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Clear Lance_大魔戦記_候補生編  作者: 一木 樹


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Episode11.独り善がりな忠儀



 篩い落としは苛烈だった。

 エウスタキオ教官を始め、各魔術師団から現役の団員が派遣されて、指導に当たった。

 剣術と各属性別の訓練。

 やり過ぎ、と表現しても差し支えは無いだろう。

 事実、訓練の内容が激化してから1ヶ月で、実に30名の脱落者が出た。

 志高くして候補生学校の門戸を叩いた、将来有望な者たちの一割という数字だ。

 彼らは候補生止まりだったのだ。

 それほどまでに、魔術師団の壁は高く、険しい道だった。

 そして、そう思い知らされてなお、私には挫けるわけにはいかない理由があった。


「バジル様、コーヒーをお持ちしました」

 机上を照らす蝋燭の灯りが揺れる。

 バジル様は剣術指南の本と、教官の動きを書き留めたメモの束を見つめていた。

「ああ……ありがとうカチュア」

 集中している。

 彼は紙面から目を離すことなくコーヒーを啜る。

「消灯時間からもう1時間です。そろそろお体に障りますよ」

「わかっている。だが、ボクはセウロより早く教官に一矢報わなければならない。明日こそ……ん、カチュア、お前は自室に戻れ。この時間に警備に見つかると面倒だ」

 厄介払い……ではなく、バジル様なりの気遣いだ。ここで駄々をこねると遠まわしにバジル様の睡眠時間を奪ってしまうことになる。

「……かしこまりました。私は戻りますが、バジル様もどうかご自愛して、お休みくださいますよう」

 そうと決まれば早い。即座に課題や教本などを片付けて、泣く泣く部屋を後にする。

「ああ。もう少しだけ対策を練ってからだ。おやすみ」

「おやすみなさいませ」

 ああ……どうか、どうかいつの日にか、バジル様の努力が実りますように。




 Episode11.独り善がりな忠儀




「その程度か、グレーバー」

 地面に膝をついて肩で息をするバジル様に、エウスタキオ教官は容赦なく叱責を浴びせる。

「ハァ……まだ、……続きを……!」

「敵は私と違って情けも容赦もありはしない。今お前が膝をついている間に3回は殺されていただろう。理解したら退け。死人に費やす時間はない」

 酷い。なんて言い方だろう。交代しろと伝えるだけなのに、どうしてわざわざバジル様を傷つけるような言い方をするのか。まだ敵兵の方が慈悲深いのではないだろうか。

「ですがまだ……!」

「くどいぞ。摘み出してやろうか」

 悔しそうに歯噛みして、バジル様は剣を収めた。

「次だ! リラート、準備をしろ」

 沸々と、怒りがわき上がっていた。

 今すぐにでも傷心したバジル様に寄り添いたかったが、自分の訓練がある。

 ならば。

 この煮え滾る憤懣は。

 幾度も主を侮辱された返礼は。

 当人にぶつける他ない。

 鈍色の全身鎧が、腕を組んで待ち構えている。

 歩きながら昨晩のことを思い出す。

 バジル様と練った、エウスタキオ教官対策。蝋燭の灯りとメモの束。

 私ならどう戦う?

 私に何が出来るか。教官に何が出来るか。私に出来ないことは何か。教官に出来ないことは何か。

 整理しろ。

 完全な格上相手に、弱きものの戦い方とは。

 考えろ。

 定位置について、真剣を鞘から抜く。

 心を乱さぬように、ゆっくりと帯剣を構えた。

「始めるぞ。さあ、打ち込んでこい」

 隙の無い構えで君臨する戦士……だが、アレは“敵”ではない。

 私の命までは狙っていない。

 真剣を使っているのは、兵士を鍛える緊張感と経験のためだ。

 実際に殺し合うためではない。

 “教官”は、“候補生”を本気で斬り付けることはない。

 多少傷つけようが、命までは奪わない。


 付け入る隙があるのなら、“そこ”だ。


「初動が遅い」

 思考がまとまった直後。

 視界の全てが鈍い鉛色で埋まる。

 見定めろ。交差している籠手ガントレット。真剣は左の脇の下から――横なぎだ。

 地を這うように身を屈める。

 頭上で空気の裂かれる音が暴風のようにうねった。

 直後。見上げたところにあったのは、まるで巨人の足の裏。

 踏みつぶされる……!

