5の十一 試験とかいてしれんと読む
学園の森に初雪が積もった。
特別寮の自室から見える景色は一面の銀世界である。
時折動くのは真っ白な冬毛になったオレーンだろうか。
雪に反射した太陽の光が冬の黒の魔素に混じってキラキラと輝いている。
最強位戦が終わり十二月になった。
最近のライラはご機嫌でいられない。
問題が山積みなのだ。
一つ目はーーーフェルの不調である。
黒の魔素が増えると黄色の魔素でできたフェルの力はどんどん弱まる。
反対にフェルの不調の原因であるヤナは非常に元気になってきた。
有り余る黒魔法のパワーでフェルを追いかけ回すのだ。
シリルが言ってもやめないらしい。
「好きなんだよ。フェルには悪いけど後少しの間だから構ってやって。」
自分のペットは責任を持って飼うべきだ。丸投げはよくない。
シリルへの文句は聞き流されるため、ライラはフェルに避難しててもいいよと言っているのだが「こんな状況でライラのそばを離れられるとでも?」と言われてしまう。
いくら弱っていてもライラよりは何倍も頼りになるフェルだ。
ライラもできることなら近くにいて欲しかった。
何しろライラの周りは最近物騒なのだ。
今もヒュン!と言う音を立てて急にナイフが飛んできた。
キーンと音を立ててデニスが弾いている。
デニスは今にも人を殺しそうな目でナイフが出てきた空間を睨みつけた。
ーーーこんなか弱い色なしを暗殺しようなんてどこのどいつだ!
ライラはブルリと震えながら内心でナイフを転移させてきた相手への呪詛を吐く。
転移魔法を使っている時点で相手も身元を隠す気がなさそうなのだが。
ライラは命を狙われているという事実を身をもって実感することになっていた。
下手くそな笑いを浮かべてデニスにお礼を言うライラ。
デニスがそんなライラを見て悔しそうに「笑わなくていい。お礼もいらねえ」と呟く。
シリルは素早く何処かへ飛んでいたが…いつも通り手ぶらで帰ってきた。
「ーーーやっぱり捨て駒を使ってるみたい。…ほんっとうにろくなことしねえな。」
ライラにとって唯一救いなのはなぜかシリルがこっち側らしいという事実だけだった。今も恨めしそうに飛んできたナイフを熱でドロドロに溶かしている。彼も相当現状は腹に据えかねているようだ。
フェルは黙ってライラの攻撃を他のものが弾くのを見守っていた。
その黒の瞳が何を考えているのかはわからない。
ただ、フェルと魔力で繋がっているライラは…ふつふつと湧き上がるような温度を感じていた。
フェルがライラに害をなすものへのライラ怒りをつのらせていることだけはわかった。
「…シリル。女王と連絡は取れたの?」
不自然なほど穏やかにフェルが聞く。
シリルの表情がこの世の終わりのようになる。
ーーーシリルはなぜか王宮を出禁になったらしい。プロイセンの内情がわからないそうだ。
「俺を今出禁にしてる余裕なんてないだろ…本当に何を考えているんだ。陛下もみんなも。」
苛立ったようにシリルが吐き捨てていた。
ライラの心のオアシスは王族二人とミシェーラである。
実はついこの間まで三人とも学園に来ていなかった。
特別寮の談話室で密談しているのをクルミにこっそり探らせたところ先読みによくない未来が出ているらしいとのことだった。
「ライラ、時がくれば話すから盗み聞きはやめなさい。」
ジョシュアに捕まったクルミが連れてこられたのでライラはそれ以上の情報を知らない。
ただ、ジョシュアに怒られたことがショックだったのかライラが泣きそうな顔になっていたのでジョシュアが頭を撫でていた。
ライラはクルミを放ってよかったと笑っていた。反省していないとデニスには呆れられていたが。
ライラを見て何か思うことがあったらしい。
次の日からパーシヴァルとミシェーラも学園に戻って来た。
「学生は学生らしく学校に行けって。ーーー今更子供扱いしやがって。」
パーシヴァルが悔しげに言っていた。
ミシェーラも同じことを言われたとかで口を尖らせていた。
そんなジョシュアは学園にやってくると必ずフェルを呼び出すようになった。
フェルを連れていく間はジョシュアの黒魔法をライラにかけていってくれるのでライラは非常に喜んでいた。
…皆が緊迫する中でライラは比較的元気だと言えるかもしれない。
今もナイフのショックから戻ってくると喫緊の問題…期末試験と卒業試験のダブルパンチへと向き合い始めた。
来年黒竜の儀への参加を義務付けられたライラはなんとしてでも今年中に中等部を卒業せねばならない。
そのために王族に口利きしてもらい、飛び級するには足りなかったであろう成績を大目に見てもらったりしているのだ。
ーーーなんとしてでも試験に合格しなくては!
