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世界に答えがないのなら  作者: 千葉センヨウ
第一章
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第一話 (ここからが作品の始まりです)

【用語解説】

魔力:人間・動植物・魔獣など、生物から発生するエネルギー。


マナ:魔力を模して作られた人工エネルギー。電気などのエネルギーを、特殊な機械で精製することで生成される。


シールド:マナを使用し、使用者の全身を覆う防御膜を展開する装備。攻撃を受けるほどマナを消費する。マナ消費が激しい。


ブレード:マナを使用して、柄から高出力の刃を形成する近接戦闘用装備。通常は刃を出していない状態で携帯する。

背後で、壁が崩れた。


 頭上から降ってきた煉瓦を避けるように身を屈める。肩に掛けていた鞄が飛び出した鉄骨に引っかかり、俺は舌打ちしながら強引に引き剥がした。布の裂ける音がしたが、それを確認している暇はない。次の瞬間には黒い爪が頭上を薙ぎ、ついさっきまで俺の首があった場所で鉄骨が大きくひしゃげた。


「しつこいな、お前ら……!」


 窓も扉も失った建物を駆け抜け、そのまま通りへ飛び出す。歩道も車道も瓦礫に埋まり、もはやどこが道だったのかすら分からない。かつて店だったらしい建物の看板が片側の鎖だけでぶら下がり、風に揺れるたびに耳障りな金属音を響かせていた。


 その下を駆け抜けながら右肩越しに振り返ると、灰色の殻をまとった魔獣が、俺の通ってきた壁を強引に押し広げていた。頭を低くしているにもかかわらず、その背は二階の窓へ届きそうなほど高い。太い四本の脚が折れた柱や瓦礫を踏み砕くたび、辺りに粉塵が舞い上がった。


 中型が一体。それだけでも厄介なのに、さらに小型が二体いる。


 小型とはいっても、人間三人分ほどの肉を無理に詰め込んだような太い胴体をしている。四本の脚は中型と比べれば細いものの、口元から突き出した牙は俺の前腕よりも長かった。


 二体のうち一体はそのまま通りを追ってくる。もう一体は途中で脇の建物へ飛び込み、その姿を消した。


「チッ、回り込む気か……」


 俺は腰の拳銃を抜き、距離を詰めてきた一体へ振り向きざまに二発撃ち込んだ。マナを封じた弾丸が青い光を散らしながら肩の殻を削り、魔獣の身体がわずかによろめく。だが、倒れるほどの傷ではない。


 俺は結果を確認することなく前を向き直り、路上に倒れていた標識を飛び越えた。


 その時、遠くから鐘の音が響いてきた。学園の始業を知らせる鐘なのか、それとも街の時報なのかは分からない。どちらにせよ、一つだけ確かなことがある。


「初日から遅刻かよ……」


 約束の時間には、もう間に合いそうになかった。


*********************


 ほんの少し前まで、俺が抱えていた問題は道に迷ったことだけだった。


 駅から学園までは、それほど遠くないと聞いていた。端末に表示された案内に従って歩いていたところ、途中の道路が工事で塞がれていたため、仕方なく一本隣の通りへ入った。その判断までは、たぶん間違っていなかったと思う。


 だが、緩い坂を越え、古びた高架の下を通り抜けた辺りから、徐々に人の姿が見えなくなっていった。端末に表示されていた道も途中で古い塀に突き当たり、回り道を選んだ先には、屋根の崩れ落ちた建物ばかりが並んでいた。


 さすがにおかしい。そう思って引き返そうとした、その時だった。


 皮膚の上を冷たい指先で撫でられたような感覚が走った。


 魔力だ。それも一つではない。


 少し離れた建物の奥から、何か巨大なものを引きずるような音が聞こえてくる。瓦礫同士が擦れ合う音に混ざって、金属が軋むような音もした。


 誰かいるのかもしれない。物陰から少し確認するくらいなら問題ないだろう。


 そんなことを考えて、崩れた壁の隙間から向こう側を覗いたのが間違いだった。今なら、あの時の自分を殴ってでも引き返させたい。


 そこにいたのは、人ではなかった。


 魔獣。


 人間を見つければ襲いかかってくる異形の生き物だ。その姿に決まった形はなく、獣に似たものもいれば、虫のような姿をしたものもいる。なぜ人間を襲うのかについては、教科書を開いても「不明」としか書かれていない。


