25.お願いがあります
ミネルヴァは不器用だ。それは自覚がある。
そのせいで幼いころから継母を困らせてきたからだ。
けれど、今日のミネルヴァはそれ以上にやらかしていた。
食事の席では食器を落とし、アドルフの手伝いをして、書類を床に散乱させた。
ダンスの練習では最初のころよりも下手になったと思う。アドルフの脛を蹴り、何度も足を踏んでしまった。
刺繍をしたら、針を何度も指に刺し糸と生地を汚す。
何か病気かと思ったが医師は「いたって健康だ」と太鼓判を押して帰っていった。
(こういうとき、どうすればいいのかしら?)
実家にいたころは、わからないことはすべて継母に聞いていた。
そうするように幼いころから、言われていたからだ。継母は何でも知っていて、ミネルヴァを導いてくれた。
それ以外の解決方法をミネルヴァは知らない。
(アドルフさまに……は相談できないわ)
ミネルヴァが現在一番の信頼を置いているのはアドルフだ。
しかし、彼の前で症状が出るのに、彼に相談することはできない。
そんな相談をしたら、彼を困らせてしまうに違いない。
(サリに相談してみようかしら? だめよ。そんなことしたら、みんなに心配されてしまうわ)
サリはシュダルン公爵家の人間だ。もしアドルフの耳に入ったらと思うと相談は難しかった。
だって、相談内容はアドルフのことなのだ。
「アドルフさまが近くにいるときだけおかしくなる」と言えば、アドルフに会わせてもらえなくなってしまう可能性がある。
アドルフに会えなくなるのは寂しい。
彼の顔を想像したら、胸が早歩きになった。
(やっぱりどこかおかしいのかもしれないわ)
騒がしい胸を押さえる。
ミネルヴァはベッドから下りて、忍び足で部屋の中をぐるぐると動き回った。
不安でしかたない、ベッドの中でジッとしていることすらできなかった。
ミネルヴァはふと、テーブルの上に置かれた封筒を見つける。
『お茶会の招待状です。こちらに置いておきますね』
サリの言葉を思い出す。
ミネルヴァは心ここにあらずで頷いたのだ。
「そうだわっ!」
思わず大きな声を出して、慌てて両手で口を塞いだ。
ミネルヴァは聞き耳を立てる。サリが起きてくる気配はなかった。
ミネルヴァはホッと胸を撫で下ろす。
(これだわ。お茶会なら、たくさん人がいるもの)
真っ暗な部屋の中、招待状がキラキラと輝いて見えた。
お茶会に参加する令嬢たちなら、アドルフと繋がりがない。
ミネルヴァの相談で、アドルフやシュダルン公爵家の人間を困らせたり不安にさせることもないだろう。
ミネルヴァは頬を緩ませて笑った。
◇
翌日。
ミネルヴァは朝食の時間にさっそくアドルフに相談することにした。
彼の顔を見と、うまく言葉が紡げない。だから、スープに向かって言うことにした。
「アドルフさま。お願いがあります」
スープにはミネルヴァの顔しか写っていない。しかし、それが安心する。
「どうした?」
スープの奥から声がして、ミネルヴァの胸がはねる。
ミネルヴァはスプーンを強く握った。
「お茶会に参加したいのです」
今度はスプーンに向かって言った。スプーンには歪んで伸びたミネルヴァの顔が写っている。
「お茶会に参加するのは問題ないが……。何かあったのか?」
「何か……」
ミネルヴァは悩んだ。
シュダルン公爵家の人間と関わりのない令嬢たちに相談をしたいのだが、そのことは秘密だ。
ミネルヴァはパンを両手で持って、パンに向かって言う。
「お友達を……作りたくて」
パンにはミネルヴァは映らない。
その代わり、パンの奥にアドルフのシルエットが見えて、慌ててパンにかじりついた。
いい香りがして、ミネルヴァは目を細める。
しかし、すぐに状況は一変した。
「ミネルヴァ、大丈夫か?」
アドルフの顔が目の前にあるのだ。
