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第四章・3


 3



 夢を見ていた。

 凜と愛稀と真綾は、舟で川を下っていた。船といっても、ぼろぼろの木でできた小舟で、しかも船頭も櫂もない。不安定に揺れながら、凜たちは川の流れに身を任せるしかなかった。

た。

 ふいに、流れが乱れて、波が大きく渦を巻いた。船は成す術もなく、その渦に呑み込まれ、大きく傾いた。凜は辛うじて船にとどまれたが、愛稀と真綾は落水してしまう。

「愛稀、真綾!」

 凜は腕を伸ばした。その手を掴んだのは愛稀だった。渦は次第に激しさを増し、中心に向かう大きなくぼみが出来上がっていた。真綾はばんざいをし、こちらを見上げたまま、その中へと吸い込まれてしまった。

「真綾!」

 凜が娘の名を叫ぶのと、彼女の身体が完全に吸い込まれてしまうのと、ほぼ同時だった。



「ブブブブブ……ブブブブブ……」

 ふと、スマートフォンが振動を始めた。凜は、がばりと椅子の背もたれに預けていた身体を起こした。知らぬ間に眠ってしまっていたらしい。窓の外はすでに暗くなっていた。

 先ほどの夢の余韻が覚めやらないままディスプレイを見る。連絡先に登録していない番号だった。市外局番もこの辺りの地域のものとは違う。しかし、どこか見覚えのある番号だった。

「もしもし」

 凜は電話に出た。

『鳥須さんの携帯電話でしょうか?』

 電話口から男の声が聞こえた。

「そうですが」

『私、先日お会いしました吉田です』

「ああ――」

 電話をかけてきたのは、先日N市の精神病院でお世話になった医師だった。

『電話大丈夫でしたか?』

 吉田は訊いてきた。凜の声が寝起きまるわかりだったことが気になったらしい。

「あ、いえ、大丈夫ですよ。どうしました?」

 凜は電話を持たない方の手の指で目をこすりながら、奮い立たせるように声を出す。吉田は言った。

『――いや、あのね、一応お耳に入れておこうと思って。実は、余城さんがね、亡くなっていたんですよ』

「なんだって。本当ですか」

『ええ。私もさっき出張から帰ってきたもので、たった今知ったんですがね。看護師によれば、昨夜、彼の様子を見に行ったら、壁際に倒れて、ひっそりと息を引き取っていたそうです。まあ、時間の問題だとは思ってましたがね……』

(――なんてことだ!)

 寝耳に水とはまさにこのことだった。凜は電話が切れても、しばらく呆然としていた。精神病院の余城は、事態を解決するための大きな鍵だった。

 凜が考えた策――それは、外の世界に飛び出した余城の意識を、本来の彼の身体へと引き合わせ、もとに戻すことだった。

 本体を失ってしまったとなると、折角の計画が頓挫してしまう。

(どうすればいい……?)

 代案を考えようとしたが、何も浮かばなかった。

 その時だった――。

 突然、部屋の明かりが消え、スリープ状態になっていたパソコンが、起動し始めた。凜は目を凝らし、画面を見た。ディスプレイにはとぐろのように大きな渦が巻き、それはやがて景色へととって代わった。

 浜辺、古びた家、山奥の施設――数秒おきに入れ替わるそれらの光景は、すべてN市を訪れた際に凜が見たものだった。

 そして最後に、一面水に囲まれた風景が映し出された。奇妙なほど静まりかえった水面の上に、すうっと人影が浮かび上がってきた。姿を現した男に凜は見覚えがあった。男は画面越しに凜を見つめながら言った。

『鳥須 凜くんだね。会えて嬉しいよ』

 パソコンのスピーカーを伝って声がする。

「そのようだな――」

 凜は言った。相手に自分の声が伝わっていると感じた。

「君が余城 峡一か」

 男は何も答えない代わりに、ニヤリと唇の端を上向かせた。

 凜は余城を睨みつけたまま後ずさり、准教授室の扉を押した。本能的に逃げなければという気持ちが働いたのだ。しかし、扉は開かなかった。

『今この空間は、私が占拠している、いわば結界のようなものだ。外には出られないよ』

「どういうつもりだ」

『君とじっくり話がしたいのさ。君だって私と会いたいと思っていたんだろう。しかし、それは私がそう思っていたからにほかならないのだ』

「どういう意味だ……?」

 凜は訊いた。余城の言うことがいまひとつ理解できない。

『君は私に動かされていたんだよ。私の存在を知り、私の軌跡を追いかけ、そしてこうやって私と会っている。すべて、私が仕組んだことだったんだ』

「なんだと? なぜそんなことをするんだ」

『私が君を有能な人間だと予測したからだ。君に協力者になってもらうためには、私がなぜ今の私になったのか、君に知ってもらう必要があると考えた。もっとも、君の行動に多少の誤差があることは覚悟していたけれどね。しかし、君はいい意味で裏切ってくれた。まったく私の思った通りに動いてくれたのだ。予測は確信に変わったよ。私と君は、よく似ている。実に私のパートナーに相応しい人間だ』

 凜はただ余城のことを睨みつけていた。余城も凜の方に目を向けている。ふたりはパソコンの画面を挟んで、互いに見つめ合っていた。



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