ある少女の未来
派手な音を立てて、蔦狼が木の幹に激突して絶命した。
それに怯んだ他の個体を、セルツェがすかさず斬り伏せる。
「慌てるな。囲まれないよう散会! 一匹ずつ対処しろ!」
指揮官の指示で、騎士達が動き出す。
群れに襲われた直後は少し混乱したが、さすがと言うべきか、選りすぐりの騎士達はすぐに平静さを取り戻していた。
「大丈夫?」
飛びかかられ、倒れ込んでいた騎士を振り返る。
すると、呆けたような眼差しが返された。
「ちょっと、聞いてる?」
「あ、は、はい! 大丈夫です!」
差し出した手には触れず、自らの力で立ち上がる。
すると私より背が高いので、見上げる形になった。
「護衛の身でありながら、助けて頂くとは。申しわけありません!」
「私を庇ったからじゃない。でも、これで少しは信じる気になったでしょう?」
「……はい。貴方がただの聖女ではないという噂は、本当だったのですね」
「ええ。私の二つ名は、他者の力だけで成り立っているものではないのよ」
告げながら、真珠色のローブを撫でる。
邪竜の真実と共に、「純白の聖女」の名は世界中を巡ったらしいが、その名の理由までは正しく広まらなかった。
だいたいは、神聖かつ儚げな意味として受け取られ、邪竜浄化のために訪れた他国では、ガラス細工かなにかのように迎え入れられる。
必要以上につけられる護衛の数を、どうにか減らしてもらえないかと、毎度苦心していた。
(セルツェだっているのに、困ったものね)
他国からすれば、協会所属の優秀な聖女に、気移りして欲しいがゆえの待遇なのだろうが、残念ながら無意味だ。
今まで三国を回ったが、セルツェよりも優秀な騎士に出会ったことはないし、そもそも、優秀だからという理由だけで彼を連れているわけでもない。
今回の国でも、せめてと唯一つけられた護衛が、この騎士だったのだ。
反射神経もいいし、動きも悪くないので実力がないわけではないだろうが、見目が優先されたとわかる美男だった。
そして、気まずげに佇む彼を、更に気まずくさせる男が戻ってくる。
「ラフィカ。何のために杖を二本装備しているんだ。魔物を聖杖の方で殴るなと、何度言えば」
「だって、急だったんだもの!」
討伐を終えて戻って来るなりの小言に、思わず反論する。
私の言い訳に、セルツェがスッと目を細めた。
「君に託されたとはいえ、一応、国宝だからな?」
「くっ……次は、気をつけるわ」
正論には、逆らえない。
「バゼル殿、怪我は?」
「勘弁してください。これ以上、私を惨めにさせないでほしい」
不意に会話を振られて、所在をなくしていた騎士が盛大に顔を歪める。
それに対し、セルツェは至って真面目に答えた。
「その自覚があるようで、安心した。城に戻ったら、国王陛下によろしく伝えてくれ」
「真顔なのに敵意がひしひしと伝わってくるな。彼はいつもこうなのですか?」
肩を落としつつ、バゼルと呼ばれた騎士が私を見下ろしてくる。
「そんなことないわ。貴方自身が乗り気だったからじゃないかしら?」
自己紹介をされた時から、己の美貌に対する自負と、私への興味がしっかりと彼にはあった。
それを指摘すると、バゼルは大きく嘆息した。
「同道している護衛騎士が、貴方の恋人だとは知りませんでしたから。国王陛下じきじきに、国のために射止めてこいと言われた聖女が、とびきりの美人だったんですよ? 男として、頑張るでしょう?」
「まぁ、ありがと──う」
褒め言葉にお礼を言った瞬間、ぐっと間にセルツェが割り込んでくる。
氷眼に撫でられて、バゼルが慌てて首を左右に振った。
「今のは違いますよ。事実を言っただけです。口説いたわけでは」
セルツェの無言の圧に言い訳をするバゼルを横目に、前方に意識を向ける。
遠くにうっすらと、夕闇に陰る城と城下街が見える。
三体目の邪竜は火山を住処にしていた火の元素生物だった。
彼の浄化を無事に終え、私たちは今、山を下っている最中だ。
登るときは水膜の防御魔法がなければ吐息すら焦げ付きそうなほどの灼熱地獄だったが、今は大分落ち着いている。
開けた場所に出ると涼しい風が吹き抜けて、皆の足を止めさせた。
それに気づいた指揮官が顧問のセルツェと目配せしあい、野営の指示を出す。
犠牲者もなく使命をやり遂げたが、達成感だけで気を張り続けるのにも限界がある。
逸る気持ちが皆の心の隅にあるだろうが、無事に下山するためにも、休息は必要だ。