 その一体が、崩れた噴水の残る、広場らしき場所の中央に伏せていた。


 最初に見えたのは、灰色の岩のような背中だった。瓦礫の山かと思った直後、その下で四本の脚が動き、巨大な身体がゆっくりと起き上がる。


 背中の高さは周囲の建物の二階近くまであり、横倒しになった貨物車よりも太い胴体を、幾重にも重なった灰色の殻が覆っている。頭だけでも、人間一人がすっぽり収まりそうな大きさだった。


 その顔には、大きな傷がある。右目の下から口元にかけて殻が斜めに裂け、その隙間からまだ乾ききっていない黒い液体が滲んでいた。俺が来る前に、どこかで何者かと戦った後なのかもしれない。


 中型。


 それだけで、一人で対処するには十分に絶望的だ。


 しかも、いるのはそいつだけではなかった。中型の右側、崩れた噴水の近くで瓦礫を嗅いでいる小型が一体。左側の壁沿いにも、もう一体いる。


 どちらも中型ほどの大きさはないが、それでも俺の身体より遥かに太い胴体をしている。腹の下から伸びた四本の脚には鉤のように曲がった爪があり、頭の前半分はほとんど巨大な口だった。その両端から、長い牙が突き出している。


 小型だけなら、今持っている装備でもどうにかなる。だが、その後ろには中型までいる。わざわざ戦う理由なんてない。


 俺は気づかれないうちにこの場を離れようと、ゆっくり一歩後ろへ下がった。


 その時だった。


 噴水の近くにいた小型が顔を上げ、赤黒い目でまっすぐこちらを捉えた。


「……まずい」


 ほぼ同時に、壁沿いにいたもう一体もこちらへ顔を向ける。そして広場の中央で、中型が低く喉を鳴らした。


 それを合図にしたように、小型二体が一斉にこちらへ駆け出す。


「冗談だろ!」


 俺は脇目も振らず逃げ出した。


 崩れかけた建物の隙間へ飛び込み、そのまま狭い路地へ駆け込む。すぐ背後では二体分の爪が激しく地面を叩いており、振り返らなくても距離がほとんど開いていないことが分かった。


 そのまましばらく走っていると、不意に背後から聞こえていた足音が一つ減った。


 走りながら振り返る。一体はそのまま俺を追ってきている。だが、もう一体の姿がない。途中にあった崩れかけた建物の中へ入ったらしい。


「チッ、回り込む気か……」


 先回りを狙っていることは分かる。問題は、どこから飛び出してくるのかだ。


 とはいえ、それを立ち止まって確認する余裕などあるはずもない。俺は後ろから追ってくる一体を引き離そうと速度を上げ、そのまま暗い路地の中を走り続けた。


 それからずっと、この調子だ。


 崩れかけた建物の隙間を縫うように、細い路地の中を逃げ続けている。背後からは一体分の爪が路面を削る音が絶えず響いているが、幸い中型までは追ってきていない。あの巨体では、この狭い場所には入れないのだろう。それだけは助かった。


 そして五つ目の角を右に曲がったところで、その先に陽の差す場所が見えた。


 路地の出口だ。


 あそこを抜ければ、建物の間からは出られる。だが、その前に、後ろから追ってきている一体をどうにかする必要がある。


 小型が二体もいる以上、このまま逃げ続けていれば、いずれどちらかに追いつかれてやられる可能性が高い。そうなる前に、一体だけでもここで仕留めるか、最悪でも行動不能にしておかなければならない。


 右手には拳銃。腰の左側にはブレード。左腕には全身を覆うシールドの発生器があり、鞄の外ポケットには予備のマガジンが二本入っている。今ある装備だけで、どうにかするしかない。


 アーマーもなければ、飛行ユニットもない。路地の左右に並んだ崩れかけの建物を見上げながら、思わず愚痴が漏れた。


「あれさえあれば、この程度の建物くらい飛び越えられるんだけどな……」


 もちろん、ないものを考えてもどうにもならない。


 出口まであと少し。足元に落ちていた窓枠を踏み越えると同時に、追ってくる小型を迎え撃つため拳銃を構えた。


 その瞬間、路地の出口脇にある崩れた壁が大きく鳴った。瓦礫が内側から弾け飛び、その隙間から灰色の頭が飛び出してくる。


「やっぱり来たか!」


 途中で姿を消した一体だ。建物の中を突っ切って、出口へ先回りしてきたらしい。


 前に一体、後ろにも一体。完全に挟まれた。


 俺はすぐに身体を反転させ、後ろから迫る小型へ銃口を向ける。相手が飛びかかってくるより先に引き金を二度引くと、放たれた二発の銃弾は吸い込まれるように小型の頭へ命中し、青い光を散らした。魔獣の顔が大きく仰け反る。


