5-7 事実
お弁当を届けに来る予定だったスイレンを待っていた様子のリカルドは折良く鍛錬場の前に居て、腕を組んで佇んで居るようだった。
そんな彼を見てスイレンはすぐに駆け寄りたい気持ちを抑えつつ、隣に居たブレンダンを仰ぎ見た。
「あ……居ました。もう、待っていてくれたみたいで。すみません。持たせてしまって、ありがとうございます」
「気にしないで。女性の荷物持ちも、僕の立派な仕事だからね」
ここまで荷物を持ってくれたブレンダンにお礼を言って木籠を受け取ったスイレンは、何故か不機嫌そうな様子を見せるリカルドを不思議に思って首を傾げた。
いつもならリカルドはスイレンを見れば、笑ってくれるのに……と。
(え。何かあったのかしら……そういえば、この前の護衛の時のことも聞いていないし……)
「おい。ブレンダン! ……悪い。こっちへ来てくれないか。お前に話を聞きたいことがあるんだ」
「え……僕に?」
役目を終えて立ち去ろうとしていたのに隣に居たスイレンとなんだろうと二人で目を合わせたブレンダンは、特に表情を変えることなくリカルドへと近付いた。
リカルドは自分の前に立った二人を交互に見てから、大きく息をついた。
「……俺はこういうことを、本人へ聞かずに探ることは嫌いだ。だから、はっきりとここで聞く。スイレンとブレンダン。俺が留守にしていた時に、宿屋で二人で一夜を共にしたというのは、本当なのか?」
リカルドがそう言った時に、スイレンは彼が何を言ったのかすぐには理解出来なかった。
(……え? どうして? リカルド様が、何故それを知っているの?)
池の中に落とされたことならばまだしも、そもそもスイレンの着替えのために寄った宿屋での出来事は二人しか知らないはずなのにと、思いも寄らぬことをリカルドから聞かれてスイレンはどうすれば良いのかと混乱してしまった。
あまりの驚きからすぐに言葉を発することの出来ないスイレンを見てから、ブレンダンは口を開いた。
「待て……リカルド。それは、お前が思っていることは違う」
「……事実なのか、どうなのかと聞いている」
リカルドは断固とした口調で言って、スイレンは泣きたくなった。
きっと話せばわかってくれると彼のことを信じているけれど、もしこれが原因で別れると言われればどうしようと強い不安を感じたからだ。
「事実だけど、お前の思っているようなこととは違う。体調が悪かった彼女を動かせなかったから、一夜同じ部屋に居ただけだ……何もしていない。スイレンちゃんには、僕が言ったんだ。これは二人の秘密にしようと。彼女はリカルドには隠したくないと言った。スイレンちゃんは、何も悪くない……僕が、そうしようと提案したんだ」
眉を顰めたリカルドはブレンダンへとつかつかと黙ったまま近寄り、躊躇なく頬を殴った。
ブレンダンがどさりと地面に倒れて、スイレンはようやく声を出すことが出来た。短い悲鳴をあげたスイレンは、ブレンダンの前に庇うように座り込んだ。
今も怒りの表情を隠せないリカルドを見て、思わず涙がこぼれてしまった。
「やめてください! 私が!! 私が言ったんです。これを知られてしまうと、もう仕事を出来なくなるかもしれないって……ブレンダン様は私の希望したことを、叶えてくれて……だから。本当に、ごめんなさい……っ」
(どうしよう……どう言えば、わかって貰える? 誤解を解きたい。私が好きなのは、リカルド様だけなのに)
リカルドはスイレンが今までに見たことのない程に、怒りの感情を露わにしていた。
彼は恋人と信用していた友人に、裏切られたと思っているのだ。これでは落ち着いて話すことなど、出来るはずがない。
「……スイレン。なんで、そいつを庇うんだよ」
リカルドは呆然とした様子で言って、座り込み涙を流すスイレンを見ていた。
何が起こったかどうして二人はそうしたのかを順序を追って説明すれば、リカルドならばわかってくれるだろう。リカルドのことを信じているし、彼だってスイレンを信じてくれるはずだ。
だが、今は恐怖感が強くて、何をどうして良いのかわからない。スイレンは、ただひとつのことが怖かった。
(どうしよう……リカルド様に、嫌われたらどうしよう。どうしたら良い? 私には彼しか居ないのに!)