ライラは強い。
純粋な力はからっきしだが心は強いのだ。
だから、自分への暗殺計画が進められている現状や家族同然のフェルがどんどん弱っていってる不安に押し潰されそうになりながらも、日々やるべきことに向き合い、必死に自分を鼓舞していたのだ。
ーーー黒竜さまを助ける夢には確実に近づいているしね。
プロイセンに狙われているというのはとても恐ろしい。
しかし一方でなぜライラを狙うのか考えてみたのだ。
そうすると…黒竜の儀に自分が関わっているのではないかという確信に近い思いがライラには生まれ始めていた。
…正確には自分が契約しているフェルが、と言った方が正しいだろうが。
ーーー黒竜さまのため、フェルのため、王族のため…自分のために。わたしは卒業するんだ。
ぐっと気合を入れ直したライラに…ミシェーラから呆れた声がかけられた。
「ライラ、この魔法薬学の薬草名微妙に違っているわ。イッタールッタじゃなくてイッタールターよ。…調合法も逆になってるわね。」
ライラの膝の上に座ったミシェーラがビシッとライラのノートを指差した。
ライラが無言で消しゴムを使っている。
卒業試験の筆記は九科目。(卒業試験を通る実力があれば三年生の期末試験はまず落ちないというのがデニスの話だ。)
実技はデニスとミシェーラとペアなので問題ないと言われている。ジョシュアからのお墨付きまでもらった。
パーシヴァルを除けば実技ぶっちぎりのデニスと建築魔法で抜群の才能を発揮するミシェーラはなんだったら二人でも卒業可能らしい。持つべきものは優秀な友達だ。
なのでライラは魔法史学、反魔法学、属性学、魔法倫理学、魔法陣学、魔法医薬学、魔法詠唱学、魔獣学、黒魔法学…この九教科を合格すればいいのだ。
最強位戦が終わって息つく間もなく「ライラを合格させる隊」が発足された。
同じタイミングで飛び級したはずなのにもうすでに合格できそうなデニスやミシェーラ。
元から優秀な上に一年の留年を経て余裕しかない…しかもパーシヴァルに放って置かれて若干拗ねているレイモンド。
魔法陣学と黒魔法学だけを見れば教鞭も取れそうなシリル。
…これだけ揃ってライラをああでもないこうでもないと鍛えているのだ。
最近ではパーシヴァルまで面白がって参戦し始めた。
ここまでして落ちるはずがない。そう言われて迎えた三年生の期末試験と卒業試験。
結果からいうとライラは二科目で再試験になった。
「どの教科で引っ掛かったの!?『誰も詠唱してないのになんでこんなの覚えるんだ』って文句言ってた詠唱学?」
「ま、まさか魔法陣学じゃないよな?フレイザー先生再試験のやつは飛び級の資格がないとか言い出しかねないぞ。」
ライラは教室の真ん中でベシャッと机の上に突っ伏していた。
寝不足で頑張ったのだ。ライラなりに。
呆れ顔のパーシヴァルがライラの銀髪がひょっこり外を向いているのを見つけ、手に巻きつけたりしている。
教室のど真ん中で騒ぐ集団に、三年の生徒たちは生暖かい目を向けていた。
彼らは1ヶ月近くライラがずっと勉強させられて…いや、勉強しているのをみてきたのだ。
「あいつ落ちたの!?」
「やっぱり馬鹿なのか…。」
「色なしだしな。」
ライラは周囲の声に内心で「色なしは関係ない!お前らも飛び級させられてみろ!」と文句を言っていたが…すくっと顔をあげた。そろそろ青ざめている友人たちに正しい情報を知らせなければいけない。
卒業試験は再試験の生徒にのみ、年内に結果が送り返されてくるのだ。
ライラが無言でかざした紙に書かれている科目を見て…二人はほっと息を吐いた。シリルやレイモンド、パーシヴァルまでもがライラの持ってる紙を覗き込んでいる。
