5-6 帰宅
スイレンは夕食の後にいつものように片付けをするテレザを手伝ってから、居間に飾られていた花の世話をしていた。
今日帰って来たばかりのリカルドはこれまでに溜まっていた書類の確認をして来ると言っていたので、今夜は彼の部屋には遅くまで灯りがついているのかもしれない。
彼は竜騎士として上司への報告書を作成したり書類仕事を家ですることもあるが、デュマース家当主としての仕事もある。とても多忙な人なのだ。
出来るだけ仕事の邪魔はしたくないと思ったスイレンは、彼の部屋の扉は叩かずにそのまま寝てしまおうと思っていた。
(今日はリカルド様、疲れているよね……なんだか帰って来た時も機嫌も悪かったし、何があったんだろう?)
スイレンが良く知る普段のリカルドならば、もし仕事で気分を悪くすることがあろうとも、家にまで持ち込んで来ることはない。
(そういえば、髪も驚くほどに乱れていたし……何かあったのかな……ワーウィックはお腹いっぱいだからって、満足して竜舎に帰っちゃったから……明日にでも、聞いてみようかな……)
リカルドに直接聞ける機会を待つより、詳しい事情を聞くのならおしゃべりな彼の竜に聞くのが早いだろう。
「……スイレン?」
「っわ……! リカルド様。どうしました?」
振り向けばすぐ背後に居たリカルドは、スイレンが驚いたことに驚いているようだった。
「いや、何かあったのか? スイレン。帰って来てから、様子がおかしい。もしかして、体調がまだ戻らないのか?」
リカルドは心配そうに声を掛け、スイレンは彼の質問に慌てて首を横に振った。
(私って……何でこんなにも嘘をつくのが下手なのかしら。何があったのかを隠さず説明されても、彼は嫌な気分になるだけなのに)
あの時のことは言わないと決めたはずだと、スイレンはどうにか言葉を並べた。
「ちちち……違います! 何もないです。あのっ……そのっ……そうです。次のお仕事のことを考えていたら、夢中になってしまって」
そう言って必死で否定をすれば、リカルドはわかったわかったと片手を振って微笑んだ。
「……そうなのか? ああ。仕事は夜会での演出を任されたという、あれか?」
当初はスイレンが仕事をすることも反対していたのに、彼は以前に説明してくれたことを覚えてくれていたと舞い上がりスイレンは微笑んだ。
「そうなんです! この前は仮面舞踏会で、照明を落として光る赤い花びらを落としたんです。花びらに光る粉を塗りつける作業は、流石に量が多くて数人がかりで何時間もかかってしまいましたが、なんだか楽しくて……」
スイレンがこの前に上手くいった自分の仕事の出来事を語り、背の高い彼を見上げれば優しい目でこちらを見るリカルドに思わず見蕩れてしまった。
スイレンは彼が好きだし、こういった表情をされると無条件で嬉しい。
(リカルド様……嬉しい。帰って来てくれた)
ここはリカルドが住む家なのだから、仕事で空けたとしても時間が経てば帰って来るはずだ。それでもスイレンは、帰って来るまで心配でたまらなかったし、会えるのならすぐにでも会いたかった。
ひと時も離れていたくないほどに、彼のことが本当に好きだから。
「そうか……君が楽しそうに仕事をしていて、俺も嬉しい。俺も竜騎士に憧れて、その職に就いたが、やはり仕事だから意に添わぬ事をしたり、色々と嫌になってしまうこともある。けど、スイレンはそれだけ楽しそうに仕事をしているのだから、きっとそれは君の天職なんだろう」
「リカルド様」
ぽつりと自分の名前を呼んだスイレンを、リカルドは優しく抱き寄せた。
「君はいつも、何も言わずに一人で我慢するから……何かあったら、必ず俺に言ってくれ」
リカルドは前にスイレンが居なくなってしまった時から、彼女が居なくなったのではと思うと姿を確認せずには居られなくなっていた。その度にスイレンは彼の心に傷を残してしまい、なんてことをしてしまったのだろうと後悔する。
「……わかりました。あのっ……私、もう絶対にリカルド様に何も言わずに勝手に出て行ったりしません。あの時は、本当にごめんなさい」
自分勝手に彼とは結ばれぬのだと絶望し急に姿を消したスイレンを探して、リカルドは自分の属する竜騎士団へと応援を仰ぎ、王都はあの時大騒ぎになってしまった。今ではまるで夢の中のような出来事だが、リカルドはそれだけ必死になってスイレンを探してくれようとしたのだ。
だから、またそうなったとしても彼はそうするはずだ。
「そうしてくれ……君が見つかるまで、生きた心地がしなかった。君が世界の中、一番大事だ。スイレン」