この火山はスィンスス氷山よりも標高は低いが幅が広いため、灼熱と凶悪な魔物の襲撃がなくなったとしても、下山には数日かかる。
疲れてはいても気持ちは晴れやかだからか、設営は思いのほかスムーズに終わった。
終始不安げだった聖女達の声も明るくなり、場を華やがせている。
火を囲んでの食事は軽い宴のようになったが、それを咎める者はいなかった。それだけの喜びを、勝ち取ったのだ。
彼らの安全を守るため、セルツェが警備に目を光らせる。
役割を変わると申し出た時、護衛当番だった騎士は最初、遠慮気味だったが、私が配られていた酒の杯を渡したら、我慢できないといった様子で火を囲みに行った。
私の護衛として傍を離れられなかったバゼルも、二人きりにして欲しいと願う形で宴に向かってもらった。
彼だって、今夜は気まずい場所よりもあそこがいいだろう。
「君も行ったらどうだ?」
隣に腰掛けた私に、セルツェが告げる。
「邪竜浄化の立役者なんだ。共に祝いたい者も多いだろう」
「ダメよ。主役は、ずっとこの国を騎士達と護ってきた、この国の聖女だもの。それを彼らもわかってるから、放っておいてくれてるのよ」
彼女たちの協力があってこそ、私は邪竜の浄化に専念できたのだ。
どの国の聖女達も、同じように儚げで健気で、見ているとやるせない気持ちになったが、その使命の重さも、すべての邪竜がいなくなれば、軽くなっていくだろうと飲み込んだ。
「……そうか」
視線を木々の闇に向けつつ、セルツェが頷く。
横顔を見ていたら、改めて、今、一緒にここにいることが不思議になった。
(お互い、予想外だったものねぇ)
私が邪竜浄化の旅に出ることを決めたとき、セルツェもまた、ラシオンから顧問役として支援に出る人材に立候補していたのだ。
本来であれば、双子王子のどちらかが担うべき役割だったが、王族が動くとなると、色々と必要な人材や面倒が増える。
何よりも、国外での支援を守護精霊が拒んだらしい。
これは気まぐれではなく、強大な精霊であるがゆえに、守護している土地から出ると、予測不可能な影響が出るかららしい。
それらに頭を悩ませていたところに、セルツェが手を上げたのだ。
今や救国の英雄として名を馳せた彼ならば、名実ともに役割を果たせるだろうと、誰もが賛同したが、ソンツァ殿下が反対したそうだ。
理由は、精霊の加護を得ていないということ。
類い希な魔導の才能を有しているのは確かだが、聖域で活動できた理由が定かではない以上、危険だと心配してくださったのだ。
故に、セルツェは王族にだけ、己がエメランといういにしえの種族の先祖返りだと明かした。
赤斑の角が生えている人間など、本来であれば危険視されてしまうかもしれなかったが、スィンスス様がセルツェが人間であることを保証してくれたため、事なきを得たそうだ。
(信頼に応えようとしたのだろうけれど、個人的感情と国の保安は別問題よ。危ないったらないわ)
スィンスス様が名を呼べば現れてくださる方じゃなかったら、私は彼が投獄されたという知らせを受ける羽目になっていただろう。
その話をセルツェから聞いたとき、軽く説教をしたことまで思い出し、思わず嘆息した。
(シスルンの事は、口止めしておいて本当によかったわ)
魔神シスルンに関する一連の出来事は、これから劇的に変化するであろう国に、余計な不安を与えるだけなので、スィンスス様に報告するに留めた。
とはいえ、侍女であるドゥガが亡くなっているので、聖女に害意を及ぼそうとした魔物が入り込んだという話でセルツェと口裏を合わせたのだ。
結果として、王城どころか首都の結界を一から見直すという大がかりな展開になってしまったが、邪竜問題の解決で気が緩みかけていたことを考えれば、悪いことではないだろう。
これから徐々に数は減るだろうが、まだまだ魔物の脅威は存在し続けるのだから。
私は私で、各国へ赴く旨を協会から通達して貰おうと、ローシャさんの元を訪れていた。
彼女は私の顔を見るなり困ったように微笑んで、手に抱えていた複数の依頼書をひらひらと振った。
依頼と言うよりは嘆願に近い内容のそれらは正に、邪竜に脅かされている国々から、私の派遣を願うものだったのだ。
これは女神から与えられた使命なので、依頼されるまでもないと言った私を見つめながら、ローシャさんは首を左右に振った。
