4の十二 忍び寄る不穏
シリルが女王から叱咤されようと、ライラが魔法医学の課題レポートと遅くまで格闘して机の上で寝落ちしようと…朝は変わらずやってくる。
窓から差し込む日差しの明るさで目覚めたライラ。
むくりと体を起こす。
ライラの真っ白な頬にはくっきりと鉛筆の跡がついている。
猫のようにくしくしとまぶたを擦りつつ、椅子の上で伸びをしたために、フェルがかけてくれたらしい毛布が肩からずり落ちそうになる。
毛布が落ちるのをなんとか抑えたライラは、毛布をポーンとベットへ放る。
飛んできたフェルにお礼を言いながら魔石を投げた。
そして、半分寝たままのような表情でシャワーを浴びて、温風の魔道具で髪を乾かす。
ふぁあああとあくびをするライラの口にフェルが栄養剤を突っ込んでいる。
ライラは朝からものをあまり食べないタイプなので、口に広がるココア味に不服そうな顔だ。
それでも、何も食べないとフェルがうるさいので黙って口を動かしている。
慌ただしく着替えを済ませ、教科書を放り込んだ後で鏡の前に立った。
目の下にクマがくっきりとできていることに気がつきライラはしかめっ面になる。
フェルがライラの周りをふよふよと飛んで「熱があるねえ」と心配そうに言った。その一言でライラは薬の存在を思い出したのだろう。王宮仕様のきらびやかな装飾のされた瓶を開け、錠剤を二錠分、口へと放り込んだ。
「…二錠も飲んだらパーシヴァルに怒られるよ?」
「フェルが言わなきゃバレないよ。」
ライラとフェルはそんな会話をしながら自室の扉を開け、黒い絨毯の敷かれた廊下へと出る。
人はいない。同じフロアのデニスやミシェーラは朝から部活に顔を出しているのだ。部活動交流会が終わるまでは彼らとライラが朝の特別寮で遭遇することはないだろう。…よく寝坊するらしいジョージの姿はたまに見るが。
特別寮はあらゆるところにイアハート特製の魔道具がある。
下へと降りる階段の前には赤、青、黄色、紫…いろんな色のボタンがずらりと並んでいた。イアハートが作った各部屋につながる共用の呼び出しボタンだ。
ライラは迷わず唯一明かりがついているボタンを押した。押したのは赤のボタン…つまり隣のシリルの部屋のボタンだ。
シーン。
ーーーしばしの静寂の後で…音をほとんど立てずにライラの隣の部屋の扉が開いた。出てきたのは当然シリル。
ぴょこぴょこと無造作に髪を跳ねさせたまま…早足でライラたちの元へと歩み寄ってきた。
そして無言でライラの後ろに立ったシリル。
「おはよー。」
「ん。」
ーーーご機嫌斜めだな。
シリルはライラと目を合わせなかった。
鬱陶しそうに目に払った髪を退け…空中を恨めしそうに睨みつけている。
ライラはシリルが「主席魔法士モード」であることを察し、余計なことを言わないようと思った。
ライラはジョシュアに託された任務を遂行するべくこうしてシリルを律儀に待っている。
他国のスパイ疑惑があるシリルから目を離さないためだ。
「瞬間移動できるシリルにわたしが張り付いてる意味ある?」ーーーなどと考えてはいけない。
特にこの朝のように気怠げな雰囲気のシリル…しかもうっすらと女物の香水の匂いまでつけている日の朝など、「夜の間にどこをほっつき歩いていたんだ」と勘ぐってしまうし、本気で自分の仕事に意味があるのか考えてしまうライラだが…他でもないジョシュアの頼みだ。遅刻しそうな時間にも関わらず、非常に足取りが重いシリルをなんとか教室まで連行していく。
皆の憧れであるジーゴプレートに乗り、さらには上の空ながらも完璧な魔力操作でプレートを停めて見せたシリルに羨望の眼差しが注がれるのもいつものこと。ライラはそんなシリルをフェルに手伝ってもらいながら、文字通り引きずって教室の席へと座らせた。
ミシェーラが「おはよう」と笑いかけてくれる。