「なんだ。二科目だけか…ああ。魔法史学怪しかったもんなあ。」
「魔法倫理学も授業内容完璧に忘れていたものね…。」
ライラが不合格になった魔法史学と魔法倫理学はいずれも昨年度授業を受けた科目だ。
「一年経って忘れたんだな、仕方ないよ」だとか「今年の科目をとれただけ偉いわ。冬休み中も勉強付き合うから」と慰めてくるデニスとミシェーラにライラはしょんぼりと肩を落として「すみません」と応えている。
仕方がない子と言わんばかりの態度だが、根気強く勉強に付き合ってくれる友人たちにライラは足を向けて寝られないと本気で思った。
しかし、問題もある。
まさにレイモンドがそれを指摘した。
「ーーーでもミシェーラちゃんとデニスは帰省するでしょ?ウィンターホリデーまでこのおばかさんの面倒は見れないんじゃないのー?」
ピキッと固まった二人。
ライラは自分が帰省というものがないのですっかり忘れていたのだが、二人は実家に帰らねばならないだろう。
仕方がない。一人で寂しく勉強して年越ししようと思ったライラだがーーーパーシヴァルが「じゃあ王宮来るか?安全面も含めて俺かジョシュアがいれば平気だろ。」という素晴らしい提案をしたためにパアアと満面の笑みになった。
ライラは天を仰いで喜んでいた。先ほどまでの落ち込み様が嘘のようだ。
浮かれるライラを見て…隣で日記を書いていたフェルが言った。
「勉強とかしなくなりそうじゃない?」と。
確かにと王族といるときのライラをよく知る面々は頭を抱えた。
「浮かれる」「うへへへ」「見つめ続ける」の三つの行動ばかり取るようになるのだ。
「パーシヴァル様もジョシュア様もなんだかんだライラを甘やかしますしねえ。」
ミシェーラが苦笑いするとパーシヴァルが渋い顔になった。
反論しないところを見ると心当たりがあるのかもしれない。
シリルは戦力外だ。科目的な点もそうだが彼はそろそろ留学を終えて国に帰るらしい。すんなりと帰れるのかは不明らしいが。
ライラの試験結果を見て「意外と受かったな」と失礼な感想を述べた後で…
「王宮出禁ってこれから俺はどうすればいいんだ…。」
ーーーと先ほどから一人頭を抱えている。彼は彼で大変そうだ。
そんな反応を見ていたレイモンドがポンと手を打った。
「もう一人帰省しなさそうでしかも教師役できそうなやつを呼びましょう。」
◯
「ヤッホー!教師役ができそうで帰省もしない暇人のアツムさんが来ましたよ。」
バーン!とジョシュアの離宮の扉を開けアツムが現れたちょうどそのとき…ライラ目掛けて天井からパラパラと粉が降ってきた。
明らかに怪しげな白い粉。
室内にいたジョシュアがチラリと見た後でどこかへ転移させている。
「ちょ…今の何?」
アツムが笑顔を引きつらせた。
ライラが困り顔で「多分毒物ですね」と応える。
「いつからここってそんな物騒な国になったの!?」
アツムの叫びが王宮に響き渡った。
ジョシュアは何事もなかったかのように書類に向かっている。
ライラに「わたししか狙われていないので心配しないでください」となだめられたアツムは微妙な顔になる。
「ライラちゃんを狙うなんて命知らずなやつだなあ。…なあフェル?」
アツムの問いかけにフェルは黙ってちろりと舌を出しただけだった。
アツムが不審そうな顔をする。
「いつもみたくチリにしてやるー!って言わないの?」
フェルはアツムの疑問にも応えなかった。
ライラはアツムを呼びかけることでアツムの意識をフェルから外らせた。
ーーーフェル〜怒らないで!あっついよ、魔力!
