3の六 邪魔しないで
パーシヴァルが再び旅立ち、十月が終わろうとしていた。
学園内の楓はすっかり葉を落としてしまっていた。
裸になった木々は、どこか物寂しさを感じさせる。
秋が深まり、外はだいぶ寒くなってきた。
時折ビューっと吹く風の中に、冬の魔素である黒が混じってくるのが感じられる。
首に巻いたマフラーに顔を埋めながら、ライラはミシェーラとデニスと別れ、学園内を歩いていた。
青の魔素に黒が混じり始め、ライラはだんだんと調子が良くなってくるのを感じていた。
治癒魔法のためにシャロンのところへ行かなくても、薬の量が減らせている。
ライラは黒の魔素と相性がいいのだ。
図書館棟へ向かおうとフェルと会話しながら歩いているとーーー前に、ドンっと立ち塞がる影があった。
ーーーはあ、またか。
ミーティアウィークを終えーーー王宮での出来事は、いつの間にか学園中の知るところとなっていた。
ライラを見る周囲の目は様々だった。
ジョシュアに目をかけられるライラに尊敬の眼差しを向けるものもいればーーー敵対してくるものもいた。
共通していたのは、ライラに何かしたことで、表立って罰せられることはないという認識だ。あれだけわかりやすく嫌がらせしたガブモンド家にも、苦言が呈されただけだった。
ライラに直接接触するのを躊躇っていた生徒たちが、ここぞとばかりに絡んでくるのだ。
特にここ二、三日は放課後ライラが一人になるのをいいことに、入れ替わり立ち替わりやってくる。
目の前に立ち塞がった二人もそうだろう。ライラは見慣れぬ顔だったが、スカーフの色から、三年生であることがわかる。
しかめっ面をしながら、声高に叫ぶ。
「シャーマナイト様にどうやって取り入った!早く教えろ!」
ライラははあ、とため息をついてしまった。
それもそのはず、ライラがジョシュアの心内など知るはずもないのだ。
「わたしは運が良かっただけです。」
ーーーと、黒竜の儀の関係者になった点を正直に話すわけにもいかないため「運が良かった」と説明しているのだが、大半の生徒が納得しない。
「もっとわかりやすく説明しろ!」
怒鳴るように言った上級生。
ライラはフェルを取り巻く魔力が、いささか乱れてきているのを感じーーー慌てて、鞄の中から杖を取り出した。
パーシヴァルのお下がりの杖だ。
1メータもあるそれを持ちーーー挑発するように、「ハッ」と笑った。
ーーーキャラじゃないんだけどなあ。
内心でこぼしつつも、「正当防衛」を主張し、何よりライラは、早く課題を終わらせないといけない。
「自分がわからなかったら教えてくださいって?ーーーふざけないでほしい、知ってたって誰がお前らなんかに教えてやるか。…ジョシュア様のお気に入りは、これ以上いらない。」
最後だけがライラの本音だ。すでにジョシュアの周りにはライラよりもずっと有能そうな側近がいる。ライラは彼らに追いつくだけで精一杯なのだ。これ以上、ライバルはいらない。
ライラのわかりやすい挑発に、仁王立ちだった二人の魔力がわかりやすく膨れ上がった。
ライラは単純だなあ、と呆れつつもーーー杖を構える。
そして、二人の魔力の球が飛んできたタイミングで、フェルに目配せする。
「ーーーこんなまどろっこしいことしなくても、ボクが塵にしてあげるのに。」
ぶつぶつと文句を言いつつも、フェルはきちんと魔力だけに浮遊魔法をかけてくれる。
他人の魔法への重ねがけは、とんでもない難易度らしいのだが、フェルはライラが頼めばあっさりとやってみせる。
「「なっ!?」」
自分たちの攻撃魔法があっさり無効化されたのを見て、驚きを隠せない様子の二人組。
ライラはチラリと周囲を見て…見覚えのあるニュートがいたので、さっと手招きした。
お願いをするためだ。
「困ったときの証拠にするから、この光景、写真撮っておいてくれない?え、そう言われると思って撮っておいた?ーーーありがとう、メル、可愛い君のおかげで、私はもう立ち去れる。」
メルと言われたライラの同級生はーーーライラの方を見て、若干頬を染めながらもコクコクとうなづいている。
ニュートの中でも愛らしい仕草をするこの子がライラはお気に入りだった。
膝をついて目線を合わせたライラは笑顔でお礼を言った。
頭をひとなでし、さっさと歩き出す。
そして、慌てたように呼び止めた上級生をーーー温度のない目で見つめ返した。
「お前らみたいな暇なやつらと違って忙しいの。もうどっかいって。」
