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Episode12.訣別


 土属性の訓練場には、地面を揺らす鈍い音が断続的に響いていた。

 特有の魔術音。その場にある土や砂を利用する土属性の魔術には付き物だ。

 候補生学校の後期カリキュラムより、エウスタキオ教官が剣術の訓練を受け持ったように、魔術師団から各属性のエキスパートである団員が派遣されてきた。目的はもちろん篩い落とし。厳しい訓練を経て、魔術師団に相応しい候補生と、そうでない者たちを選別するためだ。

 他の属性の訓練内容はカチュアから聞いた一部の情報しかないが……死に物狂いでやらなければ置いていかれてしまうのはどこも同じだ。

 この、土属性の訓練でも。

Cochmaコクマー-heヘーTipherethティファレト)

 目の前に得意な造形を創り上げる。

 まずは石柱。神殿の柱のように傷一つない滑らかな造りだ。

 土属性の特徴は、何よりもその密度・・だ。他の属性と比較して最硬度を誇る。

 水では柔らかすぎ、風は実体がなく、雷や炎では鋭すぎる。

 土属性は盤石な守りと高威力な一撃を併せ持った魔術なのだ。

 ……だからこそ、必要とされる要素がある。

 速さと柔軟性だ。

GevurahゲブラーLamed(ラメド)Tipherethティファレト

 次は土の壁。厚さは50㎝、高さと幅は2m程。セウロとの一戦の際に、食堂を二分したものをコンパクトにした。

 この造形は敵魔術から身を守る盾や、市街地戦において敵の分断など、戦術的に有効だ。



「――遅いな。バジル・グレーバー、君の魔術の生成速度では、盾として機能しない」



 背後から声がかかる。

 振り向いた先にいたのは、土属性の訓練教官。

 第三魔術師団の現役団員ダーレス・ダイヤモンド。

「守りは常に後手だ。それでは雷や風属性の攻撃を受ける際、間に合わない」

 ダイヤモンド……つまり、四大貴族の家系だ。土属性の権威であるダイヤモンド家の次男。そんな彼に面倒を見て貰えるというのは、候補生からすれば身に余る光栄らしい。

 だが、そんないけ好かない奴の言葉は、素直に受け入れられない。

 ついさっき、エウスタキオ教官とカチュアの訓練の様子を見たばかりだ。

 カチュアを包んだ歓声が脳裏によみがえる。

 ……ボクは今、虫の居所がすこぶる悪いんだ。

「珍しいですね、ダーレス教官。貴方が貴族以外の候補生の面倒を見るなんて」

 皮肉たっぷりに言ってやった。

 有力貴族は魔術師の血筋ばかりだ。ダイヤモンド家の派閥の貴族もいれば、媚を売っておきたい家系もいるだろう。他の四大貴族の派閥との軋轢を生むわけにもいかない。ダーレス教官は必然的に、貴族の子女ばかりを相手していた。

 ……そもそも残っている候補生の大半が、貴族の家系ばかりではあるのだが。

「……驚いたな。この期に及んで、教官にそんな口をきく気骨のある奴が残っていたとは」

 ダーレス教官はこちらに歩みを進めた。

 ぶつかりかねない距離まで、容赦なく。


 そして伸ばされた手が……ボクの肩を優しく叩いた。


「何を焦っている、バジル・グレーバー」

 一見無表情な顔だが、その声色からは一人の候補生を心配する様子が感じられた。

「そもそもいつものお前ならば、土属性の無機造形ぐらい倍の速度で出来ていただろう。明らかに集中を欠いている」

 その突然の言葉に、不意を突かれた。

 いつもの……? この男、まさかボクの普段の訓練の様子を言っているのか……?

