3-15 別の形
スイレンを腕に抱いたままで器用に扉を開けたリカルドは、ベッドに彼女を慎重に降ろすとおもむろに彼の仕事着である黒い騎士服を脱ぎ始めた。
そっと着替え中の彼から目線を外したスイレンは、このところずっと多忙だったリカルドとの久しぶりの甘いひと時の予感を感じて胸を震わせた。
(こんな風に過ごすの……久しぶり。ガヴェアに書類を取りに行ってから、リカルド様はずっと忙しかったし……)
リカルドはあの旅行に行くために、かなりの仕事を融通して貰ったらしく、帰って来た後もその調整で忙しかった。そして、すぐに同盟を組んでいる隣国のゴタゴタに駆り出されていた。
そういえばとスイレンは、服を脱いでいるリカルドを見ないようにしつつ、口を開いた。
「あのっ……リカルド様が最近忙しかったのって、私の魔法の花のことも……?」
「うん。それもある」
いきなり間近で聞こえた声に、スイレンは慌てて彼が居た方を見て驚いた。鍛えられた見事な体躯はすぐそこにあって、まだどこにも触れていないというのに、何故かリカルドの大きな身体に包まれているような錯覚がした。
リカルドの端正に整った顔に、スイレンは吸い寄せられように見つめた。ぽうっとした蕩けた表情になってしまうことも、仕方ない。
スイレンは初めて彼を見た時からずっと、彼のことが好きで堪らないというのは事実なのだから。
「……ということは、他にも何か?」
間近に迫った恋人の顔に見惚れて黙ったままでいるのもおかしいと気が付いたスイレンは、慌ててさっきの彼の発言を思い出した。
リカルドの吐息が、頬に当たっているのを感じてしまうくらいに近い。
「一番は、周辺国がこのところ不穏だったから。名だけがやけに売れてしまった俺が抑止のために、お呼びが掛かる事が多くて……こんなことなら、あの頃の手柄をブレンダンに全部やるんだった」
「ふふっ……けど。そうすると、きっと私と会えてないですよ」
リカルドがスイレンと初めて出会ったあの檻の中に居たのは、彼がヴェリエフェンディでも英雄と呼ばれるほどに戦功を挙げた竜騎士だったから。名の売れた彼だからこそ、国民に向けて不満解消として見世物とするまでの価値があった。
だから、もしそうであれば、きっと異国に住んでいたスイレンとは会えていなかっただろうとそう言えば、リカルドは予想外のことを言った。
「……そうかな? 俺はこんなに可愛い女の子なら、きっと……檻の中で声を掛けて貰わなくても、一目見れば必ず目を奪われていた。恋に落ちた俺が、それからどうするかは、きっと君が一番に良く知っているだろう。道で擦れ違ったとか。別の形で会っても、きっとそうだったよ」
リカルドと出会った時のあまりに非凡な状況を思い出して、スイレンはふふっと微笑んだ。
「……私を攫って、国に連れて帰ってくれるんですか?」
最後に見送って彼を忘れようと覚悟を決めたスイレンの姿に気が付いてから、火竜ワーウィックを駆る彼が危険を冒して戻って来てくれたのは、一生忘れられない光景だった。
「うーん……多分、あんなに派手にはしないけど。スイレンがそう望むなら、きっと頑張っていたと思う」
「あの……」
リカルドの両手が自分の服を脱がせようと動き始めたので、スイレンは戸惑いつつ彼の顔を見上げた。
「誰も、来ないよ?」
間近に迫っている彼の目は、この後の展開を早急に望んでいるようだった。
「……ですけど。でも、まだ陽が出てて。明るいですし……」
まだ早いと時間を理由に往生際悪くスイレンが身を引こうとしても、二の腕を掴まれて捕まった。
「もう待てない」
「リカルド様……」
出来たばかりの恋人により求められることを望むリカルドの言葉を聞いて、スイレンはどう返して良いかわからずに何も言えなかった。
(今だって……リカルド様なしで、私は生きていけるのかな……彼を失ってしまうかもと思えば堪らなくて……自分は先に死んでも良いから、彼だけは生きて欲しいと思ってしまうくらいに……こんなにも、好きなのに)
◇◆◇
「あの……スイレン。君に少し言えなかったことがあって……」
終わってうとうととして眠りそうだったスイレンに、リカルドは躊躇いがちに声を掛けた。響きの良い低い声だけを聞いたままで、スイレンはふにゃふにゃとした口調で応えた。
「ん……? なんですか?」
「うん。俺の恋人は、世界一可愛い」
そうして、額に彼の柔らかな唇が掠めたのを感じて、スイレンはパッと目を開けた。
「もうっ……言えなかったことって、それですか?」
「ふはっ……拗ねた顔も可愛い。ごめん。違う。実は、俺と君の婚約に関する書類が……誰かからの妨害にあっているらしい」
「あ……それって」
スイレンも、それ以上が言葉を続けることが出来なかった。リカルドは貴族で、この国に仕える竜騎士だ。王族に疑念を抱き不敬を働くなどいうことは、許されてはいない。
(リカルド様を、気に入っているというお姫様が……でも、そんなことまで。けど、だからリカルド様は、このところいつになくイライラしていたんだわ)
彼らしくない態度が続いた原因が、他でもない自分との関係への妨害への苛立ちだったのだと気が付いてスイレンは唖然とした。
「うん。多分。そうだ……けど、心配しないで。俺も流石にやられてばかりではないし……なんなら、もう貴族の名前なんて捨てて。君と二人で、旅に出るのも良いな」
リカルドだって、そんなことは出来ないとわかってはいるだろう。彼は広い領地を持つデュマース家の当主で、国民から英雄と呼ばれている竜騎士だ。けれど、スイレンはやっと話してくれた彼の言葉を否定はしたくなかった。
「……ワーウィックに乗って、二人で世界中を回れば楽しそうですね」
「うん。ダメだったら、そうしよう。だから、心配ないよ。スイレン」
「はい。私は……貴方と居られれば何も要りません。大丈夫です。リカルド様」
スイレンはその言葉の通りにリカルドと居られればそれで、それだけで良かった。けれど、自分と一緒に居るために彼の持つすべてを手放せとは、とても思えなかった。
リカルドを心から好きだからこそ、スイレンはそうは思えなかった。




