第38話 その剣士、猫につき
猫。古くから人間と共に暮らして来た動物である。その習性は一言で言うならハンター。一説ではネズミから倉の食料を守るために飼われ始めたと言われるほどに狩人として優秀な動物である。
またその女性を連想させる丸みを帯びた体つきや愛くるしさから、魔性の存在としての概念を併せ持っている。ある時は神として、またある時は不吉の象徴として、猫は人類と共に歩んできた。
そして賞金首のディンスにとって今、目の前の猫はまさに不吉な存在であろう。ディンスの毒剣をマオは躱す。躱す。ひたすら躱す。触れれば数秒で死に至らしむ刀身にマオは一切当たらない。その事にディンスは苛立ちを隠せなかった。
「くそ猫が! ちょこまかと動きやがって!」
我慢できず悪態をつくディンス。ペンは曲がるは既に使っている。その変則軌道による斬撃ですら当たらないのだ。
「猫の動体視力と柔軟さを以てすれば、これくらい簡単に避けられるにゃ」
そう言いながらディンスの剣以上にグニャグニャになって斬撃を避けるマオ。体が柔らかいと言うよりもはや液体である。ディンスにはマオがまるで妖怪のように映った。
流体猫力学の権威であるフリード・ダイナマイクは自身の著書でこう書き記している。
――猫が液体なのは疑いようもない事実だが、奴らの気まぐれな運動を数式で表すにはここでは狭すぎる――
と。動きを先読みする事すらも非常に困難であり、回避に専念される現状ではディンスが攻撃を当てる事は不可能に近かった。
「お前は汚剣のディンスで間違いないにゃ? この剣王マオが狩らせてもらうにゃ」
「剣王!? なんで俺の所に来るんだ畜生!」
「今のは動物の畜生と悪態の畜生を掛けたのにゃ? ずいぶん余裕みたいだにゃ」
「うぜえ!」
ディンスが剣を横薙ぎにする。マオはバク転しながらそれを避けた。ディンスは攻撃が当たらない事にイライラする。
ディンスは剣の毒をなめた。深い味わいが口に広がるのを感じ心を落ち着ける。一方マオは剣をしゃぶるディンスにドン引きしていた。結果互いに動かずにらみ合いが続く。
「……よっぽどこの剣を警戒しているようだな。剣を打ち合わせもしないとは。そんなに毒が怖いか?」
避けるという事は毒は有効、冷静を取り戻したディンスはそう分析した。かつて無敵を誇った剣神クラウスも最期は毒により命を落としたと言われている。剣の実力差など関係ない。相手が剣王であろうとも、剣を触れさせるだけで勝てるディンスの方が有利であることは変わらない。
「避けるのだけはうまいようだな。だがそれじゃいつまで経っても俺には勝てねえぞ?」
「心配ないにゃ。みゃーもそろそろ攻撃しようと思って居た所にゃ」
隙を作るためにディンスがした挑発に、マオはすんなりとのってきた。ディンスはほくそ笑む。
マオの剣は短剣の中でも特に小さいものだ。それを両手の指の間に挟み、計六本。鈎爪のように使っている。その結果リーチは非常に短い。
攻撃してこようと近づいた隙を突く。ディンスはそう目論んでいた。
「にゃん」
構えていたマオの姿が消えた。ディンスは目を見開き、直感で身をよじった。直後右肩を斬られ血が噴き出す。
「む、首を狙ったのに避けられたのにゃ」
ディンスはいつの間にか右隣りに回り込んでいたマオと目があった。そしてまたマオが消える。
地面を蹴って当てずっぽうに回避するディンス。今度は腹を斬られた。だが回避が功を奏し傷は浅い。
「どうなってやがる!? 姿が見えねえ!」
姿を現したマオに剣を突き込むディンス。だがまたもや姿が消えた。剣が空を切る。ディンスは反撃を恐れ無闇やたらと剣を振り回した。
「無駄にゃ。今のみゃーには絶対に攻撃は当たらないにゃ」
マオの声が聞こえた。ディンスは声の出所を探る。だが音源がはっきりしない、まるで四方八方から同時に聞こえてくるようだった。