「アツムさん、ここってこの解釈であってますか?」
アツムは納得していなそうな顔だったが、それ以上の追求はせずにライラの勉強に付き合ってくれた。
博識なアツムは歴史にも詳しかった。
教科書の説明だけでなくクスリと笑える小ネタも教えてくれる。
「偉大なる庶民って言われているウィリアム=ピットは黒竜の声を聞いたとされてるんだ。黒薔薇をモチーフにして白の人々の武器で反乱軍を鎮圧したんだよ。三百年くらい前の出来事なのにいまだに特別寮には彼の写真が飾られてるよね。」
「約七百年前のマグナカルタの時に魔法士団ができたんだけどその時決められた『魔法士団長は国王に対抗する権限を持つ』って条文は未だに法律に残ってるんだ。クーデターが起きる前には魔法士団長の実家…フックス家の前に贈り物の行列ができるって言われてるんだよ。」
ーーー王宮でその話をして大丈夫?と言いたくなる話も多かったが、ジョシュアは全く気にしていなさそうだった。
むしろ間違っていると「いやそれは実は…」などとアツムも知らないような裏話を教えてもらくれたりしてライラは非常に楽しく勉強ができた。
年明けになって特別寮で再会したデニスとミシェーラに向けて満面の笑みでライラは語った。
「再試験になったおかげでジョシュア様とたくさんお話できた!」
デニスとミシェーラは顔を見合わせた後でライラのほっぺたをつねっていた。
「こっちは別荘でずっと心配してたんだぞ!」
「そのいい笑顔は合格をしてから見せなさいよ!」
特別寮からわざわざシリルの転移魔法で送り届けられたライラは…再試験で教師から褒められるほど高得点を取った。
再試験後、その場で答案を採点した魔法史学のハンと魔法倫理学のロバートが自分のことのように喜んでくれた。
「落ちたら王族の方になんていうか本気で考えていたんだ」と言われ、ライラは申し訳ない気持ちになった。
「頭が特別良い訳ではないが時間があればそこそこはできる…お前の平凡具合に俺は落ち着きを感じる。」
試験終わりにも迎えに来てくれたシリルがライラにしみじみと言っていた。
失礼だとシリルに怒ろうとしたライラだがーーーふと何かに気がついたのだろう。
「帰らなかったの?」
「…見ればわかるだろ。」
ーーーなんとシリルはプロイセンへと帰った途端に「卒業式まで向こうにいなさい」と追い返されたらしい。
「俺何かやらかした?」と落ち込むシリルは哀れだった。
ライラは自分が王族に同じ態度を取られたらと考え…シリルと一緒になって落ち込んでいた。
特別寮で待っていたデニスなどはーーー二人の落ち込みようを見てライラが不合格になったんだと勘違いすることになる。
「紛らわしい顔をするんじゃねえ!」
…シリルが蹴られていた。彼は悪くないにもかかわらず、まさに踏んだり蹴ったりである。
緊張感が途切れたのだろうか。
ライラは三日ほど熱を出して寝込んだ。
そんなライラを心配するフェルをーーー呼びにくるものがいた。
ライラの自室の扉をノックしてきたのはミシェーラだった。後ろからはパーシヴァルがひょっこりと顔を出す。
「フェル、私と来て。ーーーライラのことはパーシヴァル様とレイモンドさんが見ていてくれるから。」
フェルは渋る様子を見せたが、ずっとライラの部屋に入り浸っているシリルが「俺もいるからさっさといけ」とフェルを追い出した。
シリルは年明け以降ヤナを出していない。
「出たがってるけど、フェルとライラに悪いから。」
なぜ今更?
