5の十二 別れ
「ねえライラ。ボク二月十五日に消えちゃうんだって。」
シリル消えろとヤンキーのような言い草でシリルを追い出したフェル。
その後で「魔石無くなったから買ってきて」と言う時と同じ軽い調子でフェルはライラに伝えた。
フェルは魔獣だ。強いものにしかくみさない。
黄色属性しか使えないという欠点があるが上位魔獣だ。
黒属性の攻撃が得意ではなかったが…彼の「あの方」は黒属性なので無問題だった。
治癒はできないが空間魔法や物理攻撃は得意なフェル。
そんなフェルが「あの方」が眠った後も人間を関わっていたのは…ある約束のためだった。
フェルの主人は非常に優しい。そして愛情深い。
人間がわかりやすいように黒竜の儀だと名前をつけ、自分の力を人間に渡した。
人間はすぐに死ぬので千年も経てば愛した人の子孫といえど面影などない。
それでも「あの方」は千年前の約束を今でもずっと大切にしているのだ。
いくら子供のためだと言われても「あの方」の方がはるかに大事だったフェルはそんなことをする意味がわからなかった。
人間は醜い。フェルはよく知っていた。
もう加護を与える必要がないのではないか、長年争い続ける中で何度もそう思った。
それでも魔獣らしく自分よりも強い主人の期待に応えるべく、ウヨウヨとしている人間の中から一人を探せという無茶な課題にも取り組んだ。
ーーー黒竜さまは秀策とやるかくれんぼ好きだったからボクにもやらせたかったのかな?
ライラと契約した後は力を使うのは控えた。
ガラス細工のように脆くはかないライラはフェルが自由に魔法を使ったら壊れてしまうと思ったのだ。
たくさん我慢もした。
竜の愛し子、またその子孫に手を出すのはタブーなのだ。
だから赤竜の加護がだいぶ薄まったプロイセンの王族が攻撃しても必死に我慢していた。タブーに引っかかる恐れがあったから。赤竜の命を担保にした献身を現在進行形で台無しにしている子孫達を愚かだなとは思ったが…わざわざ教えてやる義理などない。
フェルが大事なのは「あの方」だけ。
ーーーフェル、ボクの子供達を導いてやってくれ。
今目の前でぽかんと口を開けてフェルを見るライラ。
愛しくないわけではない。
フェルからすると分かっていたことだが…ライラにとっては違ったようで。
ライラは急なことに頭がついて行っていないようだ。
ライラとは対照的にフェルはようやく終わるという気持ちが強かった。
一緒に眠らせてくれと頼んだのに一人だけ取り残されたフェルは涙の魔石が丘になってしまうほどに泣いた。
今すぐにでも「あの方」のもとに行きたいという思いは変わっていない。
自分になつくライラを見ると情はわくが、ライラとフェルは時代が違うのだ。
何故気が付かないんだろうと不思議に思いながら「黒竜の器」を探す人間達を見守る。
しかし「あの方」も焦っているようだ。ミシェーラに悪夢ばかり見せている。
赤竜の動きに気がついていないようだ。フェルなりにジョシュアにつきまとって伝えているつもりなのに。やはり力が衰えているのだろう、聡明な「あの方」らしくないとフェルは思った。
ーーー「あの方」の力に頼り切って救国をしようとする人間に加護を与える必要はある?
加護を与える気満々なのはわかる。
だって次代が王族が大好きでたまらない様子なのだ。
記憶が覚醒していなくても黒髪で色白な王族が大好きな次代は確実にあの方の血を引いている。
とはいえ、フェルもジョシュアのことは嫌いではない。
「そうか…ミシェーラに言われたのかな?」
ライラと一緒になってぽかんと口を開けているパーシヴァルのことも嫌いではない。
パーシヴァルは契約の解除を頼んだときに話したのだが何故驚いているのだろうとフェルは不思議に思う。
ーーー今の黒の王族は…秀策に似ている。
異世界に飛ばされて死にかけながら江戸に残してきた自分の家族を心配していた秀策。
「わたしは最強ではない。ーーー最強であればどうして国民を死なせてしまうのだ。」
ジョシュアがフェルしかいないときに独り言のように漏らしていた。
大勢を救うためには多少の犠牲は必要だと教えられているだろうに…自分なら全員を助けられるはずだともがく姿。
ーーー睡眠と食事が必要なくなる程体を作り替えるなんて…ジョシュアにはどれほどの苦痛があったんだろう?
