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【完結】恋愛不要な婚姻のはずですが、軍人公爵様に毎日甘やかされてもよろしいのでしょうか?  作者: たちばな立花


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06.気難しい猫の手懐け方

 ミネルヴァが目を瞬かせる。

 アドルフは長い睫毛が上下に動く様を、ただただ見つめていた。

 本に伸ばした彼女の手は途中で止まったままだ。

 まるで時間が止まったように、どちらも何も言えなかった。


 アドルフはどうにか咳払いをした。

 ゴホンッと、間抜けな音が部屋に響く。


「またあとで来る」


 どうにか絞り出した言葉は素っ気ない。彼女の返事を聞くよりも早く、アドルフは扉を閉めた。

 逃げるように廊下を足早に歩く。

 執務室が近くなってアドルフは足を止めた。

 ミネルヴァが追ってくる様子はない。


(なんなんだ、あれは)


 アドルフは右手で口元を押さえた。


 ミネルヴァの表情は、今までに見たことのないものだったのだ。

 スイーツの乗った皿を睨む顔も、それをおいしそうに頬張る顔も、そして幸せに満ちた顔も。

 コロコロと変わる表情。


 まるで別人のようだ。

 それはヴァイゼン侯爵が語るミネルヴァそのものだった。

 遠い辺境の地で想像していた、「素直で可愛い」という言葉がよく似合う少女だ。


(あれが本当の彼女なのか?)


 アドルフは他人を睨みつけ、つまらなさそうな顔で食事をしているミネルヴァの顔しか知らない。

 けれど、一人きりの彼女は表情豊かだった。


「アドルフ様? こんなところで、どうしたんですか?」


 補佐官のクロイに声をかけられ、肩がはねる。


「なんでもない」

「ナンデモナイって……。顔、真っ赤ですけど。もしかして、昼間っから酒でも飲みました?」

「うるさい」

「いくらやばい令嬢を押しつけられたからって、昼から飲酒はまずいですよ」


 同情心を隠さないクロイの顔を見て、アドルフはクロイの腹に軽く拳をぶつけた。


「考えごとをしていただけだ」

「考えごと?」

「懐かない猫に近づく方法を」


 クロイは不思議そうに首を傾げた。


「実家の猫が恋しくなりました?」


 クロイは揶揄するように笑う。

 クロイは幼いころからアドルフの側にいる乳兄弟だ。

 アドルフが幼いころ、懐かない猫に苦心していたことをよく知っている。


 アドルフはミネルヴァの顔を思い浮かべた。

 いつものつまらなさそうな顔ではない。幸せそうに頬を緩め、菓子を噛みしめる少女の顔だった。

 もう一度あの顔を見たい。


 しかし、どう近づいていいのかわからなかった。

 結婚早々「ビジネスライクで」とつれなく言ったのはアドルフだ。

 そのアドルフが突然笑顔で近づいてきても怖いだけだろうか。


(困ったな……)


 アドルフは頭を抱えた。


 ◇◇◇


 ミネルヴァは閉まった扉を呆然と見た。

 朱に染まっていた頬は色をなくし、白を通り超し青くなっていく。


(ど、どうしよう……! 見られてしまったわ)


 淑女としてあるまじき姿を。

 スイーツを口にしただけではない。

 そのあと、あまりの幸せに身悶えてしまった。


(だって、とってもとってもおいしかったの……。それに、人がいるなんて……。アドルフ様がいるなんて知らなかったし)


 ミネルヴァは心の中で言い訳を並べる。

 そして、恨めしい気持ちを込めて皿に載ったスイーツを睨みつけた。


 フィナンシェというスイーツは、クッキーよりも柔らかくそれでいてしっとりとしている。

 昨日食べたクッキーとはまた違う、魅惑的な優しさを持っていた。

「一口がもっと大きければ」と思う。


(アドルフ様、とても怒っていたわ。あれは絶対に怒っている顔だったわ)


 ミネルヴァは俯いて固い本を抱きしめた。

 読書の時間だということも忘れて、甘いスイーツにうつつを抜かしていたのだ。

 怒りもするだろう。


 幼いころ、この読書の時間が苦手で、こっそり違う編み物をしたことがある。

 父が帰って来たときに贈りたいと思い、こっそり編んでいたものだ。


 本で隠して編み物をしていたミネルヴァを見下ろす継母の顔は、今でも忘れない。

 怒っているような呆れているような、そんな顔だ。

 アドルフの表情はそれによく似ていた。


(どうしましょう……。もし追い出されたら……)


