31.メリッサ § マリー
「母さん、出てあげてくれ」
春の精霊祭が終わって、雪どけた頃。腰をやってしまった夫の代わりに出掛けていた息子が、裏口からではなくお店の正面の方から帰って来た。
「どうしたの、リュート。お客様?」
「あぁ」
あら。と、その時はそれだけ思って、息子と入れ違う。あまり表情の起伏のない子だけれど、目元と口元が淡くやわらいでいるように見えた。
おそらくご近所の方ではないのだろう。時々、隣の村や町から買いに来てくれることもある。息子の言い草から、もしかしたら小さな女の子なのかもしれないと思いながら、お店の方を覗いた。
そこにいたのは小さな女の子ではなく、でも、とても可愛らしい女の子だった。
「あ……あ、あの、わたし…」
とても不思議なことだけれど、この時、あぁ、やっと会えたわって思ったの。
「いらっしゃい」
足元の黒猫と一緒に、いそいそとパンを買いに通ってくるあの子を、私はすぐに気に入ってしまった。会えるのをずっと待っていたような、そんな心地。
いつもそう言って出迎えると、初めての頃は不安そうに怯えていた瞳が、ホッと安心したように綻ぶのが嬉しかった。風邪で倒れた時はとても心配した。いつの間にか夕食の席で、今日のあの子は元気だったかを確かめるようになっていた。
「それにしても、ふふ…リュートがあんなことするなんてね」
「…他意はない」
あの子は可愛らしい。そう思っているのは、息子も同じようだった。
焼き立てのクロワッサンをひとつ、籠に入れてあげる姿は我が子ながらとても微笑ましかった。年頃の娘さんが来ても、今までそんなことしたこともなかったのに。一杯の水を持って行ったり、文字が読めないあの子に教えてあげたり。可愛らしい二人が並び立つのをこっそり眺めていると、夫も楽しげに後ろで笑うようになっていた。
この子かもしれない
本当に、とっても不思議なことなのだけれどね。
この子が、息子の運命の人なのかなって、もうずっと前からそう思っていたのよ。
〜秋祭りの名物はカボチャケーキ、そうして千歳の契りの蜂蜜酒を〜
「まぁそうだよな、リュートよりお前の方がセリーちゃん逃がさんって、割と最初からぐいぐい攻めてたもんなぁ」
「うふふふ」
「夕メシ一緒に食べようって引き込んだのもお前だし、さり気なくウチ秘伝の料理教えるわお菓子作るわ、みんなでプレゼントした魔除けの首飾りだってあれ、トップの石はウチのばあさんの形見だし。教えてないんだろうけど」
「もうすぐ教えられるわよ、きっとね」
だってこういうのは先手必勝じゃない?あんなとっても良い子、うかうかしてたらよそのお家に取られちゃうもの。押しかけ女房したのだってそうよ。この人が良いって思ったら逃がさないようにしないとね。あなたも彼女も、自分に向けられる好意にはちょっと鈍感だから、わかりやすくしないと、ね?
「確かに貴女は昔から、これと思ったものは遠慮なく欲しがって動いて、実際に手に入れてしまうところがあったわね」
「そうなんだよなぁ、見かけによらず凄い行動派というか、なのに天然ってどれだけ最強なのかと」
「ライアーさん。今更ですけれど、メリッサを愛してくれて、感謝しています。私の大切な、妹ですから」
今日は秋の収穫祭。
これまで遠慮がちだったヴィオちゃんが、本当に自然とこの場に来てくれている。どこかにあった境界線はもう見えない。ずっとずっと、こんな日を夢見ていたの。
「………いきなりこんなところで改まんないで下さいよ、ヴィオレット様。もう何年も経ってるのに、妙な気分になる」
「あら、良いのよ?遠慮しないで私達も恋人やっても。私が押しかけたからいきなり結婚だったし」
「勘弁してくれ、何年経っても毎日毎日恋人っぽいことやってくるくせに。お陰で息子が達観しちゃってまぁ…よくぞセリーちゃん来てくれたと思うよ」
ヴィオちゃんを懐柔する最後の一手。王手は、振り返ればあの子の存在だったと思うのよ。
あの子に、きっとそのつもりはなかったわね。でも、だからこそ。
「いいな。なんだかこれまでで一番、楽しい祭りになってる気がするよ」
「そうよね」
