〔4〕
普段は県警本部の待機寮で一人暮らしをしている神崎だが、非番の日には、なるべく実家に顔を出すようにしていた。
実家は県警本部のある市から、かなり遠い成田市にある。二人の兄のうち長兄は仕事を理由に、次兄は家庭サービスを理由に、あまり年老いた両親のもとを訪ねては来ない。
末っ子の自分は可愛がられて育ったためか、どうも実家から離れられないところがあった。
珍しく週末が非番と重なり金曜日の夜遅くに実家に帰ると、思いがけなく長兄、瑛一の車が車庫にある。
「ただいま、兄さん来てるの?」
奥から母親が、嬉しそうな顔をしながら玄関まで迎えに出てきた。
「そうなの、珍しいでしょう? あなた夕飯は食べてくると言ってたけど、居間でお酒を付き合ってあげたら? お父さん先に寝てしまってねぇ……瑛一も話し相手が欲しいでしょうし」
兄が話し相手を欲しがる人間ではないと、神崎は知っていた。おおむね父も、長兄と話すのが面倒で寝てしまったに違いないのだ。
取り敢えず相づちを打ち居間に入ると、瑛一がテレビの報道番組を見ながらノートパソコンで仕事をしていた。
テーブルに暎一の好きな日本酒と、つまみが用意してある。いつ訪ねてくるとも知れない息子のために、用意を欠かさない母心であろう。
上着とネクタイは外してあったが、ワイシャツとスラックス姿である。真冬でも暖房を入れて下着のまま寝る暎一にとって、私服など必要ないのかも知れない。
「久しぶり。珍しいな、ここに顔を出すなんて」
ああ、と返事を返しながらも暎一は、モニターから目を離さない。
「明日一番の飛行機で、ニューヨークに行く。空港の近くに実家があるのに、ホテルを取ることもあるまい」
やはりそんな理由だったかと、神崎は諦めにも似た気持ちになる。もとよりこの兄から、定石通りの答え以外を期待してはいない。
「食事会の日程は、週明けにメールするよ。そっちは大丈夫なんだろうな?」
「声を掛けて貰っているけど、十人は無理かも知れない。七・八人なら何とかなるそうだよ」
瑛一は、少し困ったような顔になった。
「こっちは希望者が二十人近くいるんだ……絞るのが大変だな。まあ、礼儀として女より男が多い方がいいんだが」
「あ、じゃあ俺は出なくて良いんだな?」
「最初から、人数に入れてない」
神崎はほっとした反面、少し面白くもない。
「兄さん、先月も弥生さんのツテで合コンしてたじゃないか。自分の気に入った女性が見つかるまでやるつもりなのか?」
弥生は神崎の次兄、博人の妻である。もとスチュワーデスで、背の高い綺麗な女性だ。
「生憎、私は女性に興味はない。有能な部下を自分の紹介で結婚させておくと、のちのち便利だからな。それだけだ」
この兄は、こういう人間なのだ。何を言っても始まらない。
「大変だね、部下の面倒を見るのも」
「そうだな」
……嫌味も通じない。
そんな兄だが、どういう訳か時折変わった行動をとる事がある。
たとえば変な言葉を教え込んだ九官鳥をいきなり実家に置いていったり、海外出張の土産だと言って末の弟の自分にだけ、海外SFドラマのフィギュアや雑誌を買ってきたりするのだ。
「貴方が可愛いいからよ」と母は言うのだが、とてもそうは思えない。
確かにSFドラマはよく見るが、フィギュアを欲しいとまでは思わないし、この年で兄に可愛がられるのも真っ平だ。
嫌がらせも、ほどほどにして欲しかった。
キーボードを打ちながら杯を傾ける兄を横目に、神崎は母親が用意してくれた鰯の甘露煮をかじりながら、ビールのグラスを空けた。
「宏司、おまえは付き合ってる女性がいるのか?」
いきなり話を振られて、ビールがむせる。
「なっ、なんだよいきなり。人の心配より自分の心配しろよ、三十七にもなって独り身はあんたの方じゃないか」
「言ったはずだ、女には興味がないと。結婚は博人とおまえがすればいい。早くお袋を安心させてやれ」
「こっちの台詞だよ」
「おまえは、女に理想を持ちすぎだ」
「あんたに言われたくない」
瑛一は表情も変えない。反論しても無駄なのだ、言いたいことだけ言えば相手の意見など聞く耳を持たない。
諦めて好物に箸をのばそうとすると、小鉢はいつの間にか瑛一の手元にある。
「それは俺のだ」
「お袋からもらってこい」
ぐっ、と言葉を飲み込んで神崎は席を立つ。だが、これだけはどうしても言っておきたかった。
「俺には土産、いらないからなっ!」
兄は無言で杯を傾けた。




