4-12 帰り道(Side Ricardo)
その恋を諦めれば、すべて上手くいくのだと誰かが言った。若い情熱に任せて失った何かを、将来きっと後悔してしまうだろうと。
(もし、そうならば、別にそれで良い。何かを決断することに後悔するかもしれないと恐れれば、家の中に閉じ籠り何も出来なくなる。俺はすべてを捨てても良いと思えるほどの相手を見つけたのだから、これまでの何もかも。何も、間違ってなどいないんだ)
婚約に関する書類が受理されぬ現状に焦れて、出来る限り日参している貴族院からの帰り道、リカルドは改めてそう思った。
(スイレンと出会い、彼女と恋に落ちたことをいつか後悔するなど。俺の人生の中で、絶対にないと言い切れる)
この先、もし彼女との間に何があったとしても、敵国の檻の中に居るという絶望的な状況で、何でもない挨拶を自分にくれた可愛い彼女との出会いを憎むことなど絶対にない。
ヴェリエフェンディと同盟を組む隣国イルドギァの状況は、思っていたより深刻な状況になっていた。にわかには信じがたいほどの電光石火の早さで戦いには勝利していたものの、互いの後ろに居る大国が口出しを始め終戦の話し合いに待ったがかかってしまった。
そうなってしまえば、複数の国家間の問題となり、下手に動けば面倒になるだろうと予想された。
ここで悪い立ち回りをして完全に敵対視されてしまえば、より緊張感は高まるだろう。二つの国の王も今は慎重な対応を、迫られていた。
竜騎士リカルドとしての職務は、本来であれば日々割り当てられたことをこなし、遠征偵察魔物退治など順繰りに回る当番制の役目を果たせば、それで終わりのはずだ。
だが、リカルドの名は先の大戦の活躍により、この国では英雄とまで呼ばれ、周辺国にも華々しくその名が知れ渡ってしまっていた。だからこそ、敵国ガヴェアはリカルドを何度も捕らえようと、画策していたのだ。
リカルドは、幼い頃から、ただ竜騎士になりたかった。だから、努力した。
国土や国民を守るために与えられた任務を粛々とこなしただけだったはずのリカルドは、自分が英雄になろうと思ったことなど一度もない。だが、気が付けば、多くの人々からそう呼ばれていた。
複数の国が争い合う大戦中に、やたらと目立った活躍をしてしまったせいだ。けれど、リカルドがそうしなければ、国民も竜騎士団の仲間も危険な状況にあっただろう。だから、この国を守れたことを誇りに思いこそすれ、後悔したことなどなかった。
(……カトリーヌ様も、微妙な立場にいらっしゃる。俺が思わぬことで持つことになった肩書は、あの人にとってはただ都合が良いだけだ。どうにか、諦めて貰えないかと思うが……)
リカルドを伴侶にと望むヴェリエフェンディの世継ぎの王女カトリーヌは、正妃の子ではない。ヴェリエフェンディから見れば格下で微妙な関係性にある国ロズタイン出身の側妃の子だ。
彼女一人が現王の直系の血が繋がった娘なので、継承権は第一位にある。
このまま行けば、彼女が有力者を王配に選び、そして女王となるだろう。
正妃は現王が自ら、望んだ愛する人だ。病気で子が望めぬと知れてからも、王は自分の立場など考えずに彼女をすべてにおいて優先した。
しかし、それを面白く思わなかったのは、唯一の王位を継承する娘を産んだはずの側妃だった。気の強い彼女が自分こそが後の皇后となるはずなのにおかしい、冷遇されていると不満に思うことは当たり前のことだった。
王はとある理由から、側妃の出身国ロズタインが国の政治に関し介入してくることを嫌がった。カトリーヌが女王になるしかないとしても、彼は愛する正妃だけは絶対に守りたいのだ。
功労者である自分を認めぬ王に対する側妃、彼女の娘であるカトリーヌも正妃を常に最優先にする父親を嫌っていた。いわば、ヴェリエフェンディの王族は二つの勢力に分かれてしまっているのだ。
いずれカトリーヌが王位を継ぐとしても、今は現王ドワイド・マクファディンが絶対的な権力を手にしている。守護竜イクエイアスが王を支持する意向を示せば、彼に護られているこの国では重要な支持者となるからだ。
そんな中でも、もし英雄と呼ばれる竜騎士リカルドを王配とすることが出来れば、カトリーヌは国民からの圧倒的な支持という、強力な追い風を手に入れることが出来る。
そうした事情を持つ彼女の強力なカードとして権力争いに巻き込まれるなど、リカルド自身は絶対にごめんだった。
王族に名を連ね与えられるはずの王配として大きな権力など、自らが望んでいなければ何の意味もない。
それに、どんなに恋は盲目だと言われようが、リカルドは恋人のスイレンとしか結婚したくはなかった。
王家に対する不敬だと罪に問われることを承知で、カトリーヌを前にしてはっきりと自分の口で断っても無駄なのだ。イジェマと婚約を解消してからというものの、職務で城に待機している際に何度も何度も繰り返される彼女との攻防に、リカルドはいい加減うんざりとしていた。
(もし……このことが原因でスイレンが俺と違う誰かと、結婚するなんて嫌だ。どうにかしたい)
リカルドは文字通り、押しの強いカトリーヌの求愛に頭を抱えていた。
元婚約者となったイジェマは、リカルドに対しそういう意味で好意的になることはなかった。
彼女は幼い頃から拘りが強く、好みもはっきりとしていたので、リカルドのように生来の口下手ではなく洗練された口説き文句を言ってくれる男が良かったのだろう。
リカルドはそんな身近な存在だった女の子イジェマが自分を好まないので、妹のクラリスがどれだけ否定しようが自分は異性から見れば男としての魅力に欠けているのだと、そう思っていた。
イジェマと婚約解消した後に、リカルドが身分を持たぬ平民に入れ上げているという噂が流れ、多くの貴族令嬢から誘いの手紙が数え切れぬほどに届いていた。自分宛に届く手紙を無視してしまうという訳にも行かず、断りの手紙を代筆する人間を雇わなければならないほどだった。
今思い返してみると、絶世の美女と言われていたイジェマに自分は勝てると思うような剛毅な女性でないと、彼女の婚約者だったリカルドに近付けなかっただけだったのかもしれない。
何年も一緒に居たのにあまり良い仲だったと言えない元婚約者にそんな理由から何も知らなかった自分は守られていたことを知り、今は遠い空の下にいるだろう彼女に良くわからぬ感謝をしたりもするのだ。
小さな窓の外は、もうとうに日が暮れていた。リカルドが帰る頃には、既にスイレンは寝てしまっているのかもしれない。
(明日は、早出か。寝顔くらいは……見れるだろうか)
いつまでもそんな風に自分の帰る家に、彼女が居てくれるなら何でも良かった。どんなに苦労を重ねても一緒に居たいと思える存在に出会えたこと。
思いも寄らなかった場所で出会った彼女ただ一人こそが、リカルドの人生に何の曇りもない希望を与えてくれたのだ。