聖女の活動は、慈善ではない。
真顔で詰め寄られた気迫に押されて、報酬額はローシャさんに一任すると約束させられた。
(まぁ適任よね。私に、国家規模の報酬内容なんて検討もつかないし)
高すぎて後々国が逼迫──なんて嫌だし、かといって安く見積もられるのも不快だ。
ローシャさんなら、適正な条件を提示してくれるだろう。
(お金は、たくさんあって困るものではないし)
そう思いつつ脳裏を過るのは、セルツェの実家だ。
この旅が落ち着いたら、孤児院の支援を始めるのもいいだろう。
「ラフィカ?」
「あ、え?」
不意に声をかけられて、長く沈黙してしまっていたことを知る。
慌ててセルツェを見上げると、少し申し訳なさそうにセルツェが目を伏せた。
「いや、すまない。真剣な顔をしていたから、何を考えてるのかと思って声をかけてしまった」
「色々と思い出してたの。私たち、お互いに国を出る事は事後報告だったなぁ、とか」
「ああ。あれは……少し面白かったな」
逢瀬の時に、互いに暫く会えなくなると切り出して、互いに目を丸くした。
「似た者同士なんだな、と思いもしたけれど、反省もしたわ。意思を曲げる気がなかったとしても、相談はすべきだったわね。お互いの人生が、お互いに影響を与える関係になっていたのに」
「そうだな」
私の言葉に、何かを噛み締めるようにセルツェが頷く。
少し気恥ずかしくなって、私は立ち上がり、数歩前に出てから振り返った。
見目麗しい長身の騎士が、私を目で追っている。
旅の始めから、セルツェは当然のように私の護衛として振る舞っていた。
当然ながら、セルツェはセルツェで国から派遣されてきているので、私の専属護衛ではない。
にも関わらず、しれっと傍にいるのだ。
他国からの勧誘の牽制もしてくれるので私としてはありがたいが、それ以上に、セルツェが私を特別に想っていることを隠さないのが意外だった。
なんとなく、そういう事は仕事とプライベートでしっかり切り分けると思っていたのだ。
(まぁ、今回みたいな場合は、とてもありがたかったけれど)
相手が年若い少女だからと、見目のいい騎士を護衛にあて、色恋で絡め取ろうとしてくるのは、さすがに予想外だった。
けれどそれだけ、どんな手段を使ってでも、自国に囲いたい存在だということなんだろう。
実際、セルツェという存在もなく、過去の記憶のおかげで実年齢より精神的に落ち着いていなかったら、バゼルの美貌に色めき立っていた気がする。
(……気を引き締め直さないとかしらね)
邪竜が存在している国にとっては存亡がかかっている以上、確実に協力させるために、強引な手段に出てくる場合もあるかもしれない。
私を非力な聖女だと思っているなら、尚更。
「次の国へ行くときは、道中で仕留めた魔物を引きずって行こうかしら?」
「……なんの話だ?」
思わず口にだしてしまった一言に、セルツェが目を丸くする。
若干引かれているのがわかり、恥ずかしさに両手をぶんぶんと振った。
「いえ、ちょっと、考え事してただけ! その、どうしてセルツェは、任務中でも私への好意を隠さないのかしら、とか!?」
苦し紛れの話題転換として発した疑問だったが、セルツェが思わずと言った体で、口元を手のひらで覆った。
じわりと耳が赤くなり、彼がとても羞恥を感じているという気配が伝わってくる。
角による、魔力共振の効果だ。
「──そんなに出ているか?」
「え? 無自覚!?」
思いがけない一言に、ちょっと声が大きくなってしまう。
慌てて一歩近づいて、トーンを落とした。
「言動からひしひし伝わりまくってるけど!?」
「俺としては、その、護衛として、悪い虫がつかないよう払っている程度の感覚で受け取ってもらえたらと──」
「いや、嘘でしょ? バゼルだけじゃなく、この部隊の人全員が、私たちが恋人同士だってわかってるわよ?」
「……なに!? いや、そう……か。いや、君が言うなら、そうなんだろうな。今まで、伝えようとしても伝わらなかったから、内心を抑えるなんてことをしたことがなかったんだ。だが今は、角のせいで、魔導に優れている者達には、本当に伝わってしまうんだな」
「そうね、とてもわかりやすいわ」
「困った。なんとか、気持ちを抑える術も身につけないと」
言いながら、セルツェの眉尻が僅かに下がる。
表情筋が動くほど困っているのに、かわいいと思ってしまうのは酷いだろうか。
