4の十三 ライラ怒る
その日のグレイトブリテンは、光の魔素であふれていた。
ライラは眩しそうに目を細め、うーんと伸びをしている。
「よく晴れてるねえ。」
ライラののほほんとした呟きに、フェルが嬉しそうに舌をちらつかせて応えた。
今日のフェルはご機嫌だ。というか快晴の日は大体フェルは機嫌がいい。黄色の魔素が多いからだそうだ。
黄色の魔素が多くなってくるとフェルは調子が上がってくるらしい。
眠ってばかりの黒のペガサスであるヤナはフェルの反対なのだろう。
「最近ヤナに元気がない」とシリルが肩を落としていた。
同じく黄色の魔素が増えてくると体調が悪くなってくるライラだったがーーーこの日は薬でなんとかごまかし、朝からせっせと出かける準備をしている。
いつもなら友人らが考えてくれたコーディネートをそのまま身につけるライラだったがーーー今日はそれだけではダメなのだ。
というのも今日は、あの部活動発表会の日なのだ。
ミシェーラに今年も連れ回されることが確定してから、ライラはせっせと今日のための準備をしてきた。去年のミシェーラを見た後で、普段の格好などできない。ましては今年は去年よりも有名人になっている自覚がライラにもあった。
ジョシュアやパーシヴァルに恥をかかせることなどできない。
化粧品も若干だがミシェーラに借りた。
白粉を軽くはたきながらーーー自然と化粧ができる自分に、ライラは「前世は女だったのか?」とぼんやりと思う。
ライラは前世の自分のことをあまりはっきりとは覚えていないのだ。
職業や世界観などは覚えているのに、不思議なものである。
とはいえ、当人は「まあ、前は前だよね」と割り切っており、思い出そうともしていないようなのだが。
共有スペースではすでに完璧に身支度を整えたミシェーラが、クーガンの給仕の元で優雅に朝食をとっていた。
この後はライラでも知っている超有名ブランドのワンピースに着替えるらしい。
サテンシルクのワンピースは素人のライラから見ても「今日はミシェーラに触らないでおこう」と決意させるほどに、上質な品だった。
特別寮の入り口でシリルと合流したライラたち。
実行委員長のデニスだけでなくパーシヴァル、レイモンド魔法剣術部として朝から準備に奔走しているらしい。
「今日だけ昔のだらけきった俺に戻りたい…。」
ーーーなどと愚痴るパーシヴァルを二人がかりで連行していた。
魔法剣術部の中でも黒薔薇団にも所属し、人気者である三人は色々とーーーパンフレット用の写真だとか、宣伝サイトの更新だとかーーー頼まれるものが多いのだという。
デニスが数日前の昼休みにゲンナリとした顔で語っていた。
実行委員長のデニスは日夜準備に奔走していたが、最近ようやく落ち着いてきた様子だ。悩みは尽きないようだが。
「あの二人さ、会場誘導を俺に押し付けて自分たちは裏方に回ったんだよ。ーーー外部のフィメルの子目がこええんだよなあ。」
肉食系のフィメルが怖いとぼやくデニスをライラが「贅沢な悩みだね」と笑っていた。
ミシェーラはその時「誰を応援するか」で真剣に悩んでいた。ダスティンが卒業してしまったので一推しの人物がいないのだそうだ。
「うーん…デニスでいっか。」
ーーーと難しい顔のまま言いデニスが、がくっとなっていた。
「何その仕方ないから、みたいな言い方!?ミシェーラちゃん俺にはいつも冷たい!」
ガーっと噛み付くデニス。
ライラは何を思ったのか隣に座っていたミシェーラを抱え上げて膝の上へと移動させていた。ミシェーラのオレンジ色の猫っ毛をよしよしと撫でている。
「ほら、ミシェーラ。楽しみなら笑わないと。」
ライラに向けてぽすんと体を倒しながらーーーミシェーラはデニスをじろじろと見ている。
「ダスティン様と比べてまだちょっと線が細いのよねえ。」
このやりとりをしている間、ライラの真横の机でシリルは昼寝の真っ最中だった。デニスはシリルがライラに話しかけると威嚇するので自然とこういう状態になっていることが多い。
ライラも初めは呆れながらも注意していたのだが、デニスが真剣な顔でーーー
「俺、こいつは信用しないほうがいいと思う。」
と言い切られてからは放っておくことにした。
デニスは頑固者だなあなどとライラは笑っていたがーーーシリルの頬がヒクリとしたのをデニスは見逃していなかった。
「やっぱお前怪しい…。」
そう言って睨みつけるデニスをーーーシリルも睨み返していた。
ぶつぶつと呟きながら。