「くそっ! 剣技か!? どこにいる!」
「どこにでも居てどこにも居ないにゃ」
声だけではない。気配すらも分散していた。近くに居るのは確実だが、具体的な場所が分からない。傷からドクドクと血が流れる感覚に、ディンスは焦りを感じた。
「こうなったら奥の手を食らいやがれ!」
ディンスが懐から短剣を取り出した。魔剣である。その効果は水を生み出すというもの。
「魔剣に頼るのは業腹だがしかたねえ! コラボ剣技! ポイズン・シャワー!」
コラボ剣技。複数の剣技を組み合わせる技術である。組み合わせ次第では元の剣技の何十倍もの効果を発揮する、非常に強力な技である。
毒を付与するポイズン・ポイズン。そして水を生み出す魔剣。二つはまさにその強力な組み合わせの一つだった。ディンスが剣を両手に高速回転する。その姿はまさにスクリンプラー。撒き散らされた死の水が周囲を余さず汚染しつくす。
「当たらないと言ったにゃ。剣技、シュレディンガー・カット」
猫が液体であることは前述の通りだが、実は猫には他にも形態が存在する。その一つが量子化である。
二重スリット実験というものがある。電子を発射して二重スリットを通過させると縞模様が生まれるというものだ。これは電子が確率的に振る舞う事により描かれる干渉紋なのだが、ここで面白いのは、電子がどのような経路で移動したのか観測できないという点だ。結果は見えるが、過程は見えないのである。
シュレディンガー・カットも同様である。攻撃が当たるまで、どの軌道で攻撃したか分からない。剣技猫騙しをベースにした派生剣技である。
「みゃーの攻撃中はみゃーに攻撃を当てるのは無理にゃ」
ディンスの首から血が噴き出した。ディンスの頭上に姿を現したマオが頸動脈を斬り裂いたのである。マオはディンスの頭を踏み台にしてジャンプし、水たまりとなった毒の外へと着地した。
回転の勢いのまま血をまき散らし毒の中に倒れるディンス。なおも出続ける血が毒と混じっていき歪なグラデーションを作った。だがその出血もやがて血の枯渇により止まり、ディンスから生命は完全に失われたのであった。
「ふー……みゃー以外じゃ分が悪い敵だったのにゃ」
額の汗をぬぐうマオ。注意を周囲に向け戦況を窺った。頭の猫耳がピクピクと動き音を探る。
全体的には討伐隊の方が優勢だった。とくに盗賊の指揮をしていたディンスの抜けた穴は大きいようで、マオの周囲の敵は次々に討ち倒され始めている。
この調子なら問題なさそうと思ったマオの耳に、ブーンという羽音が聞こえて来た。ハッチである。ハッチは空を飛びまわりながら眼下の敵味方に向け口を開いた。
「お前らぁ! 討伐隊リーダーの剣王ウォンが死んだぞぉ!」
ハッチが何かを落とした。地面に落ちてくる丸いそれに注目が集まる。
「にゃ、にゃにー!?」
それがウォンの生首だと分かり、マオが驚愕する。討伐隊員たちにも動揺が走った。逆に盗賊側の士気は大幅に向上した。
「うおおおおおおおおお!」
「皆殺しだぁ!」
「剣士がなんぼのもんじゃい!」
盗賊たちが口々に叫ぶ。そして一斉に剣技を放った。数が減ったとはいえいまだに盗賊の数は多い。ある種の飽和攻撃となったその一斉攻撃は戦況をひっくり返すのに十分な迫力があった。
「まずいにゃ! こっちもディンスを討ち取った事を宣伝して士気を維持しないとにゃ!」
マオがディンスの死体をみる。だが周囲が毒の水たまりであるため首を回収するのは無理だった。そもそも死体そのものが既に毒に侵されて溶解しはじめていた。
首は無しで討ち取ったと宣言するしかない、そう判断した時、マオの目に異様な光景が映った。盗賊側の数が、十倍近くに増えていた。
「にゃ、にゃんじゃこりゃー!」
よくよく見ると、増えた敵は皆同じ姿をしていた。煙草とコート。見覚えのある格好である。
紫煙のスモークが、何百人と戦場に群がっていた。