 まだ結婚して五日。

 ミネルヴァは何の役にも立っていない。

「使えない妻はいらない」とアドルフに追い出されたらどうすればいいだろうか。


(謝りに行ったほうがいいのかしら? でも、こわいわ)


 またあのアドルフの顔を見たら、当分のあいだ立ち直れないかもしれない。

 結婚してたった数日で離婚となれば、父も継母もがっかりするだろう。


『王族の妻になるということは大変なのことなのよ? わかっている?』

『はい。おかあさま』

『本当にあなたにできる? どうしても難しいなら私からおとうさまに言ってあげる』

『大丈夫です。頑張ります』


 継母は結婚の前日までミネルヴァの心配をしていた。

 不器用なミネルヴァが失敗しないか心配だったのだろう。

 ミネルヴァも不安はあった。けれど、結婚は親が決めるもの。そう教わってきた。

 父が決めた結婚を「こわいから」という理由だけで断ることはできなかった。


 きっと、数日で戻ってきた娘を見たら、継母は落胆するだろう。

 継母のがっかりする顔を想像して、ミネルヴァは固い本に顔を埋めた。


 ◇◇◇


 翌日になっても、アドルフから離婚は言い渡されなかった。

 アドルフと顔を合わせるのは、食事の時間だけだ。

 だから、食事の席で離婚を突きつけられることは覚悟していた。


 しかし、昼食の席でも、夕食の席でも彼は何も言わない。

 そして、今日の朝食でも彼は静かに食事をするのみだった。

 時折、何か言いたそうにしていたから、離婚のことは考えているのだろう。


 淑女としてあるまじきを姿を見せてしまったミネルヴァの過失だ。


 朝の散歩を終え、ミネルヴァはいつもの席に座った。

 読書はまったくと言っていいほど進んでいない。

 覚えなくてはいけないことはたくさんあるのに、一文字も頭に入ってこなかった。


(今日はないのね)


 いつもなら、サリが紅茶とスイーツをテーブルに置いてくれるタイミングだ。

 もしかしたら、怒ったアドルフがサリに「今日から不要だ」と言ったのかもしれない。


 すると、扉が叩かれた。


 コンコンコンッ。


 規則正しい間隔で三回。癖のあるノックの音は覚えがある。――アドルフだ。

 サリのノックはもう少し優しくゆっくりだからすぐにわかった。

 ミネルヴァの肩がはねる。慌てて本を閉じ抱え込んだ。


「はい」


 か細い声で返事をするや否や、扉が開く。


(とうとう判決を言い渡されるのね)


 ミネルヴァは神に祈る気持ちだった。

 ミネルヴァは椅子から降り、床に膝をつき頭を下げる。

 継母に許しを請うときの格好だ。

 膝に痣ができるくらい反省することもある。


 しかし、アドルフは一向にミネルヴァを罰しなかった。

 おそるおそる顔を上げると、アドルフは不思議そうに首を傾げる。


「何をしているんだ?」


(何って……反省を)


 そう言う前に甘い匂いに釣られて視線がアドルフの手に移る。

 ミネルヴァが言い訳を口にする前に、アドルフが口早に言った。


「ちょうど休憩にしようとしていたところに、サリに出くわしたんだ」

「……そう、なのですね」


 彼の手には二人分のティーセットとスイーツが載ったトレイがある。

 いつもサリが用意してくれるのは、一人分だ。どうして今日は二人分だったのか、ミネルヴァには見当もつかない。


「せっかくだ。一緒に食べよう」


 それはミネルヴァにとって思いもよらない提案だった。


「あ、甘い物は苦手なので……」


 これは継母に教わった言い訳だ。

 参加したお茶会で何度も口にした呪文の言葉である。

 この呪文を口にすれば、みんな「そうでしたのね」と頷いてミネルヴァの前からスイーツを離してくれる。


 けれど、アドルフは違った。

 彼は不思議そうに首を傾げる。


「昨日はおいしそうに食べていただろう?」

「そ、それは……!」


 言い訳が思いつかない。

 どう言ったら彼は納得してくれるだろうか。


(それとも、これは最終テストなのかしら?)


 ミネルヴァが淑女として申し分ないか、確認しているのかもしれない。


 ぐぅ~。


 二人のあいだにミネルヴァの腹の音が響いた。


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