悪役令嬢は、もう演じない
あの「噴水降臨事件」から数日。
王都を襲った赤き呪いは、ルカや王子たちの懸命な根回しにより、「稀に見る大規模な魔力嵐による自然災害」として処理された。私の「悪魔との内通」疑惑も、命懸けで国を救ったという騎士たちの証言(と王子の強権)によって、いつの間にか「潜入捜査をしていた悲劇の令嬢」という、本人が一番驚くような美談にすり替わっていた。
今日は、学園の庭園でも一際見晴らしの良い特等席で、ささやかな祝宴が開かれることになっている。
「……ねえルカ。これ、近すぎないかしら?」
「いいじゃないか、命懸けの『共犯者』なんだし。それともエルゼ、もう僕に掴まっててくれないのかい?」
ティーセットを準備しながら、ルカが当然のように私の腰を引き寄せる。
あの決戦以来、彼の「距離感」は完全にバグっていた。私の口元にジャムが付けば、ハンカチを出すより先に自分の指で拭い、私が少しでも寒そうにすれば、魔法で温めるどころか自分の上着を(まだ彼が着ているのに)一緒に羽織らせようとする。
「もう、子供じゃないんだから……」
「はは、そうだね。でも、死ぬより怖い思いを共有した相手なんだ。これくらいは役得だと思ってよ」
そんな私たちが醸し出す「数十年連れ添った夫婦」か、あるいは「死線を潜り抜けた老兵」のような熟練の空気に、少し離れた場所で立ち尽くしている二人の影があった。
「……ギルバート。あの中に、私が入る隙があると思うか?」
「……殿下。私にも分かりません。ただ、あそこだけは物理法則ではなく、別の絆で空間が固定されているように見えます」
アルフレッド王子とギルバート様が、困惑の極致といった顔でこちらを見ている。
王子たちの記憶からはゼストゥルゴーラの洗脳は解けているが、それゆえに「なぜこの二人が急にこんなに仲良くなっているのか」が理解不能らしい。彼らの目には、昨日の敵が今日には戦友を超えて「一心同体」になって帰ってきたように映っているのだろう。
「あら、二人とも! 突っ立ってないで早く座ってちょうだい。冷めちゃうわよ!」
私が快活に声をかけると、二人はビクリと肩を揺らした。
あ、いけない。つい素の性格で、親戚のおばさんのような距離感で呼んでしまった。
「おーっほっほっほ! ……ゲホッ、ゲホッ。……じゃなくて、お座りになって、アルフレッド様、ギルバート様」
咄嗟に「悪役令嬢ポーズ」で高笑いしようとしたが、あまりの喉の詰まりにむせてしまった。もはや演技の必要はないのに、長年の癖とは恐ろしい。
ルカが私の背中を優しく叩きながら、「あ、今のは癖だね」とクスクス笑っている。
「す、すまない、エルゼ。……君が、あまりに以前と……いや、なんでもない」
王子が複雑な表情で席についたその時、庭園の入り口から賑やかな声が響いた。
「お待たせしました、エルゼ様! ルカ様!」
クロエが、焼き立てのお菓子が詰まったバスケットを抱えて走ってくる。その後ろでは、重そうな予備の食料や飲み物を両手に持たされたレオンが、苦笑しながらついてきていた。
「クロエ、レオン! こっちよ!」
全員がテーブルを囲み、贅沢な昼食が始まった。
クロエの焼いたクッキーを一口食べて、「美味しいわ!」と私が顔をほころばせた、その時だった。
――ピカッ。
私の右手の指輪が、不気味に赤く明滅した。
水晶の中の液体が、まるで「うふふ♪」と笑うように激しくシェイクされ、楽しげに揺れている。
「な、なんだその指輪は……!? 生きているように動いていないか?」
王子が顔を引きつらせて指をさす。ギルバート様も無言で剣の柄に手をかけた。
「ああ、これですか? 私のファン(自称)からのプレゼントなんですけど、ちょっと趣味が悪くて。黙りなさい、このストーカー指輪!」
私は、テーブルに置いてあった固めのバゲットで、指輪をペシペシと叩いて黙らせた。
一瞬、指輪から「……次はもっと良いヴィンテージを……」という囁きが聞こえた気がしたが、無視だ。全力で無視してやるわ。
「……エルゼ。君は本当に、強くなったね」
ルカが私の手を取り、指輪ごと優しく包み込んだ。
王子やギルバート様、そしてクロエやレオンも、呆れたような、でもどこか温かい眼差しで私たちを見ている。
結局、私は完璧な「悪役令嬢」にもなれなかったし、歴史に名を残すような「聖女」にもなれなかった。
バッドエンドを回避するために必死で走り回って、ボロボロになって、挙句の果てに悪魔にストーキングされるハメになったけれど。
でも、今。
目の前にある、この騒がしくて、少しだけややこしくて、けれど最高に温かい「現実」。
これこそが、私が喉から手が出るほど欲しかった、最高のハッピーエンドなんだわ。
「さあ、みんな! 今日は無礼講よ。お腹いっぱい食べて、笑ってちょうだい!」
私の高らかな宣言と共に、庭園に笑い声が広がる。
私の「演技」はもう終わった。これからは、私自身の物語を、この最高の仲間たちと共に紡いでいこう。
――たとえ、右手の指輪がたまに「飲み頃ね♪」と囁いたとしても、ね。
〜 END 〜
最後まで読んで頂きありがとう御座いました。




