第21話「誓いの二人」:A3
イナは今、人の形をしたシャウトエネルギーだった。
肉体を捨て、心より溢れ出るモノによって、いま彼は生きている。
翡翠色に光るその体は、ちょうどチカの理性と雰囲気が似ていた。
彼は地に足を付けてはいないが浮遊感を感じてはいないし、刺し貫かれていた胸に傷はなく、痛みもなくなっていた。
「あは……あははっ……!」
ソレを見たチカの顔が死の間際、再び大きくゆがんだ。
しかし操り糸を断ち切られたがごとく急に気を失い、直後その体を脱ぎ捨てるように赤い光が人を模り始める。
「イナは私の心を読まなくても、私の期待に応えてくれるんだぁっ! うれしい……うれしい!」
彼女の目的、曰く、死んだ後で二人きり――死後の世界が曖昧である以上、おそらくはこの姿で対面し合うことを指しているのだろう。
だが、イナが体を捨てたのは、むろん彼女に従うためではない。
今その姿でそこにいるのは、彼の覚悟の表れだった。
勝利の道筋が見えているわけではない。それでもやるべきことは確かだった。
(なんだ、これ……感覚は全然違う。けど、思う通りに動く)
シャウトエネルギーでできた体には不思議な自然さがあり、違和感は拭えなかったが動けないといったことはないようだ。
(シャウティアがやったのか? ……いや、なんでもいい。むしろ好都合だ)
幸い、彼女の方から仕掛けてくるといったことはないようだ。
おそらくは、イナの方からの反応を求めている。
「イナ、どうしたの? 私のことは気にせずに、好きにしていいんだよ?」
蠱惑的な声音で言いながら、チカは徐に虚像の衣服を脱ぎ始める。
同い年とは思えない魅力的な異性の体に一瞬意識が傾くが、すぐに自分の中から振り払う。
そしてイナは歩み寄り、彼女の肩を掴んで動きを止めた。
「……チカ。今は、いい」
「どうして?」
本当に聞いていたのか疑ってしまうほど、チカは食い気味に首をかしげる。
「話がしたいんだ。俺達、どっちも自分の言いたいことしか言ってないだろ。そんなんじゃ何も進まない」
「……うそ」
悦楽に歪んでいたチカの表情が、驚愕に染まっていく。
目は見開かれ、涙が溢れ出す。
イナの考え。
それは死に瀕することになっても、チカの想いを受け止めることにあった。
彼女は目的を果たしたことで、瞬く間でも他に思考を割く余裕が生まれる。
そこでイナの想いを感じ取り――先ほどまでのふるまいを失ってしまったのだろう。
「俺がちゃんと生きたいって思ったのは、お前がそれに気づかせてくれたからなんだよ」
「うそ。うそ、うそ……じゃあ、わたしが、イナを、くるしめてた? イナを、まどわせて。わたしが、わたしが、いらない? あ、アア……!」
「違う」
チカの体は、少しでも気を抜けば崩れてしまいそうなほどに脆くなったように感じる。
そんな彼女をしっかりとつなぎとめるように、イナはあえて力を込めた。
同時に、後ろで見守っているチカの理性にも聞かせるように、声を少し大きくする。
「確かにいいことばかりじゃなかったけど、感謝してるんだ。こうしてお前を止めることができたんだから」
「でも、そんなの、わたしがいなかったら」
「たらもればも無いんだよ。ここにいる俺たちが全部だ。苦しかったのも全部いまの俺達なんだ」
「でも、いや、だめだよ、そんなの……イナが、また……」
「未来のこと考えて暗くなっても仕方ないだろ? 不安があるのはわかるけどさ」
「でも……わたし……もう、もどれないよ……」
「戻らなくてもいい。進めばいいんじゃないか」
「どうやって? わたしは、イナ以外に考えられない。イナがわたしの全てなの。そのイナを無理に殺した私は、どこにも行けない。どこへ行っても、逃げられない」
「じゃあ、俺が一緒に背負う」
「……無理しないで。いつ殺されるか分からないの、怖がってるよ」
「怖いさ、けどお前を手放す方が怖い」
どこで何を起こすか分からないというのも本音ではあるが。