気づかないうちに、彼はミネルヴァの側まで来ていたらしい。
彼の手の平がミネルヴァの額を覆った。冷たいようなあたたかいような。彼のぬくもりをじかに感じる。
一瞬でミネルヴァの顔に火がついた。
「だ、だ、大丈夫ですっ!」
ミネルヴァが叫ぶように言った。
手に持っていたパンがミネルヴァの手の中で潰れる。
「友達を作るのは賛成だが、無理をしていないか?」
アドルフの言葉にミネルヴァは慌てて頭を横に振る。
彼は訝しげにミネルヴァを見た。
その目で見つめられると困ってしまう。
先ほどから心臓が騒がしいし、頬が熱い。このままバターのように溶けてしまいそうだと思った。
◇◇◇
キラキラ、ひらひらの中に入るのは、ミネルヴァにとって夢のようなものだ。
以前買ったものの、袖を通していなかったドレスたち。
ミネルヴァはそのドレスの一着を身につけている。
試着とは違う。
ミネルヴァは鏡の前で自分自身を見つめた。
鏡越しにサリが笑みを浮かべる。
「お似合いですよ」
「スースーします」
肩が出ているせいだ。いつもより寒く感じる。
サリは目を細めて笑った。
「これが今のはやりですが、やはり別のドレスにしますか?」
「変じゃないですか?」
「とってもお似合いです」
サリが笑みを深めて言った。
ミネルヴァは改めて鏡の中の自分を見る。
肩の出たキラキラのドレス。ふっくらしたパフスリーブの先は、手首までレースだ。
肌の色が透けていて、どこか心許ない。
けれど、ふわふわのスカートは可愛かった。レースを幾重にも重ねたドレスはまるで芸術作品だ。
こんなドレスを着て外に出たことはない。
いや、着たのだってこの前、アドルフとの試着のときだけだ。
継母が見たら、大きなため息をつくだろう。
(けど、可愛いわ)
こういうドレスを着るのは、幼いころからの夢だった。
キラキラしていて、ふわふわしていて、可愛いと思っていたのだ。
コンコンコンッ。
規則正しいノックの音が部屋に響く。
名乗る必要などない。――アドルフだ。
ミネルヴァの胸がトクンッとはねた。
(変ではないかしら?)
このドレスを着たミネルヴァを見て、アドルフはどう思うだろうか。
そんなことを考えただけで、胸がざわめいた。
「似合っていない」と言われたら、今日のお茶会には行けそうもない。
サリがパタパタと走り、扉を開ける。
「準備は終わったか?」
「八割ほど終わりました。あとはアクセサリーを決めれば終わります」
アドルフとサリの会話が聞こえる。
ミネルヴァはあわあわと鏡台の周りを右往左往する。
「旦那さま、奥さまにご用ですか?」
「ああ、ちょっと渡すものが――……。ミネルヴァ、何をしているんだ?」
アドルフが眉を寄せる。
ミネルヴァはテーブルの下に隠れていたのだ。
すぐに見つかってしまったが。
「これはその……。かくれんぼです」
「そうか」
ミネルヴァが真面目な顔で言うと、アドルフが肩を揺らして笑った。
「ほら、出ておいで。これからお茶会に行くんだろう?」
アドルフがミネルヴァに手を差し出す。
剣だこができた手をまじまじと見つめたあと、ミネルヴァは彼の手を取った。
胸が騒がしい。
またあの症状が出ている。
早くこの症状を抑え方を手に入れて、アドルフと普通に話がしたい。
ミネルヴァがテーブルの下から出ると、サリがドレスを整えながらアドルフに尋ねた。
「旦那さま、今日の奥さまはどうですか? お似合いですよね?」
胸がギュッと締めつけられる。
コルセットを締められるときのような衝撃に、ミネルヴァは慌てて胸を押さえた。
「ああ、よく似合っている」
「ほ、本当ですか? 変じゃないですか?」
「ああ。ミネルヴァはどうだ?」
彼の質問の意図がわからず、ミネルヴァは首を傾げた。