そう言って髪を撫でてくれたので、スイレンは大好きな彼の腕の中にあるという幸せを噛みしめた。
◇◆◇
スイレンがヴェリエフェンディの王城へ向かうことは、あまりない。リカルドの職場ではあるのだが、何か届け物をする用事もなかったら、行くことはなかった。
だから、これは運が悪い偶然ではあった。
とあるご令嬢とすれ違ったと思った瞬間に、彼女に腕を取られたスイレンは驚いた。
「ああ……貴女……どこかで見たと思ったわ」
華やかなドレスを身につけたご令嬢はスイレンを下から舐めるように見たと思えば、いきなり罵り始めたのだ。
「なんでこんな所に居るの? ……自分の身の程を弁えなさい!」
彼女の身分を考えればスイレンは逆らえないものの、何もしていないのにこんなにも理不尽なことをされて、それでも耐えなければならないのかとスイレンは泣きそうになった。
それに、聞き覚えのあるその声は、仮面を身につけて池に落とされた自分を笑っていた一人に違いない。スイレンの姿をあの時に見て覚えていたから、こうして城の中を歩いているところを捕まえたのだ。
(この前の人たちの中の、一人だわ……けど、こんな……)
ただ廊下を歩いていただけなのに、その場に存在することすら責め立てられて、スイレンはガヴェアに居た時の不遇を思い出してしまった。
生花を籠に入れて売り歩き、わずかな売り上げも叔母に搾取され、ただただ自分の未来を諦めていたあの時を。
ヴェリエフェンディに移り住んで、あまりに幸せだったからスイレンはもう忘れてしまっていた。だからこそ、自分がどれだけあの頃、辛かったのかを思い出した。
あまりに痛み過ぎて、麻痺してわからなくなってしまっていた。わからない振りをしていたのかもしれない。心が訴える強い痛みを。
(そんなの嫌……私、もう絶対にあんな境遇になんて、戻りたくない)
リカルドならば、きっとどんな時にも怯まない。英雄と呼ばれている彼ならば、どんな敵を前にしても毅然としているはずだ。敵だらけに囲まれていた檻の中で孤立していた時も、そうしていたように。
スイレンは無言のまま、何かを言い散らす令嬢を真っ直ぐに見つめた。急に顔を上げたスイレンに驚いた彼女は、怖じ気づいたようにして一歩後ろへと下がった。
「なっ……何よ。私に何かあるなら、言いなさい」
どうせ、スイレンが何を言っても、身分差もあるのなら自分には逆らえないと思っている。
(リカルド様。力を貸して)
「あのっ……!」
「デーンズ嬢。こちらの女性に何かご用事ですか? 僕が彼女を呼んだんですが、良かったら用件を一緒にお聞きします」
我慢出来ずにスイレンが言い返そうとした時、誰かが彼女の肩に手を載せた。
「あっ……」
ブレンダンは彼の登場に驚いたスイレンに片目を瞑ると、目の前の彼女へと言った。
「もし、彼女が何かしたのなら、僕の上司へと苦情を言ってください。逃げも隠れもしませんから」
「……ガーディナー卿。それは、必要ありませんわ。もし、必要であればカトリーヌ様に」
ブレンダンは精一杯貴族としての威厳を見せた彼女の言葉を聞きにっこりと微笑んで、彼女は眉を寄せて小さな声で挨拶をするとそそくさと去って行った。
「……ごめんなさい」
「うん。なんとなく状況はわかっているから、謝る必要はないよ。災難だったね。スイレンちゃん」
ブレンダンは肩から手を離すと、スイレンが持っていた弁当入りの籠を何気なく持ってくれた。こういったところからも、女性慣れしていることが知れる彼にスイレンは苦笑した。
(すごく自然……ブレンダン様は、緊張することなんてなさそう)
いつも余裕あるブレンダンが余裕をなくしていたのを見たのは、この前にスイレンを池の中から救い出してくれた時だけだ。理不尽な扱いに怒ってくれて、とても優しい人なのだと思った。
「あのっ……大丈夫ですか? 上司の人に怒られませんか?」
「ああ。大丈夫だよ。さっきのデーンズ嬢が万が一僕の上司に何か言いに行っていたら、逆に怒られて終わるから。気にしないで」
「……そうなんですか?」
「そうだよ。たとえ彼女とスイレンちゃんに大きな身分差があろうが、ヴェリエフェンディがあれが通じる国だなんて思わないで。デーンズ嬢は世継ぎのカトリーヌ姫の取り巻きだから、少し特殊なんだ。虎の威を借りて良い気になっていると言えるね」
「良かったです……私のせいで、怒られるのかと思って」
助けてくれたブレンダンが怒られなくて、本当に良かった。スイレンがほっと息をつくと、彼は安心させるようい笑った。
「うん……気にしなくて良いよ。リカルドなら今鍛錬場に居るはずだから、僕が案内するよ」