「少しずつ、制御できるようになるといいわね」
「なんで嬉しそうなんだ。俺は困っているのに」
「恋人から好意が伝わってきて、悪い気はしないもの」
「他人事だと思って──」
いたずらっぽく笑った私を見下ろして、嘆息する。
そのまま、セルツェは夕闇に沈む城下街のほうに視線を向けた。
「氷、水、火。残る邪竜は四体か。順調にいくといいな」
「いくわよ。スィンスス様も大分お力を取り戻して、ラシオンはかなり安定してきているから、支援もより手厚くなるわ。それは他の二国も同じだろうから、どんどん楽になっていくはずよ」
「それもそうか。俺自身、魔法の威力が上がってきているのを実感する。属性と、それに伴う地脈が整うとは、こういうことなんだな。世界全体の事象だから、魔物が扱う魔法も強くなるが」
苦笑いしながら、セルツェが手のひらの上に綺麗な氷の欠片を魔力で生成する。
それは遠くの焚き火を反射して、キラキラと輝いた。
引き寄せられるように傍に戻り、隣に腰掛ける。
「綺麗ね。貴方の作る氷は、貴方の瞳と同じ色をしていて、とても魅力的だわ」
「俺の目……?」
「あら、言ったことなかったかしら? 私、貴方のその、凍った湖面のような色の瞳が、大好きなの」
澄んでいて、静かで、冷たいのに温かい。
「そう、か。感情が読めないのも相まって、怖いと言われることが多いんだが」
「じゃあ今後は、一部の人には感情が伝わるからこそ、怖いと思われるかも知れないわね。バゼルにも、貴方の嫉妬がよくよく伝わってたみたいだし?」
わざと揶揄うように腕をつつくと、セルツェは居心地が悪そうに身じろいだ。
「あれは、その……終始、君に色目を使うから、いい加減、俺も頭にきていて」
「ふふ。前の二国の例もあって、邪竜討伐に多大な犠牲を伴わなくてすむとわかったから、欲がでたのかもね。権力者って、わかりやすいわ」
「こんなことなら、君も旅に出ると言い出した時に、結婚してしまえばよかった」
拗ねた子どものような横顔で言われて、微笑ましくなってしまう。
愛されていると実感することの、なんて幸福なことだろう。
「せっかちね。あのときはまだ、付き合い始めたばかりじゃない」
「貴族は、もっと早くに結婚することもあるだろう?」
「確かに。結婚とはいかなくても、幼い頃から婚約したりね」
かつていたことがあると言いそうになった口を、慌てて閉じる。
今世以外の記憶に関して、私たちは暗黙の了解で、よほどの事情が無い限り、互いに口にしないようにしていた。
「婚約、か」
口の中で転がすように、セルツェが言葉を反芻する。
そして思いついたように、私の右手をとった。
「セルツェ?」
重いがけず真剣な眼差しを向けられて、緊張する。
少しの沈黙を経て、セルツェが意を決したように口を開いた。
「ラフィカ。無事、すべての邪竜を元素生物に戻せたら──俺と、結婚して欲しい」
告げながら、小さな氷の結晶でしかなかった塊が、シンプルな指輪に変形する。
彼の瞳と同じ色の氷の指輪が、私の目にどれほど魅力的に映ったか。
私は嬉しくて、嬉しくて、目尻が溶けるかと思った。
「ええ。ええ! 喜んで!」
満面の笑みで答えた私の薬指に、すっと指輪が通される。
「綺麗。ありがとう」
眼前にかざして煌めきを確認していたら、セルツェが申し訳なさそうに口を開いた。
「すまない。城下街に戻ったら、ちゃんと用意するから」
「え? これでいいのに」
「だが、冷たいだろう? 俺の魔力が残る限り溶けはしないが、氷は氷だ」
「え? ひんやり冷たくて気持ちいいな、くらいよ?」
「…………本当に?」
心配する声音に、私も今一度、じっと皮膚の感覚を確かめる。
ほんのり冷たいが、皮膚が痛いとか痺れるとか、そういう感覚は一切無い。
女神エレジアの加護のおかげだろう。
「うん。平気。この指輪程度の冷気なら、全然問題ないわ」
「……君がいいなら、俺は構わないが」
「ええ。私はこれがいいわ」
手を胸元に引き寄せて、喜びを噛み締める。
セルツェは少し照れくさそうに微笑んで、私に優しくキスをしてくれた。
今後の邪竜浄化の旅に、より一層の気合いが入りそうだ。
おかげさまで無事に最後まで書き切ることが出来ました。
ありがとうございました。
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