ジョシュアの自分で全てやってしまおうとする強欲さがフェルには心地よかった。
やはり王はそうあるべきだ。国で一番強欲な者が王になるべきだと思う。
ジョシュアは抜けているようでいて「自分がなんとかしなければいけない」とわかっている分出来がいい。
周りが「普通」を持ち出してこようと、国のために動くことができる人間はまれだ。「普通」とか「慣習」のしがらみはものすごいのに。
隣国の赤竜の愛し子は何故かわからないが自分が一番上に立とうとしない。それでこじれている。
ライラはしばらく呆然としていたが…ひどく優しい顔になった。
「…フェルは悲しくないんだね?」
ライラの問いにフェルは空中を旋回して同意を示す。
「それならよかった」ライラはふにゃりと笑った。
「ボクは自分の命の使い方は自分で選ぶよ。ーーーボクがいなければ涙を拭くのも忘れるライラを置いていくのだけが気がかりかなあ。」
フェルはそう言って鞄から浮遊魔法でタオルを取り出しライラの目元にふわっと当てた。
ライラはクシャリと顔を歪ませた。
ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ーーーわたしの家族はみーんな先に天国に行っちゃうなあ。」
「…ごめんねライラ。でもこれは決定事項なんだよ。プロイセンと赤竜がおバカだからいけないんだけどさ。」
フェルは「ライラが死ぬ」という確定した未来を変えるために自分の力と命の残り時間を対価として差し出していた。
赤竜がフェルに断りも入れずに巻き込んだ。無責任なやつだと文句を言ってやりたいが何しろすでに眠ってしまっている。
どんなに理不尽だと罵ろうが相手は「現実」。勝ち目はない。
赤竜やフェルは世界の理に近い存在であるためまだ対価を差し出せば選ぶことが許された。
ポロポロと泣くライラの横でずっと黙り込んでいるパーシヴァルをフェルは見た。
「パーシヴァル…一個聞いてもいいかな。」
パーシヴァルは怪訝そうな顔になった。
しかしフェルは睨まれても気にした様子はない。
至極真面目な声でいった。
「ーーープロイセンの真っ白な城、全部塵にしたら怒られるかな?」
「…は?」
突然の質問。
パーシヴァルはぽかんと口を開けた。
聞こえなかったのかと思いフェルがもう一度言うとーーーパーシヴァルが「聞き間違えじゃなかったのか」と頭を抱えた。
何をする気だよとパーシヴァルに睨まれるもフェルはチロチロと舌を出しただけだった。
パーシヴァルは「はあ」と聞こえるようにため息をついた後でーーーにっこりと毒々しい笑みを浮かべた。
「王族としては外交問題になるからと言いたいところだが…ライラとの契約が切れた魔獣がたまたま暴れても、うちの国に責任はないと思うな。」
パーシヴァルの言葉にフェルは「わーい!」とはしゃぎだした。
「最近全く暴れ足りなくてさ。ーーーほら、ライラってガラス細工並みに脆い魔力の器でしょ。ボクの力を使ったらパリンって弾けちゃうんじゃないかって心配で。」
フェルのあんまりないいようにライラが涙目のままで「ひどい」と拗ね始めた。
「器が薄いのは生まれつきなの。ーーーというかしんみりさせてよ!なんでそんなにいつも通りなの!」
泣き止んだ後で逆切れまで始めたライラを見てパーシヴァルがほっとした顔になった。
「ボクの器はそりゃあライラとは比べ物にならないし。…早くパーシヴァルに契約解除してもらってひと暴れしてこようっと。」
フェルはそう言いながらパーシヴァルに意味ありげな視線を送る。
「うつわ?黒竜の器ーーーまさか。」
フェルが約束ギリギリのヒントを与えたことでようやく気がついたようだ。二人が気づいた。かくれんぼは終わり。
