3-10 事件
「今夜から、また遠征になる。スイレンも、いつも通りに戸締りにはくれぐれも気を付けてくれ」
「はい。気を付けて、行って来てくださいね」
いつになく疲れた様子を見せるリカルドは、交代勤務で何日かに一度必ずあるはずの決められた休日すらも休めていない。きっと何か特別な理由があるのだとは思うが、リカルドとワーウィックがその理由に敢えて触れないようにしていると察したスイレンは彼に理由を聞けないままでいる。
(竜騎士で身体が資本のリカルド様が、いくら人並外れて体力があるからって……こんなにも休日が全くないなんて、疲れてしまうに決まっているわ。私には、こうして家で待っていることしか出来ないけど……)
リカルド本人は決してスイレンの前では口には出さないが、かなり疲労を溜めて精神的にも参っている様子だ。朝食を終えて自分を見送りに出て来たスイレンにいってきますと声を掛けると、遠征用の荷物を持って城に向けて出勤して行った。
それを玄関口で見送ったスイレンが家に入ろうとした瞬間に、いきなり手を強く引かれて驚いた。
「ワーウィック?! どうしたの? 何があったの?」
誰なのかと咄嗟に振り返って見れば、そこに居たのは人化したワーウィックだった。
今日は昼間に花冠の試作品作りをする予定だったのだが、ワーウィックとクライヴが来ると言っていた時間よりも大分早い。表情も初めて見るほどに必死で、彼にとっては仮の姿のはずの人型のままで、どこからか走って来たのか息が荒い。
「スイレン! 大変なんだ!! プリシラが!! 何者かに誘拐されて、犯人からの手紙が残されていた!! スイレン、君だけが頼りなんだ!!」
「えっ……? 待って。どうして、どういうことなの?」
竜のプリシラが何者かに攫われてしまうという状況はとても理解が追いつかないが、花魔法を使えるくらいしか取柄のない自分だけが頼りという言葉を聞いて、スイレンは混乱した。
「実は……プリシラを誘拐した連中は、彼女を殺されたくなければ、僕らの群れの上位竜の鱗を寄越せと、そう要求している。僕らの群れのリーダーであるイクエイアスは、ヴェリエフェンディの守護竜でこの国の王と交わしている盟約には、従わなければならない。だから、自分の判断だけで、勝手に自分の鱗を与えることは出来ないんだ。今、王城には他国の使節団が来ていて、その対応に多忙な王の判断を待っている内に……プリシラは、もしかしたら殺されてしまうかもしれない」
それでワーウィックがこんなに必死なのかと、スイレンも今の状況が理解出来た。
(あの時の私も、一緒だった。もし、リカルド様とワーウィックを救えるなら、私はなんだってしてみせるとまで思った。彼も、今。きっと、同じ気持ちなんだわ)
「あの、青竜……ライデン様に頼むのね」
以前に南国で偶然会った青い上位竜ライデンヴァーガルに「この魔法の花をもっとくれるのなら、願いを叶えてやる」と、スイレンは彼に言われたことがあった。
その時には大抵のことは叶えてくれそうな彼への願い事を思いつかなかったのだが、すっかりスイレンの魔法の花が気に入っている様子の青竜は「もし思いついたなら、いつでも俺を呼べば良い」と、機嫌良くそう言ってくれたのだ。
ワーウィックは、スイレンの言葉に何度も大きく頷いた。
「こんな……上位竜に願いを叶えてくれるという、貴重な絶好の機会なのに。ごめん。いつか、この恩返しは必ずするよ」
真剣な目のワーウィックは、今この瞬間にも愛しの彼女に何かあればどうしようと、とても辛そうな様子だ。もし、冷静な判断を下すとしたら、王の面会の機会を待ちイクエイアスに頼めば良いだろう。けれど、それすら待てないと思ってしまうくらいに、ワーウィックは彼女が心配なのだ。
「ワーウィック。どうか、気にしないで。ライデン様は、せっかくあんな風に申し出てくれていたけど。私には、彼への願い事がどうしても思いつかなくて、困っていたの。それに、危険な状態にあるプリシラの命を救うことが一番優先よ」
「ありがとう……スイレン!」
自分の手を持って感極まった様子でそう言ったワーウィックに、スイレンは微笑んで頷いた。そうと決まれば、人目がつかない場所へとすぐに移動しなければならない。
(こんな王都のすぐ近くに、守護竜のイクエイアス様以外の上位竜が現れたら大騒ぎになっちゃう……)
圧倒的な力を持つ上位竜はこの世界でも特別な存在で、名前が知られているだけでも数匹程度しか存在しない。スイレンはその中の三匹と直接言葉を交わしているが、それは世界規模で見ても珍しいことだった。
「だけど……竜は近くなら、互いの居場所がわかるのではないの?」
