第21話「誓いの二人」:A2
想定を一回り――否、三回りほどは超えていた。
少しでも気を抜けば、組み合った手は簡単に潰されてしまいそうだ。
それを裏付けるように全身へ伝わってくる、自分への殺意。
ただの人間が、それを受け止められようハズもない。
ましてや気弱な少年が。
だがその気弱な少年イナは、この恐怖に抗うべく懸命に叫んでいた。
そして、届かせようとしていた。
自分は絶対に君を助けるのだと。
行き詰った思い込みに囚われた、ひとりの少女に――。
「――イナッ! イナぁぁッ!! やっと……やっと会いに来てくれたぁッ!!」
「止まれ、チカッ!! こんなことしたって誰も幸せになんかならない!」
「なるよ! イナと私が!!」
曇天の下、想いをぶつけあう二人。
自分が正しいと信じて疑わない、狂気的な声音がイナを惑わせる。
この少女は、本当は救わなくてもいいのではないか。
そんな諦念を植え付けられるような感覚に陥る。
否、既に影響を受けていた。
少しずつ力が抜け、チカに押し返されようとしている。
(認め……られるかッ!)
最低限、自分の身を守らなくてはならない。
本来はそれだけで十分だというのに、加えてイナはこのチカを止め、救おうとしている。
この状況だけを見れば、希望的な観測はできそうもない。
それでも彼は、愛機の言葉と力に希望を見出していた。
奇跡を起こしイナの願いを叶えてくれた、シャウティアに。
「なんでッ!? どうして受け入れてくれないの!? まだ苦しみたいの!?」
「苦しいのは、確かに嫌だよ……!」
助けてくれた人に裏切られ、仲良くなれたと思った人とは溝が生まれ、手を差し伸べてくれた組織には苦労を強いられる。
しかし、そればかりではない。そればかりではなかった。
「俺を受け入れてくれる人がいたんだ! こんな俺でも、もう少し頑張って生きたいって思えたんだよ!」
「そんなの、惑わされてるだけ! また絶望して苦しむなんて、耐えられない!」
それこそ、チカが勝手にそう思い込んでいるだけ。
イナは言い返したかったが、死に逃避したいほどに苦悩していたのも確かだった。
この点に関しては、彼女の理性が語っていたことと一致する。
「イナが! これ以上! 苦しまなくていいようにッ!! 一緒に死のうよ、イナあぁッ!!」
「……ああ、そうか……!」
妙な違和感の正体に気づく。
このチカの理性と話していた時と、感覚が違う理由だ。
このチカは、イナの想いを読み取ることが出来ていない。
あるいは、していない。
その理由は定かではないが、そうだとするならば確かなことが一つ。
(こいつの時間は、止まってるんだ……!)
思い込みの強さの余り、自分に都合のいい情報しか見えていないのか。
あるいは最初から読み取ろうとしていないのか。
いずれにせよ、彼女はいまのイナを知らない。
「違うよ?」
「ガッ!?」
不意に手の抵抗がなくなり、その意表を突かれて次の行動を許してしまう。
次に彼女を視認したときには、イナの首を今にも潰さんとする強さで締め上げていた。
「どれだけイナが変わって、生きたいって思っても、苦しむのは変わらないんだよ? イナはおかしくなってるの。私を拒んでまで生きたい理由はなに? イナが選んだ人たちはイナのことをずっと見守ってくれるの? イナを幸せにしてくれる? 違うよね、イナを苦しませるだけ。強い力を都合よく使うために媚びてるだけ」
「ち……が……ッ」
絞められているのはあくまでシャウティアの首だが、一体化しているイナも発声がうまくできず、息苦しい感覚に陥っている。
今までの取っ組み合いは戯れだとでも言うような力の強さに、イナの抵抗もむなしい。
「痛いのは一瞬だよ。イナが怖くないようにしてあげる。イナのことを誰よりも、一番愛してる私が殺してあげるの! それなら死んでくれるよね? ねぇ、ねぇ!?」
「い……わけ、ね……だろ……!!」
「どうして? 元の世界に帰ってもいいことないよ? イナひとりでできることなんか限られてる。人間なんて信じるだけ無駄だよ! この世界の戦争が心残り? 大丈夫、死んだら関係ないよ! あはっ、あはははははははッ!!!」
叫ぶという行為が声帯を用いる以上、首を絞められては無力だ。
おまけにチカの狂った叫びが頭の中で反響して、まともに思考することすらかなわない。
(くそったれ……! どうにかしてくれるんじゃ、なかったのかよ……!!)