 あり得ない。土属性だけで30名ほどの候補生が残っている。そのうち貴族でもなく凡庸なボクをわざわざ気に掛ける理由なんてないはずだが……。

 ダーレス教官は考え込むように顎に手を当てて、焦るボクの表情をまじまじと見つめた。そしてゆっくりと話し始める。

「“優れたマナ探知は、魔術師の感情までも読み取ることができる”……とは、十二使徒の聖女アリエス・アークライトの言葉の引用だ。彼の使徒には嘘が通じないとの逸話も残っている。私も第三師団の団員と、マナ探知の似たような感覚についてよく議論する。つまり裏を返すとだな……人の感情・心と、魔術は密接に結びついていると言うわけだ」

「何ですか? 何を仰りたいのか、図りかねますが……」

「私のマナ探知は聖女ほど優れているわけではないが、この距離であればお前の生命核アニマが平素よりも乱れていることくらいは分かる。魔術行使の結果を見ても明らかだ……今日はもう訓練を上がれ。これは教官としての判断だ」

「はぁ……!?」

 突拍子もない話につい素のリアクションが出た。

 ダーレス教官は顔色ひとつ変えず、踵を返して歩き出した。

「その生意気な態度にも今日は目を瞑ろう。だから、明日までにコンディションは整えてこい」

 離れてゆくその背中に声をかける。

「ま、待ってください! ボクはまだ無機造形三種の課題と、有機造形への挑戦課題も……!」

 立ち止まった教官が、こちらを鋭い瞳で見抜いた。



「訓練に集中できてない理由に、心当たりはないのか」



 その言葉に、息がつまる。

「それ、は……」

 うつむくことしかできなかった。それを見て、ダーレス教官は再び歩き出す。

「いいかバジル・グレーバー、自己管理は一人前の兵士に必要な素養だ。そして、候補生の管理は教官の責務だ。これから軍隊に入ろうというのなら、噛みつくばかりでなく、上官に大人しく従うことも覚えておくといい」

 そう言い残して、教官は他の候補生の指導に向かった。

 現役魔術師団員の格を感じさせる振る舞いだった。言い返す隙もなく、悔しいことにダーレス教官の言葉は的を得ていた。

 心当たりなんて、あるに決まっている。

 まず浮かぶのは、あいつが……セウロが剣を振るう姿だ。

 離れない。

 あの日・・・からずっと……セウロが剣を振るう姿が離れない。

 それだけならば、ここまで悪化はしなかっただろう。

 再び、エウスタキオ教官とカチュアの訓練の様子と、歓声が脳裏によみがえる。

 セウロだけじゃない。カチュアの姿が、いくつもいくつも浮かんでは消える。

 セウロに追いつこうと焦るボクにとって、いつも隣にいるカチュアの存在が……いつしか、無視できないわだかまりとなっている。

 今日の剣術訓練の結果が、決め手となったのだろう。


 もう……このままではいられないか。


 腰に巻いた帯剣のベルトを解く。

 息を吐いて、肩の力を抜き、歩き始めた。

 ボクは土属性の訓練場を後にすることにした。

 早めに訓練場を去る奇異の目線も、ダーレス教官に一声かけたことも、ぼんやりとしか覚えていない。

 向き合うことに決めた目の前のことで、頭がいっぱいだったから。




 Episode12.訣別




「何故、パトリシア嬢にあのことを話した?」

 スペード家とグレーバー家の因縁。ビジネスパートナーだった過去。

 それを第三者である同期に喋ってしまったと、カチュアは自ら報告してきた。

 夜風が肌身に染みる。季節としては、夏の終わりに差し掛かっていた。

 ここは候補生学校の中庭。渡り廊下が交錯し、高い樹が一本だけ植えられた殺風景な場所。しかし唯一開けた視界には、首都アーゼルの夜景が一望できた。

 円の欠けた月。

 二人の他には誰もいない。

 草木が音を吸って、しんと静まり返る。

「申し訳ありません、バジル様」

「……それはいい。ボクではなく、パトリシア嬢に謝罪しておくんだ」

 彼女はまた、いつものように恭しく頭を下げていた。

 今まで何度も。

 何度も。

 何度も見てきた光景だ。

 この娘はいつも簡単にボクへ頭を下げる。

 その光景が、たまらなく嫌いだった。




 ◆◆◆◆◆




 入学式当日の事件から、1ヶ月ほど経った頃。

 セウロ・スペードが候補生学校の敷地外へ無断で外出しているというウワサが立った。しかも、カチュアが下調べしたところ、その行先はどうも隣接している宮殿らしい。

 王族が住まう宮殿への無断侵入など許されることではない。それは2週間の謹慎処分を食らったボクが身を以って理解している。

 授業を終えたあと意気揚々と支度し、カチュアと共に尾行した先で見たものは、セウロ・スペードがある人物と会い、摩訶不思議な修業を繰り広げている光景だった。

 無色の柱。マナで出来たそれが何本も宙を舞い、縦横無尽に襲い掛かる。一本一本が高濃度のマナの塊だった。物質化するほどにマナを凝縮する技術なんて、『再生紀行』に出てくる伝説的人物……十二使徒が一人、賢者の技術わざでしか聞いたことがない。