ーーーそう吐き捨てた後、近寄ってきていた一人の腹を、何の躊躇いもなく、杖で殴りつけた。
ドスっという鈍い音がして、うずくまった上級生。
ライラは殴りつけた相手に興味がなさそうに、スタスタと歩き去っている。
何やら抗議の声が聞こえるがーーーライラはすでに、ちょうどいいタイミングでそばを通りかかったプレートを呼び止めて乗車していた。
杖をしまいながらプレートを動かすライラにーーーフェルは呆れたような顔をする。
「ボクには攻撃するなっていう割に、ライラはあっさり殴るね。」
顔の前でゆらゆらと漂うフェルに向けて、ライラは心底不思議そうな顔をした。
「むかつく奴いたらやり返さないと。魔法じゃないから校則違反じゃないし。フィメルっぽいネチネチしたやりとりは苦手だけど、ああいう明らかに暴力に訴えてくるやつはわかりやすくていいよね。ーーーフェルは絶対だめだよ。フェルが『危険』って判断されたら嫌だもの。」
ライラの言い分にフェルは渋々と言った様子でうなずく。
「ーーー人間のルールから、ライラはボクを守ってるってことか。」
そうそうと言って笑ったライラの耳を、フェルが抗議するように甘噛みした。
「うひゃ!?ーーーちょ、フェル、くすぐったいんだけど!」
ワイワイ言っているうちに、図書館棟についたライラたち。
ライラは図書館に入ると、螺旋階段を上がり、真っ直ぐに黒竜の飛んでいる天井のある部屋へと向かった。
迷いのない足取りで、窓際の定位置に座る。
そこで本日分のノートを取り出し、復習を始めた。
頬杖をついて、一心に手元を覗き込むライラ。
窓から差し込む光で、白銀の髪がキラキラと輝く。
そんなライラを邪魔をしようとするものがいるとーーー入口付近に座っているフィメルたちがさっと立ちはだかる。
五人ほどだがーーー彼女たちの有無を言わさぬ笑みに、邪魔者はすごすごと退散していく。
実は、彼女たちはデニスのファンだった。
デニスを見ているうちにーーー自然と目に入るライラ。
デニスのファンの中にはライラに反発するものもいたが、大半は、今この場にいるフィメルのように、デニスの笑顔を守りたいと考えている。
彼女たちは以前から、ライラが図書館に通い詰めていることを知っていた。その上で静観していたのだが、最近では静かなこのライラの聖域にも無遠慮にくる生徒がいる。
ライラはその生徒たちが周囲の迷惑になっていることを察し、一度は図書館通いをやめようとしたのだ。
きっかけはやはりライラを僻んだある生徒。
絡んでくるマスキラにため息をつきつつも、騒動の原因となっている自覚があったライラは立ち去ろうとした。
そのときにーーーライラに乱暴に詰め寄ったマスキラの腕が、近くを通りがかったフィメルにぶつかったのだ。
「キャッ!?」
ーーー尻餅をついたフィメルを見たライラ。
呆れたような表情だったライラだがーーー相手のマスキラを見て、スッと真顔になった。
図書館だからと遠慮していたのだろう。
マスキラを視界に入れた後でそっと取り出していた杖を振り上げ、原因のマスキラを殴り付けた後、床に座り込んでしまっているフィメルへと駆け寄った。
「大丈夫ですか?ーーーこんな可憐な子にぶつかって謝りもしないなんて。…クズが。」
自分への悪口を聞いても聞き流すだけだったライラが突然見せた激情。
ライラに睨みつけられたマスキラは、一瞬怯んだが、すぐに言い返そうとした。
しかし、周囲の視線のあまりの冷たさにーーー気まずさが勝ったのだろうか。踵を返していた。
バタバタという足音が消えた後ーーーライラはすぐに茫然としているフィメルに、断りーーーなんと横抱きにしてしまった。
真っ赤になっているフィメルを見て、一瞬笑った後、そばにあったソファにそっと座らせる。
そして、目を合わせるように跪いた。
表情がない、人形のようなどと噂されている顔を心配そうなものへと変えたライラ。優しい声で問いかける。
「ーーー怪我はないですか?パートナーの方がいれば連絡しましょうか、謝らなければ。」
うむむむと悩み出したライラを見つめ、フィメルは真顔でいった。
「いえ、ご褒美のようでした。」
「は?」
しばし二人は見つめあいーーーぷっと吹き出した。
声を潜めながらも笑い合った後ーーーライラが意地悪そうな顔になって言う。
「優しくされたからって騙されてはいけません、あなたのような可憐な子に近づく輩はいっぱいいますから。わたしもそうかもしれません。」