 咄嗟に右へと跳び、地面を転がった。

 炸裂音がさっきまで私のいた場所を襲う。常人の威力ではない。爆発染みている。

 巻き上がる土埃の奥から、悠然とこちらに歩み寄る堅牢な鎧姿は、形の伴った暴威。


 だが、臆することはない。アレは、どうせ私を殺せはしないのだから。


 息をつく暇もない連撃が迫る。

 袈裟切り。

 横なぎ。

 足払い。

 斬り上げ。

 前蹴り。

 暴牛の如き怒涛。

 その全てを、紙一重のところで回避する。

 初撃は思考に気を取られていたが、集中していれば対処できないことはない。

 私の剣術の得意分野は速度スピードだ。

 膂力パワー速度スピード技術テクニック全てを併せ持ったエウスタキオ教官の総合力にはとても敵わないとしても、得意分野一点に絞れば拮抗できる。

 だが、流石に呼吸が荒れる。

 私程度の力で剣を合わせれば弾き飛ばされる。だから、全ては回避する必要があった。

 見切るしかない。

 体捌きから。予備動作から。

 私にはそれができる。


 バジル様が蓄積されたメモにあった、教官の攻撃パターンを頭に入れた私になら。


 観察なら得意だ。見極めろ。教官は次にどこへ打ち込んでくる?

 教官は帯剣を引き上げ、顔の真横で構える。その切っ先は私の眉間を指していた。

 雄牛の構え。

 いかにも突きを繰り出してきそうな凄味だが、持ち手が交差している。警戒すべきは刃を旋回させた斬り払いだ。

 視認が困難なほどの剣筋。

 柔らかく伸びるような残像。

 私の眉間から頭を真っ二つにしかねない斬り払いを、帯剣の腹で滑らせて受け流す。

 敵は死に体。

 踏み込んだ右足。振り切った帯剣。

 だが、チャンスではない。覚えている。

 この攻撃パターンも、覚えている。

 振り切った勢いは制止すること無く続くはずだ。


 イメージが重なる。

 教官と打ち合う姿。相手は、セウロ・スペード。

 褒めるつもりはないが、エウスタキオ教官と最も長く打ち合い、最も手数を引き出したのはセウロだ。

 癪だが、セウロのおかげでデータが取れた。

 もちろんそのパターンを記憶し、メモに残されていたバジル様の勤勉さこそ最も称えられるべきだが。

 雄牛の構えからの斬り払い。

 知っている。この直後の死に体は誘いだ。

 まんまと踏み込んだセウロの、頭上に堕ちる一閃。

 このとき真横から見ていた私は目を疑った。

 教官は身体の背後で勢いを直角に捻じ曲げ、斬り払いから間髪入れず斬り下ろしへの連撃に繋げた。

 だからここは後退を……と、地を蹴った私の鼻先を、殺意を持った鉛色が掠めた。

 視界に散らばる私の前髪。

 振り下ろした帯剣が、地面を叩いて抉る。

 久々に距離が開き余裕ができた。

 この女、本当に殺す気なのではと疑いたくなる。

 頭を包む鉢型兜バシネットの奥の表情は読めない。

 だが、跳び跳ねるような生命核の鼓動。マナ探知からは溌剌とした雰囲気を感じる。

 冗談ではない。

 こちらは命懸けだ。

 バジル様のためという大儀もある。

 駆け引きを楽しんでいる場合ではないというのに。

 なのに。

 頬を伝う汗。

 どうしてか、少しだけ私の気分も高揚している。



「なあ、あれ……」「すげえ! どうして当たらないんだ!?」「教官、イライラしてない?」「もしかして合格第一号でちゃうのでは」「カチュアさん笑ってる……?」「避ける……避ける……次も避けてる……!」「……頑張れ」「二人とも速すぎないか、どうなるんだこれ!!」