 確かに長いローブに身を包んだ謎の人物の生命核アニマは異常だった。魔術師団の団長レベルの化け物だ。その人物の奇怪な術に翻弄されながらもセウロは必死にくらいついて、さらに剣技を磨き、身のこなしが洗練されてゆく。


「バジル様、通報しましょう」


 隣で茂みに埋もれたカチュアが、頭に葉っぱを乗せたまま真剣なまなざしでこちらを見つめていた。ただ、それに返事をする余裕なんてなかった。

 ボクは言葉を失っていた。


 いや、見蕩れていた。


 大嫌いな奴の剣技に。

 陽光を撥ねるつるぎの舞に。

 思考の余地などなく、食い入る様に彼の戦う姿を見つめていた。

 肩をつつくカチュアに反応することもできないくらいに……ボクの心の中は悔しさで埋め尽くされていた。

 奥歯をギリギリと噛み締めた。

 悔しかった。

 手のひらに爪が食い込むほどに強く拳を握った。

 悔しかったのだ。


 ああ、ボクは剣でアイツに勝てないだろう。


 そう、わかってしまったことが。

 自らの弱さを認めるしかないことが。

 一番負けたくない相手に、勝てないことが。


 たまらなく悔しかったのだ。



「――ジル様、バジル様? 先ほどから視線が動いていません……大丈夫ですか?」

 カチュアが心配そうに隣で手を振ってこちらの視界の隅に入る。

「学校に戻って、教官へセウロを通報するのです」

 彼女はこのままだと本当にそうするだろう。

 教官に伝われば一発だ。一度謹慎になっているセウロにはもっと重い処罰が下るだろう。もしかしたら、候補生学校を退学だなんてこともあるかもしれない。

 冗談じゃない。

 そんなことは許さない。

 勝ち逃げされたまま、終わりだなんてふざけるな。

「……できない」

 ボクはカチュアに背を向け、歩き出していた。

「な、なぜですか! 絶好のチャンスです。今セウロを貶めれば……」

「カチュア、よく見ろ」

 無機質な柱と相対するセウロを指さした。

 ずっと……否定し続けてきた。認めてたまるかと、目を背けてきた。

 入学式の日の決闘。日々の教練で見る剣技。そして今目の前で繰り広げられている特訓。

 もう、無視はできない。

 これだけ見せつけられては、認めるしかない。

「ボクはアイツが嫌いだ。だが、ボクらが最も許してはならないものは、『努力を踏みにじる行為』だ。ボクらグレーバー家が、スペード家にやられたのがそれだろう」

 カチュアは、そこで大きく首肯した。

「そうです。我々は裏切られた……その恨みをいま――」

 言葉を遮る。

「――だから、ボクはそれを忌み嫌う。もし目の前で『努力を踏みにじること』が行われているとしたら、憎しみをもって、それを醜い行為だと罵ろう」

 その言葉で意図に気づいた様子で、カチュアは小さく息を吸って口をつぐんだ。

「カチュア、憎しみのために外道に落ちることはない。例え相手がスペード家の血族であったとしても、他ならぬボクらが、人の努力を踏みにじるようなことはあってはならないんだ」

 カチュアの肩つかむ。

 きっと、カチュアはボクのためを思ってこういう行動をとっている。

 ボクが嫌いなセウロを排除しようとしているだけだ。

 危険だと感じた。

 正義感や使命感を持った感情は暴走しやすい。ボクも心当たりがある……だが、カチュアはボクやグレーバー家のことになると、特に顕著だ。

 彼女が悪行に与するところは見たくない。

「カチュア……今後はセウロやユージーンのことで気を取られ過ぎるな。奴らが魔術師団として不適格であれば、いずれ来る篩い落としで消えるだけだ。ボクらが奴らのために、品格を落とす必要なんてない」