ライラの顔がヘニャリと崩れた。
ミシェーラは真っ白なレースのドレスを身に纏っていた。
ツインテールにはドレスと同じ素材のリボンが巻かれている。
「今日もわたしの天使は可愛いね。」
ライラはミ椅子に座るシェーラに後ろから抱きつき、そのまま持ち上げようとしたが…フレイザーが入ってきたのをみてそそくさと席へと戻った。
「ーーー水曜のHRを始める。」
フレイザーの本人の機嫌に関係なくものすごくわかりやすい魔法陣の講義の途中…「えー、ここは水の魔素の流れがこの矢印で…」などと説明していたフレイザーが急に黙り込んだ。
同じタイミングでシリルが窓の外ーーー遠く離れた地点を睨みつけ、不機嫌そうに声を上げた。
「あ゛?」
ライラは何事かと顔を上げると…隣の席で爆睡していたデニスがいつの間にか目を覚ましていた。自分と…なぜか隣の席のライラのマントの端をつかんでいる。
フレイザーがパーンと手を一つ鳴らした。
クラスに向け一喝。
「シールド用意!」
フレイザーのただならぬ空気に慌てて三年生たちは自分のマントに魔力を流した。
勢い余ったのか椅子から転げ落ちた生徒のところにフレイザーが駆け寄り覆いかぶさったのが視界に入った。
次の瞬間。
ドカアアアアアン!!!!
爆発音。
教室の中に朦々と煙が立ち込める。
生徒たちからは悲鳴…は上がらず、「今日のは派手だなあ」といったような呆れ声が聞こえてくる。
ーーーさすが三年生にもなると事故にも慣れてるな。
視界が悪い中でライラがのんびりとマントから顔を出したとき…同時に三つのことが起こった。
ヒュン!
魔力の塊が割れた窓から飛んできた。
「やりやがった…!黄色属性でいけるか!?」
シリルが焦った声を出して対抗するように魔法を放っていた。
「ライラーー!!!!」
ヤナに追いかけ回されて何処かへ行っていたフェルが慌てた様子で飛んできた。
ライラにわかったのは、自分目掛けて飛んできた魔力の塊がーーーフェルは距離的に間に合わなそうだったーーー何者かによって消されたということ。
そして、煙幕が晴れて…シリルが苦しそうにライラの目前で息をしているのをみて、どうやらシリルが魔力弾からライラを庇ったらしいと悟る。
「ライラ大丈夫!?」
慌てた様子でフェルがライラの前へと躍り出たが、ライラは真っ青になってシリルへと駆け寄った。
シリルはゼエゼエと肩で息をしている。
そして背中を撫でようとしたライラを鋭い声で遮った。
「さわんな!」
びくっとライラが手を引っ込めた。
近寄ってきていたデニスがシリルとライラを見比べて「どういうことだ」と眉を潜めている。
フェルがふんふんと空中に残る魔力の残さを嗅いでいる。
そしてポツリと呟いた。
「ーーーヤナ…ととっても似た呪いの魔力弾がライラに向けて飛ばされたね。…タイミングも爆発に合わせてたし、どこまで偶然でどこから仕込みなのか。ーーーおい、シリル、説明しろ。」
ヒヤリと冷たいフェルの声。
フェルについてきたらしいヤナ。
主人のシリルが心配なのか、おろおろと窓の外から様子を伺っている。
ヤナは教室内に入ろうとしてシリルに「来るな」と命じられていた。
フレイザーの指示の元で教室が爆発の惨状から復帰した頃ーーーようやくシリルが自分の足で立ち上がった。
ふらつきながらもーーー殺気を向けるフェルに向き直る。
そして一言。
「信じて、俺とヤナは無関係。…でも、プロイセンの仕業であることは間違いねえ。」
「誰かが俺にライラ殺害の罪をなすりつけようとしている。」ーーーシリルの呟きはしっかりとライラとデニスの耳に届いた。
ライラが驚いたようにパシリと目を瞬かせる。
デニスは険しい表情でシリルからライアを隠すように移動した。
皆の厳しい視線を受けながらーーー今にも倒れそうな顔色のまま、シリルが言った。
