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原力の殉教者  作者: とりまな
第2章 師のもとで
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嘘の輪郭

――――――――――――


 アウレリウスが一時帰国のために去ってから三日後、マグヌスがカエルを研究室に呼んだ。


 研究室は住居の奥にある。書斎とは別の、マグヌスが実験や本格的な研究に使う部屋だ。壁一面の本棚、中央の大きな作業机、棚に並んだ試薬瓶と計測器具。窓は一つだけで、重い遮光布がかかっている。


「座りなさい、カエル」


 マグヌスの声はいつも通り穏やかだった。暖炉の火が小さく燃え、老師の白い髭を照らしている。


 カエルは椅子に座った。


「ルーナが心配している」


「……ルーナが」


「お前は最近、何に没頭している?」


 マグヌスの目が、静かにカエルを見ていた。暖かい目だ──十年間、一度も変わらなかった穏やかさ。


 カエルは迷った。


 全部を隠すか。一部だけ打ち明けるか。


 一部だけにした。


「母さんの遺品の中に──暗号メモがありました」


「暗号メモ?」


「古代語で暗号化されています。子供の頃は読めなかったんですが──今の俺なら、部分的に解読できることに気づきました。それを読み解いています」


 マグヌスの唇が引き結ばれ、手が机の上で──ほんの僅かに──強張った。


 次の瞬間には、いつもの穏やかな表情に戻っていた。


「──シルヴィアの研究メモか」


 マグヌスの声は平静だった。暖炉の火を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「しかし、過去に囚われすぎるのは危険だ。お前は若い。未来に目を向けるべきだ」


「…………」


 カエルは黙っていた。


 見逃していない。


 あの一瞬の凍り付きを。


 十年間、マグヌスの下で暮らしてきた。師の表情も、声の調子も、手の動きも知り尽くしている。


「師匠」


「うん」


「母の研究内容を──ご存知なんですか?」


 マグヌスは暖炉から視線をカエルに戻した。穏やかに微笑んでいた。


「概略はな。シルヴィアとは共同研究者だった時期がある。彼女が魔法理論に関心を持っていたことは知っている。だが──詳しいことは知らない。私の専門からは外れていたからな」


 嘘だ。


 カエルは確信した。


 直感ではない。十年分の観察に裏打ちされた判断だった。


 マグヌスは「暗号メモ」という言葉に反応した。存在を知っていた──あるいは、その中身に心当たりがあった。そうでなければ、あの一瞬の凍り付きは説明がつかない。


 「共同研究者だった」のは事実だろう。だが「詳しいことは知らない」は嘘だ。


 これで三度目だった。


 鍵のかかった部屋の前での不自然な沈黙。「お前の母も、そう考えていた」と漏らした、ルーナへのあの言葉。そして今──暗号メモへの動揺。


 三つの点が、線になろうとしていた。


――――――――――――


「わかりました、師匠。あまり深入りしないようにします」


 カエルは穏やかに答えた。


 嘘だった。


 マグヌスが嘘をつくなら──カエルも嘘をつく。


「そうしなさい。ルーナを安心させてやれ」


「はい」


 カエルは立ち上がり、研究室を出た。


 廊下を歩きながら、頭の中で思考が回転していた。


 母さんは、何かを知っていた。その何かを暗号にして隠した。マグヌスはその内容に心当たりがある。だが──教えようとしない。


 なぜだ。


 優しい師。十年間、カエルとルーナを育て、導いてくれた師。信頼してきた。今も──信頼したい。


 だが──嘘は嘘だ。


 カエルは自室に戻り、扉を閉めた。


 机の引き出しから、母の遺品箱を取り出した。暗号メモの羊皮紙を広げ、蝋燭に火を灯した。


 母さんの死の真相を──本格的に追う。


 もう、誰にも頼らない。


 蝋燭の炎が揺れ、暗号の文字を照らしていた。古代語の記号が、光と影の中で踊っている。


 その向こうに──真実がある。


 カエルはペンを取った。

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