「ーーーなんなんだよこいつ。家柄が良くて顔も良くて体も出来上がってて性格も悪くないとか嫌味か。眩しいから見るんじゃねえ。」
「ーーー悪口っていうか褒めてるじゃん。」
フェルが呆れ顔になっていた。
ライラは「相性が悪そうだね」と苦笑いである。
ほぼ事情を知らされていないにも関わらず、本能でライラをシリルから守らなければいけないと認識しているデニスは、騎士として非常に優秀だった。
危機感が欠如しているライラ本人とは大違いである。
ミシェーラのピンクゴールドのプレートに乗った三人は競技場へと向かっていた。
上下を挟みこむように飛行する護衛のプレートを見てライラはげんなりしていたが。
ミシェーラの実家であるビリンガム商会のフクロウの旗印が立っているジーゴ製プレートを見てーーーシリルは顔を輝かせていた。
ライラにとっては意外なことに、シリルは移動プレートが好きらしい。
ミシェーラ専用のプレートを見て珍しく声を上げてはしゃいでいた。
ペタペタと動力部に触って「エンジンがすごい」「この回路のつなぎ方は初めて見たな」などと顔を輝かせている。
他国の留学生を警戒していた護衛たちもこれには毒気を抜かれたようだ。
自分たちのプレートも紹介し、「すげーすげー」と純粋に称賛するシリルを見て少し誇らしそうにしていた。
「派手すぎて嫌じゃない?」とライラが聞いたが「なんで?すごいかっこいいじゃん。」と真顔で返された。
よく聞いてみればシリルは立場上注目されることに慣れ切っているらしい。
「女王並みの美人に見られる以外なら緊張しない」と真顔で言っていた。
「かっこよさげに言ってるけど、言ってることポンコツじゃん。」
ーーーとシリルがフェルに呆れられるのも見慣れてきた光景だ。
ライラは「確かにジョシュア様に見つめられる瞬間が一番緊張するかも」と納得の顔を浮かべていたが。
魔法学園の白の煉瓦造りの校内は、昨年と同様朝から大盛況である。
生徒たちとその保護者、他校の生徒…人であふれかえる校内に、ライラは既視感を覚える。
「やっぱり寮に帰りたい。」
ぶつぶつと呟いてフェルに慰められている。
魔法学園校内は、発表会当日だけは全生徒に移動プレートの使用が認められる。
いつもは見かけない色のプレートが入り乱れながら室内を飛び交う光景に、ライラは去年同様身を竦めている。
今にもぶつかりそうなほど近くを通過していったプレートに怯えながら、そっと自分が乗っているプレートの中央方向に移動した。横に座るミシェーラに呆れた顔をされるところまで去年と同じだ。
「ーーーライラ、このプレートには最高ランクの防御魔法が貼られているからぶつかっても吹っ飛ぶのは向こうって去年も説明したわよね?しかも今年はフェルもいるのよ?」
近くで上がった「ミシェーラ様ー!」という歓声に手を振りながら「何をそこまで怖がるのよ」とミシェーラに突っ込まれる。
ライラと会話しつつ声援に応えるミシェーラ。
その姿を見て「こいつ一般生徒じゃないこと隠す気なさすぎだろ」とシリルは思っていた。
モスグリーン色のサテンのワンピースに身を包み、化粧を施したミシェーラはいつも以上に美しい。
学園指定のマントを含め、全身が魔石のアクセサリーで輝いているミシェーラ。
しかも今年はダスティンが送った宝飾品がほとんどなのだそうだ。
「『俺が見ていないところで他の奴にとられたらシャクだ』とか言って大量の宝石を送りつけてきたのよ。困っちゃうわよね。」
そう言ってミシェーラは笑っていたがーーーコーディネートには誰よりもうるさいミシェーラが、人から送られてきた装飾品を全て身につけている時点で、答えになっているとライラは思っている。
ーーー色々な事情があってパートナーは断ったみたいだけど…この格好じゃ説得力ないなあ。
ニコニコとライラがミシェーラを見つめる。
その視線に気がついたミシェーラがーーープレートを寄せてきたどこかの紹介のお偉いさんの話に相槌を打ちながら…こっそりとライラへとウインクをしてきた。
「うっ、顔がいい。」
…なぜか流れ弾をくらったシリルが呻いていた。
彼は美人が苦手らしい。
普段がオレーンのような小動物的可愛らしさだとすると、今日のミシェーラはジュエリーの似合う美しいフィメルであった。シリルが直視できないのも仕方がないかもしれない。
ーーー王族なんて綺麗どころばかりだろうに、シリルはこんな感じで魔法大国の首席魔法士やれてるのか…?