いくら言っても聞かなかったのに…そんな思いが皆の脳裏には浮かんだ。しかし、どこか寂しそうな目をするシリルの肩をパーシヴァルが叩いて言ったのだ。
「お前は自分の主人を信じてやれ。」
パーシヴァルは何か知っているようだ。
シリルはそんなパーシヴァルを恨めしそうに見た。
葡萄色の瞳から返ってくるのはどこまでも凪いだ眼差し。
シリルはパーシヴァルのその表情がジョシュアに重なって見えた。
顔立ちは似ていないが確かに二人は兄弟なのだと認識させられる。
「誰が味方で誰が敵だかわかんねぇ。」
シリルは口ではそう言いつつも、眠り続けるライラの額のタオルをそっと新しいものへと取り替えてやっている。
パーシヴァルはそんなシリルを横目で見ながら入り口に立つミシェーラに向けてひらひらと手を振って見せた。
早くいけ、そう言わんばかりの動作にミシェーラは後ろ髪を引かれつつもーーーライラを取り囲む面々へと背を向け部屋を出た。
フェルはミシェーラに連れられて王宮前広場へと移動した。
年明けの式典の名残だろうか。
まばらにだが屋台が出ており、暖かいレモナリジュースを手に談笑する親子の姿などが見受けられる。
魔力灯の下に所々台が設置されており、黒竜を象ったガラス細工や青のアネモネが供えられている。
信心深そうな老夫婦がまさに今もう一つアネモネの花束を供えた。
魔法使いなのかもしれない。フェルがチラリと視線を向けたとき、胸には魔石が輝いて見えた。
「王妃さま…シャーナイト殿下…黒竜さま…この国をお救いください。」
すがるように老婦人は台に置かれている黒竜像を撫でた。
そしてミシェーラ達一行を視界に入れるとーーー感極まったように涙を流し始めたのだ。
ーーーわたしは無力だ。
未来が見えるだけで何もできないというのは想像以上の苦痛を伴う。
しかも人は自分勝手だ。
未来を語るとミシェーラに感謝したり憤怒したりーーーミシェーラには何もできないというのに。
ミシェーラは自分のプレートを降り、慣れた様子で黒竜門を潜っていく。
一度視界に入れたきり。老夫婦に反応を返すことはない。
「自分勝手。他人任せ…人間だねえ。」
ミシェーラにはそんなフェルの呟きがやけにはっきりと聞こえた。
アネモネを見るたびに彼女の心には痛みが走る。
ジョシュアの母親である第二王妃をミシェーラはよく知らない。それでも彼女の生き様を語る人の姿はたくさん見ていた。
まるで美談のように語られているが彼女の命は国のため、黒竜さまのためといって消費されたのだ。
ーーーわたしもそうなるのかしら。
背中に大きく浮かび上がった竜証が熱くなった気がした。
「ミシェーラ様があと十年早くお生まれになっていれば…」
黒の子供を産んだ母体が長く持たないのは周知の事実。
それにもかかわらずミシェーラを神か何かと勘違いしてすがってくる大人が少なからずいた。
責任感が強いミシェーラは理想の先読みの占い師を必死に演じ続けてきた。
今では堂に入ったものだ。
王宮に勤める魔法使いの好奇の目線を受けようとも、シャンと背筋を伸ばし歩く彼女は美しい。
門番たちはミシェーラの姿を見ると敬礼した後でサッと道を開けた。
成人したばかりの騎士はわずかにだが頬を染めてミシェーラをチラチラと見ている。
ミシェーラは彼らに社交的な笑みを向けたが、すぐに彼女の姿は護衛騎士によって門番の視線から隠された。
シャランシャランと涼やかな音を立ててミシェーラが通り過ぎていく。
向かったのはジョシュアの離宮だった。
魔石でできた扉を潜ると魔煙を蒸すジョシュアがいた。
黒い革張りのソファに埋もれるように座り、手には古い書物を抱えている。
ジョシュアはミシェーラとフェルを見るとパタリと本を閉じた。
少し体を起こした後でミシェーラに手招きする。