ライラはこう言ったがーーーフィメルの生徒は当然知っていた。
ライラの周りにはすでに、「騎士」も「姫」もいる。
邪な感情はなく、純粋な親切心からくる行動だとわかっているのだ。
ライラは不満そうなフィメルの反応を見て笑うと、怪我がないことを確認して立ち去ろうとした。
慌てたようにフィメルが呼びかける。
キョトンとした顔で振り返ったライラ。
「ーーーあの、図書館がお好きなんですよね?いつも見かけます…明日も来てくれますか?」
フィメルの生徒からライラにかけられた言葉。
ライラは少し考え込むようにした後、周りを見回す。
ーーー試験前でもない図書館にいる生徒はあまり多くない。
見知った顔ぶれが、みな、うなずいている。
「明日も来ていいんだよ」そう言わんばかりの周囲の反応にーーーライラは破顔した。
ーーーいつの間にか、仲間ができてたんだな。
「ありがとうーーー今日は退散するけど、明日また来ます。」
ひらひらと手を振って立ち去っていったライラ。
残されたフィメルは、頬に手を当てながら言った。
「ーーーさすがデニスくん。見る目あるわ。…ちょっと、フィメル化するかは怪しそうなイケメンっぷりだったけど。」
ーーーこのようなやりとりがあり、ライラの滞在する時間は、フィメルバリアともいえるものが入り口に形成されるようになった。
先導しているのは件のフィメルだ。
デニスのファンとして彼女はそこそこ有名だった。
ライラは知らなかったようだが。
そんな図書館で、ライラは「魔法倫理を白の人々に適応する際に重要な三箇条を調べ、千字にまとめよ。」というつまらな…退屈なレポートと戦った後ーーーパタンと辞書のように分厚い法令集を閉じた。
フーッと息を吐き出したところで、辺りを見回し、フェルの姿がないことに気がつく。
「あれ、フェルは?」
ボソリと呟くと、まるでライラの声が聞こえたかのように、入り口で発光しながら入ってくるフェルの姿が映った。
横には分厚い一冊の本を抱えた司書の人が一緒だ。
何やら楽しそうに会話しながらやってきた二人。
ライラが首を傾げていると、司書が顔を上げ、ライラに向かって胸で十字を切った。
ライラも反射で挨拶を返しーーー戻ってきたフェルと、一冊の本を見比べながら言う。
「司書さんと何を話してたの?」
「ああ、ライラのこと。ーーーなんかよく噂になるからどれが本当のことか知りたいんだって。」
魔法陣の専門書を探してもらうついでに話が弾んじゃったんだ、と話すフェルはすっかりこの図書館棟に馴染んでいる。
司書たちからはなかなか人気が高い。
ライラもよく使役主として、触らせて欲しいとねだられている。
「噂するほどのことやってないけどなあ。ーーーそれで?なんで魔法陣の本?」
ライラが問いかけるとーーーフェルはそれに答えることなく、スーッとライラを中心として円を描くように飛んだ。
フェルが一周したところでライラを取り囲むように黒紫色のカーテンがかかる。
防音魔法だ。
どうやら秘密の話がしたいらしい。
ーーーフェルの魔法に対して疑問を持つことをライラはすでにやめている。「とにかく規格外」これがフェルへの認識だ。
フェルはライラの頭の上に降り立った後で、楽しそうに宣言した。
「浮遊魔法の魔法陣の練習を本格的に始めます!」
はい拍手!そう言われてライラはパチパチと手を叩いて見せたがーーーフェルの突然の提案にすんなり納得したわけではなかったらしい。
「無理そうっていうのもあるけどーーーフェルがいるのになんで私が覚えるの?」
「ボクがいないときに、ライラの体調が悪化したら動けなくなるでしょう?自分でも使えたほうがいいよ。ーーー人間では普通できないんだけど、ライラはボクと契約しているから可能性があると思うんだよね。」
ライラはそれでも抗議しようとしたがーーーフェルの視線が、どこまでも本気なのを見て、何かを察したようだ。
諦めたように、魔法陣をメモしているノートを取り出している。
ーーーボクがいなくなった後の一年間、ライラは自力で動かなきゃいけないんだよ。
フェルの胸の内が聞こえたわけではないだろうがーーーライラは真剣な表情でフェルの持ってきた本と以前フェルが書きつけた浮遊魔法の陣を見比べている。
そして、すぐにフーッとため息をついた。
お手上げだわ、などとぼやいている。
「アツムさんでさえできないって言ってたものをわたしが理解できるわけなかったわ。ーーーフェル、自力じゃ無理だよ。」