「自作自演にしてもおかしいでしょ?ーーーまじできついな、どれだけ呪いの濃度を上げたんだよ、俺じゃなきゃ死んでるよ。」
ぶつぶつと呟き、シリルは魔力を動かそうとしてーーーはああ、とため息をついた。
恨めしそうに右手を見つめている。
「さすがの俺でも今は空間魔法使えねえな。ーーー犯人とっ捕まえに行きたいのに。」
シリルの呟きにーーー意外なところから返答が来た。
「行けばいいだろう。」
ライラは声の主に驚きーーーバッと顔をあげた。
そして驚きでぽかんと口を開けた。
「ジョシュア様、午後から来られる予定では?ーーーパーシヴァル様もなぜ三年の教室に?」
ジョシュアはライラの声など聞こえていないかのように真っ直ぐ視線をシリルに固定したままだ。
ジョシュアに「行けばいいだろう」と言われたシリルも「なんでここにいるんだよ」と苦い表情になっている。
ライラたちの疑問にはーーー少し離れたところに立ち、不機嫌そうに腕を組んでいるパーシヴァルが答えた。
「あそこで仏頂面してるフレイザーが『授業の邪魔だからライラックたちを回収しろ』って隣の教室まで言いに来たわけ。ジョシュアは俺が呼び出した。」
ライラがフレイザーの方を見ると、眉間にシワを寄せたフレイザーと目があった。
フレイザーはしっしと手を振っている。
授業中だが…ライラたちに出て行って欲しいようだ。
面倒ごとに俺を巻き込むなと顔に書いてあった。
パーシヴァルがシリルを見つめたまま微動だにしないジョシュアの襟首を掴んだ。「移動すんぞ」とジョシュアを引っ張っていく。
大人しく移動するジョシュア。しかし、「逃さない」などと言ってちゃっかりとシリルの腕を掴んでいる。
ずるずると連なって移動する三人に…ライラは迷わずついて行った。
王族大集合だ。
「ジョシュア様に早く会えた」などとのたまい、先ほど狙われていたものとは思えないほどのワクワク顔になっている。
フェルとデニスは未だに緊張感の抜けない顔でライラにぴったりとくっついて移動していた。こちらも離れる気はなさそうである。
パーシヴァルはそんな集団の先頭に立ち…フレイザーの横を通過するときにニヤリと笑った。
「ーーーお前の望み通り回収してやるんだから、今回の授業単位は融通してやれよ。」
フレイザーは苦虫を噛み潰したような顔になったが反論はしなかった。
パーシヴァルはそんなフレイザーの表情を一笑し、スタスタと足を進めてーーー呆然とする三年生を取り残し、ピシャリと扉をしめた。
教室のざわめきが徐々に遠ざかっていく。
廊下にはまだ先ほどまでの爆発の破片が散らばっていたが、窓ガラスなどはすっかり元どおりになっていた。
実はイアハートから命じられた副校長がせっせと校内を直して回っているのだがーーーそんなことはライラは知らない。
パーシヴァルは迷いない足取りで人気のない廊下を歩く。
そして、リンゴが山積みにされた絵画の前でピタリと足を止め、すぐ横の空き教室の扉を開けた。
パーシヴァルが中へ入っていく。
終始無言のまま、残りの面々も後に続く。
中ではレイモンドが簡易お茶会セットのようなものを用意していた。
びっくり顔のライラにレイモンドはパチンとウインクをかましてくる。
場違いなほどにひょうきんな彼の仕草にーーーふっと緊張が緩んだ。
「ーーーここ、パーシヴァル様のお気に入りサボりスポットなんだ。」
レイモンドの一言にジョシュアがピクリと反応した。
ライラは「勉強になります」と真面目な顔で頷いている。
思い思いの場所に腰掛けるライラたちに、立ったままのシリルが「俺は行く」と仏頂面のままで言った。
「ーーー今行かなきゃ逃げられるって俺の勘が言ってる。」
それだけ告げ、シリルは教室から出て行こうとした。
ペタンペタンと足音が響く。