スイレンは玄関前で今にも竜化しようとしていたワーウィックに、ふと浮かんできた疑問を聞いた。
「うん。けど、今回は僕たちには連れ去られたプリシラの気配が、全くわからなくなってしまっている。あんなに数多い群れが住む山の中から、一匹だけ忽然と姿を消すなんて。普通に考えれば、とてもありえないことなんだ」
「……え。それって……」
スイレンは、前にクラリスから聞いたあの一族を思い出した。特殊な方法を使い、竜を捕らえその素材を売って生活するという一族。
スイレンの予想を肯定するようにして、ワーウィックは頷いた。
「長老たちはプリシラを連れ去ったのは竜殺しの一族の仕業だろうと、断定している。彼らは僕たちには麻薬のように惹き付ける果物を、特殊な魔力で作り出すことが出来る。それを食べれば、まるでお酒に酔っぱらった状態にしてから……攫うんだって。探し回っている僕らには気配を感じ取れなくなるほど、彼女を遠方へと運び出すことは不可能だから、何か特殊な結界魔法で気配を消しているんだと思う……けど、それだって殺されてしまえば同じことだから……」
暗い表情のワーウィックの話を聞き、スイレンの背中には嫌なものが走って行った。
(嘘……だから、ワーウィックはこんなにも必死なんだわ。彼らにはいつだってプリシラさんを殺して、高価に売り捌くことの出来る素材を奪うことが可能で。だから……)
「ごめんなさい。早く、どこかライデン様が現れても大丈夫な人目に付かない場所へ、行きましょう。こうしている間に、プリシラさんに何かあったら……」
「うん。スイレン。急ごう!」
◇◆◇
自分の背に乗っていたスイレンを草原に降ろしたワーウィックは、人化してすぐに慌てて早口で言った。
「スイレン。ごめん。リカルドからの、呼び出しだ。宣戦布告して、まだ間もないというのに。竜騎士団が加勢のために遠征する時間が、早まってしまったらしい。ここにすぐに来てくれるように、居残りになるパトリックに言っておくから。あいつが僕の代わりに、スイレンをここまで迎えに来てくれると思う」
契約を交わす竜騎士の危急の呼び出しには、彼はどうしても応えねばならない。まだ、出撃までに時間には余裕があると思っていたのだろう。予想外の展開を知って、顔は表情をなくして青くなっている。
彼にとっては一刻を争う非常事態であるプリシラが攫われたという事件も、この国を守る竜騎士団の遠征にはあまり関係ない。竜騎士リカルドが出撃するというのなら、彼もすぐに行かなければならない。
この国の守護竜でもない上位竜と話しているところを、誰かに見られても困ると十分な距離を取って王都から離れようとしてやって来た場所は、高い山の中腹にある爽やかな風吹く広い草原で、視界も開けている。危険な魔物が潜んで居るような様子は、どこにも見当たらない。
意中の竜が大変な時だというのに、契約ですぐに戦場に赴かねばならない。どう考えても狼狽して通常の状態ではないワーウィックの手を取り、安心させるようにしてスイレンは微笑んだ。
「気にしないで。ワーウィック。私だって、もう何も出来ない子どもではないし。大丈夫よ。ライデン様とお話するくらい、一人で出来るわ。それにプリシラさんを救出することも、これから来てくれるワーウィックのお友達と協力してなんとかやってみる。それよりも、どうか気を付けてね。いつもみたいにリカルド様を、守ってね」
「スイレン……ありがとう」
ワーウィックはスイレンに潤んだ目を向けてから、すぐに竜化し、そして大きな翼を羽ばたかせ草原から去って行った。
(ワーウィック……攫われているプリシラさんのことが、凄く心配だろうに……彼にとっては避けられないお仕事だから、仕方ないけど)
竜との契約にはスイレンには知らない、いくつかの破れない制約がお互いにあるらしい。ワーウィックだって、もしリカルドの呼び出しに応えずに戦場に行かなくて良いのなら、まだここに居たことだろう。
スイレンはあっという間に姿が見えなくなってしまったワーウィックを見送ってから、大きく息を吸って両手を胸の前で握りしめた。
(ライデンヴァーガル様……願い事を、思いつきました。どうか、お願いします)
以前、リカルドが知らない早朝に、ワーウィックの力を借りたいと思い、名前を呼んだ時には彼は近くの竜舎に居たのですぐに来てくれた。
竜は人の心模様を見ることが出来るが、ある特定の人物の心の声での呼び掛けに耳を澄ませるというとても器用なことも可能らしい。
だが、上位竜を呼ぶことを許されたとして、どの程度の時間で彼は来てくれるのだろうか。
スイレンはライデンヴァーガルの呼び掛けは長期戦になることも覚悟して、雲一つない青い空を見上げた。