「もーいいよ。」
声が聞こえた気がした。「あの方」の優しい声。
ふざけたようなやりとりの後で…フェルはやり残したことを始める。
今いる役割者はみんな黒竜自ら選んだ人間だ。
誰一人として欠けさせるわけにはいかない。
ライラを契約から自由にするのが急務だ。
フェルの力が弱まっているからこそパーシヴァルの力で契約を外すことができる。二人きりの時にパーシヴァルにはもう一度「ライラを置いていくのか」と聞かれた。
「ーーーボクが置いていかれたんだよ?」
パーシヴァルは意味がわかっていなさそうな顔だった。
フェルもわかってもらおうとは思っていないのでさっさとその場からいなくなった。
二月十五日…ミシェーラはフェルが「消える」と言った。
消えるということは誰かに攻撃されるとかそういったことではないのだろう。
フェルは魔力の減り具合から目処を立てている。
そして自分の意志で消えることができると予想していた。二月十五日はフェルが自分の限界として予測していた期日よりも少し早い。
きっとライラの限界がその辺りなのだろう。
ヤナの黒魔法や怪しい魔術具のせいでライラの寿命は随分すり減っているようだ。
最後は元の姿に戻ってから崩壊が始まると考えていい。
つまりフェルの小型化が溶ける。フェルは自分の体が人間の生活圏ではおさまらないくらい大きいことを重々承知していた。
場所も考えなくてはいけない。
そこでフェルは愉快な作戦を思いついた。
ーーー最後の巨大化ついでに、ノイシュヴァイン…なんちゃら城を壊すか。
ジョーワに浮遊魔法の魔法陣の完成をせっついたり、ライラに動けなくなる前に休むことを約束させたり、ジョシュアに魔石をせびりに行ったりーーーフェルはいつも通りにやりたいことをやって過ごした。
二月十五日。フェルの命日となる日。
色々と準備をしていたらあっという間に当日だった。
ライラとフェルはいつもどおり過ごした。特別なことはしなかった。
二人にはいつも通りが特別だった。
ジョシュアとパーシヴァル…シリルまで王宮にいなかった。
地方で他国との小競り合いが発生したらしい。
タイミングからして明らかにプロイセンが絡んでいる。
パーシヴァル、ジョシュア…そしてシリルは「プロイセンが何がしたいのかわからない」という意見で一致していた。
「あまりにお粗末な作戦だ。女王陛下はそこまで短慮な方ではないのだが。」
シリルが苦々しい表情で言った。
パーシヴァルも頷いている。
「最強位戦明けくらいからあからさまに攻撃してくるようになったよな。…しかもシリルは決して巻き込まないように自国から締め出しながら。」
何か言いたげな目でパーシヴァルがシリルを見る。
シリルは気がついていない。
ジョシュアは二人の会話を黙って聞いていたが…
「国民を助ける、それが何よりも大切なことで、命に比べれば他は全て些細なことだ。」
そう言って立ち上がった。
ジョシュアはフェルとライラの方を向いた。
「ーーーすまない。わたしはいかなければいけない。」
ライラは「お気をつけて」と心配そうな顔でジョシュアを見ている。
フェルも「早く行ったほうがいいよ」とジョシュアを急かす。
「プロイセンから攻撃があるだろうから心配しているの?ーーーボクをなんだと思ってるの?ライラ一人くらい守れるよ。」
ジョシュアはフェルとライラを見た。
そして頷いた。
「こちらを片付け次第すぐいく。ーーーくれぐれも死なないように。」
ジョシュアはライラに向けて言葉を発した。
フェルには言わない。皆がミシェーラの予言の日であることを認識していた。
歩き出したジョシュアの後ろをシリルとパーシヴァルが追いかける。
