① クソガキ
「この方がお前の主君だ。アルトニヤ家の一員として、誠心誠意お仕えしなさい」
父親のごつごつとした手が恭しく示したその主君は、小さな体をぐいっと張ってこちらを見上げた。大きな瞳でじぃっと見つめられてなんとなく居心地が悪い。と思ったのも束の間、彼は子どもらしからぬ尊大な態度で言い放った。
「おまえ、あたまヘンだぞ」
クソガキ。
それが、アルトニヤ家長男ジークトリグが自身の主君ビジオールに抱いた最初の印象だった。
◯◯◯
うららかな春の陽射し。そんな常套句の似合う天気の良い日だった。窓から柔らかな光が降り注ぎ、テーブルの上に置かれた銀食器はきらきらと煌めいている。しかしそんな穏やかな朝食の時間であるにも関わらず、テーブルのそばや部屋の入り口付近で待機する使用人たちの顔には暗い疲労の影が落とされていた。それというのも彼らがちらちらと視線を向けるこの部屋の主、今まさに食事をしている彼が原因なのだが。
「おい、この茶を淹れたのは誰だ」
彼が不意に口を開く。部屋の温度が一気に下がり、心なしか日が翳った。年若い使用人がおずおずと進み出ると、彼女の主君は淡々と言った。
「茶一杯満足に淹れられぬ人間など必要ない。お前を解雇する」
「はっ、……そんな、お待ちください、若様っ……どうかお考え直しを……っ」
そう嘆く声は他の使用人に引きずられ、廊下の奥へと消えていった。主君は平然とした様子で食事を再開する。使用人たちもさほど動揺した様子はない。ここではよくある光景だからだ。
食事が終わり使用人たちを皆下がらせた後で、主君の背後に立っていた側近が茶を淹れる。カップを受け取った主は一口飲むと、横柄な笑みを浮かべて呟いた。
「やはりお前の茶が一番マシだ、ジーク」
「恐縮です」
一礼してそう答えると、ジークトリグはソファで茶を飲む主の頭を見下ろした。
エクラート公爵家は王族の傍系一族にあたり、ここメジアスト王国内に存在する三つの公爵家のうちで最も格式高く、権力も財力も十分に有する家門である。現在のエクラート公爵は格段優れているわけではないが愚かしい野心を抱くこともなく、従順な妻とともに国王や他の貴族たちから一定の信頼と尊敬を集めている人物であった。
彼には息子が三人、娘が一人いた。目立った醜聞もなく、社交界ではまだ年齢の幼かった王子たちより先んじて話題に上ることも少なくなかった。貴族たちは、聡明で見目麗しい四人の子どもたちを持った公爵にますますの尊敬と羨望の眼差しを向け、公爵家は安泰だと言い合った。彼らは知らなかった。子どもへの賛辞に謙遜しつつも微笑むエクラート公爵が、長男、すなわち跡取り息子であるビジオールの苛烈な性格に頭を悩ませていたなどとは。
「そうか、今日もまた……」
朝食での息子の「解雇命令」を執事から報告されたエクラート公爵は、ため息をつきながら眉間を押さえた。
「本日解雇を申し渡された使用人については、今後若様の給仕には当てず、屋敷内の別の役職に就かせることにいたします。しかし、全員をそうするわけにもいきませんし……。幸いまだ屋敷の外の者には知られておりませんが、こうも気に入らない使用人を端から解雇されてはそのうち彼らから若様の噂が広がることも……」
「我が公爵家の名誉のためにもそれは避けたいが……あれは私の言うことなど聞き入れはしないだろう」
「では、若様の護衛騎士を務められておられるジークトリグ様にお頼みするのはいかがでしょう?」
執事の提案に、公爵は逡巡したのち頷いた。
「幼少の頃からそばにいた彼の言うことなら少しは聞くかもしれん。ジークトリグをここに呼び寄せてくれ」
「は、かしこまりました」
かくして公爵の執務室に呼ばれたジークトリグは、内心うんざりしていた。用件は大方、主君の態度についてだろう。こうして呼ばれるのは初めてではないし、毎回違った言い回しで「お前が若君をなんとかしろ」と言われるので、我儘な主君のおかげで忍耐強さを身につけたジークトリグといえどもさすがにそろそろ辟易していた。気の進まぬまま、入室の許可をもらい部屋に入る。