ライラはいつも不自然なほどに移動時の物音がしないシリルらしくないと思った。
ーーーシリルが主席魔法士でも今行くのは流石に無謀なんじゃ…。
「そんなにフラフラで敵対勢力に突っ込んでいって大丈夫なの?」
ライラが思ったまさにそのことをフェルも感じたらしい。
ライラは思わずブンブンと頷いてしまった。
声をかけられたシリルがピタリと足を止めた。
そしてノロノロと振り返る。
シリルの顔にはーーー後悔、怒り、悲しみ…様々な感情が含まれていた。
その使役主、使役獣コンビを見てーーー特に、ライラを見てシリルが心底困ったように言う。
「ーーーこの状況で俺の心配?…お前そこまで鈍くねえだろ。俺の国に命を狙われたんだってわかってるよな。」
「俺のこと警戒しろよ」とシリルに言われ、ライラは「へ?」と首を傾げた。
そのライラの反応を見てパーシヴァルとデニスがそろって頭を抱えている。
ジョシュアだけは真剣な表情でじっとシリルを見つめたままだ。
なんとも言えない沈黙の中でーーーライラがそっと口を開いた。
その声はためらいを多分に含んでいたが、不思議と揺るぎない響きがある。
このメンバーの中で一番力のないニュートであるライラ。しかし、ライラは時折人をハッとさせるような雰囲気を放つのだ。
それはまさに今のようにーーーー。
「難しいことは何もわからないよ。…でも、わたしにとってのシリルは敵じゃない。さっきだって当たったらやばそうな魔法攻撃から守ってくれたし、授業中も助けてくれる。体調が悪い時は肩を支えてくれるし、プレートだって動かしてくれる。ーーーわたしにとってのシリルはそんな感じ。自分で見たものを信じることにしてるから。」
「シリルがなんと言おうとわたしはシリルを敵だと思ってないよ。」ーーーそう笑ったライラ。
部屋に沈黙が落ちる。
シリルはプロイセンの国家魔法士だ。しかも主席魔法士。
ライラにだってわかっていた、黒竜の器をジョシュアとパーシヴァルが探そうとしているタイミングでシリルが来るなど不穏極まりないと。
それでも…周りが敵ばかりだったライラは肩書きではなく自分が感じた感覚を大切にしようと決めていた。
ーーーシリルは悪いやつじゃない。…ジョシュア様とも仲良さそうだし、わたしの「黒竜さま」を助けたいって夢も笑わなかった。
「頑張れよ」と仏頂面でライラの夢を応援してくれたシリルのことをライラは敵だと思いたくなかったのだ。
ふんわりと笑ったライラを見てーーーシリルはクシャリと表情を歪めて俯いてしまった。
「俺、どうすればいいんだよ。」ーーーシリルの呟きに答えを持つものはいない。シリルも答えを欲しての発言ではなかったであろう。
なんとも言えない空気の中でーーー口を開いたのはジョシュアだ。
「ーーーシリル、早く行け。」
流れを完全に無視した発言に皆が驚きの表情でジョシュアを見た。
しかし、ジョシュアはそんな周囲の反応を意に介さずにシリルをじっと見つめたままだ。
何か思案するように顎に手を置きーーーさらりと告げた。
「先ほど言っていただろう。すぐに行かないと取り逃すと。ーーーだから行け。わたしが行くとお前を嵌めたい相手の思う壺だろうし、事が大きくなりすぎる。ーーーフェルを連れて行けばいい。あの精度での狙い撃ちだ。おそらく敵はまだブリテン内にいる。」
「プロイセンの主席魔法士なら、あの程度の攻撃で戦闘できないなんてことはないだろう?姿変化の魔法は使えているようだしな。」ーーージョシュアは煽るわけでもなく、淡々とシリルに向けて言った。
シリルが苦い表情で顔をあげた。
ジョシュアの言葉を否定しないところを見ると、事実、シリルにはまだ主犯を捕らえる余力があるらしい。
パーシヴァルやデニスが驚きの顔でシリルを見た。
ライラだけが状況を飲み込めていないのだろうか。こてりと首を傾げている。
