第1話「清楚な幼馴染は僕を惑わせてくる」
白石乃愛は、学校で“清楚の象徴”と呼ばれている。
整った姿勢、落ち着いた声、誰にでも平等に向ける柔らかな微笑み。
廊下を歩くだけで、周囲の空気が少し澄んだように感じるほどだ。
けれど――
その“完璧な乃愛”は、僕の前では少し違う。
僕、早見孝介は、そんな乃愛の家の隣に住んでいる幼馴染だ。
小さい頃は毎日のように一緒に遊んでいたけれど、中学、高校と進むにつれ、
乃愛はどんどん“みんなの憧れ”になっていった。
僕だけが、昔のまま取り残されているような気がしていた。
忘れ物を取りに戻った放課後の教室。
夕日が差し込む窓際で、乃愛が髪をほどいていた。
昼間のきっちりした結び目とは違い、
ふわりと肩に落ちる髪が、どこか大人びて見える。
「……あ、孝介。来てたんだ」
乃愛は僕を見ると、学校では見せない“素の笑顔”を浮かべた。
その笑顔は、クラスメイトが知る“清楚な白石乃愛”とは少し違う。
どこか無防備で、距離が近い。
「ねぇ、今日さ……一緒に帰ろ?」
その声は、期待を含んでいて、僕の胸がざわつく。
廊下を歩くとき、乃愛はいつもより距離が近い。
肩が触れそうで、触れない。
わざとなのか、偶然なのか、判断できない絶妙な距離感。
「孝介ってさ、私のこと……どう思ってるの?」
不意に向けられた問い。
乃愛の瞳はまっすぐで、逃げ場がない。
「ど、どうって……」
「ふふ。そうやって慌てるところ、昔から変わらないね」
乃愛は小さく笑い、僕の袖をそっとつまんだ。
その仕草が妙に胸に残る。
校門を出ると、夕焼けが街を染めていた。
乃愛は僕の横顔を見上げながら、ぽつりと言う。
「学校の私と、孝介の前の私……どっちが好き?」
その問いは、まるで試されているようで。
でも、嫌じゃなかった。
「……乃愛は、どっちが本当なんだよ」
僕がそう返すと、乃愛は少しだけ目を伏せた。
「どっちも本当。でも……孝介の前の私は、特別」
その言葉に、心臓が跳ねた。
家の近くの分かれ道。
乃愛は立ち止まり、僕の方へ向き直る。
「ねぇ、孝介。明日も……一緒に帰ろ?」
その声は、どこか甘えるようで、
“清楚なヒロイン”のイメージとはまるで違う。
僕は答えられず、ただ頷いた。
乃愛は嬉しそうに微笑むと、
夕焼けの中へ軽やかに歩き出した。
その背中を見送りながら、
僕は気づいてしまう。
――白石乃愛は、僕を惑わせてくる。
そして、逃げ場なんて最初からなかったのだと。