 距離を一瞬で詰める突き。斬り払い。

 回避の数が10を超えた辺りから、周囲が騒がしくなってきた。

 いつの間にやら模擬戦を取り巻くギャラリーが沸いている。

 全く騒がしい、気が散る……!!

 喧騒の内側でかみ合わない2人の息遣いと空を切る音と地を蹴る音が幾度となく繰り返されて。

 金属音は、まだ鳴らない。


「リラート貴様、研究してきたな……! いいぞ! 倒れるまで続けるがいい!」

「お断り、します……私は早々に貴女に一矢報いれたら、それで、いい……!」


 私は回避できなければ負け。

 教官は、攻撃の手を緩め、隙を見せたら負け。

 悪趣味で頭の悪い持久戦だ。

 踏みしめるばかりの地面から、土煙が舞い上がり二人を包みこんでゆく。

 そろそろ、だ。

 足がいつもつれてもおかしくない。

 汗が額から流れ落ちる。

 髪が張り付いてうざったい。

 ああ、もう、息が持たない。

 この立ち込める土煙の中で。

 カチュア・リラートはいつ限界が来てもおかしくない。



 ――そう、思ったでしょう?



 迫りくる剣が、一瞬ためらった。

 タイミングがほんの少しだけ遅れた。

 そして私はここぞとばかりに――わざと足をもつれさせた。 

 止まらない剣戟。倒れ掛かる私の身体。そこへ振り下ろされる帯剣。

 不慮の事故だ。白熱しすぎた。真剣を使っているのだから、何も不思議じゃない。

 候補生学校では毎年数件起こる事故だ。

 仕方がない、避けれない。

 エウスタキオ教官、相手が貴女でなければ。

 明らかに振り切る寸前だった剣が速度を失う。

 異常だ。そこから軌道修正なんて無理を通せば、腕が持たない。

 それをやってのけるのが、ヴァネッサ・エウスタキオ・シルヴェストリ元王国魔術第二師団副団長。

 剣が静止してしまう――その直前、もつれたように見せた両足が、しっかりと地面を踏みしめる。

 止まりつつあった剣を掻い潜り、間合いの内側へと侵入する。

 するりと。

 蛇のように素早く。

 両腕の間。抱かれるような位置について。


 私は思いっきり剣を斬り上げた。


 長い長い静寂を切り裂く心地よい金属音が鳴り響いて。

 教官の頭部を包んでいた兜が宙を舞い、後方へと落ちる。

 鉢型兜バシネットの中で窮屈に詰め込まれていたエウスタキオ教官の長髪がふわりと広がった。

 やった。

 やりましたよ、バジル様。

 カチュアは、バジル様に酷い仕打ちをしたこの女から、形はどうあれ一本取りました。


「見ていてくれましたか、バジルさ――」

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』


 歓声。

 “篩い落とし”の開始から1ヶ月。

 誰も取ることの出来なかった剣術模擬戦一本が、ついに破られたのだ。

 私は失念していた。

 かいていた汗が急に冷え、動悸が更に激しくなる。

 教官が兜を拾い上げて、こちらに語り掛けてきた。

「……少々、気になる部分もあったが……この状況」

 訝しむような表情をしているのは、汗にぬれた美貌の女性。

 彼女は周囲を一瞥し、言葉を飲み込んだ。

「ああ、結果は結果だな。よくも私から一本を取ってくれたな、リラート。誉めてやろう。そして……」

 やってしまった。

 ウェーブがかかった美しいブロンドヘアの女性……もとい、エウスタキオ教官が私の頭をなでる。

「……合格だ。カチュア」

 そこでもう一度、周囲が爆発するように沸き上がった。

 観客からは見えなかったのだ。舞い上がった土埃か、アングルの問題か、それとも私がもつれながらも力を振り絞ったように見えたのかもしれない。

 バジル様への仕打ちを見て、それで頭がいっぱいになり、つい忘れていた。

 教官から一本取るということは、候補生の誰もが突破できなかった偉業。

 それを、私が成してしまった。

 バジル様でなく、その従者に過ぎない私が……!


「すげえええええええ!」「カチュア! カチュア!」「誰でもいい。教官に一発入れてくれたことが嬉しい。ホントに嬉しい」「今日をエウスタキオ撃破記念日としよう!!」「え、まって? 教官の兜の下からすごい美女出てきたんだけど。ごつい鎧の上に美女の首が乗ってるんだけどねぇ、誰か聞いて」「師匠! カチュア師匠! 俺を弟子にしてくれ!」「めでたいなぁ……教官が負けるってことが実証された。なんてめでたい」