どんな意図があるのか、シャウティアはまったく言葉をよこさない。
イナのサポートに必死で喋る余裕もないと言えば聞こえはいいが。
その結果がこれでは、疑いもしたくなる。
(いつチカがガス欠するかもわからねえ……!)
勢いが弱まる気配は無い。
イナが弱すぎるがゆえに、彼女のシャウトエネルギーの供給量に大きな余裕があるとも考えられる。
もはや、この状況を脱する策はない――無茶を除けば。
(シャウティア! 聞こえてるならBeAGシステムを切れッ!)
返事もなく、不意に機体から突き放されるような感覚と共に、自分を取り戻す。
自分が絞首されていたような気がして咳き込むが、錯覚だと言い聞かせてすぐに立ち上がって駆け出した。
イナの意図を汲んだように展開した胸部装甲から飛び出し、イナは再びシャウティアとなって宙を舞う。
自棄気味の打開策は、シャウティアを囮にした、AGアーマーを装着したイナによる接近、および機体内への強引な突入。
チカにこれが察知されていないとは考えられなかったが、意外にも迎撃の様子はなく彼女はシャウティアの首を絞め続けている。
それどころか、胸部装甲を開けてイナをコアの中に誘おうとしているようにも見える。
さすがにイナもこんな見え透いた罠がわからないわけではない。
だが、この策を取った以上はどうあってもそこに赴く必要がある。
推進器を噴かせてそこへ入り込み、視界を暗視モードに切り替えてチカの存在を確かめる。
ようやく――彼女と、再会するのだ。
緊張と共にたどり着いたコアの中は、淡く青い光に包まれていた。
「……チカ」
「イナ……」
険しい表情のイナとは対比的に、チカは心底嬉しそうにしている。
「こっちに来い、チカ」
「嫌。だってイナは私を拒んでる」
「そんなの……お前だって同じだろ」
彼女の言う通り、これほどまでに本音を発露している彼女に忌避感を覚えているのは確かだ。
たとえ彼女が、自分に転換点を与えてくれた人物であるとしても。
否、そうであるからこそ余計に。
「お前を傷つけたくない」
「その自信を裏付けるものはないよね? 強がらないで。受け入れて、私を!」
「だったらお前も、今の俺を受け入れろよ!」
「受け入れてるよ? イナは惑わされてるだけだって、ずっと言ってるじゃない」
「違うんだよ……そうじゃないんだ!」
彼女の言うことが全く的外れかと言われれば、そうとも言い切れない。
極論だが、一切苦しまない人間というのはいないだろう。
それを、一時の快楽や享楽に溺れることで紛らわせ、また忘れた頃に困難へ直面し苦悩する。
そのたびイナは、現実逃避の先にある死を願ってきた。
「だったら俺はずっとお前に惑わされてきた! お前がいなきゃ俺はとっくに壊れてた!」
「なら、生きていなくてもいいよね? 私でいいなら、生きている必要なんかないよ!」
「意味が……分からねえよ!」
彼女の中では筋が通っている論だとしても、イナには到底理解ができない。
もはや、救う必要以前に、救える可能性すらないのではないか――そんな思いがよぎってしまう。
「――もういいよ、イナ」
ふいに、耳元で囁かれた声の主は、チカ。
けれどもそれは、今目の前にいるチカをコントロールしていた、彼女の理性。
「あの私を、殺して」
「な、何言って……」
「あんな私を見られて、それでも助けてなんて言えない。助けられても、私は罪悪感に耐えられない」
彼女の片割れからの悲痛な思いは、イナの心を再び揺らがす。
まさか、本人にそんなことを頼まれるとは思っていなかったのだ。
「お前も、俺にお前を殺せって言うのか」
「そんなことしなくていい。私が無理やり入り込んで、その隙に――」
「見殺しにしろって言うのは同じなんだろうがッ!!」
PLACEからも、本人からも望まれていない存在。
同情心が芽生えてくるが、イナとて彼女を好ましくは思っていない。
しかし、チカが何をしたというのか。
「みんなして気が滅入ること頼んできやがって……!」