私達の視線の先で、マリーちゃんと一緒にやっぱり女の子達に囲まれている。リリィちゃんが率先して教えた踊りを披露して、今は満月のような黄金色のカボチャケーキを食べながら、透き通るようなストールに花を挿していた。あれは花の羽衣と言って、リネンのやわらかな生地に秋の花を飾って楽しむ風物詩のようなもの。女の子達がお姉さんぶって頑張って教えて、彼女は楽しんで教わっている。こういう光景を見るたびに、私達はみんな、幸せを覚えてるの。
「セリーさんは、きっと知らないのでしょうね。どれだけ、こちらが幸せを貰っているか」
異世界からやって来たあの子は、ただ一生懸命、ひとつひとつ丁寧にやってきただけ。あの子はそれを、面倒をかけている、お世話になりっぱなし、と思っている節があるけれど。違うのよ。
あの子がやって来て、私達の風景がどれほど色鮮やかになったか、あの子は知らない。
穏やかな故郷。のどかな風景。素朴な暮らし。
緩やかに流れる季節の中で、さらさらと水の流れる音がする。風や、梢の音色。花の香り。土の匂い。弾けるような笑い声。
それはずっと当たり前にそばにあったもので、聞こえていたし、見て、感じていたけれど。
あの子がやって来て、私達は、そういうものをよく聞くようになった。見るようになった。感じるようになった。
踊りが好きなあの子に乞われて、ミューゲ伝統の歌や楽器を教えている。それがどれほど嬉しいことか、あの子は知らない。あの子が好んでヴィオちゃんの昔の服を着ていたから、廃れてしまった衣装を復活させる気になったことを、あの子は知らない。
あの子自身が気づかないうちに人と人を繋いでくれたから、ヴィオちゃんともファゴットさんとももう一度繋がることが出来た。あの子が美味しいと心から笑うから、当たり前だったお料理やお菓子にみんなが誇りを持つようになった。あの子が等身大で遊んで一緒にいてくれるから、寂しかった子供達はミューゲを好きでいてくれる。あの子はそんなこと、きっと知らないのだわ。
「良かったわ。セリーさん、もう前ほど、恐縮していないみたい」
「ヴィオちゃんもそう思う?」
「えぇ。自分ばっかり貰ってるって、それでどこか気負ってるところがあったけれど、随分と薄れたような気がするもの。今、とても良い顔をしている」
あの日、泣き腫らした顔で息子と帰ってきた時は驚いてしまったけれど、家に招き入れてミルクティーを飲んでから、何て言ってくれたと思う?
「メリッサさんと、ライアーさんの、……むすめ、に、なっても、良いです、か…?」
これよ?これが抱きしめられずにいられるかしら?無理だったわ!
あの子は実のご両親を知らない。知らないんです、と本当にただそうとだけ話してくれた背景に、もっと複雑なものがあるのか、言葉通りでしかないのかはわからないけれど。
ヴィオちゃんとファゴットさんを、心のお母さんとお父さんだと勝手に思ってるんですよ、とはにかんで語ったその口で、あの子にとって特別な意味を持つ存在に、私達も許してくれるなんて…最高の告白だったわ。
「メリッサも、良かったわね。リュート君も、本当に満たされている顔をしているわ」
「言うほど心配はしていなかったのよ?」
「それでも、待ちわびてはいたでしょう?」
息子が魔法騎士に選ばれた時、何か大きな変化が訪れるのかしらと思った。もしかしたら可愛いお嫁さんを見つけるかもしれない。そうでなくても、良い出逢いがあって、息子の人生は予想しないものに彩られるかもしれない。どんな風であっても無事で、堂々と生きてくれればそれで良いと、親心に月や星にお祈りしていた。息子を昔から知る村のみんなも、きっとそう願ってくれていた。
ねぇ、だからね、全然予想していなかったのよ。これでも本当に驚いているの。
とってもとっても遠いところから、会いに来てくれるなんて。愛してくれるなんて、もうそれだけで、こんなに素敵なことはないの。
§
夏の花祭りではレモンパイだったけど、今日はお母さん達がたくさんカボチャケーキを作ってくれた。薄水色のこのストールはね、セリーちゃんにあげるの。ほら、こうやってお花を飾ると、小川にお花が流れているみたいで綺麗でしょう?
そのうちゆったりとした小夜曲が聴こえてきて、私達はみんな、少しずつお喋りや手を止めて一人を見た。リュート君だ。ベルやお父さん達にさっきから揶揄うように突かれていたけど、このことだったのかな?