パーシヴァルはジョシュアの顔が強張っているのを見てーーーふっと笑った。
「あいつらはジョシュアが国民を選んだら喜ぶよ。自分たちを助けろなんて言ったりしない。」
ジョシュアはなんでわかったんだと言いたげな表情でパーシヴァルを見た。
パーシヴァルがお前以外と顔に出てるぞ?とジョシュアを呆れ顔で見た。
ジョシュアがクシャリと髪をかき混ぜた。珍しい仕草だ。
「ーーージョシュアの表情の変化なんて俺には全くわかんねえ。」
そんな二人のやりとりを後ろで聞いていたシリルがボソリと呟いた。
ジョシュアたちが出払ったのをまるで見ていたかのようなタイミングで、リンリンリンと鈴の音が鳴り響いた。
現れた魔法使いは三名。
ライラとフェルはわざと捕まった。
いいかげん遠隔攻撃されることにうんざりしていたのだ。
敵がわざわざ自分たちのアジトに連れて行ってくれるというなら…大人しく捕らえられてやろうと事前に決めていた。
ーーーフェルの演技が棒読みすぎてバレると思ったけどな。
ライラはハラハラしたのだ。捕まったからではない。
「マイッタナー!マホウガツカエナクナッタ!」
フェルの棒読みっぷりに吹き出しかけたのだ。慌てて咳き込むフリをして笑いをごまかし、真顔に戻ったが。
ミシェーラの予言から見ても、ジョシュアの証言からしても、何かが起こるのはプロイセンだった。
ライラはグルグル巻きにされて担ぎ上げられた。
魔物封じの檻に大人しく入ってやっているフェルを見て…ライラがふわりと微笑んだ。
「フェルーーー今までありがとう。」
ライラはそこまで鈍くない。
フェルに大切な誰かがいるのには気がついていたのだろう。
その後を追いたがってることも。
ーーーフェルがこの終わりを受け入れるならわたしも笑って見送るよ。
ライラは叫び出したくなるような心に蓋をして、フェルを見つめる。
フェルは「ド派手に散ってやるから見ててね」とウインクまでかましてきた。
ライラは笑った。笑ったつもりだった。
フェルが切なそうな顔で見てきたので失敗したのかもしれないとは思った。
そこで魔法使いたちはライラたちが小声で会話していることに気がついたらしい。「あれを使うか」という声の後で素早く何かの薬品を嗅がされた。
慣れ親しんだフェルの魔力が怒りに震えるのを感じとりながら…ライラの意識は暗転した。
◯
ライラはドオン、ドオン、という鈍い音で目を覚ました。
薬によって眠らされた後で放り込まれたのだろう。
冷たい石造りの暗い部屋だった。
窓がないため、外の明るさはわからない。
しかし、ジメジメと湿った空気が、どこかの地下室なのではないかと思わせた。
頭はガンガンと金槌で殴られているように痛んだし、どこか意識は朦朧としていた。
蝋燭しかない薄暗いはずの部屋は、黄色の魔素によって絶えず発光しているフェルによって、照らされていた。
フェルの発する光が、あふれんばかりに散らばっている黄色の魔石に反射して、部屋は昼間のように明るかった。ライラはあまりの眩しさに目を細めたほどだ。
ライラがわずかにだが身体を動かしたことで、ライラの手足に繋がれた金属の鎖がジャラリと鳴った。
フェルはそこで、ようやくライラが目を覚ましたことに気がついたらしい。
目で追えないほどに素早くライラの前に移動した。
「ライラ具合はどう?…もう少し我慢してね。ボクが助けてあげるから。」
フェルの心配そうな声に、ライラは横たわったまま、力なく笑った。
ライラは自分に残された時間があまりないのがわかった。
フェルが何をするつもりなのかは知らされていないが既に手遅れなのではないかと感じた。
先ほどから、頭は燃えるように熱いのに、手の先、足の先は冷たくなっていっており、力が入らない。