イナを殺すために追い求めていただけではないか。
そして、それは未遂だ。
彼女に殺すほどの罪はない。
「なんでそんなに諦めるんだ……! なんでそんなに割り切れるんだ……!」
ただ危険というだけで。
ただ嫌だというだけで。
たとえ誰がそれを望んだとしても、選ぶのはイナなのだ。
そしてイナは、既に選ばないことを決めていた。
PLACEとチカ、どちらをも取るのだから。
「イナ……どうしてまだ頑張ろうとするの? イナが助けてくれたっていまさら私は変われない! 私が苦しいだけだよ……!」
「……それでもいい!」
「な、何を――ダメ、イナッ!!」
チカの理性による制止もきかず、イナはAGアーマーを解除してチカの本体に向かって歩みだす。
あえて無防備で飛び込む彼には、彼なりの考えがあった。
彼女は変わらず怪しい笑みを浮かべ、イナを迎え入れるように胸を開く。
そこに何が待ち構えているのか、なんとなくだが彼は分かっていた。
彼女に近づくということはつまり、彼女の目的に自ら手を貸すような行為に相当するのだと。
恐れながらもそれを覚悟し目を瞑る。
直後、彼の胸をどこからともなく現れた刃が刺し貫いていた。
同時に、チカの胸も。
「ガッ……!!」
今まで味わったことのない、味わうはずもなかった痛み。
無駄に心臓が脈打ち、眩暈に似た不快感が駆け巡る。
直感的に、彼は死を悟る。
文字通り血の気が引いていくのを感じていた。
「やった……ぁ!」
大きな感情を押し殺したかのような声音で、チカが息を乱しながらつぶやく。
イナは一拍遅れてヒュレプレイヤーの実体化能力によるものと認めたが、いま重要なのはそこではない、と気づくのにも時間を要してしまう。
「やっと殺せた……! 私のたった一つの願い……! やっと叶った……!!」
彼女も同様に死を目前にしているはずなのに、恐れる様子もなくただ狂喜している。
その理由は考えるまでもない。彼女は最大の目的を果たしたのだから。
だが、イナはまだなにも果たしていない。
「イナ? ……どうしてそんな顔をしているの!?」
温度を失いつつある手がイナの頬に触れ、無理やりチカと目を合わせられる。
どこまでもまっすぐで、陰りのない瞳。満面の笑みを浮かべる彼女は、心底嬉しそうだった。
ゆえに、純粋な恐怖を植え付けられる。
チカの理性に、彼女の本音を伝えられた時とは違う。
いまイナは、その意思を、心と体で満遍なく思い知らされている。
「もう生きなくていいんだよ? もう苦しまなくていいんだよ? あと少し――そうしたら、ずうっと二人きりだよ。誰にも邪魔されずに、ずっと愛し合おうね。イナが私としたかったこと、なんでもできるよ。ほら……もっと近づいて。死ぬときは二人で一緒だよ。ほら、ほら、ほら! も っ と 近 づ い て !」
しかし、イナは状況や他人に任されたことに従わないと決めたのだ。
抵抗の意志を失っていない赤い瞳でチカを見据えながら、心の中にある炉に火を点ける。
「あはっ! もう、少し……もう……す……こシィ……ッ!」
遠く聞こえる彼女の声音も薄まりつつある。
その由来は、死が近づいていることばかりではなかった。
ドクン、と何かが跳ねる。
それはイナの体かも知れない。止まりかけていた心臓かも知れない。
あるいは、彼の中にある何かの源かも知れない。
――そして、ふいにイナの体から力が抜けた。
「イ、ナ……?」
喘ぐような声を出しながら、チカが怪訝そうにしている。
まだ苦しんでいたはずのイナが、目の前で力を失ったからだろう。
「まだ早いよ……? わたしまだ死んでないよ……? ちゃんと狙いをつけたのに……どうして……? まだ死なないで……? 一緒に死んでよ、イナ……」
今にも泣きだしそうな声で訴えるチカ。
しかしイナからの返事は、乱れた吐息すらもない。
なぜなら。
「――死んで、たまるか」
なぜなら、彼は。
「チカ……必ずお前を連れ戻す! 死んでもこれだけは譲らねえッ!!」
もうその体では、存在していなかったのだから。