あれは、リュート君の亡くなったお祖父さんの琵琶だ。それで、この小夜曲はー
しばらく聞き入っていると、ふいに、するりと手元からストールが離れていった。あれ?と思ったら、目の前で、お花と一緒にふわりと優しくひるがえったの。
あぁ、なんて
なんて、幸せな光景
セリーちゃんは踊りが好き。踊ることが好き。セリーちゃんのお祖母ちゃんとお祖父ちゃんが、セリーちゃんの中で生きている証し。蜂蜜バタつきパンと同じくらい、大切なんだ、って話してくれた。
大切な人に、大切な想いを伝えるように、丁寧に踊って。誰かと心を通わせて踊ることが出来た時、きっと幸せになれるよっておばあちゃんが言ってたから、いつかそんな風に私も踊りたいって、そう言っていたよね。
今がそうなんだね。きっと今だったんだね。
きっとお祖母ちゃんとお祖父ちゃん待ってたよ。私達も待ってたよ。
リュート君の音に合わせて踊るセリーちゃん
セリーちゃんに合わせて奏でるリュート君
幸せで、幸せで、私達みんな、ずっと見ていたいよ
これは小夜曲。ミューゲで、男の人が愛する女の人に心を捧げる伝統的な曲。その儀式を、私達はセリーちゃんにまだ教えていない。それでも、彼の音で、踊りたいって思ってくれたんだね。
いつも踊っていたよね。木漏れ日の中で、子供達の歌に乗せて、風の音に乗せて、身体がむずむずして踊りたくなるんだよねって楽しそうに。いつもいつも見てきたよ。
ねぇベル、幸せだね、良かったね。
そうだね、リュート君とセリーちゃんがいてくれて、良かったね。
「あっ」
ストールが、風にふわりと舞い上がった。それに手を伸ばすセリーちゃんは、なんだか一枚絵のようで、思わず見惚れてしまった。
ふわふわと漂って、リュート君の手元に舞い降りる。
自然と溢れていた涙をベルに拭われて、そのベルは、リュート君のそばに行くと何か囁いて、その背中をセリーちゃんの方に押した。
止んでしまった二人の調和を惜しく思いながら、きっとみんなが何かを期待していた。
「…誰も逃がしてくれないだろうから、諦めてくれ」
ひとつ溜息をついたリュート君は、琵琶をベルに預けると、
「セリー」
花の羽衣をセリーちゃんに、ヴェールのようにかぶせて、
「俺はもしかしたら、君にとって最良の相手ではないかもしれない。世界は広くて、その中に、君が一番望む形で安心出来る誰かがいるかもしれない。その誰かを探した方が、君は幸せになれるのかもしれない。ーそれでも、俺は、どうしたって君が良い」
きっとたくさん涙をひとりで拭ってきた手を、取って、
「絶対はない。俺は精霊王でも神でもない。だが、君が他でもない俺に願うなら、持てる全てを尽くす。どこに行っても良い。何をしても良い。君は自由だ。それでもー俺のそばで、生きてくれないか」
千歳の縁を誓った。
「ーおばあちゃんと、おじいちゃん、が」
花の羽衣の中で、この世界に生まれた人にはあり得ない漆黒の綺麗な髪が、さらりと落ちた。
「素敵な人に、巡り会えるようにって、これを」
空いている方の手に、セリーちゃんが大切にしている髪飾り。リュート君の瞳のような色の珠が、凄く綺麗。
「ここで、失くして、探して…そうしたら、あなたがいた」
二人とも、時々、夢に出てくるんです。
震えた声も、手も、濡れて。
「っぉ、お嫁にいきます、って、言って、いいです、か…っ」
ーまるで雄叫びのように皆んなが歓喜して、ありったけの花を舞い散らせて、杯を天へ掲げた。世界で一番の交響曲だった。
蜂蜜酒がすぐに用意されて、二人が足元の子供達で動けないのを良いことに、一人一人が注ぎに行った。いくら強いリュート君でも今日は潰れるかな、と思いながら、私はといえばベルに止まらない涙を拭われてばかりで、ちっとも飲めない。ふふ、リリィちゃんったら、シタール君と何か言い合いしながら泣いちゃって。メリッサさんも、ヴィオレット様も、眦が光っている。
蜂蜜酒は特別なお酒。お月様の色の蜜のお酒。だから蜜月に結び付けられて、昔から婚約や結婚の儀礼の時にしか振舞われないものなの。最近は私達と同世代の子達は村から出て行ってしまっていて、そんな伝統はご無沙汰になっていた。たぶん、私とベルの時以来じゃないかな。
「ベル、リュート君のこと、けしかけたの?」
「こういう形ってのも大事だろ。空気も良いけどよ」
二人の関係が変わったことには気づいていた。それに本人達からも、普段近くにいることの多い私達は直接、話を聞いていた。
それでもこうして、タイミングが良かったと思うのは、やっぱり、時が満ちたってことなんだろうと思う。撒いた種が、花を咲かせるように。今夜のお月様は、きっと、一等綺麗だと思う。
ありがとう
ありがとう
二人とも、ずっとずっと、大好き