 人。

 人。

 人人人。

 名前も覚えていない同級生たちが、一斉に押し寄せてくる。なせだか泣いている人もいる。

 もみくちゃにされながら、バジル様を探す。

 こんなに囲まれていたらマナ探知どころじゃない。いったい、どこに……

「ええい! 貴様らどかんか!! 手当たり次第に訓練倍にされたいのかたわけ共!!」

 一緒に囲まれていた教官がどなり、みな復権を確信したのか蜘蛛の子のように散る。そして瞬時に整列しなおした。

 その最中、遠くの景色に一人だけ校舎へと戻る人物の後ろ姿が見えた。

 間違いない。あのお姿はバジル様だ。

「全く、一人合格者が出ただけではしゃぎ過ぎだ貴様ら。はしゃいでいいのは合格した者だけだ。わかったら次の訓練の準備をしろ!!」

 相変わらずの怒号が飛んで、何事もなかったかのように事態は沈静した。

「カチュア。お前は次の訓練だ。属性ごとの会場へ向かえ。模擬戦の次の相手は……フェアファンクス! さっさと準備をしろ!!」

 もう、教官の言葉は耳を通り抜けるだけで、よく聞いていなかった。

 生返事を返して走り出す。校舎へと消えた影を追う。

 途中、「嫌だなぁこの後に戦うの」と言いつつ笑顔のユージーンとすれ違った。

 そんなことはどうでもいい。

 バジル様を追わなければ。

 すぐに息が上がる。当然だ。死力を尽くして戦った。

 最後は卑怯な手を使ったが、それまで教官の全力に付き合っていたのだ。

 今度は本当に足がもつれる。でも、早く行かないと。

 伝えなければいけない。私は実力で教官を倒したのではないと。

 従者の私に先を越されてしまっては、バジル様の立つ瀬がない。

 そんなことは、許されないのだ。




「バ、バジル様……!」

 校舎内に駆け込むと、廊下の先にそのお姿が見えた。

 良かった、間に合った。

 もう一度お声かけしようとした瞬間。その隣にもう一人いることに気が付いた。

 バジル様が笑いかけるその相手は、パトリシア・シャントルイユ。

 魔法が生まれる以前の旧貴族のお嬢様。フィフト地方の領主の娘。

 私の恋敵だ。

 ……いや、私はバジル様と結ばれようなどとそんな恐れ多いことは思ってもいない。バジル様が誰かを愛す権利を侵すつもりも毛頭ない。

 けれど、この関係を表すのに適切な言葉はそれ以外に思いつかなかった。

「あっ、カチュアさん!」

 お得意のマナ探知だろう。歩み寄るよりも先にパトリシア嬢が私に気付いて、手を振る。

 あのごく自然な振る舞いで繰り出される笑顔にバジル様はやられてしまった。

 悔しいことに……女の私から見ても、確かに愛らしいが。

 絆されている場合ではない。

「凄かったね! まさかエウスタキオ教官相手に一本取るなんて……!」

 目を輝かせながらこちらに詰め寄るパトリシア嬢。

 正しくその件だ。私はバジル様に弁明をしなければならない。

「教室の下馬評ではセウロか貴族の男の子ばっかり上位で、ちょっと悔しいなぁって思ってたけど、カチュアさんが取ってくれて、なんだかこっちも嬉しくなったよ!」

 無垢な目を向けないで欲しい。

 こちらはそれどころではないのだ。

 咳ばらいをして、息を整える。

「ありがとうございます。しかし偶然です。教官も連戦がたたって疲弊していたのでしょう……それに、あの、バジル様」

 恐る恐るバジル様の方へ話しかける。

 ちらりとこちらを一瞥する視線。