「さっきのってそんなにまずい攻撃だったの?」
睨み合うジョシュアとシリルを横目にーーーこそこそとライラがすぐそばにいるフェルに囁く。フェルは呆れた声で言った。
「さっきから言ってるじゃん。ーーー即死攻撃だって。ものすごい怨念の塊だった。ボクは相性最悪だからシリルが被ってくれて助かったよ。曲がりなりにも赤竜の加護で守られてるだけあってシリルは頑丈だね。こうやって話してる間にも呪いを無力化していってる。」
ライラがギョッとした顔でシリルを見るのとーーーシリルが口を開いたのはほぼ同時だった。
「…正直空間魔法が使えないからフェルを借りれるのはありがたい。」
シリルの発言でフェルに注目が集まる。
フェルは「ええええ」と嫌そうだったが、すーっとシリルの方へと飛んで行った。
ーーーこういうときに使役主のライラに誰も意見を求めないのは本来、奇妙なことなのだが…何しろ張本人であるライラがフェルどうするの?と言わんばかりの顔で成り行きを見守っているのだ。
そんな自分で決定権を持つ使役されてない使役獣であるフェルは、シリルのすぐ前で止まりーーー
「ボクに手伝って欲しいならこの場で約束しろ。」
魔力の圧を込めてシリルと…さらに隣に立つジョシュアに顔を向けて言った。
ズドンと空気が重くなる。
カハっと苦しげにレイモンドとデニスが咳き込んだ。パーシヴァルも毛を逆立てた猫のように警戒した目でフェルを見ている。
フェルは凄まじい圧を放ちながら口を開く。
「ボクを連れて行くなら絶対に犯人を捕らえて殺せ。ーーー無力化じゃ許さない、二度とライラに危害を加えられないようにこの世から消せ。あと、ボクがいない間にライラを守れ。何かあったらお前らをボクは許さない。」
ビリリと空気が震えた。
動じていないのはライラとジョシュアとシリルくらい。
ライラがフェルを止めようと口を開く前にーーージョシュアとシリルが「わかった」と頷いた。
「わたしがライラを見ておく。」
「俺は暗殺者たちを燃やして消し炭にする。」
そこからのシリルの行動は早かった。
集中するように瞳を閉じると何やらぶつぶつと呟き始めた。
すぐにシリルが紫色にぼうっと発光する。
紫系の魔法だろうか、ジョシュアが「ほう、器用だな」と感心したように呟くのがライラの耳に入る。
次にシリルがパチリと目を見開いた時にはーーー彼の立ち姿に先ほどまでの不調は見られなかった。
特徴的な赤い目でフェルをひたと見据える。
フェルに「南南東、十キロ付近、人数は十名。」ーーーなどと指示を出すと窓へと走っていった。
ライラが展開について行けずにぽかんと口を開けている間に、「飛ぶぞ、浮遊魔法頼む」などと叫んだシリル。窓際に足をかけてフェルに「3!2!1!」と合図を送っている。
フェルも「はいはい」などと軽い調子で応え、シリルが宙に身を投げ出すのと同時に金色に発光した。
ーーー浮遊魔法に包まれた二人の姿は瞬く間に小さくなっていき、一同の視界から消え去った。
ジョシュアがそっとライラのそばへ寄っていき、ライラが「はう!?」などと奇声を発する中でーーーデニスの困惑した声が響いた。
「姿変化の魔法って言ったよな。シリルってーーー何者?」
デニスの問いには誰も答えなかった。
パーシヴァルが悔しげに舌打ちするのをレイモンドが心配そうな目で見つめていた。
◯
昼休み。
授業から解放された生徒の多くが向かう先は決まっている。
少々規模の大きい爆発があったくらいでは生徒たちの食欲は衰えないのだろう。
ジュウジュウと肉を焼く音やカチャカチャと食器を動かす音、楽しそうなおしゃべりの声ーーーいつも通りの日常のようであり、実のところ、いつもより少し静かな食堂で。
生徒たちの関心を引く異質な存在…ひときわ注目を集めている集団があったのだ。
