6-14 雨の日
決行の前夜、スイレンはクライヴに頼みリカルドを宿屋へと呼んでもらった。
リカルドは正体を隠して王都に潜み、密かにスイレンを警護するのが今の彼の仕事だ。二人が一緒に居るところが見られてしまうと、これまでの苦労が水の泡になってしまうかもしれない。
宿屋で待つようにだけ言われて待って居るのだが、いつどこでどのように会うのかはわからないままだ。
敵地に乗り込んで、身分を隠し潜んでいるのだ。彼らが慎重さを極めるのも、命の危険があるからだ。
万が一に見つかってしまった時を思えば、背筋が寒くなってしまう。
そういう方法で会いに来るのも仕方ないとは理解出来るのだが、彼の訪れはいつになるのだろうとぼんやりと思った。
(……雨の音。リカルド様、大丈夫かしら)
夕方あたりから雲行きが怪しかったが、いよいよ外には雨が降り出してしまったようだ。
もしかしたら、こちらへと自分に会いに向かって歩くリカルドが濡れてしまわないか、スイレンは不安になった。
現在、宿屋の寝室の中にはスイレンが一人だ。
夕食後、ブレンダンはいつものように情報収集に出掛けてしまったし、クライヴも続き部屋にある居間で本を読んでいた。ブレンダンはともかく、クライヴは気を使ってくれているのだろう。
不意に窓を叩く音がして、スイレンはまさかと思った。ここは三階で来るならきっと、宿屋の階段を使って現れると思っていたのだ。
けれど、スイレンを抱いたままで高所へと駆け上った彼の身体能力を思えば、それは無理なことではないかもしれない。
「……っ!」
「しっ……」
おそるおそる窓を開けたスイレンは思わず声を出しそうになったが、それを手で制したリカルドは滑り込むように室内へと入り自分で窓をきっちりと閉めた。
背の高い黒衣の彼は雨に濡れており、見慣れない黒髪はしっとりと濡れていた。
「リカルド様っ」
スイレンは思わず、彼の胸に飛び込んだ。ついこの前に会えたと言えばそうなのだが、近くに居るはずなのに会えないという状況は思ったよりも堪えたのだ。
(すぐ近くに居るとわかっているのに……ううん。この状況を思えば、仕方ないことだけど)
彼はスイレンの頭を撫でて優しい口調で言った。
「スイレン。驚かせてごめん。一番安全な方法で来るつもりだったんだが、結局屋根を辿ることになった」
どうやらリカルドは雨で滑りやすくなっている屋根の上を辿り、スイレンの居る宿屋まで来たらしい。
「……ごめんなさい。私が会いたいと言ったから……」
自分が我慢していれば彼を危険な目に遭わせることもなかっただろうにと、スイレンは考えなしに彼を呼んでしまったことを悔いた。
(ここは敵国。リカルド様たちにとって、これはお仕事だもの。私は無理を言って、お願いしてここに居るだけ……そういう立場を理解しなければいけないのだわ)
「別に謝ることでもない。スイレン。明日、城へ潜入するんだろう? ……不安になっても仕方ないよ」
リカルドは自分を見上げるスイレンの頬に手を当てて、視線で話すようにと促した。
「はい……ライデン様にいただいた腕輪のおかげで、私は空を飛べますし姿を見られることもありません。だから、エグゼナガル様が何処に居るかどんな様子かを確認する程度なら、そう危険なことではないと思います……」
スイレンをじっと見つめるリカルドの茶色の瞳には、優しさや甘さが見えた。これを見ることが出来るのは、世界で自分だけだ。
(どうしてだろう。私たちの関係に不安なんて、何もないはずなのに……)
どこか胸騒ぎがする。
リカルドはスイレンと出会った時から、一貫して彼女のことを好きで居てくれた。その視線態度にも示してくれていた。
彼が幼い頃から決められていた婚約者イジェマ・パーマーと無理をしてでも婚約解消したのも、スイレンの存在があったからだ。
そして、イジェマと婚約解消してから、リカルドはガヴェアから連れ帰ったスイレンに想いを告げた。
すべては彼の誠実さからしてくれていることで、不安になど思うはずもない。
英雄と呼ばれる竜騎士リカルドと結婚したがった王女の件も、ついこの前に解決したばかりだ。今はただ婚約が成立し、結婚する日を待つばかり。
「危険ではないとはいうけど……俺はとても心配だよ。スイレン。君に何かあったらと思うと。君の腕輪は上位竜の特別製で、大丈夫だとは思うけど……代わりに行けたら、良いのにな」
心配そうに顔を歪めたリカルドは、スイレンの青い腕輪に触れた。
これは、スイレンにしか使えない。どういう仕組みかそうなっているらしい。選ばれし竜騎士と竜との契約に似ているかもしれない。
「はい。エグゼナガル様は、あの時……私が助けて欲しいとお願いしたら、叶えてくれました。いまこそ、ご恩を返すべきだと思います」
あの時、スイレンは必死に願ったのだ。捕らえられたリカルドとワーウィックの命を助けるために、どうか助けて欲しいと。
たとえ、ほんの気まぐれだったとしても、エグゼナガルは願いを叶えてくれた。
「うん。それだから、俺もスイレンの決意については、何も言えない……助けられた立場だから。けど、君に命の危険が迫ればどういう気持ちになるか……わかるだろう?」
彼に抱き寄せられて、スイレンは小さく息をついた。
リカルドには何度か危機があった。それは、恨みを抱いた者に内部から敵国へと情報を漏らされていたからだ。
そうしなければならないほどに、リカルドの強さは国内外問わず有名だ。だから、彼が傍に居れば危険など感じることはないだろう。
たとえ、敵国のただ中にあったとしても。
「わかっています。けど、私にもし何かあっても、リカルド様が絶対に助けに来てくれるって……信じているので」
竜騎士リカルド・デュマースの名前は、スイレンがガヴェアに居た頃にも良く噂で聞いたものだ。悪鬼のごとく強くて恐ろしい、敵国の竜騎士。
今は彼の腕の中に居た。
(そうよ。きっと、大丈夫。リカルド様が居てくれるなら……)
「それは、間違いない。どんな困難があったとしても、君を救いに行くよ。スイレン。ワーウィックは魔法障壁をどうにかせねば無理だろうが。くれぐれも気を付けてくれ。もし、君に何かあった時は……戦いが始まる時だ」
スイレンは目線を上げて、リカルドの目を見た。揺らぐことのない、真っ直ぐな視線だ。
(……ああ。この目だ)
リカルドを初めて見た時のことを、スイレンは思い出した。敵国に囚われ周囲をすべて敵に囲まれようが、彼は決して諦めを知らないこの目のままだった。
「……そうならないようにします。リカルド様。私、きっとやり遂げてみせます」
スイレンは両手にぎゅっと力を込めた。
「わかってる。けど、無茶だけはしないでくれ。潜入は何回かに分けても良い。今のように双方情報を掴み兼ねて睨み合いが始まれば、事態が動くまで時間が掛かることがある……ガヴェアもエグゼナガルを捕らえて、間もないということだろう」
背をかがめスイレンに顔を近づけたリカルドは、目を細めてそう呟いた。
エグゼナガルという上位竜を捕らえているのなら、すぐにその能力を使い仕掛ければ良いだろうに、それをしないということはまだ自在には使えないということなのかもしれない。
(ううん。上位竜を捕らえるなんて……これまでに、聞いたことがないわ。ガヴェア側だって、試行錯誤の連続のはずよ。そうだとしたら、逃がすことだって、きっと可能なはずだもの)




