最終話 久遠
佐倉湊が定年を迎え、通い慣れた市役所を前に佇んでいる。
遠い昔、北方高校を卒業した日を思い出す。
卒業の寂しさもあったが皆、未来に向けた希望を抱き卒業した。
あの日は終わりだと思っていた。
だが振り返れば、あれは始まりだった。
弓道部の仲間たちはそれぞれの道へ進み、気が付けば半世紀近い歳月が流れていた。
たくさんの人と出会いと別れ、そして笑った日もあれば涙した日もある。
それでも今日まで歩いて来られたのは、あの北方高校で過ごした時間が土台になっていたからかもしれない。
市役所を後に松山市駅へ歩み始める。
松山市駅からは高浜線の郊外電車に乗りる。
窓の外はビルから住宅街、そして海が見え始める。
車掌が感染症対策にと窓を開けると潮風が車内に入ってくる。
ふと、手を見るとシワの入った指。
生口島での人物を思い出し、口元が緩む。
港山駅に到着し、渡し船を待っている。
子供の頃、後ろから声を掛けてきた少女。
今は対岸から手を振って待っている女性が同じ人物なのだから時間の経過が現実に引き戻す。
渡し船に乗って数分なのに、ソワソワと待つ姿は変わらない。
船上から手を振り返すと、
「おかえりなさい、あなた!」
定年を迎えた最後の日は妻が出迎えてくれたのだ。
接岸して家路まで並んで歩く、
「釣具屋さん、もう閉めたね。」
いつの間にか店は閉め、長椅子も無くなっていた。しかし長椅子に座った景色は変わらない。
でも、寂しくもあった。
「少し歩かないか?」
妻は頷き、三津浜商店街へ向かう。
シャッターは閉まっていたが、いくつかの店舗には新しい店主が商売を始めている。
「あなたが頑張った証かしらね。」妻がそっと声を掛けてくれる。
尾道まではいかないが、観光課に配属された時に電動カーの導入を行い観光客の誘致、移住者支援、経営支援など三津浜や北方商店街など松山市の商店街復興に力を注いだ。
街は懐かしい雰囲気と新しい息吹が入り始めている。
「まだまだこれからだよ。」
少しだけ笑っていた。
昇と沙織と三人で初詣に行った時に
昇が商店街を小さかったっけ?と言ったのが忘れられない。
いつか昇の墓に行き、活気のある三津浜商店街になったと報告したい。
昇の記憶は思い出すと辛い…。
高校卒業したその年、帰省した際にバイク事故で亡くなった。
いつも台風の様に走り去る。
昇らしいと言えば昇らしい。
でもな、昇…。
寂しいよ…。
「あなた、夕日見に行こう?」
妻が気持ちを察した様だった。
近くの三津駅から梅津寺駅に向かう。
まだ夕日が落ちるまで時間はある。
あの時も時間との勝負だった。
妻から差し出されたラムネの味は忘れられない。
妻がバックから取り出す。
「これ、定年のお祝い。」
電車はゆっくりと梅津寺駅に向かっている。
包装紙を開くと池田時計店の文字。
「いつでも修理してやる。って言われてましたよ。」クスクス笑う妻。
いつまで経っても池田主将のままだと二人で笑う。
梅津寺に到着して防波堤に座る二人。
「変わらない景色ですね、あなた。」
夕日が沈み始めている、妻は隣に座った白髪交じりの夫に話しかける。
「ああ、海と夕日だけは変わらないな」
防波堤の下から海水が当たるたびに「ちゃぽっ」と音がなる。
少し離れた場所では郊外電車が発車している。
「この場所から始まったのよね、私たち…。」
手を繋いだりはせず長年連れ添ってきた距離で座ったまま話しかける。
「ああ、ここで出会えた。」
二人で過ごした出来事を思い出しながら何度も頷いている。
「今もこうして過ごせている。」
夕日が沈んでも二人は並んだまま座り、水平線に浮かぶ島々を眺めていた。
いつまでも。
いつまでも…。
瀬戸内今昔物語 完




