されたから。


 カエルは長老に頭を下げた。


「碑文を見せていただけますか」


 長老が頷いた。


「あの碑文を読んだ者は——二度と同じ目で世界を見られなくなる。覚悟はあるか」


「あります」


 長老はゆっくりと立ち上がり、鍛冶場のさらに奥へカエルを導いた。溶岩の熱が肌を焼き、空気が揺らめく。その先に——碑文の間がある。

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