胸を抑えて眠っているヤナにもたれかかっているシリルをライラが呆れ顔で見ていた。
復活したシリルがライラと目を合わせて一言。
「お前でキラキラが薄まってよかった。」
平凡顔、安心するーーーしみじみと呟くシリル。
ライラが「失礼にも程があるわ」とぶすくされていた。
周囲からは羨望され、ライラにとっては恐怖の移動を終え、ライラとミシェーラとシリルの三人は競技場に来ていた。
昨日はなかったはずの建物が急に現れても、「今年も学園長が取り出してきたんだろうな」と自然に思っているライラもだいぶ学園に染まってきている。
透明な魔石に覆われた球体の建物を見て、ようやくライラも楽しい気分になっていた。
何しろ「脱怠惰宣言」後、初のパーシヴァルのお披露目なのだ。
三人が到着したときには、すり鉢状の屋内の半数以上の席が埋まっていた。
しかし、ミシェーラといるライラには関係ない。
だって彼女にはーーー
「親衛隊長のマサルです。ミシェーラ様、今日もお美しいですね。」
「やっぱり席を確保したのね」と呆れ顔のミシェーラを見下ろして、マサルと名乗った親衛隊のニュートはニコニコと笑っている。
マサルはマスキラやガッチリとしたニュートが多いミシェーラの親衛隊では珍しいタイプの生徒だった。
なんでもミシェーラの親戚筋の生徒らしい。
ミシェーラに遠慮がない分、去年よりもやりづらいとミシェーラがぼやいているのをライラは聞いた。
「し、親衛隊…?」と固まるシリルを見てライラは笑う。
去年の自分もこんなふうに見えていたのだろうなと思う。
マサルは「こちらですよ」と笑ってライラたちをエスコートしてくれた。
そして観客席へとミシェーラが姿を現した瞬間ーーーワッと歓声が上がった。
これにはライラも驚いた。
ーーーなんかとんでもなくファンが増えてません!?
去年はせいぜい十分の一程度の席を埋めていた親衛隊。
それが今年は、会場の四分の一ほどに拡大していたのだ。
ライラとシリルが揃ってぽかんと口を開けている。
親衛隊たちからは「ライラちゃーん!」と言った声まで聞こえてきた。
自分の名前が呼ばれたことで正気に戻ったライラは、バッとミシェーラの方を振り返った。
「み、ミシェーラこれはどういうこと!?」
どういうことって?と不思議そうなミシェーラ。
クーガンが笑いながら「親衛隊の急拡大」への説明をしてくれる。
「ダスティン様の卒業パーティーへの反響が凄かったようですよ。」
クーガンの説明を聞いてミシェーラがああ、親衛隊のことねと納得の表情を見せた。
「なんかすっごい増えちゃって。ーーーマサルが入ってくれて助かったわ。家族枠ってことでうまくまとめてくれてるみたいだし。」
「びっくりよねえ」とたいして驚いた様子もなく言うミシェーラをシリルがじっとりとした目で見ている。
「ふわふわと揺れるオレンジ色の髪。ブリテン人形のように整った顔のパーツ。ーーー確かに嫌味なほどに整っているが、ここまでくるとなんか怖いわ。」
まるで批評家のような口調になっているシリルに、ライラとミシェーラは吹き出した。
「魅了魔法みてえ。」
ボソリと呟いたシリルの言葉にーーーミシェーラの顔がサッと曇った。
それを見たライラが急に立ち上がって…シリルの横っつらを引っ叩いた。
パーン!という小気味良い音が響き渡り、周囲にいた人々がギョッとしたような顔になる。
ーーーシーン。
ライラたちのいる空間だけが、切り取られたかのように音がなくなった。
会場の喧騒はどこか遠く、ライラの放つ怒気に皆は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
ミシェーラが焦ってライラを止めようとするが…ライラはミシェーラに向き直って首を振った。
「いいから座っててね?」と優しく諭され…おずおずとうなずく。
シリルはまさかライラがこんな行動をとるとは思っていなかったのだろう。
叩かれた頬を抑えたまま、目を見開いて固まっている。
そんなシリルに向き直ったとき、ライラの瞳はガラス玉のようになっていた。
シリルは背筋を詰めたいものが走るのを感じーーーブルっと身震いした。
ーーー俺がこんな色なしになぜビビっている?