ミシェーラは慣れた様子で三人がけのソファへと腰掛けた。ジョシュアの向かいだ。
フェルはなぜ呼ばれたのかがわからなかったのだろう。
迷うようにジョシュアとミシェーラの間を飛行し…ジョシュアのすぐ横に降り立った。
ソファの弾力を楽しむように跳ねているフェルを見てミシェーラが少し笑みを浮かべた。
しかし、ジョシュアの声かけにより人払いがされ、部屋から人がいなくなると…スッと表情を切り替えた。
桃色がかった赤い瞳がフェルを捕らえる。
ジョシュアは黙って魔煙をふかしていた。会話はミシェーラに任せたようだ。
フェルは跳ねるのをやめーーー頭を数回上下して見せた。
ミシェーラは躊躇うように口を開け閉めした後で…静かに言った。
「フェル。あなたは二月十五日に消えるわ。」
シン。
部屋に痛いほどの沈黙が落ちる。
フェルはしばらく無言だったが…やがて「そっか。」と言った。
「その未来はぜったいなんだよね?」
「残念ながら…。」
ミシェーラの顔に影が落とされた。
長い睫毛の影が彼女のまろい頬に落ちる。
フェルは「そっかー。分かってはいたけど。意外と早かったな。」と残念そうに言った。
何か言いたげなミシェーラに向けてフェルは「じゃあ僕からはヒントをあげよう」と舌を出した。
「先読みの占い師よ。ーーー未来を見ることだけが君の仕事ではない。ぜったいなんてこの世にはないんだよ。」
ミシェーラは驚いたように目を見開いた。
フェルはそんなミシェーラに言い聞かせるように優しい声色で言った。
全てわかっている、そう言われている気がした。
「黒竜さまの力は偉大だ。…先読み通りボクは死ぬんだろう。でもね、頼りきってたらダメだよ。未来を作ってくのは人間の君達だ。」
見透かされたとミシェーラは思った。
ミシェーラはフェルに頼りたかったのだ。
血みどろで倒れるライラとフェル。
真っ暗になった未来。
呆然としたミシェーラに代わりフェルの言葉に応えたのはジョシュアだった。
「竜さまの予言を覆せるのは竜さまだけ。ーーー案ずるな。あとはわたしに任せてゆっくり休んでくれ。」
フェルはジョシュアを見た。
きゅっと真っ黒な瞳を細めた。
「よくできました。…じゃあ、ボクはボクにしかできないことをやるよ。」
ミシェーラが「未来が変わりました!」とジョシュアの元へ駆け込んできたのは一週間後の満月の夜だった。
真っ青な顔をしながら笑顔になるという器用なことをしているミシェーラにジョシュアはそっと上着をかけた。
「何もなかったところに真っ赤な光がさして…。」
説明を始めたミシェーラの口にジョシュアがそっと人差し指を当てた。
かがみ込むようにして視線を合わせる。
そしてその小さな肩を優しく叩いた。
「知っているから案じるな。難しいことは大人に任せておけばいいのだ。学生は学生らしく友人と過ごしていればいい。ーーーミシェーラ、君には随分助けられているが少しくらいは大人に守られていてくれ。」
ジョシュアはミシェーラを抱え上げるとクーガンを連れて特別寮まで転移した。
まだ不満げなミシェーラを見て「報告は明日聞くから」と言い聞かせている。
「顔色が悪い。ーーー最近ろくに寝ていないのだろう。…治癒魔法もいいが今夜くらい幸せな夢を見なさい。わたしの『大丈夫』も信じる気になっただろう?」
ミシェーラは渋々と言った様子でうなずいた。
そしてジョシュアに「シャーマナイト殿下もご自愛くださいませ」と挨拶して自室へと入っていった。クーガンがお礼を言うような仕草をしてからミシェーラを追いかけていく。
「未来が変わったのは黒竜さまに状況が伝わったからか?…だとすると黒竜さまは誰なのか。」
ジョシュアのつぶやきは夜の闇に吸い込まれていった。