ライラ、デニス、ミシェーラ、パーシヴァル、レイモンドーーーそしてジョシュアが日当たりの良い窓際に固まって一つの机を囲んでいた。
国一番の魔法使いとして、その場に存在するだけで生徒たちから好意や尊敬の念を集めるジョシュアだが…実はこの時、側近から小言を述べられていた。
というのも、パーシヴァルの呼び出しを受けるなり会合を放り出し、亜空間を渡ってきてしまったようなのだ。
幸い、会合の相手はジョシュアの立場や人柄をよく理解する人物であったため、大きな問題にはならなかったらしい。…そもそもこの国にジョシュアの行動に表立って反対するものなど存在しないのだが。
しかし、側近の立場からすれば「置いていかれました」ではまずいのだ。
いつも近くにいるから側近と呼ばれるのだ。
どこへ行ったのか必死に探したらしい。
「緊急事態でもせめて行き先を告げるか、魔力通話には応答してくださいませ…。」とオズワルドが訴えかけているにも関わらず、じっと向かいに座るパーシヴァルの食事を見つめていたジョシュア。
ゆったりと背もたれに寄りかかっていたジョシュアだったが…不意に「そう言えば」と隣のライラへと顔を向けた。
「絶対にわたしの話聞いていませんよね…。」とオズワルドが肩を落とす。
パーシがそんなオズワルドを慰めるように一つ肩を叩いた。
パーシヴァルに寄りかかられているレイモンドが同情のこもった目で二人を見た。
側近の苦労に全く気がついていない様子のジョシュアは…ライラをじっと見つめた。何かを探っているかのようにも見える。
ライラはちょうど食事を終えたところだった。
なんでしょう、と首を傾げている。
「ライラはプロイセンに狙われる心当たりは?」
ジョシュアの発言に和やかだったテーブルの空気が凍った。
「それ、本人に聞くんだ」と誰しもが思った。
シン、とそこだけ静まり返った空間に…ライラの脳天気な声が響く。
「全くありませんねえ。ーーー眠っている黒竜さまやどこにいるかわからない黒竜の器が狙われなくてよかったです。」
「うへへへへ」と場違いに笑うライラ。
そんなライラの締まりない表情を見て、デニスとミシェーラが頭を抱えた。「ぜったい、ジョシュア様がわたしのこと見てるって浮かれてる。」と思っていた。
もちろん正解である。
そんなライラを探るように見ていたジョシュアだがーーーふっと目元を和らげた。わずかな変化だが、ジョシュアの顔をじっと見ていたライラにははっきりとその変化がわかった。
「ーーー確かに、黒竜さまは守りの陣があるが…黒竜の器に関しては本人さえも自覚していない可能性があるからな。狙われなくてよかったと言えるな。」
のほほんとし始めた二人にーーーパーシヴァルが突っ込みを入れる。
「ライラが狙われるのも何もよくねえよ。それこそ自覚していない黒竜の器だったらどうするんだよ。ーーーはあ、まあきっとシリルへの特大の嫌がらせだろ。」
パーシヴァルが仏頂面で述べる。
しかし、レイモンドに寄り掛かったままなので全く迫力はない。
ジョシュアがそんなパーシヴァルの発言を聞いて「確かにそうだな」と同意した。
「シリルはプロイセンだけでなく世界中に敵がいる。ーーー魔法大国で最年少の主席魔法士だ。驚くような話ではない。…ライラ、わたしはこういうことも想定して、君に世話役を任せている。ーーー嫌か?」
ジョシュアに問いかけられたライラは「嫌じゃありません!」と元気よく答えた。迷うことなく即答したライラにーーージョシュア以外の皆が顔を見合わせ…ぶっと吹き出した。
「ライラックはいつでも楽しそうだな…。」
パーシのつぶやきは皆の心を反映したものだったのだろう。
視線を集めたライラが不思議そうに言う。
「偉大な黒竜さまからの寵愛を受けまくったジョシュア様ですよ?そのジョシュア様のお役に立つにはそれ相応の対価が必要に決まってます。ーーーわたしにだって覚悟はありますよ〜。」
