カエルの孤独
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大学の屋上は、カエルの定位置だった。
講義棟の最上階から螺旋階段を登ると、平らな石の屋上に出る。ヘスペリアの街並みが一望でき、テセラ海が地平線まで広がっている。風が強い日は身が切られるようだが、晴れた夜には星が降るように近い。
誰も来ない場所だった。
カエルは石の手すりに背中を預け、夜空を見上げていた。北に長尾星が淡く光り、東にテセラ座の七つ星が並ぶ。辺境村で母と見た星座と同じだ。当たり前だが──同じ空の下にいるという実感は、どこにいても変わらない。
十七歳。大学で最も注目される学生。精霊学と神格構造学の両方で最上位。港の嵐を単独で鎮めた英雄。
だが──友人は、一人もいなかった。
嫌われているわけではない。入学当初の露骨な差別は減り、今は敬意を持って迎えられることの方が多い。教授陣は期待を込めてカエルの名を呼び、下級生は憧れの目で見送る。
だがそれは──距離だ。
畏怖。
同年代の学生がカエルに話しかけようとして、途中でやめる場面を何度も見てきた。「おい、あれが両方使いの」「話しかけんの?」「いや……やめとく」。壁は敵意ではなく、圧倒的な実力差から生まれている。カエルが親しみやすく振る舞えば済む話かもしれないが──どう振る舞えばいいのか、カエルには分からなかった。
辺境村の頃から、同年代の友人はいなかった。母とルーナ。それがカエルの世界の全てだった。母が死に、ルーナの回復に全力を注ぎ、マグヌスの下で修練に没頭した。友人という概念を、そもそも知らない。
ルーナは元気だ。精霊魔法の才能を伸ばし、お師匠様と過ごす時間が増えている。兄妹二人だけの時間は──減った。夕食は三人で食べるが、ルーナはマグヌスとの会話が弾んでいることが多い。カエルは黙って聞いている。
寂しいとは思わなかった。ルーナが幸せならそれでいい。母が死んだあの夜に誓ったことだ。
だが──。
「母さんは……友人がいたんだろうか」
声に出した。星が瞬くだけで、誰も答えない。
マグヌスは母の同志だったと言っていた。母にはマグヌスがいた。では自分には──?
石の手すりが冷たい。冬の風がテセラ海から吹き上げてきた。
カエルは強い。誰よりも強い。それは事実だ。だが強さは、隣に立つ者を遠ざける。実力が高ければ高いほど、並べる者がいなくなる。
「俺と同じくらい強い奴が来てくれないかな」
我ながら子供じみた願いだと思った。だが口にしてしまうと、胸の奥の空洞が際立つ。
強い奴。対等に語れる奴。魔法について、世界について、夜を徹して語り合える奴。
そんな人間が──存在するのだろうか。
星が流れた。一筋の光がテセラ海の上を横切り、消えた。
カエルは屋上から降り、住居に戻った。居間の灯りが窓から漏れている。
「おかえり」
マグヌスが茶を淹れていた。ルーナはもう寝たらしい。
「遅くまで何をしていた」
「星を見ていました」
「そうか。……カエル」
「はい」
「来月、ルクスから留学生が来る」
カエルは手を止めた。
「留学生?」
「教会魔法の優秀な学生だ。東方教会との学術交流の一環でね。しばらく大学に滞在する」
「そうですか」
特に興味はなかった。ルクスの学生なら、カエルの両系魔法を嫌悪するだろう。教義で禁じられている力だ。面倒が増えるだけかもしれない。
だが──マグヌスが去った後、カエルは窓の外を見た。
ルクスから来る留学生。教会魔法の使い手。
同年代で、対等に戦える相手が──来るかもしれない。
その期待を抱いた自分に、カエルは少し驚いた。