冷静に考えながらもーーー感情をなくした金色の瞳からは目が逸らせない。
シンっとそこだけ別空間のように静まり返った会場で…ライラがそっと口を開いた。
「シリル、ミシェーラが自分の容姿で悩んでることを知ってるか?秀ですぎてるものっていうのは妬みの対象になるんだよ。きれいなものって傷つけてもいいって考える人間が後を立たないのはなんでだろうな。」
ライラはそこで悔しそうに黙り込んだ。
ーーー偉そうなこと言ってるけど、ダイアナさんのことでミシェーラが悩んでいる時、結局わたしは何もできなかった。
ミシェーラはいつも笑っていた。
だから勘違いしそうになる。
だが、歩いていると…口さがない声も聞こえてくるのだ。
「泥棒猫」「ちょっと可愛いからって調子乗ってる」「ダスティン様も見る目がない」
上級生から投げつけられる心ない言葉。
ミシェーラは聞こえているだろうにーーーまるで、そよ風でも吹いたかのように流すのだ。
でも「色なし」「ネームジュエリーなんて身分不相応」…同じように散々悪意を投げつけられてきたライラは思うのだ。
悪口を言われて傷つかない人間などいない。
ただ、痛みに心が麻痺してしまっているのだと。
そして、同じ言葉でも親しい友人に言われれば威力は何十倍にもなる、とライラは思っている。信頼は跳ね返って鋭い刃になるのだ。
だから怒った。シリルはライラにとってはもう友人なのだ。ミシェーラと同じく学園生活を共にしている友人。
「言葉は気をつけて使え。何気なく言った言葉が一生相手の傷になることもある。」
シリルはグッと呻いた後でーーーミシェーラの方を向いて深々と頭を下げた。
見慣れない動作に目を白黒させていたミシェーラだったが、シリルが「すまなかった」と言ったため、謝罪の動作だと理解したらしい。
「気にしないでください、悪気があったわけじゃないでしょう?」
そう言って笑ったミシェーラの笑顔があまりに普段通りすぎてーーーシリルはまるで砂利でも噛んだような顔になっていた。
「俺、穴があったら入りたい。」
呟いたシリルを、ライラが「言わんこっちゃない」と睨んでいる。
そんな二人を見てーーーミシェーラがクスリと笑った。
いまだにシリルを睨みつけるライラの手を引き…自分のほおへと当てた。
そして、花が咲いたように笑った。
「ライラと友達になれてよかった。」
「か、かわい死ぬ!!」
グッと呻いたライラを見てミシェーラが今度こそ声をあげて笑った。
周囲がほっと息をついた時ーーー開始の合図である会場のファンファーレがなった。
いよいよ部活動発表会が始まる。
「パーシヴァル様の勇姿を目に焼き付けなければ!」とライラが叫び、ビデオカメラをセットし始めた。
今日どうしても外せない用事があると言ったジョシュアに頼まれたものだ。
すっかりいつも通りの様子のライラを見ながらーーーシリルは苦笑いしていた。
頬の傷を魔法で治しつつ…先ほどのライラから感じた不思議なまでの威圧感を思い出していた。
ーーー普段のホワホワした様子から忘れがちだけど、ライラってフェルを曲がりなりにも使役してるんだよなあ。
ワタワタとカメラを設置しているライラの頭の上で楽しそうにはしゃいでいるフェルを見てシリルはため息をついた。
ーーー作戦成功のためにはフェルを絶対に抑え込まないといけない。
そのためのヤナであるのだが…ヤナは最近調子が良くなさそうだ。季節の問題だろう。
決行は黒の魔素が増えてくる冬だな、と物騒なことを考えつつーーー「今は久々の学生生活を謳歌させてもらうか」と切り替えたシリル。
彼はこの後パーシヴァルを見て驚愕することとなる。