フェルを撫でてあげようと手を上げかけーーー鎖の重みによって断念した。
いつもの半分も力が入らない。
思わず顔をしかめたライラを見てーーーフェルは苛立ったように身体をくねらせた。しかしフェルから感じられる魔力は不気味なほど静かだった。
フェルがクルミとの契約を書き換えてライラに繋いだのが一週間前。
フェルとライラは今はパスがつながっていない。
それでもライラはフェルが何かとてつもない魔法を使おうとしているのがわかった。
今までフェルは呼吸するのと同じように魔力を動かしていた。
そのフェルが何かに集中して魔力を練り上げているのだ。大技を繰り出そうとしているのだろう。
ライラはフェルを信じている。
だから仮に身体がすでに動きづらくなっていようとも、彼が助けると言うのであれば、泣き言は吐かなかった。
フェルの集中を途切れさせると悪いと思ったのだ。
一分だったのか、十分だったのかーーーライラにとっては永遠とも思える時間が流れ…フェルが「よっしゃー!準備完了!」と叫んだ。
びっくりしたのか目を見開いているライラに、フェルは笑いながら近づいた。
そして、頬にキスするように、コツンと口先をぶつけた。
フェルが自分からライラに初めて触れた瞬間だった。
少しフェルの魔力が自分に流れ込んだのをライラは感じた。
元のパスの名残か、意識が朦朧としているせいか、ライラに変化はわからなかった。
だがなぜだろう、ライラはフェルを見ていると、ひどく落ち着かない気持ちになっていた。
ーーーああ、フェルがいなくなってしまう。
ライラとは反対に、フェルは非常に穏やかな様子だった。
声色には達成感や満足感が感じ取れる。
「待たせてごめんね?ーーーボクの最期の大魔法ちゃんと見てて。」
そう言って、フェルは目にも留まらぬ速さでライラの周りを一周した。
そして、自分の周りに浮き上がった魔法陣を見てーーーライラは息を飲んだ。
ーーー時空魔法だ。見たこともない記号…古代語か?
フェルが陣の中心、ライラの真上に移動した。
「ボクの魔力を使って、ライラの命の時間を止めるんだ。たぶん一年くらいしか持たないけどーーーそれまでに、黒竜の儀があるから大丈夫。」
ライラははじめ、フェルが言葉の意味がわからなかった。
しかし、フェルが魔法陣に込める魔力の量を感じーーー悲鳴をあげた。
尋常ではない量の魔力の渦が部屋の中で渦巻いていた。
生き物が出せる魔力量ではなかった。
現に、徐々にフェルが自分の形を保てなくなったのか、ぶくぶくと体が大きくなり城の地下室を突き破った。
フェルが巨大化するに連れフェルから溢れる魔力も増えて行った。
渦巻く竜巻のような魔力の渦の中に城の備品とみられる椅子や扉などが見えた。
今やライラを封じる鎖さえ破壊されているのだがーーー二人はそれに気づかない。
「フェ、フェル!まさか、フェルの魔力をわたしに移そうとしてるんじゃーーー?」
『半分正解かなあ?ーーーライラの器にボクの魔力は入りきらないから、移動させるのはほんのちょびっとだけ。大事なのはーーーあの方が得意だった、時間停止魔法。ボクのは不完全だけどね。一年くらいはもつよ。』
フェルの姿は完全に渦と一体化して見えなくなっていた。
なぜか脳内に直接フェルの声がする。
ライラは、光の渦の中心で、ただただ、声を失っていた。
フェルがいなくなる…その後では自分も死ぬのだと漠然と思っていたのだ。
命の時間は増やせない。
ただ、一時的に止めることはできるーーーフェルは自分の命と引き換えにライラに時間を与えようとしていた。
「…フェル。わたしはフェルの時間を奪ってまで生きたいなんて思えないよ。」