 それを確認すると同時に前へ向き直り、今度は出口を塞いでいる一体の顔面へ二発お見舞いした。額と頬に続けて弾丸を受けた小型が顔を逸らし、一瞬だけ俺を見失う。


 二体とも、完全に止まったわけではない。だが、突破するにはその一瞬で十分だった。


 俺は路地の出口へ向かって一気に駆け出した。しかし、すぐ後ろから爪が路面を削る音が迫る。


「危なっ!」


 反射的に身体を前へ倒した直後、頭のすぐ上を黒い爪が通り過ぎた。狙って振ったのか、それとも撃たれて怯んだまま無茶苦茶に振り回しただけなのかは分からない。


 そのまま前のめりになった勢いを利用して、出口を塞いでいる小型の脇へ飛び込む。こちらに気づいた魔獣が顔を向け、長い牙を振るった。


 俺はそれを身体を沈めて潜り抜ける。肩が硬い殻へぶつかったが、構っている余裕などない。そのまま二体の間を縫うようにして、路地の外へ飛び出した。


 一気に視界が明るくなる。


 外は路地より少し広い通りになっており、すぐ前には小型の貨物車が横倒しになっていた。車体と壁の間には、人一人なら辛うじて入り込めそうな狭い隙間がある。


 考えるより先に、そこへ向かった。貨物車の横へ駆け込み、身体を横向きにして隙間へ滑り込む。


 直後、背後から大きな衝突音が響き、貨物車が激しく揺れた。追ってきた小型が車体へぶつかったらしい。


 俺はその陰に身を潜めながら、乱れた呼吸を整えようとした。喉が焼けるように痛み、心臓がうるさいほど脈打っている。それでも、貨物車の向こうからはまだ爪が路面を引っかく音が聞こえていた。


 このまま隠れていたところで、すぐに回り込まれる。


 マガジンに残った弾を確認しながら、短く息を吐いた。二体を相手に逃げ続けるのは無理がある。なら、ここで一体だけでも数を減らすしかない。


「仕方ないな……」


 俺は貨物車の陰から飛び出した。すぐそばにいた小型がこちらへ顔を向ける。


 開きかけた口へ向けて一発撃ち込むと、弾丸が顎の内側で弾け、魔獣の頭が大きく跳ね上がった。


 今しかない。


 拳銃をホルスターへ戻し、腰の左側からブレードの柄を引き抜く。親指で起動部を押すと低い振動が掌へ伝わり、柄の先へ集まった光が細長く伸びて、一本の刃を形作った。


 小型が頭を振りながら体勢を立て直し、低く身構える。正面から斬り合うつもりはない。


 俺は右へ踏み込むように見せた。魔獣の身体がわずかに動き、こちらを迎え撃とうと右側へ重心を移す。


 その瞬間、踏み込む足を切り替えた。


 右への動きはフェイントだ。俺は一気に左へ切り返し、小型の側面へ回り込む。


 このタイミングなら、こいつは躱せない。


 すれ違いざまに首の横へブレードを押し当て、身体ごと刃を振り抜いた。だが、予想以上に硬い。刃が灰色の殻へ食い込んだところで強い抵抗が返り、手首が持っていかれそうになる。


