5-8 迷い
「あの……送って頂いて……ありがとうございました」
結局、無駄になってしまったお弁当をそのまま持ち帰り、スイレンは勤務中にも関わらず気を使って家まで送ってくれたブレンダンへ無理な笑顔を作った。
仕事中に抜け出すことになるので上司へと許可を取って来た彼にも、自分は上手くお礼を言えただろうかと家にまで戻った今更になってスイレンは思い返した。
それほどにまで動揺して城からの帰りの馬車の中では、それどころではなかったからだ。
(今日……帰って来てから、ちゃんと話したら……大丈夫だよね?)
妙な誤解をしていたリカルドは、あの時感情が昂ぶっていて、とても落ち着いて話が出来る状況でもなかった。だから、ブレンダンがあの時に追いかけずに時間を置いた方が良いと言ってくれたのは、そういうことだろうと納得出来る。
リカルドならば順を追って話せばわかってくれるはずと思っていても、どうしても心に渦巻く黒い不安が拭えない。
あそこまで怒ったリカルドを見たのは、スイレンにとって出会ってから初めてだったので、それが衝撃的でもあった。
以前に見た事のある戦闘中のリカルドは、逆にとても冷静だった。常に周囲の様子を観察し、その上で的確な行動を取っていた。敵が無闇に斬りかかって来ても、動じることもなく冷静に打ち返していた。
本来ならば同じ国の仲間であるはずのジャック・ロイドが裏切ったことを知った時だって、彼は「お前だったのか」と言葉を返した程度だ。
(大丈夫……きっと、大丈夫よ。リカルド様は、私がちゃんと説明すればわかってくれるはずだもの)
「……スイレンちゃん。ごめん……あの時に秘密にしようと言ったのは、僕の間違いだった。君は何も悪くないよ」
不安の渦の中に飲み込まれそうなスイレンが心の中で自分に言い聞かせてぼんやりとしていると、ブレンダンは辛そうな表情を浮かべ謝った。
「え……いいえ。あの時にそうしようと言われて同意したのも、私です。だから、謝らないでください。ブレンダン様は……色々と巻き込まれてしまっただけなのに、本当にごめんなさい」
リカルドが殴ったブレンダンの頬には今では簡易的な治療が施されていたものの、整った顔が赤く腫れて痛々しかった。
「良いんだ。あいつをあんな風に誤解させるような事態を想定出来なかった僕が悪い……しかし、不思議だ。あの時のことを、誰があいつに喋ったんだろう……宿屋に入ったのは夜、しかも部屋を取ってからすぐに僕たちは中へと入った。帰る時だって早朝だったし、もし二人の顔を知っている誰かに見られたとしたら、かなりその確率は低いと思う」
「……えっと」
スイレンは自分より状況に対し、冷静に見られているブレンダンの言い分を聞き戸惑った。
リカルドにその事実が知られたことに激しく動揺してしまい、彼がどういう経緯でそれを知ったかなど今まで考えてもいなかったからだ。
「うん……僕はずっと考えていたんだけど、リカルドがこれを知ったことはおかしいなと思っている。君があの時に嫌がらせで池に突き落とされて、それから僕が宿へと連れて行った。そう、だから……誰にその間を誰かに尾けられていたという可能性があるんだ」
「あ。そうですね。確かにおかしいです……」
スイレンがブレンダンから何もなかったことにしようと言われて同意したのも、二人さえ黙っていればリカルドには絶対に知られることはないと考えたからだ。
そして、スイレン本人は嘘をつくはずもないワーウィック以外には言っていないし、ブレンダンだってそれを友人であるリカルドに教えて何になるというのだろう。
良くわからぬ第三者の気配を感じて、スレインの背筋がゾッとしてしまった。
「だから……このあとスイレンちゃんがリカルドと話し合う時に、聞いてみる方が良いと思う。誰からあの事を聞いたのか。それこそが、重要なんだ」
「……重要、ですか? あ……」
ブレンダンが含みのある様子で何を言わんとしているかを悟り、スイレンは口に両手を当てた。
(確かに、ブレンダン様が言ったとおりだわ。だって、もしこれを最初から計画してリカルド様に敢えて告げ口をしたのなら、私たちの仲を裂こうとしているってことだもの)