それ以上に、イナの中には不明瞭ながらに強い想いの種が芽生えていた。
「……どうしてそこまで優しくなれるの? だから傷つくの、わかってる?」
「優しくなんかない。俺が憎いやつをぶっ殺したいと思うことだってあるのは知ってるだろ」
「それでも、それで誰かを傷つけたことなんかなかった」
「人に迷惑かけるの、もう嫌だったからさ。……でも、本当に大事なものはやっぱ譲っちゃいけないって、気づいた」
「……わたしも、なんだね」
イナが頷く。
「どれだけ俺のことを殺したくても、俺のことを想ってくれてるっていう根っこを無視はできない。お前だって優しいんだから、やっぱり死んじゃ駄目だ」
「わたし……やり直せるのかな」
「そんな難しいこと考えなくていいと思う。暗いこと考えてる時はとりあえず、ご飯を食べろって学んだよ」
「……おかしいね。なんだかわたし、安心してる。とんでもないことしちゃったのに」
「俺なら大丈夫だから。チカが苦しいなら、できるだけ助けになる」
「……うん、ありがとう」
「――そろそろ、気は済んだ?」
ふいに、いままで沈黙していたチカの理性が歩み寄りイナの手に触れた。
「……ありがとう、イナ。諦めずにいてくれて」
「いいんだ」
イナは気遣い、チカから少しだけ離れる。
ふたりのチカが、鏡合わせのように思念の体で向き合う形となった。
「戻る前に、最後に、確認させて」
「……うん」
「イナの幸せを守ること。それが理性だけじゃなくて、本能の願いでもあること。もう間違えないって、誓える?」
チカの本能が、頷いた。
いまはもう、禍々しさも払われたように息をひそめていた。
「ヒトがどれだけ進化して、相手の気持ちが分かっても。それはその人の苦しみを自分の眼鏡で見ただけ。どこまでいっても、苦しみはその人のものだから。最後に決めるのは、その人自身だっていうこと、わかってくれた?」
「うん」
涙ぐんだ返事に満足気なチカの理性が、本能の中に溶け込んでいく。
一見して容姿に変化はないが、落ち着いた、という印象があった。
「大丈夫か、チカ」
沈黙する彼女に念のため、声をかける。
彼女は何かを飲み込むのに夢中になっているようで、ようやく応えても無言の頷きだけだった。
「……わたしは、いいから……からだを……」
チカの震える指で差されたのは、傍に転がる肉の抜け殻。
どうやら自然と絶響現象下にあるらしく出血は止まって見えるが、放っておけば死ぬのは間違いないだろう。
イナは歯噛みする。
このまま体に戻っても死を待つだけだろう。深々と刃が刺さり、動けたとしてもほんのわずかだ。
それに動くにしても刃を抜かねばならず、先に死ぬこととなる。
どうあがいても、他者の助けが必要となる。
おまけに、シャウティアから静かに伝達された情報によれば、レーダー上に多数の連合軍エイグと『ブリュード』の反応まである。
「けど、これは……」
『ブリュード』が囲まれている状況となっていた。
進軍していると解釈するには、懸念が残る。
だがそれ自体はどうでもいいはずだ――そう思っていると、またシャウティアから伝達される。
今度はなぜか、脳内に文面が表示された。
あえて媒体を変える理由は分からなかったが、ともかく内容は求めていたもの。
この瀕死の状態から、助かる手段だった。
「絶響の、応用……?」
いわく、これまでやってきたことと逆のことを行うのだという。
つまりシャウティア以外のすべての時間が高速で流れ、助けが来るまでの時間をほぼゼロにする、ということらしい。
それは同時に、シャウティアは空中で静止する脆弱な的であり、多少の攻撃でも何倍ものエネルギーが伝わり致命傷になりうる状態になるということだ。
しかしながらその点が考慮されていないわけではなく、普段と同様にバリアを張ることで対処するようだ。
あとは、誰が助けに来るのかの問題だ。
いくら待っても来ないのであれば、この策は無意味になる。
(それに、伝えるのにも時間が……いや、待て?)