 その言葉に、カチュアは渋々といった様子で頷いた。

 

 宮殿の茂みを後にして、候補生学校の敷地内への戻る。

 道中、いつもより早足になってしまう。

 脳裏に焼き付いたセウロの剣技。

 あんなものを見せられては、気持ちが昂る。

 アイツとは、やはり決着をつけたい。

 退学だなんて方法で逃げられてしまったら、一度敗北を認めてしまった心を、覆すことができない。

 正当な努力は、正当な努力を以って制すしかないのだ。

 ボクのやる気は漲っていた。セウロを負かすために、できることを全てやってやる気でいた。


 しかしその翌週。

 広間に張り出された中間試験の対戦表で、ボクの横にセウロの名前が並ぶことはなかった。

「バジル様、第三戦は私との対戦ですね。胸を借りる気持ちで、挑ませていただきます」

 隣でそう意気込んだカチュアに覚えた一抹の不安は、的中することとなる。

 



 ◆◆◆◆◆



 

 中間試験。摸擬戦の最終戦。

 激しい打ち合いが中心の試合運び。

 二度目のフェイントに釣られたカチュアの、足元をローキックでさらった。

 その胸倉をつかんで、思いっきり地面にたたきつける。

 そこに多少のいら立ちを孕んでいたことは、隠しようのない事実だ。

 今までにも何度か手合わせをしてきた中で、カチュアの得意不得意は理解しているつもりだった。

 速度においてボクを容易く凌駕するはずの彼女が、真っ向からの打ち合いに乗ってくるというのは、不自然な話だ。

 晴れ舞台で緊張する精神的綻びもない。

 ……悲しいことだが、これはわざとだと認めるしかなかった。

 わざわざボクの攻撃を全て受けたカチュアが、息を上げてこちらを見つめてくることに、どうしようもなく苛立った。

 

 本気で摸擬戦に取り組まないカチュアへ? いや違う。

 カチュアに手加減をさせているこの関係性に? もちろんそれも苛立たしく、不甲斐ない。

 カチュアが手心を加えなければ釣り合わない自分の実力に?

 それしかないだろう。

 ボクは、対戦相手に労わってもらわなければならないほどに、矮小なのだ。


 悔しかった。

 それでも、この手心はボクを慕ってくれるカチュアの、優しさだとわかっていたから。

 何も言えず、唇を千切れるほどに噛んで、血の味を感じながら立ち去ることしかできなかった。

 悔しかったけれど、覆せなかった。




 ◆◆◆◆◆




 先週の出来事だ。

 自分にわざと負けた少女が、本気で戦う姿を見た。


 汗を散らして、素早く立ち回るカチュアを美しいと思った。

 誰もが戦闘を放棄し、どう訓練の時間をやり過ごすかという思考しかできない中で、毅然として“戦い”を貫く。

 ボクの隣では見たことがない、活き活きとした表情かお

 あの戦いで、彼女は紛れもなく主役だった。

 


 ボクは限界だった。



 彼女はボクの隣にいると、ボクを主役へと立てることに執心してしまう。

 カチュアの実力を殺しているのは、ボク自身だ。

 そしてそのボクは、彼女を縛っていられるような実力ではない。

 ボクはひとりで、もっと強くならなければいけない。


 長い長い静寂を切り裂く心地よい金属音が鳴り響いて。

 教官の頭部を包んでいた兜が宙を舞い、後方へと落ちた。

 その後、生徒の群れと歓声に囲まれるカチュアを遠巻きに眺めながら。

 

「……お前を、ボクの隣に縛り付けておくのは、もったいないな」

 毅然として戦い、勝利し、そして人々の中心にいる姿を目に焼き付けて。

 ボクは決めた。




 