「結果が全てだ。それを誇るといい、カチュア」

 直後、前を向き直して歩き出してしまった。

「ですがあれは本当に私の実力ではなくて……!」

「この先は土属性の魔法訓練の会場だ。カチュア、話は後にしてくれ。ボクは次の訓練に集中する」

 突き放されたと、そう感じた。

「ではパトリシア嬢、ごきげんよう」

 ぽつんと、取り残されてしまった。

 言い訳……出来なかった。

 ああ、やはり、バジル様の自尊心を傷つけてしまったのだろうか。

 私はバジル様の一歩後ろに寄り添って歩くべきなのに、どうして出しゃばってしまったのか。

 次会うとき、バジル様にどう顔を合わせたらいいのだろうか。

「えーっと、カチュアさん?」

 放心していた私を、パトリシア嬢が覗き込んでくる。

「ほら、私たち隣の訓練会場でしょう。途中まで一緒に行こう?」

 不本意だが、断る理由が思いつかなかった。


 そこから道中、他愛のない話が続いた。

 彼女は楽しげに話題を振ってくる。

 セウロ・スペードがこの前忘れた教本を寮に取りに帰るタイムアタックで5分を切ったとか。

 ユージーン・フェアファンクスにはああ見えてどうしても苦手な食べ物があるとか。何かは聞き逃した。

 バジル様に魔法の自主練に誘われたけれど、私も一緒にどうかとか。

 エウスタキオ教官にはお見合いの話が絶えないけれど、いつもうまく行かないのだとか。

 適当に相槌を打つだけの時間。

 どうでもいいことばかりで、心が少しずつ、少しずつ、冷めていくのを感じていた。

「あ、そうだよ教官と言えば! さっきも言ったけどすごかったねカチュアさん!」

 冷えて凍った心に、鋭利な何かが刺さる感触があった。

「カチュアさんの実力は模擬戦の時に直に体験したけど、教官相手に通じるなんて恐れ入ったよ」

 鋭利なものが深く抉り、心にヒビを広げていく。

「きっと、バジルくんも嬉しいんじゃないかな」

 その言葉で、大事な部分が砕けた気がした。

「……そんなことは、ありません」

「いやいや、きっと嬉しいはずだよ?」

 違う。

「カチュアさんのこと、自分の妹のような存在だって、前に話してたんだ。大切な身内が頑張ってたら、きっと嬉しいはずだよ」

 止めてくれ。何だってそう勝手な思い込みで話をするんだ。

「私も尊敬してるんだ。こんなに強い女の子が身近にいてくれて。セウロやユージーンも、うかうかしてられないって……」

「……るさい」

 挙句の果てに、無遠慮に、関わりたくない名前を出す。それも善意で。

「えっ? どうしたの、カチュ……」

 我慢の限界だった。



「――うるさいッ!!!!」



 自分でも信じられないくらい大きな声で、私は叫んだ。

「もう止めてください! 何も知らないあなたが! 私たちの間に入ってこないで!!」

 全身が勝手に震えていた。

 彼女は唖然としていた。

 それでも口を突いて出る言葉が、止まらなくて。

「無垢で無知な旧貴族のお嬢様風情が、何の苦労も知らないくせに、勝手に干渉する……嫌だ。嫌で嫌でたまらなかった。ずっと我慢していた……!」

「あの、カチュアさん落ち着いて……」

「貴女は知らないのでしょう、私たちが受けた仕打ちを」

 その言葉に、パトリシア嬢は目を見張り、息を飲んだ。

「……うん、知らない」

