表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
原力の殉教者  作者: とりまな
第1章 森の遺産
12/46

母の秘密

―――――――――――


 母が語り始めたのは、夜が深くなってからだった。


 ルーナは眠っている。居間のランプの灯が揺れ、シルヴィアの影が壁に伸びている。カエルは母の向かいの椅子に座り、膝の上で拳を握っていた。


「お母さんは、エルダリスの出身なの」


「エルダリス」


 名前だけは知っていた。東方列島。森人族の閉鎖的な文明圏。


「森人族の中でも、改革派と呼ばれる一派がいた。外の世界に出て、知識を共有すべきだと主張する者たち。お母さんはその一人だった」


 母の目が遠くなった。二十年以上前を見つめている。


「外の世界に出て、同じ夢を見ていた人に出会った。——私はいつも『フクロウ』って呼んでたわ。夜中まで研究に没頭する、偏屈な人だったから」


「……フクロウ?」


 母は少しだけ笑い、だが名前は出さなかった。


「その人は優秀だった。教会魔法と精霊魔法の垣根を越える理論を持っていた。お母さんと同じ夢——二つの力の源が一つであることを証明し、世界に示すという夢」


「……その人は今、何をしてるの?」


 シルヴィアの唇が引き結ばれた。


「道が分かれたの。その人は——知識を独り占めして、世界を変えようとしている。お母さんは、知識は皆で分かち合うべきだと思った。それが決裂の原因」


 母が机の引き出しを開けた。奥から、古い文書の束を取り出す。茶色く変色した紙。数十枚。びっしりと文字が書き込まれているが——読めない。暗号化されている。


「お母さんの研究の全て。古代語で鍵をかけてあるわ。あなたにしか読めない」


 カエルは文書を受け取った。ずしりと重い。紙の重さではなく、込められた時間の重さ。


「なぜ、俺に」


「いつか読んで。今すぐでなくていい。でも——」


 母の声が途切れた。窓の外から風が吹き込み、ランプの炎が揺れる。


「いつか、お母さんがいなくなった後に。読んでほしいの」


―――――――――――


 翌日、遺跡に向かった。


 シルヴィアは暗号化されたメモの正本を持ち、最深部——原力の結晶体がある部屋に入った。台座の裏側、石の棚の奥に、文書を注意深く並べていく。


「古代語の封印をかけるわ」


 母が古代語のフレーズを詠唱した。棚の周囲に金色の光が走り、石の継ぎ目に沿って封印の紋様が刻まれる。カエルが触れなければ解けない、原力の残滓を利用した封印。


「……母さん」


「なに」


「なぜそんなに急いでるの」


 母の手が止まった。封印の最後の一画が描かれ、光が消える。


「世界には——『忘れられた力』がある」


 声が低くなった。石室の壁に反響して、まるで遺跡そのものが語っているかのように。


「人の祈りより古く、精霊より深い何か。微念にも微精霊にも分化する前の——原初の力が、まだどこかに残っている。お母さんはそれを見つけてしまった」


「見つけた?」


「この遺跡で。この結晶の中に。そして——別の場所にも。もっと大きな形で」


 カエルは全てを理解できなかった。母の言葉は断片的で、意図的に核心を避けている。しかし母の顔が蒼白であることはわかった。


「お母さんの研究を、俺が守る」


 言えたのはそれだけだった。


 シルヴィアが微笑んだ。震える唇で。


「……ありがとう」


―――――――――――


 村に帰ると、違和感があった。


 石畳の道に、見知らぬ蹄の跡が残っていた。複数頭——少なくとも三頭分。村の中には入っていない。外周を一周するように走っている。偵察の足跡だった。


 カエルは精霊魔法で微精霊に尋ねた。風の精霊に——ここを通った者の気配を聞く。


 応答があった。


「重い気配の者」。数日前から村の周辺にいる。森の中に潜んで、村を観察している。人間族。三人以上。微念の残滓——教会魔法の使い手がいる。


 シルヴィアの顔から血の気が引いた。


「……もう時間がない」


―――――――――――


 その夜、カエルは目を覚ました。


 何かの音——ではなかった。音ではなく、気配の消失。母の部屋から、母の気配が消えている。


 ベッドから降り、母の部屋を覗く。空。枕元に書きかけの手紙が残されているが、内容は読めなかった——暗号化されている。


 窓に駆け寄り、外を見た。


 月明かりの中を、シルヴィアが歩いている。村の外れに向かって。


 そして——誰かと会っている。


 暗い人影。背の高い人間族の男。月の光が横顔を照らすが、顔の造作までは見えない。母と人影は向き合い、何かを話している。母の表情が深刻だ。手を振り上げるような仕草はなく、静かに——しかし激しい感情を抑え込んだ姿勢で。


 人影が踵を返し、闇に消えた。


 シルヴィアが振り返った。


 カエルと——目が合った。


「知り合いに会っていただけよ。心配しないで」


 母の声は平静を装っていたが、唇が青白かった。


 カエルは問い詰められなかった。問い詰める言葉を持っていなかった。何を聞けばいいのかもわからない。ただ、母が嘘をついている——あるいは真実の一部だけを言っている——ことは、わかった。


―――――――――――


 その夜、シルヴィアは村の周囲に精霊魔法の結界を張った。


 中から出る者を止めず、外から入る者に反応する感知型の結界。カエルも手伝おうとしたが、母は「私一人でいい」と断った。


 結界が完成したとき、カエルは気づいた。


 結界に——穴がある。


 意図的に作られた、感知範囲の空白。村の北側、森に続く小道の付近に、人一人が通れる幅の隙間が設けられている。


 母が意図的に作った穴だった。


 なぜ。


 その疑問が、眠れない夜の天井に貼りついて剥がれなかった。


 翌朝、台所に降りると——母が目の下にくまを作りながら、鍋をかき混ぜていた。こちらを見て、笑う。


「今日は一日、三人で過ごしましょう」


 何かの覚悟をした表情だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