 ◆◆◆◆◆




「訣別だ」


 少し肌寒い夜風がするりと隣を抜けて、カチュアの髪を撫でていった。

 カチュアは恭しく下げていた頭を持ち上げた。

 そこには、不安そうな表情があった。

「訣別とは……どういう意味ですか?」

 その問いかけに、一瞬だけ心が揺れた。

 カチュアを手放してしまうことが、どういう意味かもう一度よく噛み締めた。

 だが甘えるなよ、バジル・グレーバー。

 カチュアを失うことがボクにとってどんなに痛手であろうと関係ない。これは彼女のための訣別なのだから。

 伝えるんだ。



「そのままの意味だ。もう、明日からお前は僕に付きまとわないでくれ」



 時が止まったようだった。

 カチュアは目を見開いて、そして、次の言葉を紡げないでいた。

 そこに、畳みかけるように言った。

「お前は明日から、ボクを朝迎えに来なくていいし、ボクの稽古に付き合わなくていいし、ボクと一緒に座学の予習をすることもない。食事だって別々に摂る」

「……ま、待ってください、どうして、いや。嫌ですバジル様そんな」

「ダメだ。もう決めた。明日からおはようも、おやすみもボクに言いに来るな。カチュアの手はもう借りない。ボクは一人でやらなくてはならないんだ」

 泣いていた。

 グレーバー家に5歳で奉公に来てから、一度だって人前で泣かなかったカチュアが。

 スペード家とフェアファンクス家に裏切られて、ひもじい一家を気丈に支えたあのカチュアが。

 ずっと、ボクの隣でボクのことばかり見ていたカチュアが。

 両方の瞳から、大粒の涙をこぼして、口をぎゅっと結んでいた。

「わ、わたしは……」

 いつも言葉に詰まることなんてなく、流麗にしゃべるカチュアが、息も絶え絶えに言葉を探していた。

「わたしは……バジル様を敬愛しています。あなたの邪魔はいたしません。だから、お願いします」

 ああ、止めろ。

 止めてくれ。

「私を傍に置いていてください……」

 そう言って、カチュアは恭しく頭を下げた。

 最悪だ。

 何度も。

 何度も見てきた光景だ。

 この娘はボクへなら、簡単に頭を下げる。

 その光景が、たまらなく嫌いだった。

 ボクよりも実力のある彼女が、ボクにへりくだっていることが、どうしようもなく惨めだ。

 ボクも、カチュアも惨めったらしくて仕方がない。

 ……でも。

 だからこそ、彼女の気持ちだけは疑う余地もないと断言できる。

 片膝を、地に着けた。


「カチュア。今までボクと一緒に居てくれてありがとう。10年間の勤めに、心から感謝を」


 珍しいことだ。

 天邪鬼なボクが誰かに礼を言うだなんてことは、本当に珍しいと自分でも思う。

 顔を上げたカチュアが泣きながら目を丸くして、絶句しているのも頷ける。

「お前の働きに文句をつけるところはなかった。だが、候補生であるボクらがこれ以上一緒にいては、どちらにとっても良い結果にならない」

「……そんなこと、そんなことありません! 私はもっとバジル様のために尽くします! 鍛練だって、勉学だって、バジル様がもっと強くなれるように私が」

「ボクは、お前に支えられなければ強くなれないようじゃ、ダメなんだ!!!」

 カチュアの言葉を遮って、声を荒げてしまう。一瞬の静寂が通りすぎて、カチュアがすがるように小さな声で訊ねた。

「……どうしても、ですか?」

「ああ覆らない。もう決めたことだ……ボクの頑固さは、お前がよく知っているはずだろう、カチュア」

 その言葉に、彼女はゆっくりと首肯した。



「ボクはお前が兵士として大成することを確信している。お前に追いつけるようにボクも努力するから……待っていてくれ、カチュア」



 そう言い残して、ボクはカチュアへと背を向けた。

 これ以上話を続けていると、感情に流されてしまう。

 だから、振り返ることは決してない。

 少し肌寒い夜風を切って、大股で歩く。

 涙声が静かに響く中庭から去り、寮へとひとりで戻った。


 この日、ボクは物心ついてから初めて、カチュアに「おやすみ」を言うことなく眠りについた。




 この別れをもって、ボクらの主従ごっこは終わりを告げた。

 同時に、ボクの孤独な戦いが始まる。

 セウロ・スペード、ユージーン・フェアファンクス……そして、カチュア・リラート。

 ライバルたちに負けたままじゃ、終われない。

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