「ろくに魔法は使えませんけどね。危険だから辞めますなんて子供じみたことは言いませんよ。」と照れたように笑ったライラ。
パーシは驚いたような顔になっている。いつもジョシュアの前ではニコニコと笑っているライラから「覚悟」が語られるとは思いもしなかったのであろう。
デニスがニコニコと笑うライラを眩しそうに見ていた。
◯
夜の帳に包まれた白亜の王宮でーーージョシュアとシリルが向かい合っていた。
シリルが無言で十個のサークルストーンを透明な机の上に並べて見せた。
その一つ一つをジョシュアが検分しーーー「確かに受け取った」と頷く。
そんなジョシュアを見てーーーはーっとシリルが息を吐いた。
「めちゃくちゃ疲れた…実行犯だけでなくて黒幕のことも脅してきたから魔力もえぐいくらい消費したし。ーーーしばらくは大人しくするだろうけど、あいつらは腐りきってるからずっと安心とはとても言えねえ。」
「ずっと細かい嫌がらせは続くだろうな」とシリルは疲れ切った顔で言った。
ジョシュアは魔煙の煙をフーッと吐き出し、無言でシリルの話を聞いていた。
「女王が心配だ…帰りてえ。」
シリルの呟きにジョシュアが怪訝そうな顔になる。
「ーーー帰れ。我々としても帰って欲しいと心から思っている。」
ジョシュアの辛辣な発言にーーーシリルがひょいと肩を竦めて見せる。
「色々あんだよ。ーーー女王も俺には言わないで何か企んでるみたいだし。」
シリルの表情を見てジョシュアもそれ以上の議論は無駄だと察したらしい。
話題の方向性を変える。
「今回ライラを狙ったのは…何か特別な理由があるのか?」
ジョシュアの疑問にシリルは首を振った。
「答えられない」という意味だ。
ジョシュアも「まあそうだろうな」と頷いている。
「そっちこそ役割者は見つかったの?」
シリルの問いに、今度はジョシュアが「答えられるわけがない」と首を振った。
これにもシリルは「だよね」と肩をすくめる。
「女王も赤竜さまも…ウチの女性陣は何考えてるんだか俺にはさっぱりだよ。」
「ーーー赤竜さまは最近どうだ?」
ジョシュアは昨年の赤竜襲来を思い返していた。
ーーー「眠り」に着く前にもう一度会いたいな。
シリルは「相変わらず会ったら熱烈歓迎してくれるよ」と笑う。
たださあ、とシリルはなぜか恨めしげにジョシュアを見た。
「俺はいいんだけど…女王より明らかにジョシュアとフェルの好感度の方が高そうなんだよな。」
女王が舐められるのは赤竜さまのせいもある…とシリルは肩を落とす。
ジョシュアはそんなシリルを見てーーー「そりゃあそうだろう」と口を歪めた。
「女王は竜に選ばれなかったのだから。ーーープロイセンの生まれでないお前が存在しているのはそういう意味だろう?」
ジョシュアは嘘をつかない…そのことを知るシリルは暗い顔になった。
人払いされたジョシュアの離宮。
二人の間に沈黙が落ちる。
「ーーーお前は身の振り方を、よく、よく考えた方がいい。」
ジョシュアの言葉にシリルは答えられなかった。
毛足の長い絨毯に顔を埋めていたヤナが顔を上げ…慰めるようにシリルに鼻を押し付けているのを見てーーージョシュアは内心笑った。
シリルにヤナの呪いは効かない。先ほどの攻撃のように悪意を込めて強化されたものでさえーーー時間が経てば無効化されるのだ。
シリルは選ばれた人間なのである。
「国に王は一人しかいらない。」ーーージョシュアの脳裏に父親の言葉が蘇る。「ジョシュア、頼むよ」と優しい顔で言ってきたヘマタイト王の選択は正しかったのか、ジョシュアにはわからない。
それでも、プロイセン女王はーーーシリルに同じことを求めているのではないかと感じていたのだ。
ーーーあとはお前次第だよ、シリル。




