十一 図書館で説教
翌日。
十二時過ぎに図書館の入り口を出ると、石井さんが例のベンチで待機していた。
今日はきげんがいいようで、いつもどおりにこにこしながら手を振っている。
さて本日の小麦粉、じゃないランチはなんだろう。
石井さんがランチバッグから取り出したのは。
「粘土?」
「パンです」
パン? パンってあの小麦粉から作られるやつ?
「石井さんって外国育ちだったりする?」
「いえ。なんでですか」
「ちょっと文化が違うような気がして」
パンだといって渡された黄土色の物体は、十センチ四方の正方形に近い形をしていた。
特徴としてはまず硬い。昨日のクロワッション(クロワッサン型クッション)なんて目じゃないくらいに硬い。
そして重い。袋に入れて振り回したらいいかんじの武器になりそうなくらい重い。
怖くて製法は聞けないが、イースト菌がすねてやる気をなくしてしまったんだろうか。
恐る恐る角のほうをかじってみる。甘いパンの味がした。
感動した。この塊からパンの味がしたことに感動した。
食感はねちゃねちゃ。硬すぎるキャラメルのようだ。
三口くらい食べると水分が欲しくなった。
石井さんが水筒からお茶を出してくれる。なかなか気が利くね。
お茶を飲み干してコップを返すと、石井さんが遠慮がちに尋ねてきた。
「あの、私も同じコップを使ってもいいでしょうか」
「どうぞ」
うれしそうにお茶を飲む石井さん。
いやにちびちび飲んでるなあと思っていたら、突然彼女がむせた。お茶が気管に入ったらしい。
ひとしきりせきこんだあと、目に涙を浮かべた彼女が真っ赤な顔で謝ってきた。
平和だ。
この粘土パンを食べきれるかどうかという懸念さえなければ、俺の心は平穏そのものだっただろう。
俺が顎を酷使している横で、彼女はまたこんにゃくのようななにかを食べていた。
天候について、利き手について、つむじの数について、その他諸々とりとめもない話をする。やがて会話が途切れたとき、話のネタにと昨日の出来事を話題にしてみた。
すると、思いのほか食いつきがよく、こんこんと説教されてしまった。妹より年下の女の子から。なにやってるんですか、と。
「嶋本さんっておいくつなんですか」
「もうすぐ二十一」
「えっ? てっきり十代だと思ってました」
「そう思われてるんじゃないかとは思ってたけど」
「もうおとななんですから、しっかりしてください」
「……はい」
とはいうものの、いったいどこからしっかりしていけばいいんだろう。
二十年以上こんな調子で生きてきたのだ。生き様というのは一朝一夕に変えられるものでもない。
人に言われたからといって自分を曲げるのはなにかが違う気がする。
とはいうものの、どこでだれとなにをしようが俺の勝手だ、などという自己弁護を妹より年下の女の子に披露してもしかたがない。
むずかしいな。とりあえず、話題を変えよう。
「バイトはどう?」
「それなんですけど」
いったん言いよどんでから、彼女はわずかに肩を落として地面を見つめた。
「辞めちゃいました」
「辞めた?」
このやりとりには既視感がある。高校の話だっけ?
飽きっぽい性格だとは聞いていたが、開始二日で飽きるのはいかがなものか。
「なんかあった?」
「あのですね、お仕事の内容的には問題はなかったんですけど、作業を教えてくれる派遣社員の人が熱心で、手取り足取りすごく丁寧に教えてくれるんですが、その」
「あーほんとに手取り足取りされちゃったとか」
半分冗談で言ってみたのだが。
ビンゴだったようで石井さんの顔に影が差す。
「私が自意識過剰なだけなのかもしれないんですけど、なんかこう必要以上にべたべたされるのがどうしても受け付けられなくて」
相手にも当然問題はあるのだろうが、石井さん自身も要領が悪いんだろう。
うちの妹なら、セクハラされた時点で笑顔で相手に恐怖を植えつけそうだが。
表面上はにこやかに「そんなことしてると奥さんに言いつけちゃいますよぉ」的な返しができないとやりづらい境遇というのはたしかにあるのかもしれない。
その場合、石井さんのように自己主張ができないタイプの美少女は大変だ。
「じゃあまた新しいバイト探すんだ」
「はい。いまは港湾シリーズに挑戦しているので、そっち方面で探してみます」
「港湾シリーズ?」
「ええとですね、レストラン、コンビニ、ファストフード、スーパー、書店、新聞配達、官公庁シリーズは高校生だったときにひととおり制覇したので」
指折り数えながら石井さんが言う。
「制覇?」
「肌に合わないことがわかったというか、男性からの扱いに耐えられなかったというか、毎日毎日デートに誘われることに嫌気がさしたというか、そんなかんじです」
要するに極端に忍耐力が足りないわけだ。あとやっぱり要領が悪い。
この子もしかするとある意味俺と同類なのでは、という親近感を覚えてしまった。
そして昨夜の暗い表情の理由がわかった。
彼女は自分の欠点を理解している。一度失敗を経験して、敗因を分析して、つぎこそは、と挑戦してまた前回と同じことが原因で失敗したら、落ちこみたくもなるだろう。
何度も失敗を繰りかえしているだけあって、立ち直りもはやいようだが。
「今度こそいいバイト先が見つかるといいね」
「はい」
無邪気に笑う。
前向きなのはいいことだ。たぶん。
この子は挫折なんかとは無縁そうだな。
「図書館がお休みの日はなにしてるんですか」
「休み? うーん、勉強したり特殊なボールで身体を鍛えたり?」
「なるほど。スポーツ得意そうですもんね」
「そうでもないよ」
「そうなんですか」
「うん」
石井さんがバッグから携帯を取り出し、カレンダーを見ながら尋ねてきた。
「連休の予定ってもう決まってますか」
連休か。俺も休んでいいのだろうか。
高三のときも一浪のときも二浪のときも毎年きっちり休んでいたが。
石井さんが予定を聞いてくるということは、いよいよどこか食事にでも連れて行けという催促なのだろう。思わず身構えてしまったが、いまは多少懐が暖かい。ファミレスくらいなら行ける。
完全個室のレストランやカフェがいいとか言われたら断ろう。
「いまんとこまだなんにも」
そのとき、メッセージの受信音が鳴った。俺のポケットから。
『緊急招集。これより廃人ハウスにてGWの計画を立てる。これは緊急の召集だ。各人可及的速やかに集合するように。あと嶋本、いい加減DVD返せ』
高校時代からつきあいのある堀川だった。
そういえば、去年も一昨年もゴールデンウィークには堀川たちと車で旅行に行っていた。
彼らは今年も行く気のようだ。よし、そういうことなら俺も休みにしよう。そうしよう。
ごめん石井さん、ファミレスはまた後ほど、と心の中で頭を下げる。
「決まってないけど、友達と旅行行くことになりそう」
そう答えると、石井さんは「そうですか、楽しんで来てくださいね」と言って笑った。