「貴女は親切のつもりで仲を持とうとするけれど、スペード家とフェアファンクス家は私たちにとって敵だ。命をも奪いかけた仇敵かたきだ!」

 私に触れようとしていた腕をとり、廊下の壁に打ち付ける。

 息がかかるほどの距離。揺れる前髪。顔の整った造り。それさえもが、今は腹立たしい。この人の何もかもが私を苛立たせる。

 もう、全てぶちまけてしまおうと思った。

「……スペード家とグレーバー家は……元々パートナー・・・・・でした。商家であるグレーバー家のスポンサーがスペード家だった。我々はスペード家のあらゆる事業に奉仕し、臣下のように仕えた……だと言うのに……!!」

 パトリシア嬢は眼を見開いた。

 意外そうな顔だ。この様子ではスポンサーこのことすら知らなかったと見える。

「奴らは私たちを裏切った……突然、パートナーは商家フェアファンクス家へと鞍替えされた……わかりますか? 王都を牛耳り、王国に名が轟く四大貴族です。その彼らに“不良品”の烙印を押された私たちが、それからどうなったか、わかりますか!?」

 パトリシア嬢は口を結び、胸を抑えた。想像は容易かったはずだ。

 貴族の持つ権力は、王都や王国のあらゆる場面へと波及する。

 ハート家と政治教育。クローバー家と農牧水産。ダイヤモンド家と建築街道。

 そして、スペード家と商業運輸。

「火がついてから、燃え上がるまでは一瞬でした。懇意にしていた取引先も、小売り店も、仕入先もすべて失いました。『あんたたちと関わってると知られたくない』って。街行く人が、好き勝手に悪口を言うんです。『何をやらかしたらああなるんだろうね』って……それから、商家としての信用を根こそぎ奪われたグレーバー家は、カビの生えたパンを齧り、泥水を啜りながら怨嗟を呻いて生きてきました」

 思い出すだけで涙が溢れそうになる。

 悔しかった。その中でも諦めなかったバジル様の痛ましい姿を、鮮明に覚えている。

「バジル様の心を焦がし、今だ冷め止まぬその気持ちが、貴女にわかりますか……?」

 わかってほしいわけじゃない。

 ただ、知らずにいられることが、羨ましくて妬ましくて、うっとおしかった。

 醜い行いだとわかっていても、告げられずにいられなかった。

 だけれど。

「……私には、その気持ちはわからない。わかるつもりも、ないよ」

 その反応は予想外だった。



「だってバジルくんは――同情して欲しいだなんて思ってないだろうから」



 そんな毅然とした顔をされるだなんて。

「部外者の貴女に、バジル様のなにが……!!」

 自分でも自分の感情がわからなくなって、いつのまにか彼女の頬を目がけて右手を振るっていた。

 ガシッ、と。

 手のひらは届くことなく。

 私の腕を掴む手があった。


「割って入るか迷ったけどさ……そこまでにしとけよ、カチュア」


 バツが悪そうな表情で私の平手打ちを止めたのは、セウロ・スペードだった。

 マナ探知が及ばないほどの能無し。接近に気づかないとは、なんと気持ちの悪いことか。

「盗み聞きとは、ずいぶんと高尚な趣味をお持ちですね」

「ああ聞いた。バッチリ聞こえちまった」

「それで無知な友人への悪評はやめろと? 我が身可愛さに横やりとは、見下げ果てました。プライドも一緒に没落しましたか?」

「それについてはとやかく言わねえよ。事実を話したければ勝手にしてくれ……でも、候補生同士の私闘は厳罰処分だぜ? 俺らみたく謹慎にされたくなかったら、手は降ろせよ」

