お前のことが好きだから
3日ほど、経ったあとだったろうか。
会いたくてたまらなくて、けれど一番会いたくなかった奴。
「ちょっと、来い」
教室の戸口のところに立って、森咲はそう言った。
連れてこられたのは体育館裏だった。
リンチでもされるのかというある種の怯えさえ抱けそうだが、今の森咲ならそれもありうるのかもしれない。それくらい・・・恐い目をしていた。
「ユカと別れたっていうのは、本当だな」
やはり、用件はそれか。
「・・・ああ」
「なんで」
敦史のときと違いひどく静かな声音だが、森咲が腹を立てているのは明らかだった。
「なあ、京一」
俺は何も言えなかった。いや、きっと言わなかったというのが正しい。
だってそうだろ?“お前が好きだから”なんて、どの面下げて言えるという。
「何で・・・黙ってんだよ?黙ってちゃ何も、分かんねーよ」
言うわけには、いかなかった。
言ったらきっと森咲は自分を責める。悪いのは全部俺なのに、一人で被ろうとする。
「・・・本当は、分かってんだ」
森咲は自らの右手を見下ろす。
「あたしの、所為なんだ。あたしがあんなことしたから・・・」
何のことを言っているのかは分からなかったが、それはきっと違う。森咲は何も悪いことなどしていない。けれど今の森咲にそれを言ったとして、聞き入れるとは思えなかった。
「・・・お前の所為じゃ、ない」
ただそれでも、言わずにはいられなかった。
「お前が背負うべきことじゃないんだ」
「そんな気休め・・・ッ!」
要らねえよ、と呟いて森咲は本当に泣きそうな顔をした。
・・・言って、しまおうか。お前が好きだと。だから泣くなと。
言えてしまえたらどれだけ楽だろう。けれどそれで解放されるのは俺だけで、森咲は余計にがんじがらめになるだけだ。
「―なあ、分かってるか?分かってねえんだろ、京は」
「・・・何を」
「ユカがどんだけ、お前を好きだったかってことをだよ!!」
「・・・分かってる」
「分かってねえよ!分かってたら・・・分かってたらこんな、むごいこと出来るはずねえだろ!」
分かっていても、断ち切れない想いがあって。だから俺は由佳の手を取ることが出来なかった。
それがどれくらいむごいことかなんて、百も承知で。
「例え、分かってたとして・・・人を傷つけて平気な顔してられる奴じゃなかっただろ、お前は」
森咲は俺の胸に拳をぶつける。
痛い、なんて言えなかった。こんなもの、由佳が受けた痛みに比べればずっとましだ。
「ユカが傷付いたら、それと同じくらい傷付いてる奴だったんだよ。痛みを勝手に分かち合ってる奴だったんだよ。そんなお前が自分も傷付くのを分かってて、何でユカを傷付けられる?」
「・・・森咲?」
なんだ、それ。そんな言い方じゃまるで・・・俺の方を心配しているみたいじゃないか。
「ユカが傷付いて一番痛いのは・・・京じゃんか」
「俺のことなんか、どうでもいいよ」
「どうでもいいなんてことがあるかよ!!」
森咲は目を吊り上げて叫んだ。
「俺は、最低な奴だよ。傷付いたって仕方ないし、それが当たり前だ」
「そんな理屈が通るか!お前が傷付いていいはずない!!」
「全部、俺の所為なんだよ。俺が背負うべき痛みだ」
「そんな嘘くさい正義に何の意味があるんだよ!!」
森咲は一歩も引かない。あくまで、俺に背負わせたくないらしい。
「何で・・・何でそんなに俺に構うんだよ!?」
湧き起こった疑問を言い放ったとき、
「―お前のことが好きだからだよ!!」
・・・多分、その言葉に一番驚いていたのは森咲だった。
目を大きく見開いて、呆気に取られたような顔をして。
「・・・・・・は?」
やっと口に出せた疑問符に、森咲は我に返ったようだった。
「あれ、あたし今なんつった・・・?」
「何って・・・」
言えというのか、俺に。これは前に言っていた羞恥プレイじゃないのか?
俺は渋々口を開いた。
「俺のことが・・・好きだからって、言った」
「・・・まじで?」
「俺に聞くなよ・・・」
っていうか無意識に言ってたのかよ。何だか拍子抜けというかなんというか。
「売り言葉に買い言葉、か?そんな言葉軽々しく口に出すなよ・・・頼むから」
変な期待を、してしまうから。そんな想いを言外に滲ませて言った。
「・・・別に、嘘だなんて言ってない」
「何が」
「お前が好きなのは・・・本当だよ。多分」
何だ、多分って。
「口に出すまで気付かなかったんだよ、本当に」
あたしも鈍感だなぁ、と森咲は笑った。
「でもお前・・・榊は」
「榊?榊がどした?」
「いや、榊と付き合ってるんだろお前」
今度こそ本当に、奴は呆気にとられた。
「・・・何言ってんの、京の字?」
「え?」
「何だよまた人違いか?耳鼻科行けよもう。あ、耳鼻科じゃ聞き間違いは治んねーか」
いや・・・じゃああれは何だ。
「だって二人で公園に・・・」
「ん?・・・あああれか、また覗いてたのかよ、本当に趣味悪いな」
森咲は拳を解いて人差し指を突きつける。
「お前は、ユカと公園に行かねーのか?行くだろ?行ったら付き合ってることになんのかよ」
「なりません・・・」
「分かればよろしい」
人差し指を下ろして、森咲は後ろを向いた。
「なあ、京一・・・」
「ん?」
「やっぱり、あたしの所為なんだよな」
「そんなこと、」
「あたしの気持ちを分かってたから、ユカは京を振ったんだよ」
「・・・それは」
違う、と言いかけて思い止まった。
本当にそうか?もしかしてユカには、俺と森咲の両方の気持ちが分かっていたんじゃないか?
「・・・どう、なんだろうな」
ただそう呟くだけにとどめて、俺はユカに一生かかっても返しきれない借りが出来たことを悟った。