十二 廃人ハウスで迷走
廃人ハウス。だれが言い出したのかわからないが、文字どおり廃人たちが集う家だ。
見た目は約八畳一間のワンルーム。
雑然としてはいるが、なんの変哲もない学生マンションの一室である。
大学の近くで一人暮らしをはじめたところ、いつのまにか自宅が学生の溜まり場になっていた、なんてのはままあることらしいが、この部屋もそうした溜まり場の一種だ。
といっても、それほど人の入れ替わりが激しいわけではない。
部屋に出没する主なメンバーは四人のみ。
居住者である大学生の谷村、谷村と同じサークルの伊藤、伊藤と同じ学科の堀川、そして堀川と高校の同級生である俺。
俺だけ学生でないという点はあえて気にしない。
残りの三人の生態を考えれば、二回受験に失敗したくらいどうってことないと思えてくる。
谷村は若い女の子との出会いに命を懸けており、日夜標的を求めて街へと繰り出している。たしか一浪のうえに一留しているはずだが。
伊藤は疑似恋愛に目がなく玄人の女性にしか興味を示さない。唯一のストレート進級者だが、偏った嗜好のせいで、将来への不安はほかの二人に引けをとらない。
堀川は大晦日は三重でオールナイトに挑むようなパチスロ好きである。大学入学直後にスロに目覚めてしまったことが災いし、今年三度目の一回生をやっている。
全員、時間とバイト代の使い道は明確すぎるほど明確だ。趣味一直線だ。
谷村をはじめとする三狂に比べたら、俺の三浪なんて足下にもおよばない。
四人の中ではたぶん俺が一番の常識人だろう。
月に二回、献血ルームで無料のお菓子とジュースをいただく以外、これといって趣味のない俺だが、過去二年間彼らに連れ回された結果、受験に役立たないむだ知識ばかり仕入れてしまった。
むだだとわかっていながら、なぜとくに興味もないことをやってしまうのか。自分でもよくわからない。流されやすい人間だといわれればそのとおりなのだと思う。
彼らの誘いに潔くノーと言える性格だったら、俺はいまごろ大学生活を謳歌していたに違いない。
廃人ハウスを訪れるのは一週間ぶりだ。
前はもっと頻繁に顔を出していた。
妹が大学に通い出してからの数日は、この部屋と図書館を往復するような生活だった。が、朝帰りしてテレビが消失した日以降は足が遠のいていた。ここは誘惑の宝庫だからな。
「堀川は?」
久々に廃人ハウスへ足を踏み入れた俺の目に映ったのは、携帯をいじる谷村とPCをのぞきこむ伊藤の姿だった。
呼び寄せた張本人だけが見当たらない。
勉強を中断してまで来てやったというのにどういうことだ。
DVDは忘れたけど。家まで取りにもどるのも面倒だし。
「どうせまだ打っとんちゃうの。電話出ねーし」
PCの前に陣取り、ピンク色なウェブページを閲覧している伊藤がディスプレイから目を離さずに答える。
「すぐ来いって言っといて?」
メッセージを見直す。緊急、可及的速やかに、という煽り文字が並んでいる。
俺の疑問に答えたのは谷村だった。
「俺の予想だと、まずスロで負けがこむだろ、イライラしつつ下皿消化中にメッセージ送るだろ、んでコインなくなる寸前にフリーズとか引いちゃって帰るどころじゃなくなるだろ、したら召集かけたことなんて頭から吹っ飛ぶだろ、で、いまに至る」
「あーすげー納得した」
堀川は来年あたり俺といっしょに一回生をやっていても不思議ではない。
一応今日は平日なのに、この時間にだれひとり講義を受けていないというのもどうかと思うが。出席は余裕なんだろうか。
「行き先決まった?」
「まだだ。今年はこれで決めようと思う」
谷村が壁に貼られた大判の地図とダーツの矢を見せる。
地図は東海北陸地方のもの。ちょうど本州の真ん中あたりを縦に切り取ったような。
「また車?」
「車。おまえはいつになったら免許取るんだ?」
「来年の春か夏の予定」
「それ高校のときから言ってるらしいじゃないか」
「文句は俺を落とした大学に言ってくれ」
「車の免許は大学生じゃなくても取れるから。てか俺ですら二回で受かったのに、連続でうちの大学落ちるって相当だぞ」