ライラの呟きに、フェルの怒ったような声がした。
『何言ってるの、ライラが死んだら全部おじゃんだよーーーというか、そんな悲しいこと言わないで。ボクにとって、この世界にはもう、ライラより大切な存在なんていないんだから。』
フェルの声は切なさを含んでいてーーーまるで泣いているように聞こえた。
ライラは、今までずっと聞きたかったことを尋ねる。
「フェル、あなたは何者なの?わたしはあなたのどういう存在なの?」
最後のライラの懇願にもーーーフェルは笑うだけで答えなかった。
「あの方」との、約束だと言って。
しかし、一つだけ、ヒントをくれた。
『ボクとライラの名前を魔法言語でスペリングしてごらん?ーーーあの方が、人間みたいでおしゃれだろうって、つけてくれたんだ。』
「フェルの名前?ーーー確か、FELUVIERO ROOVYE?」
ライラは、杖から出した魔力で、床に名前を書きつけた。
ライラを取り巻いて…城の崩壊から地下室を守っていた光が徐々に収まっていく。黄色い魔素が消え始めていた。
ライラは身体を動かせるようになっていた。
ライラの目からは、止めどなく涙が流れ落ちている。
そんなライラの頬を今や消えかけている黄色の魔素がさらりと撫でた。
フェルはいなくなってしまった。
ライラに「1年間」という時間を与えて。
そしてライラにとっては、重すぎる事実を残して。
「フェルーーー君は、黒竜を愛していたの?」
FELUVIERO ROOVYEは、「I LOVE YOU FOREVER」。
そして、LAIRACK GABMONDはーーー
「I AM BLACK DRAGONーーーフェル、わたしは黒竜さまじゃないよ…でも、名前が同じだったから、探して…同じように、愛してくれたのかな?」
ライラの呟きは虚しく天井に穴があいた地下室から曇った空へと消えていった。
いつも横に浮かんでいたフェルはもういない。
◯
「ライラが連れ去られた。」
予定調和ではある。
それでも心配だ。
プロイセンが扇動したと思われる戦いからジョシュアたちより一足先にプロイセンへと戻ってきたシリルは息を飲んだ。
フェルから言われて城から王族をはじめとする魔法使いを避難させた時点で何かが起きるのだろうとは思っていた。
シリルと同じように茫然と立っている魔法使いの数は…百人近いだろうか。
彼らは目の前に広がっている光景が信じられなかったのだ。
城が跡形もなくなくなっていた。
今夜にも死ぬ、そう聞かされていたライラがーーー廃墟と化した城跡の中心、そこだけ壁の残った石造りの部屋にポツンと取り残されたように立ち、静かに涙を流していた。
ライラに近寄っていき…ライラの手首につけられていた鎖を見て、シリルは顔色を変えた。鎖の形をした魔道具は壊れているようだったが万が一のことを考え、シリルは完璧に破壊した。
魔力の流れを止めるものだったからだ。今の状態のライラには致命傷になりかねない。
しかし、ライラの暗殺を企てた王族は違う点が気になったようだ。
顔を真っ赤にして何やら叫び立てている。
「ーーーなぜ、城がなくなっている。何故、あの子供は生きている。何故髪色は変わっている?」
叫んだ王族の疑問に答えを持つものはいなかった。
プロイセンの魔法使いたちは誰につけばいいのかわからないのだろう。
ライラに寄り添うシリルと怒り狂っている魔法使いを困惑した表情で見比べている。
混沌とした状況の中、シリルはぺたぺたと頬や首筋に触れ魔力を流すことでライラを調べーーーほっと肩を落とした。
ライラの具合は魔力の鎖がつけられた跡があった割には悪くなかったのだ。
それどころかーーー
ーーー魔力の渦が収まっている、それに、なぜか病も完治している?