「あのっ……もしかして、池に落とされたことも……ブレンダン様に仮面舞踏会の招待状が届いたのも?」
そういえば、あの時もブレンダンだって仮面舞踏会は久しぶりだったから行こうと思ったと言っていた。
「そうだね。もしかしたら、僕の考えすぎかもしれない。けど、実は僕も夜会の招待状自体は、良く貰うんだけど、仮面舞踏会は久しぶりだった。それに」
「……あの?」
急に眉を顰め言葉を止めたブレンダンが不思議になったスイレンは首を傾げた。
息をついたブレンダンは言葉を選ぶようにして、ゆっくりと言葉を続けた。
「ごめん。どうか気を悪くしないで欲しいんだけど、実は僕は結構前からあの仮面舞踏会の演出について君が任されたことを知っていた。父も実家に帰った時に言っていたし、従業員からも何度か聞いていた。スイレンちゃんは大きな仕事を紹介してもらえたから、頑張りたいと言っていたと……そして、折りよく招待状が来た。一度見てみたいと思っていたからちょうど良いと思って、僕は参加したんだ」
「え? ああ……そうですか。わかりました。私が仕事をしていると知って、来てくれたんですね」
あの時にはブレンダンは偶然ここに来て見られたんだという話をしていたけど、もしかしたら彼はわざわざ見に来たとはスイレン自身には言いにくかったのかもしれないと理解して頷いた。
「うーん……そうなんだよね。しかも、僕はあの時に急に会場から居なくなった君を探していた……うん。それで、リカルドが最悪な知り方をしてしまった。全て仕組まれていたとは言えないけど、会場から尾けられたかはしていると思う。つまり、家に戻ったとしても僕と君がどうするかを見られていた」
あの時のことを思い返すようにしてブレンダンは言い、スイレンはそれもそうかと目を見開いた。
「えっと……私たちがまっすぐこの家に戻っても、それは同じことになっていただろうということですか? けど、リカルド様には説明していれば……それは」
自分が仕事を失うことを恐れず、すぐに帰って来たリカルドに話していればこれは避けられたのだろうとスイレンは思った。
「いや、あんなにも冷たい水に濡れていれば、君はすぐに風呂に入っただろうし……僕だってテレザも居ないし一人では無理だろうと、それなりに世話をしただろうね。高熱が出ていれば、同じことだ。むしろ君から先に説明を受けた方が、僕が居たという事実の信憑性は増すかもしれない……もしかしたら、何かあって嘘をついているのかもと」
「そんな……」
「今思うと一番良かったのはガーディナー商会に帰って家に帰ることだったかもしれないが、住んでいるのは父と僕の家で雇われているメイドだ。君の性格上、父には迷惑をかけたくないと思っただろうね……ごめん。スイレンちゃん。ちょっと待って」
「え? あ……はい!」
ブレンダンは話していたスイレンから不自然に目を逸らし、そのまま黙ってしまった。
一緒に住んでいるリカルドがこうすることもあるので、スイレンは彼が今何をしているのか良く知っていた。
ブレンダンは彼の竜クライヴと、心の中で話しているのだ。
(クライヴから、何か……連絡があったのね。もしかしたら、何かあって急に遠征が決まったのかもしれない……このまま、リカルド様と何日か話せないのは嫌だな)
無言のブレンダンの顔がみるみる内に強張って行くのを見て、スイレンは不安になってしまった。
(え? ……何か、あったのかな)
竜騎士は自分の竜と心の中で話すことが出来るが、スイレンには彼らの声は聞こえない。
良くない胸騒ぎがして胸の前でぎゅっと両手を組んだスイレンを見て、ブレンダンは深刻な表情で口を開いた。
「スイレンちゃん。落ち着いて聞いて欲しい……リカルドが王へ直訴して、今は捕えられてしまったらしい。あいつはこの国でも有名な英雄だし、団長がすぐに助けてくれると思うけど……君は何もしない方が良い。僕も一度城に戻るけど……クライヴがすぐにここに来るから、一緒に居るんだ。良いね?」
(……え?)
あまりの驚きに何も言えず固まってしまったスイレンを見て、それでも行かねばと思ったのか迷いを振り切るようにして謝罪の言葉を口にするとブレンダンは待たせていた馬車に乗り行ってしまった。