失礼なことをおっしゃる谷村はほうっておいて地図を見る。
一昨年は金沢、去年は伊豆方面へ行った。
どうやって決めたかは忘れたが、というか俺の不在時に勝手に決められていた気もするが、このメンツにしては無難すぎる行き先だった。
兼六園でナンパしまくる谷村を止めるのに苦労し、富士五合目の駐車場で二台分の駐車スペースにまたがって駐めていた黒塗りのベンツに隙あらば初心者マークを貼りつけようとする堀川を止めるのに苦労したことをのぞけば、どっちもふつうの旅行だった。
ああなんか行ったなあ、くらいの印象しかない。
「堀川はしばらく来ないだろうし、来たって旅打ちしたいくらいしか言わないんだから先に決めとこう。俺フジキューかナガスパがいい」
谷村が希望を上げると、伊藤は渡鹿野島に行きたいと言い出した。
伊藤のぶれなさは敬服に値する。
それから、だれがダーツの矢を投げるかをあみだくじで決めた。
行き先の決定権も矢を手にした人物に委ねられるらしい。
厳正なるくじの結果、矢は俺が投げることになった。
こういうときは妙にくじ運がいい。
いっそ宝くじとか買ったほうがいいかもしれない。でもお金がもったいなくて買えないというジレンマ。
「山とかやめてくれよ」
「まかせろ、ダーツは得意だ」
「嶋本の得意は信用なんねー。全力でネタに走る気やろ」
谷村の希望はナンパ目的の遊園地、伊藤はお姉さんのいる島、だが俺はそんな場所に用はない。
地図までの距離、およそ三メートル。
狙うはひとつ。
「下呂、温、泉っ!」
ゆるやかな弧を描いてダーツの矢が飛んだ。
目指すは地図の真ん中。
俺は温泉旅館でぐだぐだしながら龍の瞳(米)が食いたいんだ!
三人の視線が小さな矢の行方を追う。
矢は地図の中央へ向かったはず。が、だいぶ南の、伊勢湾付近に吸いこまれていった。
あれ。
「海?」
「いや。ぎりで陸。なんだこれ、トレインランド?」
こども向け遊園地?
「わざとやろ!? ぜってーわざとやったろ!?」
「わざとじゃねーよ! まじめにやった!」
「なんで北狙って南行くんやて!」
「謎の気流の関係で」
「ほんならはじめからもっと下狙えや!」
立ち上がった伊藤が、つかみかからんばかりの勢いで無茶を言い出す。
どうやらわりと本気で渡鹿野島に行きたいらしい。ほんとゆるぎないな。
「まあ落ち着け」
荒ぶる伊藤を谷村が制した。
谷村も女子大生やOLのいない遊園地には食指が動かないようだ。
さすがにこれでは旅行にならないということで、もう一度だけ投げ直すことになった。
海だろうが山だろうが、つぎがラストチャンス。
けど実際に海とか山に命中したらどうなるんだろう。ほかにも市街地とかあきらかに旅行には不向きな場所とか。
そのときはそのときに考えればいいか。
気を取り直し、渾身の一投を放つ。
「下呂、温、泉っ!」
あっれえ、また下行っちゃった。
ダーツの矢は温泉ではなく、俺たちの生活圏内に突き刺さった。
壁際にいた谷村が、位置を確認するように地図に顔を近づける。
「どこ?」
「動物園」
「は?」
「だから動物園」
「……」
「……」
二人の視線が厳しい。非常に。異常に。
今度ばかりは谷村もフォローしてくれない。
そんな顔されても、刺さってしまったものはしょうがないじゃないか。
そもそもダーツの矢で決めようっていう趣旨自体が間違ってると思うんだ。
なんにも見所のない場所に刺さらなかっただけでも御の字だろう。
突っ立っていても刺さった矢は移動しない。とりあえず、そばにあった谷村のPCを借り、ピンクなページを閉じて動物園情報をあさってみる。
「あ、いまゾウの赤ちゃん見れるってさ」
名残惜しげに地図を眺めていた谷村たちの口から、ほぼ同時に大きなため息が漏れた。
そんなわけで、今年のゴールデンウィークは男四人で動物園へ行くことになった。日帰りで。
数時間後、ほくほく顔でやって来た堀川は、ことの経緯を聞いたとたん「旅行は?」と残念そうな表情を浮かべた。
俺はというと、入園料がたったの五百円だと知ってからは、かえって楽しみになってきている。