フェルは「えー!?」と抗議しているが、ライラはそもそもあまり論理派ではなかった。
魔法を流すのも、「ぐわーって感じ!」と表現しており、ミシェーラに呆れられていた。
ちなみにデニスも感覚派である。二人とも実技のデリケート系の課題は苦手だ。
「そもそもさ、私が理解できないって分かってたからまずはアツムさんに頼んだのでしょう?正解だよ。」
ライラが無理無理と言ってひらひらと手を振る。
フェルはまだ不満そうだったがーーー
「ま、予想通りなんだけどね。ーーーこれから、王宮に行こう!パーシヴァルの言ってた爺に会いに行くよ!」
今日は金曜日だからちょうどいいよね!と言ってライラの鞄を浮かせ始めたフェル。
ライラは浮遊魔法はダメ!とフェルを諫めつつ、慌てて帰り支度をしている。
分厚い本は持っていくことにしたようだ。
「復習用には使えるかもしれないしね。」
フェルのせっかくの好意を無駄にするのもはばかられたのだろう。
カバンの狭い口を精一杯引っ張って押し込んでいる。
そしてライラはケイマプレートを探そうと歩き出そうとし、フェルに止められた。
今、フェルは件の人物に会いに行ってきたそうなのだがーーー時間がないらしい。
「日が沈む時間にとりあえず会ってくれるって。」
日が沈む時間ーーーそれはつまり、あと一時間も残されていない。
ライラはどうしようと頭を抱えたがーーーフェルは、サッとライラに浮遊魔法をかけた。
図書館の入り口で金色に光り出したライラを、偶然居合わせた数名の生徒が、ギョッとしたように見ている。
ーーーあはは、後で先生たちに怒られそう。
ライラは苦笑いしつつもーーーせっかく予約まで取ってくれたというフェルのため、叱責は甘んじて受けようと思った。
ビュンビュンと風を切るように移動しながら、ライラはふと気がついた。
「フェル、いつの間にパーシヴァル様の師匠と仲良くなったの?」
風音で、会話するのも一苦労である。
ライラから叫ぶようにして投げかけられた問いに、フェルはライラの耳元まで近づいていって答える。
「ジョシュアに呼ばれたときについでに会ってきたんだ。」
「でた!なんでフェルばっかり呼ばれるの!?ずるいよ!」
ライラはギャアギャアと文句を言うが、フェルは聞き流している。
と言うのもーーー
「いつもライラも行くか誘うのに、断るじゃない。課題が、なんとかがって言って。」
「だって呼ばれてもないのに行くのも迷惑だよ!」
「そんなこともないと思うけど。」などとフェルが答えたところで、白亜の王宮がライラの目に飛び込んでいた。
竜の骨で作られたレンガは夕陽に照らされ、キラキラと輝いている。
目に飛び込んできた宝石のような城に、ライラは文句を言うのも忘れたように王宮に見とれた。
下からしか見たことがなかったが、高い場所からだとまた違った姿が見られる。
先ほどまで怒っていたにもかかわらず、すぐに上機嫌で綺麗…と呟いたライラの単純さにフェルが忍び笑いをこぼす。
フェルが目指したのは、端に位置している一つの塔だった。
他の建物と同じく竜の鱗でできたその場所に、目的の人物はいるらしい。
フェルがいきなり最上階の空いていた窓から入ろうとしたため、ライラは慌てて止めることになった。
「さっき声かけたからいいじゃん?」
ーーーとフェルはいうが、一応、面会相手はかなりのお偉いさんだと聞いている。
礼儀は大事だとライラが説得し、なんとか正面玄関から入ることをフェルに納得させた。
しかし、正面の扉の頭上から現れたライラたちに。見張りの騎士たちはギョッとしていた。
「ーーー誰だ!?」
「あの特徴はシャーマナイト様のところの?一体なぜここに?」
ストンと地上に降り立ったライラがどう説明しようか首を捻ったところで、騎士たちの魔力通信に着信があった。
何やら短いやり取りの後ーーー騎士たちは、サッと扉の前から退きライラたちを通してくれた。
「『上から客人が見えた』そうです。どうぞお通りくださいませ。」
騎士たちに促され、ライラは鉄製の扉を潜った。
消えていったライラたちを見送りながら、騎士の一人が呆然と呟いたという。
「シャーマナイト様、エゲート様、ブライヤーズ…さらに、ジョーワ様まで。」
グレイトブリテンの上層部に着々と人脈を築いているライラは騎士たちにとって、もうただの色なしなどではない。
ーーー俺、あとで自己紹介して顔覚えてもらおうかな。
つぶやいた彼の意見に同意するように、もう一人の騎士が首を激しく縦に振っていた。