 そう言われて、自分が暴力に身を任せてしまったことに改めて気づいた。

 そこまでするつもりはない。なかった、はずだ……。

 パトリシア嬢が小さな声でセウロへ礼を言った。

 セウロの手を解いて、後退する。

「……よくも抜け抜けとそんなことが言えますね……思えばそうだ。セウロ・スペード。貴方はいつも、他人への仕打ちを忘れ、自分も不幸だからと堂々としている……!」

「……そう見えるか? まあ、言われてみてばそうなのかもしれないな。バジルの喧嘩はいつも買っちまうし……でも、一方的なことはしてないつもりだ」

 そう言ったセウロの瞳は憂いを帯びていた。そこに激情や煩悶はない。ただ、こちらを憐れむような視線。

 やめろ。

「なあ、カチュア。文句を言って、それで気が済むのか?」

 そんな眼で見るな。

「八つ当たりして、それで満足か?」

 私は……私はただ……バジル様の敵を……。



「バジルをよく見てみろよ」



 息を呑んだ。

「お前さ、本当は俺のことなんてどうでもいいはずだろ?」

 何故だろうか。いつも卑下しているはずの、セウロの声が嫌と言うほど耳に残る。

 確信を突くその言葉から、逃れられない。

「あいつはもう、先に進んでるぞ。お前は置いてかれる。このままだと、お前は完全に足手まといだ」

 何を言う。私は置いていかれなどしない。実力だって、バジル様をしっかりとサポートして、いつまでもお傍にいられるように保っている。むしろ、先に行きすぎないように……。

 だというのに、何故だか声にならない。

「カチュアさん、私もそう思うよ。セウロとバジルくんの仲は悪いけど、でも、それだけじゃないと私は思う」

「あいつの目的は、俺を見返すだとか、俺への恨みを晴らすだとか……そんなちっぽけなことじゃないだろ? なあ、バジルは別に俺に突っかかるために候補生学校ここに来たわけじゃないはずだ」

 あれ?

 私は、なにか、致命的な間違いを……?

 大切な何かを、見落としている気がした。

 いつもいつも見てきたはずの大事な人の。

「ねえ、カチュアさん。あなたはどうしたいの? 何をするために候補生になったの?」

 わからない。

「何を、言っているんですか?」

 セウロとパトリシア嬢が告げる言葉の意味が、よく、わからない。

 私はなぜ諭されている?

 私は何を間違えている?

 何も、間違っていない。絶対に間違っていないはずだ。

「私はバジル様のためだけにある。あの人に最期まで仕える。それが私の喜びです……そのためには……やはり……貴方たちと仲良くなんて出来ません。貴方たちの言葉を聞く道理も、ない」

 セウロは小さく嘆息した。

 もう、これ以上ここにいるのは、嫌だ。

「……私はもう行きます。訓練に遅れますから」

「そうかい。それなら好きにしろよ。精々バジルに愛想つかされないようにな」

「余計なお世話です……!」

 足早に去る。

 悲しそうな顔をするパトリシア嬢と、憐みの視線を向けてくるセウロから逃げる様に。

 間違っていない。

 私の根幹はバジル様だ。

 彼らの話など聞く必要はない。

 仇敵と何も知らない女の言葉なんて。

 必要ないはず……なのに。


 どうして。

 歩みが早くなる。

 何かを紛らわしたくて。

 どうして。

 こんなにも不安なのだろう。

 こんなにも心が落ち着かないのか。



 私が、バジル様の、一体何を見落としているというのだろうか?





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