「君をここに呼んだのは、息子に___ビジオールについて頼みたいことがあるからだ」
やはり。ジークトリグは心の中でため息をついた。
「知っての通り、あれは少々我儘なところのある子だ。今までは子どもだからと目を瞑ってきたが、最近はさすがに度を超えている。そこでだ、ジークトリグ、君からビジオールに言い聞かせてやってはくれまいか」
「お言葉ですが、私はビジオール様の臣下です。私から申し上げるよりも、父親である公爵様からお伝えした方がよろしいかと」
「あれは私の言うことなど聞かん。なに、あれぐらいの年頃になると親や大人というものに意味もなく反発したくなるものだからな。だが、君ならあれも信頼を寄せているだろうし、君の言うことならば聞くやもしれん。頼まれてくれるか」
(それはあまりにも……)
あまりにもあの人を理解していない、とジークトリグは思った。あの主は信頼どうこう関係なく、自分より立場の低い者に指図されようものなら怒り狂うに決まっている。
ジークトリグは公爵のことが嫌いではない。優れた社交術は純粋に尊敬できるし、その温厚な人柄には好感すら抱いている。しかしたまに、彼が口にする息子像があまりに現実とかけ離れていることに、呆れに似た感情が湧き起こるのだった。
「言い聞かせるとは具体的に、何を……」
正直、常識的な視点で見れば彼に対しては指摘することが多すぎる。その全てを注意していたら彼はすっかりへそを曲げてしまうだろう。いやそれどころが癇癪を起こして……。
公爵もそこは予想できたらしく、とりあえず、と例を示した。
「今朝のように使用人を見境なく解雇するのはだめだ。あれの評判にも関わるからな。今後、そういう場面があれば君が諌めてやってほしい」
「それは……お受けしかねます」
「うむ、助かる……え?」
いつもはイエスマンのジークトリグの思わぬ返事に公爵は目を見開いた。その目に疑惑の影が落ちる前に、ジークトリグは続けた。
「あの方が使用人を解雇なさるのは、単なる気まぐれではありません。あの方は、ご自身で望まれる水準よりも低い接待を受けた時、ご自身が蔑ろにされたと感じ憤慨するのです」
「そ、それを気まぐれだと……」
「そう思われるのなら結構です。しかし、ご自身に対する周りのそういった対応について、あの方は特に敏感なのです。理由は……公爵も、お心当たりがおありでしょう」
「……」
公爵は難しい顔をして俯いたものの、しかし、とまた顔を上げた。
「それでも、今の態度は目に余る。我々も使用人の雇い入れは慎重に行っている。あれに対してそう無礼なことをする者もいまい。にも関わらずその首が飛び続けているとあれば、そのうちあれの気性が屋敷の外にも広まるだろう。そうなった時、結局苦しむのはあの子なのだ」
半分は本心なのだろう。家名を重んじる公爵の顔の中に、息子を心配する父親の影が読み取れた。
「……承知致しました。過度であると判断した場合は可能な限りビジオール様に諫言いたします」
「頼んだぞ。期待している」
その期待に応えられる自信はないが、渋々了承してジークトリグは主の部屋へと戻っていった。
「はぁ……」
息子の従者を見送って、公爵はまたもため息をついた。
「ジークトリグも相当だな……。あれの従者を根気強くやってくれているのはありがたいが、今のままではどうにもならん」
死亡や重い病気といったよほどのことがない限り、公爵家の後継者は長男である。加えてビジオールの優秀さは家庭教師が太鼓判を押すほどであるし、素行も……使用人に対する態度を除けば、まあ悪くはない。
「あの性格さえどうにかできれば……頼んだぞ、ジークトリグ」
心労に痛む胃を押さえる主君に、事の成り行きを見守っていた執事は心の中で手を合わせた。