シリルが息をついたとき…リンと鈴のような音がした。
ざっと皆が跪く。
何もなくなってしまった平野には似合わぬ真っ赤なドレスに身を包んだ女王が現れた。
「何故、ライラックは死んでいない?ーーー何故、何故…お前らはそこまで役に立たない?…シリル。あの子どもを殺せ。」
シリルは聞こえてきた声にびくりと肩を震わせた。
いつも通り目を合わせないところは変わっていない。
しかし彼はいつも通りではなかった。
初めて女王の命令遂行に躊躇したのだ。
仲良くなれた異世界の同胞。
はじめは敵だと思っていたが今ではかけがえのない友になっている。
「シリルーーーできないのか?」
シリルは女王の感情のこもっていない声を聞いてびくりと震えた。
シリルの赤い瞳は伏せられたままだ。女王が何か懇願するような顔をしていることに全く気がついていない様子だった。
「シリル…お前までわたしを裏切るのか?」
女王はシリルに呼びかけつつ…何かに気がついてほしい、そう言わんばかりの顔をしている。
シリルは必死に思考を回しているのか全く気がついていないようだが。
ジョシュアとの約束。
女王への忠誠。
シリルは二つを天秤にかけーーー諦めたように胸に手を当てた。
了承の合図だ。女王が違うと言いたげな顔になった。
シリルが命令遂行のためにライラの首へと手をかける。
ライラは色なしであって器が脆い。
シリルほどの魔法使いが大量の魔力を流せば消えて無くなるだろう。
シリルなりに苦しみのない殺し方を選んでやろうとしていた。
細い首筋とーーーその真っ白な肌に浮かび上がった見慣れぬ竜の跡を見ながらシリルは悲しそうに目を伏せた。
シリルはこの数ヶ月間ブリテンの魔法学園で積み上げてきたものが全て崩れ去っていくのがわかった。
ーーーああ、きっとジョシュアにみんな消されるな。
シリルは結局女王に弱いのだ。止められない。どれほどその行為が愚かであると頭ではわかっていても。
女王とシリルを見比べ茫然としているライラの前に、ひざまずく。
そして、悲しげに顔を歪めたまま笑う。
「僕の大好きな人は怖がりなんだ。ーーーライラは邪魔なの。プロイセンの彼女の王政を脅かすものを、放置するわけにはいかないんだ。」
ーーーごめんね?
そう呟き、シリルはグッと目を閉じた。
ドカァアン!
シリルが魔力を込めようとした瞬間、ものすごい衝撃が走った。
シリルはとっさにライラを庇うように受け身を取ったがーーー目の前に立つ人物を見て、悔しさと安堵をぐちゃぐちゃに混ぜたような顔になった。
ーーーああ。俺はライラを殺さないで済む。…ジョシュアには嫌われただろうけど。
シリルがジョシュアの圧を受けライラの手を離す。
降参とばかりに両手をあげた。
すかさずシリルを攻撃したジョシュア。
身体強化のみを用いているのはライラの安全を考慮したためだろうか。
シリルが攻撃を避けるために飛び退ったそのすきに。
ジョシュアがライラを回収した。
「ーーージョシュア=シャーマナイトがなぜここに!?」
「おかしい。陽動はどうなった、イタリア勢は失敗したのか?あの役立たずがあ!」
グレイトブリテンの正装である漆黒の軍服を身につけたジョシュアは戦場から転移してきたようだ。腰に下げられた剣は普段の装飾のついたものではなく実践用の無骨なものだった。
ジョシュアが転移魔法を使えることを把握していなかったらしい傍系王族たちが怒ったように叫んでいる。
彼はなぜかホコリ一つついていない。
そして、腕の中には…シリルから取り返したライラを抱えていた。
突然現れたジョシュアに抱えられているライラは目を白黒させている。
状況について行けていないようだ。
そんな中、ジョシュアは腕の中にいるライラを見つめ、ポツリとつぶやいた。