何かを言わなければと思うのに、喉から上手く声が出なくて、どくどくと速度を上げて高鳴る胸が苦しい。
必死で続ける呼吸が変な音がして、スイレンは胸を両手で押さえた。
「……リカルド。わかった。お前が怒るのは無理はないけど、本当にどうしようもないことが重なったんだ。僕が代わりに、全部説明するよ。スイレンちゃんは仕事に行った貴族の館で令嬢たちに池の中に落とされて、体調を崩したんだ。僕はそれをリカルドに知られたくないと言った彼女の意志を尊重した。何故かと言うと仕事を失いたくないと、泣いていたからだ」
口元に血を流したブレンダンはそう言い、リカルドは今初めて知ったことに眉をひそめた。
「スイレンが、池に落とされた? 誰にだ。絶対に、許さない」
落ち着かせようとして説明を始めたのに怒りが深まってしまう結果になり、ブレンダンは手を横に振った。
「違うんだ。リカルド。とにかく、落ち着いて話を聞いてくれ。スイレンちゃんは、それほどにまで自分でお金を稼げる仕事を失うことを恐れている……それは何故かというと、お前と結婚出来るか未だに定まらないからだ」
静かに語ったブレンダンの言葉を聞いて、リカルドは辛そうに顔を歪めた。
(どうしよう……こんなつもり、なかったのに)
リカルドが辛いのなら、スイレンだって悲しい。それほど大事な彼にこんな表情をさせてしまっているのは、他でもない自分のせいだった。
「それはっ。今、どうにかしようとしている。だが……上手くいかない」
「だと思うよ。君はこの国にそのつもりで彼女を連れて来ただろうし、元々婚約していたイジェマと早く婚約解消するために出来る限りのことをした。だが……もし、お前と結婚出来なければ、スイレンちゃんはデュマース家には居られない」
「結婚出来ない訳がない。俺はスイレン以外と、結婚する気はないんだからな」
「けど、どんなに金を出し生活を保証しようが、妹と仲が良かろうが、お前が違う誰かと結婚すれば、そこは彼女にとってただの地獄になるだろう。そんなこともわからないのか。不安にさせている原因は、お前だ。こうして泣かせているのも……未来に自分が幸せになれるという保証を持てないのも……なんで、それをわかってあげないんだよ!」
淡々とした口調で続けていたブレンダンは、最後に感情を抑えきれないように声を荒げた。
「俺は……」
「わかってるよ……お前だって貴族だ。立場がある。だからこそ、僕たちだって何も言わないことにしたんだ。すべてお前に明かして、どうなるんだ。お前の出来ることと言えばスイレンちゃんに害が及ばないように、守るようにして家に閉じ込めることしか出来ないじゃないか。彼女が稼ぐはずだった金を与えれば、何もかも済むと思うか? それでは、彼女がしたかったことは何も出来なくなる……それで果たして、彼女を愛していると言えるのか」
リカルドはブレンダンの言葉を返すことなく、何も言わずにその場を去って行った。
(どうしよう……でも)
スイレンは去って行くリカルドの背中を、じっと見つめていた。去る前に自分を見ることのなかった彼を追いかけることがどうしても出来なくて。
「今は、追いかけない方が良い……大丈夫。落ち着いたら、すぐに冷静になるよ。僕も悪かった。殴られてやっぱり頭に来た。言わなくても良いことまで言った」
そんな彼女の心の中を見透かすようにして、ブレンダンは言った。
スイレンは気遣うように肩に手をのせた彼の顔を見て、驚いて目を丸くした。整ったブレンダンの頬が赤くなり、見る間に腫れてしまっていたからだ。
(嘘でしょう。こんなに……すごく痛そう)
先ほど自分のせいで力任せに殴られた痕は見るからに痛そうで、スイレンはまた涙を流してしまった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私がちゃんと話せば良かった。私が悪いんです。本当にごめんなさい」
「大丈夫だよ。頭を冷やせば、きっとわかってくれる。リカルドに殴られるのなんか、幼い頃から日常茶飯事だったんだから、こんなことは気にしないで」
「え?」
「ああ。ごめん。少し語弊があった。誤解しないで。別に頻繁に喧嘩してたって、訳じゃないよ。あいつと戦闘訓練を組むことが多かったってだけだよ。とにかく、気にしなくて良いよ……ここでは、人目があるから、戻ろうか」
ブレンダンは距離は取っているものの周囲の人だかりを見て、息をついた。
二人の有名な竜騎士が外で殴ったり言い合いをしていたから、なんだなんだと野次馬が寄って来ていた。スイレンもようやくそれに気がつき慌てて立ち上がり、ブレンダンに促されるままにその場を後にした。