本体が静止しているのは、抜け殻になったからというだけではない。
加えて外から何も音がしないことも踏まえると――いま、彼らは絶響現象下にあると考えるべきだ。
ゆえに本体も既に死んでいるように見えて、辛うじて生きている。
だが、思念体のままでシャウティアの指示通りにすれば、本体も加速するため一瞬で死に絶える。
よって、求められる条件は――再びもとの体に、戻ること。
そしてその前に、誰かに助けを求めることだが。
(エイグの、通信……)
つい最近の記憶をよみがえらせる。
シオンという少年の駆っていたルーフェンを攻撃する際、イナは絶響下にありながら、レイアとの通信を行っていた。
エイグの通信は、絶響現象の影響を受けない。
理由は不明であるが、その事実があれば十分だ。
(シャウティア、レイアさんか、アヴィナでもいい、つないでくれ!)
相も変わらず返答はないが、ザザ、とノイズのようなものが脳内で走ったかと思えば、すぐに慣れた感覚があった。
『もしもーし。どったのイーくん、なんかあった?』
(よかった……アヴィナ!)
緊迫したこの状況に合わない呑気な声がやけに安心感をくれる。
『なになに、雪山で遭難したみたいだけど……んー? 苦戦してるってわけじゃないの?』
(そっちはなんとかなったんだ、けど助けが欲しい。周りに敵がいるから……)
『あーんもう。そんな泣きそうな子供みたいに言われたら無視できないなぁ。策があるんなら、ざっくりでいいからおせーて』
やはり彼女に乞って間違いはなかったと安堵する。
イナはシャウティアから送られたものを通信に乗せた。
『……ふむーん? まあ疑う理由もないか……よっし、とにかくボクは衛生兵さんを連れてイーくんのところに行けばいいわけだね?』
(ああ)
『しっかしイーくん、バレバレだぞぉ』
(な、なにがだよ?)
『隊長さんにお願いしなかったってことは、今回も後ろめたいナニカがあるってことだよね?』
「うぐ……」
シャウティアに任せはしたものの、どこかでレイアにつながってほしくないという想いが反映されたのだ。
『ま、さすがにボクひとりじゃアレだし、レーダーの情報とかくれる? 敵が攻めてくるってことにして何人か連れてくから』
(……ほんと、頭が上がらないよ)
『ボクはいーから、イーくんはちゃんと帰ってくること。そのまま死んだら許さないかんね』
(……ん)
口調は変わらずだが、本気でイナのことを心配しているのが伝わってくる。
そうして通信は途絶え、実行の時が来る。
「チカ、もう少しだけ我慢してくれるか」
「イナと一緒なら、大丈夫」
そうは言うものの、少し苦しそうだ。
苦笑を返し、イナはチカの罪を象徴する状況に再び目を向ける。
お互いに刃で体を貫かれ、意識がこうして外に出ていること相まってもはや死んでいるようにしか見えない。
戻れば、またあの異物感と痛みと恐怖が津波のように襲ってくることだろう。
そう思うだけで、思念体にもかかわらず体が震えてくる。
「……生きよう、チカ!」
「……うん!」
互いに、自分の恐怖を相手に背負わせ、それを受け入れることを誓うように。
手を、繋ぐ。
(生きる……生きるんだ!)
揺るがない想いを、一瞬の響きに乗せて。
死を否む絶叫が、二人だけの世界にこだました。
「シャウトォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオ――――――――ッッ!!!」
刹那、予想を超える痛みに襲われた。
意識が遠のき、少しでも気を抜けばまた体を手放してしまいそうになる。
しかし、弱弱しく伸ばし合った手を再び繋ぎ、互いの温度を確かめる。
まだ残る暖かさを、互いで補い失わないように。
呼吸も荒くなり、視界が霞む中――間など無くして助けが来た安心感か、はたまた抵抗が意味をなさなかったのか、ともかく意識は暗闇に落ちてしまう。
そのとき、イナは夢を見た気がした。
走馬灯でないことが確かだったのは、彼の記憶に存在しない映像ばかりだったからだ。
和やかで暖かく、しかし突然に荒々しく悲しいものに情景が変わり。
誰かの泣き咽ぶ声が、頭の中で反響し続けていた。