「お前、髪の色変わったか?」
「ーーーええ、フェルが…。」
それだけ言って、ライラの瞳からは再び涙がこぼれ落ちた。
その様子を、ジョシュアは静かに見守っている。
表情は変わらないものの、ライラの涙を拭う手つきは優しかった。
そして、ライラにだけ聞こえるように、身を寄せた。
ジョシュアが身に纏う黒薔薇の芳しい香りがライラの鼻腔をくすぐる。
「ーーーフェルは自分の魔力を使ってお前の命を伸ばすと決めていたようだぞ。主従そろって、同じような相談をしてくるとジョーワが呆れていたーーーやはり、フェルの方に軍配が上がったか。」
ジョシュアの話す途中、傍系王族たちからは魔力の光線が飛んできていた。
しかし、ジョシュアは自分の周りに黒魔法の壁を作っているようだ。
ジョシュアの前に来ると、すべての魔法攻撃が無力化されていた。
爆音が響く中、ジョシュアの低音がライラの耳に届く。
「ライラ、お前は立ち上がれるか?」
立ち上がれ、てっきりそう言われると思ったライラは、ジョシュアの問いかけに困惑の表情を浮かべた。
しかし、ジョシュアの瞳に浮かぶ色を見てーーー理解してしまった。
ーーーそうだ。ジョシュア様も自分のせいで、大切な人をなくしたことがあるんだ。
ライラは、青みがかった夜明けの空のような瞳を見つめ返す。
すぐに答えなど浮かばなかった。
ーーー立ち上がれ、辛くても。
そんなことはジョシュアには言えなかった。
痛いのだ、心が痛くてたまらない。
こんな思いをするくらいなら、自分が死にたかった。
でも、もう大切な人たちは戻らない。
それでも生きていけるか?
ジョシュアは立ち直った。彼には背負うものがあったから。
グレイトブリテンの国民が、彼の支えだった。
ライラは、どうだろう。
ジョシュアの問いかけにーーーライラは首をふった。
「フェルを失った今ーーーわたしは本当のただの色なしになりました。王族の方に仕え続けることもできませんし…フェルは一年で黒竜の儀に行けと言いましたが、フェルがいなくなったわたしがついていって、何かお役に立てるとは思いません。」
ライラの言葉をーーージョシュアは自分の口元に人差し指をたてることで遮った。
これ以上は喋るなというような仕草に、ライラは思わず黙り込む。
口をつぐんだライラを、ジョシュアが見つめる。
「わたしが聞きたいのは、お前が、どうしたいかだ。ーーー結局立ち直るには、心を強く持つしかない。全て失ったという今のお前は、何を望む?」
ジョシュアの問いかけにーーーライラは思った。自分が何を望むかって?
そんなのは決まっていた。
「わたしの夢は変わりません、黒竜さまをお助けすること。フェルのくれた時間を、黒竜さまと王族にーーージョシュア様に捧げたいです。」
ライラの言葉にジョシュアはうなずいた。
「共に戦い絶対に黒竜さまをお助けしよう。」
二人が見つめ合い、うなずいたとき…パンパンと手を叩くものがあった。
「話し合いが終わったならこっちの状況も整理しましょう。」
フェルは黒竜の魔力から生まれた黒竜のしもべのような魔獣のうちの一体でした。知能が高く人間の感情をよく理解していましたので、黒竜から役目を預かった存在です。自分の主人が眠った時に、フェルと同じように生まれた兄弟たちは皆消えました。一人だけ残されたフェル、それでも役目をまっとうした彼のことを黒竜は誇りに思っているでしょう。
作者の例の世界的有名作好きはすけて見えていたと思うのですが、(駅のホームに壁があると突っ込んでみたくなりますよね?)名前のトリック。気がついていた方いるでしょうか。フェルの名前は登場時しか出てきていませんので、気がついた方は天才だと思います。ぜひ教えてください。