「硬すぎんだろ!」


 小型が既に体勢を立て直してこちらに攻撃しようとしている。俺は両足で地面を踏みしめ、さらに腕へ力を込めた。ブレードが殻を削りながら少しずつ深く沈んでいく。


「いっけぇぇぇぇ!」


 最後は力任せに身体ごと捻り、強引に刃を振り抜いた。殻が大きく裂け、その奥から黒い液体が噴き出す。


 小型は数歩よろめいた後、横倒しになった貨物車へぶつかり、そのまま路面へ崩れ落ちた。


 完全に仕留められたかどうかまで確認している余裕はない。もう一体が追いついてくる。


 俺は開いた隙間へ身体を滑り込ませ、貨物車の横を抜けて反対側へ出た。背後では、残った小型が車体へ爪を立てる音が響いている。


 よし。ひとまず突破できた。


 そう思った、その時だった。


 右手にある崩れた建物。その一階の暗がりの中で、もう一つ巨大な口が開いた。


「……は?」


 感じたことのない魔力が、近すぎる距離で一気に膨れ上がる。


 三体目。


 そう理解した時には、すでに黒い胴体が視界を塞いでいた。


 反射的に左腕のシールドの起動部を叩く。腕から放たれた光が胸、背中、脚へ一瞬で回り込み、全身を包み込む薄い膜を作り出した。


 直後、横腹に凄まじい衝撃が走った。


「ぐっ……!」


 肺の中の空気が一気に押し出される。シールドの表面を大きな牙が滑り、その勢いのまま身体が地面から浮き上がった。


 視界の中で空と壁が何度も入れ替わり、背中から崩れた壁へ叩きつけられる。シールドが白く激しく瞬いた後、そのまま路面へ落下し、肩や腰を何度も打ちながら地面を転がった。


 ようやく身体が止まった時には、握っていたブレードが手元から消えていた。少し離れた場所に、光の消えた柄だけが転がっている。


 身体を覆っているシールドも細かく明滅し、左腕の表示ではマナの残量が目に見える速さで減っていた。消耗は激しい。


 それでも、全身を覆うこのシールドがあったからこそ、今の一撃を受けても何とか即死せずに済んだのだろう。


「っ……くそ……」


 身体を起こそうとした途端、脇腹に鋭い痛みが走り、思わず咳き込んだ。


 三体目の小型が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。さっきまで追ってきた二体よりも前脚が太く、殻にも古い傷がいくつも刻まれていた。


 俺は痛みを堪えながら拳銃を抜き、どうにか銃口を向ける。だが、衝撃のせいで手がうまく安定しない。


 一発目は肩の殻を削っただけだった。続けて放った二発目は、頭のすぐ横を通り抜けて瓦礫へ当たる。


 小型が地面を蹴った。巨大な口が開き、視界いっぱいに牙が迫ってくる。


 まずい。


 そう思った直後、その巨体が突然横へ弾かれた。


 一筋の白い光が魔獣の首へ絡みつき、そのまま地面へ叩きつけたのだ。着地に失敗した小型は勢いよく路面を転がり、俺のすぐ横を滑っていく。


「動かないで! 今助けるから!」


 女の声がした。


 顔を上げると、崩れた塀の向こうに紺色の制服を着た少女が立っていた。長い黒髪が、走ってきた勢いのまま背中で揺れている。


 片手をこちらへ向け、もう一方の手を胸元へ構えると、その指先へ細い光が集まっていった。少女が腕を振り下ろす。


 直後、倒れていた小型へ白い光が降り注ぎ、一瞬だけ周囲から影という影が消えた。眩しさに目を細める。


 再び視界が戻った時には、魔獣は完全に動きを止めていた。


 少女はそれを確認すると、すぐにこちらへ駆け寄ってきた。


「大丈夫? 意識はある?」


「……ある。たぶん、まだ生きてる」


「冗談を言えるなら意識は大丈夫そうね。立てる?」


「それは今から確かめる」


 膝へ手をつき、身体を起こそうとする。しかし脇腹へ力が入った瞬間、さっきより強い痛みが走った。


「っ……」


 どうやら顔に出たらしい。少女は俺が何か言うより先に腕を取り、自分の肩へ回した。


「無理しないで。肩を貸すから、そのままゆっくり立って」


「悪いな」


「謝るくらいなら、ちゃんと掴まって」


 言われるまま体重を預ける。


 少女の視線が途中で俺の胸元に止まった。埃にまみれているが、そこには学園の校章がある。彼女の制服にも、まったく同じものが付いていた。


「あなた、うちの学園の生徒?」


「ああ。今日からな」


「今日から?」


「その話は後でいいだろ」


「どうしてこんなところにいるの?」


「道に迷った」


 少女がぴたりと動きを止め、俺の顔を見た。


「……本当に、それだけ?」


「説明すると長くなる。できれば、今は信じてくれ」


「分かったわ。詳しい話は安全な場所へ移動してから聞く」


 その時、背後で貨物車が大きく軋んだ。生き残っている小型が車体へ前脚を掛け、その向こうからは、さらに中型の巨大な頭まで姿を現している。


「話してる場合じゃなさそうね。行くわよ」


「同感だ」


 少女は俺の腕を肩へしっかり回し直すと、そのまま近くの建物へ向かって歩き出した。

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