第47話 マインの起源
R18規定に引っかからないようにするため、暴力シーンは一部詳細を省いた表現になっています。
「おらっ、入れ。ここがお前の部屋だ」
山賊のような出で立ちの男が、乱雑に少女を部屋に放り込んだ。
躓き手をつく少女。振り返って入口を見れば、男が扉を閉める所だった。ガチャリ、と鍵のかかる音が部屋に響く。
少女は部屋を見渡した。少将手狭だが、荷物を持っていない彼女が寝泊まりする分には過不足ない間取りだった。あるのは小さな明かり窓と、一枚の毛布。
「……埃っぽい」
そうもらす少女の名はマイン。先日十歳を迎えたばかりだった。
マインは特に変わった所のない、普通の少女であった。強いて言うとすれば多少無口である事と、両親が借金を残したまま他界したという生い立ち。まだ子供のマインに借金が返せるはずもなく、借金取りに捕まった彼女は訳も分からないままこの場所に連れてこられたのである。
マインはここがどこだか分からなかった。目隠しをされ、馬車に乗せられ移動し、その後森の中を数時間歩かされここにたどり着いたのである。さすがに森の中では目隠しなしで歩いていたため、ここが森の中にひっそりとたたずむ古城であるという事だけは分かったが。
「私、これからどうなるんだろ……」
毛布の上に座り足を抱え、マインがつぶやく。手足には森の枝葉でついたいくつかの傷。だがそれが気にならない程の、不安。そして恐怖がのしかかった。
「お父さん、お母さん……」
マインの両親はまっとうな宿屋だった。宿場町で細々と切り盛りする、ありふれた零細の宿。
マインにはある楽しみがあった。宿屋に来た客の話を聞くことである。宿場町というだけあり、訪れる客は旅商人が多い。そんな客が宿一階の食堂で食事をしているときに、よくいろんな街の話をしてくれるのだ。港町、開拓都市、そして王都。見た事のない景色やそこに住む人々の暮らしを思い浮かべるだけで、マインは心が躍った。
そんな暮らしはある時簡単に崩れた。マインの母親が流行り病で倒れたのである。
薬は高くて家の貯金額では到底買えなかった。だから借金をして薬を買った。だが母親の病は治らず、父親までもが病に罹ってしまった。当然、宿屋は続けられなかった。その後両親は死んだ。
安い食材を余さず使い、信じられない位おいしい料理をつくる母親。そして物静かながら、客室の掃除を欠かさずする几帳面な父親。マインはそんな両親が誇りで、そしてよく手伝っていた。
でももう二人には会えない。マインはそんな現実を理解できる歳にはなっていた。だからこそ、自分の行く末に暗雲が立ち込めていることもよそう出来ていた。これからどうなるかは知らないが、どうせろくでもない目に合うに決まっていた。
「おい、出ろ。一緒に来い」
しばらくして、先ほどの男がまた来た。おとなしくついていくマイン。連れていかれた先は広い部屋だった。元は室内の訓練場だったのだろうか、ただひたすら何もない。そんな部屋で二十歳くらいの女が待っていた。
「連れて来やしたぜ」
「ありがと。あなたはもう自分の仕事に戻っていいわよ」
「へい」
男が部屋を出ていく。立ち尽くすマイン。女は自らをレジーナと名乗った。彼女がここで最も偉い人物らしい。
「あなたにはここで暗殺者になるための訓練を受けてもらうわ」
「あん……さつ?」
「そうよ。借金を返せなかった時点であなたの所有権は私たちの物。拒否権はないわ。逆らったら殺す」
思わず後ずさるマイン。酷い目に合うとは思っていたが、暗殺者などさすがに予想外だった。
「私の命令に逆らったら殺す。逃げようとしても殺す。訓練について来れなくても殺す」
マインの足がピタリと止まる。自身を射抜く殺意のこもった視線に、それが嘘偽りない予告であると理解させられた。
全身から脂汗が噴き出す。心臓は動きを速め、呼吸は苦しい。今すぐ逃げ出したい。助けを求めて叫びたい。だがそれをすると本当に殺されるだろう。
マインは動かなかった。動けなかった。
「ふふ、理解が速くて助かるわ。ようこそ、ここはたたら場。あなたも今から裏社会の住人よ」
その後まず行われたのは、調教と洗脳だった。立てと命令され、そして殴り飛ばされる。痛みに耐えられずマインがうずくまっていても、再び立てと命令された。そして立つまでひたすら暴行を受ける。立ったら褒められ、休憩の後また殴り飛ばされた。
それはマインが気を失うまで続けられた。そして次の日も、その次の日も。
そして五日目。マインはどんな苦痛よりもレジーナの命令に優先的に反応するようになっていた。レジーナはそんなマインを絶賛し、優しく抱擁した。
その日の夜の食事は豪華だった。連日まともに食事が出来ていなかったマインはそれを運んできた、ぎりぎり青年といえる位の男に理由を聞く。
「レジーナさんから、マインさんは今日頑張ったので好きなだけ食べさせるよう言われたんですよ」
青年が答える。たくさんの食事を前に、マインの腹が大きな音を立てた。我慢できず、勢いよくかぶりつく。
「そんなに喜んでもらえるとは、作った甲斐がありますねえ。慌てなくても食事は逃げたりしませんよ」
苦笑する青年。
「美味しい……! 美味しい!」
「それはよかったです。さ、おかわりもありますよ」
その食事はマインには、今まで食べたどんな料理よりもおいしく感じられた。それこそ料理上手だった母親のもの以上に。
この食事は、レジーナに褒められマインが勝ち取ったものだった。だからこそマインは、その事に達成感を感じていた。
翌日。
マインはいつもの訓練場に連れていかれた。今日もレジーナに殴られるのだろうと思っていたマインは、そこに十数人の子供たちが集まっていることに戸惑う。
子供たちは新入りのマインに冷めた視線を送っていた。
「来たわね。今日からはこのグループで訓練を受けてもらうわ」
子供たちは十歳に満たない者が大半だった。このグループは一番下、訓練を受け始めたばかりの者のグループである。
「じゃあいつものから始めなさい」
レジーナがパンと手を叩く。とたんにマインを除く子供全員が動き出した。どうすればいいのか分からず困惑するマイン。周りを見ると、他の子どもたちはペアを作り全力で殴り合っていた。
「ぶっ!?」
マインは背後から殴られた。よろめきながら振り返ると、そこには犯人と思しき少年。少年は混乱するマインへと飛び掛かってきた。
「さあ、潰し合いなさい! 勝った方は休憩、負けた方は新しい組を作って再戦よ!」
マインは理解する。目の前の少年は敵。負ければ次の相手と戦わされる。勝たないと終わらない。
「うわあっ!」
マインは少年を殴り返した。マインの方がおそらく少年より年上。少なくとも体格は上である。少年はマインの拳を顔に受けもんどり打って転んだ。
「はあっ……はあっ……!」
たった一度。たった一撃。それだけでマインは過呼吸に苦しめられた。人を殴るなど生まれて初めて。殴った手は皮が破け血が滲んでいた。
この世界は非情である。剣技という圧倒的な武力を個人が持ちうる世界では、巨悪ほど武力を持つ。
それに対面した時、弱者はただ虐げられるのみ。
マインは弱者。圧倒的弱者。
巨大な犯罪の渦に巻き込まれ、ただ流れに従うしかできない木っ端のごとき存在であった。
生き残るためには、環境に適応するしかない。
たとえ、その先に待つのが絶望だとしても。




