十 ベッドで驚愕
妹は予習中のようだった。
大学生になっても勉強するとは見上げた根性である。
俺のよく知る大学生といえば、試験前に必死で過去問を集めて単位を稼いでいるようなやつらばかりだからな。なかにはそれにすら失敗しているのもいるが。
女子大ではどんなことをやっているのだろう。ちらっと机をのぞいてみる。
「英語?」
「そう。和訳なんだけど量多いんだよね」
「手伝ってやろうか」
「えーできんの?」
妹が人を小ばかにしたような目で見てくる。
なんだよ、こちとら現役浪人生だっての。
ちらっとテキストをのぞいてみる。
「やっぱまた今度な」
「今日中にやんないといけないの! できないんなら言わないでよもう」
べつに俺英語やりに来たわけじゃないし。
本題を思い出し、ベッドの縁に腰掛ける。
妹のベッドは俺のよりサイズがでかい。マットも上質。部屋も若干広めだ。妹は高校時代からバイトをしているが、こづかいは俺よりも多い。
さらに、塾にも通わず推薦で大学に合格したからという理由で、新車まで買ってもらっている。
一方、俺が高校時代から愛用していた自転車さのぱぴっち二号(通称さのっち)は母に奪われ、スーパーへの往復仕様に改造された。
このあたりの兄妹間格差というか不公平はいつになったら是正されるのだろうか。
兄の威厳が失われる前に、両親にはぜひともなんとかしてもらいたい。
さてと。
足を組み、きりっと眼鏡を押し上げるしぐさで兄の威厳を演出する。
「いいか、これから言うことをよく聞け」
「なに?」
「あのな、ネットワークビジネスの勧誘には気をつけたほうがいい」
「は? ほんとなんなの急に」
うっとうしそうに妹がペン回しをはじめる。
親切で言ってやってるのになんで俺こんなうざがられてるんだ。
「ちょっと小耳に挟んだんだけどさ、こう、きわどい服を着たお姉さんとかが、言葉巧みにバーベキューとかの楽しそうなイベントに誘ってな、仲間意識や安心感を与えたうえで悪徳商法の勧誘をするという事案がだな、この付近で、というかおまえの大学内でも発生してるらしいんだよ」
「あー、お兄ちゃんなんか勧誘されたんだ。見るからにカモりやすそうだもんね」
「聞いた話だって言ってんだろ」
「へーどこで? だれから? 今日図書館行ってたんじゃなかったの」
疑われている。
母といい妹といい、俺に対するこの信用のなさはどういうことだろう。
「どこだっていいだろ。俺は勧誘されてないからな」
まだだ。まだ正式な勧誘はされていない。
勧誘される前段階まではいったが。ターゲットにロックオンされてはいたが。
「とにかく、おまえも気をつけろってことだよ」
「言われなくても、はじめからそんなの相手にしないよ。お兄ちゃんじゃあるまいし。お願いだから、高い壺とか買わされてこないでよね」
こいつは俺をいったいなんだと思っているんだろう。
そんな大金あるわけないじゃないか。
そう答えると、妹は額に手を当てて深々とため息を吐いた。
それから、妹は使わなくなった参考書類を何冊かまとめてくれた。
さっそくベッドの上で英単語帳を眺める。数分で眠気に襲われる。
なべてこの世の文字という文字には、読むと睡眠を誘発する物質が含まれているに違いない。
妹に五分でいいから仮眠させてくれと頼んだら、即刻却下された。わざわざ忠告しに来てやったのにひどい仕打ちだ。
「あ、そうだ。借金に過払い分があったから返しといたよ。お財布見た?」
「まじで? いつのまに」
「昨夜。お兄ちゃんが爆睡してたとき」
やましいことでもあるのか、目を合わせずに妹が言う。
急いで財布を確認する。
おお、本当に札入れが潤っている。今日は小銭しか使わなかったから、ぜんぜん気づかなかった。
これで今月も生き延びられる! とよろこんだのもつかの間、とんでもないことに思い至った。
前回こづかいを強制徴収されて以来、念のため、家にいるあいだは財布を妹の目につきにくい場所に隠すようにした。
俺の部屋には「絶対に家族には見せられないもの入れ」というマル秘空間があり、そこに財布もしまうようにしていたのだ。
「おまえ俺の部屋あさったのか?」
「あさったなんて人聞きの悪い。ちょっと部屋の中探しただけだし」
ばつが悪そうに顔を背ける。
心なしか耳が赤い。
そうか、見てしまったのか。
「言っとくけど、人の秘密探ったってろくなことがないんだからな」
「そういうつもりじゃなかったんだってば! もういい加減あっち行ってよじゃまだから」
机に突っ伏し、シッシッと手を振って俺を追い出そうとする。
妹なりにショックを受けたらしい。
いやいや、俺のがショックだよ。酔いも眠気も吹っ飛んだよ。